何かをすれば何かが変わる

すぐに結論なんて出なくていい、でも考え続ける。流され続けていくのではなくて。
そして行動を起こし、何かを生み出す。

Q.ジェネリックを希望がなければ先発品を調剤していいですか?

2007-11-30 19:47:50 | くすり雑感
 最近、来春の調剤報酬改定に向けて、今から300品目の後発医薬品を揃えようとしている薬局があるという。錠剤10錠、軟膏1本でもいいから増やし、300品目のクリアを目指すらしい。そこで、

これまでジェネリック医薬品を希望されなかった患者さんであれば、今後も(処方せん再変更後も)先発品のままで調剤を進めていてよいですか?

 というふうに尋ねられることがある。さらに、小分けで入手したり、少量多品目を持っていればいいですか? などという質問も受ける。

 「300品目」という数字にこだわるのは、日本ジェネリック医薬品学会がゴールドステッカーを配布する基準にしているところから来ているように思われるし、厚労省関係者も調剤報酬とは必ずしも無関係におよその目安として、そのような数値を示したのかもしれない。

 しかし、厚生労働省は、(中略)次回調剤報酬改定で、後発品の調剤割合が一定以上の薬局を、調剤基本料で重点的に評価することを提案した(日刊薬業2007.11.12日)という報道もある。持つことでなく、変更した実績を評価するほうが本質的だ。揃えておくだけで、何もしなければ意味がない。

 これまでは、代替調剤を医師が認めたかどうか、というのが根底にあったから、薬局は後発品に変更できなくても、ある一定の“言い訳”が出来た。しかし来春から処方せん様式が再変更されて、医師のサインがない限り代替調剤ができるとなると、薬剤師の役割が前面に出てクローズアップされる。もし後発品への移行割合が低ければ、薬剤師は責任を問われる立場になる。

 1年前あたりのデータで、消費者の約3割は後発品を選び、6割強は「場合によって選ぶ」と答えている。その6割強の80%近くが、医師や薬剤師から納得のいく説明があれば、後発品を選ぶとしている。

 もはや「先発品と後発品、どちらになさいますか?」といった注文を聞くような段階ではない。納得のいく説明を行い、条件次第でジェネリックを使う意思のある消費者の納得を得て、変更につなげなさい、という時代が訪れているということだろう。

 さらに薬剤師は、どのジェネリックがいいか、なぜそのジェネリックを勧めるのか、きちんと説明ができなければならない。単に安いですよ、だけでは通用しないことも往々にしてあろう。難しく、やたらに長々と説明しても患者も理解しきれないだろう。簡潔に要点を示し、使う価値があることについて、理解を求めなければならない。

 さて、300品目。いかに低コストで在庫を増やすか、ではなくて、ひとりひとりの患者さんに対して、1品目ずつでいいから(一気にたくさん変えて、体調変化を起こして、元の先発品に戻らないほうがよい)変更する患者を増やしていくことが重要だと考える。同時にそのほうが信頼関係も構築されていくことだろう。これからは、先発品のままでよいという患者の中の約半数における「説明して納得すればジェネリックでもよい」という患者をいかに増やしていくかが求められている。
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年収10倍アップ勉強法

2007-11-29 21:33:41 | Book Reviews
「無理なく続けられる年収10倍アップ勉強法」 勝間和代・著、ディスカヴァー・トゥエンティワン・発行、2007年4月5日。
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「安全」のためのリスク学入門

2007-11-29 13:18:59 | Book Reviews
『「安全」のためのリスク学入門』 菅原努・著、昭和堂・発行、2005年8月10日。


p.10 私がこの本で皆さんにお伝えしたい「リスク」とは「どうしてもゼロにはならない〈危険の起こる確率〉を、多くの人が納得する形でゼロに近づけていく」ための考え方なのです。

p.177 安心したら安全は保てない、安全と安心は両立できない

 うーん、そうきたか・・・。これまで安全・安心が並列で記されることには違和感があり、安全があってこそ、安心につながるというように、安心は安全が確保されてこそ、と思ってきた。そうではなくて、安心してしまったら、安全が保てなくなるとは・・・、言われてみるとそうだ。

p.179 リスクアナリシスで適切な対応をしていけばいくほど、安全は高まります。しかし「世の中にゼロリスク」はあり得ない。」という前提で可能な限り低く、または許容できるレベルにリスクを抑えていこう。
 わずかとは言えリスクは常に存在する。だから安心せず、警戒を怠らないことで安全を保とう――ということなのです。

p.186 そもそも「安全に配慮したから安心」というのは、人のこころについて理解不足といえないでしょうか。少なくとも今は医療の現場においてこのような考え方は厳しく批判され、患者に対するインフォームド・コンセント(説明と納得)を十分果たした上で、初めて治療を始めるという考え方になっています。
 一方「安全と安心」では、施策やサービスを受ける存在としての一般市民や消費者が実は考慮されていません。ただ「こっちはこれだけ安全に尽力しているのだから、信用して安心しなさい」という一方的な主張があるだけで、判断材料を示し納得してもらうという姿勢がない。こんなことを放置していては「安心」にかこつけて安全のための監視や束縛など、人権を無視するような結果さえ招きかねないのではないでしょうか。

 しばしば「安全・安心」な医療と表現されていることが多いように思うが、安心かどうかは受け入れる側、医療サービスの提供を受ける側が思うことであって、安心を売り物のように言うのはおかしなことだ。安心を押し付けてはいけない。

p.187 「安心・安全」を混同し、並行して追及できるとする考え方は、明らかに科学的な思考とはいえないものであり、ましてやリスクの考え方とは全く相容れないものと言えます。
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買ってはいけない「白い恋人」

2007-11-25 20:43:27 | よくわからないこと
「白い恋人」販売再開、反応さまざま あなた買う?(朝日新聞) - goo ニュース 2007年11月22日(木)13:57

 賞味期限の改ざんなどの不正で販売を中止していた北海道の土産菓子「白い恋人」が22日、約3カ月ぶりに新千歳空港の土産売り場などで販売再開された。「あれだけ騒がれたから、大丈夫だと思う」「受けを狙って」と手にとる客がいる一方で、「信用できない」と話す人も。土産店などは、白い恋人が不在だった間に穴を埋める有力な土産菓子が現れていないといい、年末の観光シーズンに向けて消費者の動きを注視している。

 復活してはいけないわけじゃないし、やがては戻ってくるかとは思っていたが、3ヵ月というのは世間を欺いていたことを考えると、反省というかみそぎが十分できたとは思えず、再登場するには短いのではないか。製品さえ、賞味期限の確かなものを生産できればよい、というものではないと思うのだ。消費者が怒っていたのは、賞味期限の改ざんを行うような会社の体質、経営姿勢だろう。1包ずつに期限を入れて、その管理は特定の人間だけでしかできないようにしたから、今後偽造された製品の製造は防止できる体制が整ったから、販売再開していいでしょ、というものではないと思うのだ。

 やってきたことを考えれば、偽造防止体制が整おうとも、ある一定の期間、土産物売り場への“出場停止”処分が出されたと解釈すべきではないだろうか。その自律性に欠けるように思われる。

 新しい社長は、うれしくて買ってくれた客に抱きつきたいほどの気持ちだったというが、それは第二の売上げ指向の始まりにすぎないように思う。
 他のお菓子メーカーには、「白い恋人」が復活しても、既に居場所がなくなっているくらい、新製品の開発をおおいに期待するのだが。

 もし自分がその場に居合わせたら、話題性に乗って買っていたおそれもないとはいえない。それでもしばらく反省を与えるべく、もう少しの間、別のお土産にするだろう。そのくらい、信用を軽く考えているようなお菓子は、買う価値がないと考える。
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会社の品格

2007-11-24 18:16:57 | Book Reviews
「会社の品格」 小笹芳央・著、幻冬舎新書054、2007年9月30日

 帯には「社員を大事にしない会社は必ず滅ぶ」とある。まぁ、なんと過激な文句であることか。それはさておき、本書に関して先にも記したが、その続編である。

p.30 実際、経済合理軸だけで長く活動を続けていると、組織はそれ以外の軸を捨てながら動くようになります。他の価値観を受け入れなくなっていく。一個人として「おかしいのではないか」「やってはいけないのではないか」と感じても、それを表明できない“空気”や“体質”が、着々と会社の中に出来上がってしまう。やがて、その中に社員がとけ込んでしまい、最後には、間違っていることに対して「おかしい」と感じることすらできない社内独自の集団的規範が生まれ、社会とはズレた暗黙の文化が形成されてしまうのです。

p.43 どこの会社で何の仕事をするのかということが、働く個人にとって大きな「投資判断」になる時代が来ています。だからこそ、私は「社員こそ最大の投資家である」と表現しています。
 社員が投資しているものは、人生で最も大切なもののひとつである、「自分の時間」や「自分の能力」です。

p.46 会社は、社員のモチベーションを、顧客の創造や信頼の獲得に向かわせなければなりません。

p.53 ビジネスというのは、社会に対するコミュニケーション行為です。
 結果的に、そうだね、その通りだね、という合意、共感、支持を獲得することができて、今の売り上げが成立している。本来的に経済合理軸で動く会社が品格を保つには、数字や儲け“以外”の使命や目標によって、社会と接続されていなければならない。つまり、社会にメッセージをきちんと送れる存在でなければならないのです。

p.54 営業行為というのは、市場の“共感”を奪い合う行為だと定義ができます。
 会社にとっての「売り上げ」というのは、マーケットからの共感やうなずきの総量です。メッセージを発信した結果として得られるものなのです。

p.56 誰に何を伝えるのか、というメッセージが社員と共有され、社員の共感を生んでいるか。
 数字や儲けだけの使命や目標では、多様化する社員のモチベーションを喚起できない時代になっているのです。

p.57 若い人を中心に、お金というモチベーションだけでは人は動かなくなってきています。誰しもが、使命感や成長感、貢献感などを欲している時代になっているのです。

p.64 知らず知らずの間に、そうした成功者たるカリスマへの過度の「依存」が社内に生まれてくることが少なくないのです。
 そしてこれが、盲目的な追従状態へとつながっていきます。こうなると、カリスマの規範=自分たちの規範となり、それが社会とズレていても、気がつかなくなる危険があります。外に目が向かなくなり、とにかく内向き志向になっていくのです。
 また、こうした会社内では、暗黙の言論統制が空気として広がることが少なくありません。上層部を批判できない雰囲気が作られ、弱音を吐いたらつぶされたり、弾かれたりしそうなムードが生まれる。こうなると、顧客よりも、上司や上層部を見て仕事をする、という風潮や環境が作られていきます。

p.69 特に大企業を中心とした成熟モードの会社が抱える病弊として、真っ先に挙げられるのが、「顧客視点が欠落してしまう」こと。長く安定的に事業が継続していると、自分の仕事全体が、どんな顧客の、どんな役に立っているのかが見えなくなってしまう。

p.109 日頃、美辞麗句を並べている上司の姿を、部下は本当の姿とは見ていません。


 普段は、「顧客満足を大切に」と言っていたにもかかわらず、月末、期末、数字に追い詰められたとき、「とりあえず行ってこい」「何でもいいからもらってこい」「何としてでも取ってこい」という言葉が出たりしていないかどうか。

p.124-6 「仕事そのものに充実感を得られるか」「仕事そのものが自己の成長につながるか」・・・・・。こういった仕事の「意味報酬」を、「金銭報酬」以上に多くの若者が求めているのです。
 今、「意味報酬」を与えられない仕事からは、人材がどんどん離反していきます。結果として、会社では、「内部統合」上、大きな障害が出てきている。また「意味報酬」を創り出せないと、きちんと仕事の意味を理解し、その意味に駆り立てられて仕事に向かう人材がいなくなり、最終的に、顧客の支持や共感が得られないような事態を招きます。
 では、その「意味」とはいったい何なのか。本書では、「納得感」「使命感」「効力感」「普遍性」「貢献感」「季節感」の6つのキーワードから、仕事の意味、仕事の品格を探ってみたいと思います。

p.126 経済合理性一辺倒で活動する会社の規範と、経済合理軸だけで動いているわけではない社会の規範とが衝突するのを防ぐことが、会社の品格には大きく影響します。

p.128 実際、不祥事を引き起こすのは、「仕事だからしょうがないじゃないか」「違うといっても変えられないじゃないか」「みんなそうしているじゃないか」というような、会社の中に漂うあきらめ、開き直り、自分への無理矢理の言い聞かせが生み出す空気のようなものだったりするのです。
 この環境に慣れてしまうと、会社と社会の価値が倒立した状態が起きたとしても、それを不自然に感じることができなくなってしまう。

p.137-8 マニュアルですべてガチガチに縛られている仕事では、誰がやっても変わりません。人間を機械のように扱うようなやり方ではなくそれぞれに選択の余地を残し、選択の機会を与えるのです。選択の余地のない仕事にしてしまうと、それは無力感や疎外感を生みかねないのです。

p.140 また、「商品の価値」と、「人材の価値」のバランスも意識しておくことが大切です。会社によっては、商品そのものに高い価値があり、人が価値を発揮できないという事態も起こりえます。逆に、属人的な仕事、人材だけが価値の場合もある。これは、両方とも問題となります。商品が強すぎると、人材のモチベーションが引き出せず、人材価値だけでは属人的な会社になってしまい、事業の発展が社員の能力に大きく依存することになってしまいます。

p.144-5 これからの会社は「普遍性」を意識して、仕事をデザインしなければなりません。仕事自体にスペシャリティやプロフェッショナリティの向上を感じられるように、業務デザインを再考すること。「普遍性」を訴求していくというこいとです。また、どんな仕事においても、その仕事の普遍性に気づかせる努力を、会社は行わなければなりません。
 そうでなければ、「こんなことをやっていて何になるんだろう」「自分の成長に本当につながるのだろうか」という疑念が、頭をもたげてきて、社員が安易に自分の仕事をマイナスに解釈してしまうようになります。結果として、若手が逃げていってしまう、優秀な人材が辞めてしまう、という事態が起こるのです。

p.149 貢献実感を持つ機会を削ぐと、まず社員の想像力の欠落・欠如を招くことになります。自分のしたことが、どう影響していくかも理解できなくなります。貢献している相手が見えず、相手の事情を考えなくなる。結果として、社内事情や部署事情を優先するような風潮が、はびこっていきかねない。「貢献感」の欠落が、やがては会社の品格をおとしめていく危険性があるのです。

p.153-5 品格のない会社は、社員から意味と時間を奪う、ということです。この「意味」と「時間」の2つこそ、ワークモチベーションが崩れる要因になるからこそ重要なのです。
 まず「意味」を奪うとはどういうことか。例えば、社員を機会の部品のように扱う会社は、意味を奪う会社の典型例でしょう。「とにかく黙って働けばいいんだ」「お前は自分のやることをやっていればいいんだ」という意識の会社です。
 そんな状況のもとで、社員は自分の存在意義を見出すことはできません。また、自分が辞めても替わりがいる、という意識のもとでは、エネルギーを発揮することもできません。
 時間を奪うとはどういうことか。経営者や幹部はときどき、社員の時間は無尽蔵にあるという感覚に陥ることがあります。社員の時間はすべて自分たちが預かったものだという考え方をしてしまう。
 この意識が、典型的に表れるのは会議です。だらだらと意味もなく長引く。議題が明確になっていない。進め方がうまくないから、結論がなかなか出ない・・・・・。

p.206-7 今後は、商品の品質や機能だけではなく、「この会社のファン」「この会社が好き」「会社の考え方に賛同する」といった。「共感」という軸での消費行動も、拡大していくのではないかと私は思います。
 これも投資と同じですが、数字や機能といった情報だけではなく、会社の社会に対する思いやこだわりといった評価軸を持つことで、消費者が品格のある会社を育てていくという流れができるのではないでしょうか。
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いる社員、いらない社員

2007-11-23 13:03:17 | Book Reviews
トップ人事コンサルタントが明かす いる社員、いらない社員」 小笹芳央・著、ソフトバンククリエイティブ・発行、2007年8月17日

p.72-3 昨日、営業チーム主催の販促イベントの運営に行ってきました。イベントでの私の役割は、1年上の先輩と一緒に会場に来たお客様への資料配布でした。ただ必死に資料を配っていたところ、私と同じように資料を配っているはずの先輩のほうに、私よりお客様が集まってくることに気づきました。
 何かコツがあるのですか? と先輩に聞いたところ、「お客様の緊張がほぐれて楽しく会場を回れるように、資料を渡す時、『ようこそお越しくださいました。こちらの資料に最新の調査結果を載せています。おもしろい結果が出ているのでぜひご覧ください』と一人ずつに声をかけている」とのことでした。
 先輩から学んだことは「一言、加えることで、成果が大きく変わる」ということです。自分の仕事を、単に「資料配布係」とするのではなく、「お客さんの緊張をほぐす係」というエンターテイナーなんだと解釈することによって、行動にも違いが表れ、成果につながるということです。日頃、目先の仕事や作業に追われがちな私ですが、「その仕事の意義を意識して行動する」ことに大切さを学びました。

 同僚との差別化であるとか、ライバル意識のようなものから、このような視点は浮かばないのではないか。顧客に対する考え方の差ではないか。託された資料がはけることで自分が満足するのか、お客さんの喜ぶ顔や笑顔を見て自分もうれしくなるのか、そういう気持ちも大切だろう。サービス精神と言ってしまえばそれまでかもしれないが、サービス業にもかかわらず、サービスというものをじっくりと考えていないことが多い組織が少なくないようだ。

 同じことを任されても、それが全体からみれば一部分の仕事であっても、仕事の本質は何であって、社会の中で果たすべき役割や機能が何であるかわかっていれば、やり方も一味違ったものになろうし、モチベーションも異なる。当然、結果も大きく違ってくる。目先のことを自身のミッションだなどと思って一生懸命にやっても、目先の達成がゴールであれば、たいして考えることなく、目先さえ済めばよいような仕事で終わってしまう。そういう考え方や発想、任務に対する自覚というのは、仕事の本質をどのくらい認識できているか、方針や姿勢として備わっているかだろう。

p.142-3 ある百貨店の店員の話です。
 お客さんに3日後に商品をお届けすることになっていました。お客さんは孫の誕生日プレゼントを購入したのです。ところが3日後、約束の時間になってもプレゼントは届きません。お客さんは怒って、百貨店に電話をかけてきました。
 自己信頼していない百貨店の店員であれば「自分は先日、発想の手続きをしています。何かの間違いか、運送会社の手違いと思います。一応確認してみます」と対応します。自分には責任がないというスタンスに終始します。
 自己信頼している百貨店の店員は、まず「お約束の時間に届いていなく誠に申し訳ありません。お孫さんの誕生日かと思います。すぐに同じ商品を手配してお送りさせてください。商品が届いていない原因も、同時に調べさせていただきます」という対応をとります。

 まず、こういう訴えをクレームなどと受け止める気持ちがあると、相手が困っていることや悩んでいることに想いを馳せることなどできない。どちらに非があるかないか、誰が悪いのか、もし自分が悪ければ謝罪するとしても、間違っていたと言われるのはイヤだ、ないと言われて渡すのは簡単だがそれではひょっとしたら二重に渡して店側が損をしてしまう、などいうようなことが頭をよぎれば、顧客とは対立する関係になる。えてして、接遇は大事などと日頃言いながら、いざこのような相談されるとまるで顧客重視の態度は消えてしまう。建前か取り繕いの顧客満足は、おべっかやお愛想と同じですぐに見破られてしまうだろう。そういうものにはなりたくない。

p.143-4 最近、急成長を遂げているある企業の話です。
 社員数も一気に増え、そろそろ現在のオフィスでは手狭になりました。そこで、より広い新しいオフィスに移転することになりました。
 オフィス移転の時は通常、「移転案内のハガキ」をお客様に送ります。この会社でも顧客データベースをもとに、「移転案内のハガキ」を出力しました。
 一人の社員は、印刷出力したハガキを、流れ作業として、そのまま投函しています。もう一人の社員は、字分が担当するお客様のハガキ一枚一枚に、丁寧にお礼のメッセージを記しているのです。
 「○○さんのおかげで、会社が成長し、このたび移転することとなりました。本当にありがとうございます。今後もご指導ご鞭撻を宜しくお願いします。ぜひ、一度、オフィスに遊びに来てください」と記しているのです。
 今回、オフィス移転するに至ったこれまでのプロセスを思い起こしながら、お客様に対して感謝の気持ちを伝えたい、それを行動に移しているのです。
 この社員は、ハガキを送る仕事の意義を「お客様に感謝を伝えること」だと捉えています。そうすることで、自分の仕事に誇りが持て、自分の存在意義も感じられるようになるのです。

 こういうのも打算的な、計算ずくでは生まれて来ないのではないだろうか。ここまでこれたのも多くの人に支えられてのことであるという、感謝の気持ちが素直に出てきた結果なのではないかと思った。
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川淵キャプテン、反町ジャパンに謝罪

2007-11-22 13:03:27 | 思いつくまま
川淵Cが試合後のロッカーで謝罪「けなし続けて悪かった!」 11月22日8時1分配信 サンケイスポーツ

 北京五輪アジア最終予選(21日、国立競技場)試合後のロッカーで、日本協会・川淵キャプテンが頭を下げた。

 「このチームは“ピチピチ感がない”とけなし続けて悪かった! ごめん!」。その声に、選手、スタッフから歓声がわきあがる。反町ジャパンに厳しい評価を与え続けてきた日本協会のトップを、結果で見返した。


「地獄見た」反町監督涙の胴上げ 11月22日7時1分配信 スポーツニッポン

 【日本0―0サウジアラビア】苦楽をともにした選手の手に支えられて反町監督の体が3度、宙に舞った。歓喜の胴上げを終えて4万2000人を超える大観衆の前に立つと、思わず声が上ずった。「非常に苦しい予選でした。でも北京に行きます!これからもっと訓練して頑張りたい。1回地獄を見た。その分、跳ね上がる力があった」。選手、スタッフからペットボトルの水を浴びせられた指揮官の目は潤んでいた。

 長い道のりだった。川淵キャプテンからは試合内容を何度も批判され、8月の4カ国トーナメント後には進退問題も浮上。2月に五輪予選が始まってからは、睡眠薬を常備するほど精神的に追い込まれた。


 オリンピック予選で結果を出していても内容に精彩を欠き、不安を感じさせるものはあったと思うし、協会幹部もそれを口にしていたのだろう。しかし、ついに五輪への切符を勝ち取った。

 あの時は、叱咤激励の意味も込めて言ったんだ、その言葉が発奮材料になってくれればと思ってのことだ、などと言い訳をしないところがよい。結果を見て、今になって当時の自身を正当化しないところがいい。スポーツマンなら当然か。

 「ごめん!」との言に、川淵キャプテンに水をかけまくって、一緒に北京行きを祝ったら良かったのに やったのかな。
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サービスの教科書

2007-11-21 22:14:19 | 薬害は人災だ
「サービスの教科書」高萩徳宗・著、明日香出版社、2004年1月31日
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千円札は拾うな。

2007-11-20 22:47:08 | Book Reviews
「千円札は拾うな。」 安田佳生・著、サンマーク出版、2006年1月25日

p.42-3 「売り上げを伸ばすために、顧客を捨てる」
 「お客様あっての商売だ」と批判されそうだた、実際に私の会社では、「嫌なお客は断る」という方針をとっている。
 「嫌なお客様」と仕事をしてしまうと、嫌な思いはするし、利益率も下がるし、悪い評判まで立つし、といいことはない。
 本当は「自分の気に入らないお客」でいいのだが、それを強いて定義するとすれば、「うるさい客」ということになろう。
 そんなうるさいお客さんは、何かあるとすぐに営業マンを呼び出し、価格も値切り、営業マンのモチベーションを下げる。つまり、大切な自社のスタッフから、利益と時間とやる気を奪ってしまう客である。

 これと似た考えは『サービスの教科書』にも出てきた。そもそも、すべての顧客に行き届いたことを行うということは難しいことだ。非効率を恐れていうのではなく、非効率を受け入れながら、十分なことを提供し続けるうえで、やむをえないことではないか。しかし、だからといって医療では「受け入れ拒否」「応需拒否」ができないという事情もある。

p.45-6 優良顧客を作ることは大切だが、優良すぎる顧客は作ってはいけない。優良すぎる顧客というのは、いなくなったら困るお客様のことである。
 健全な経営を目指すために、なぜ優良すぎる顧客を作ってはいけないのか。それはいなくなると困るため、その顧客の要求を断れなくなってしまうということがある。
 そうなると、他の顧客には断っていうことでも断れないという状態が生じ、社内のルールが壊れてしまう。
 また、ある特定の顧客が安定して買い続けてくれていると、そのことに安心し、企業は往々にして新商品や新しいサービスの開発、新しい販売法の模索といった営業努力を怠るようになってしまう。
 現実には、永久に売れる商品がないように、永久に買ってくれる顧客もいない。

 売り上げが段違いの、超VIPを作ることを戒めているが、膨大な売り上げをもたらしてくれるかどうか以前に、VIPのような、囲い込み顧客を作ろうとする動きは、まさにこれに当たるのだろう。そのわずかな(たかが知れた)売り上げのために、わがままを聞き入れM無理な要求を呑み、そのしわよせを他に回し、トータルで自らを苦しくしている。成長を阻害している。ある薬局では、施設に取り入って処方せんをそっくり取り込もうとしている動きがあるが、まさにこれに当たる。請け負うにしても適切な環境内で、進めるべきである。

p.60 ビジネスで勝つコツは、「経営とは買い物だ」という意識を持つことである。売り上げをお金で買っていると考えるのだ。

p.73 資産価値のあるものを買うのではなく、価値を生み出す人材に投資したほうがはるかに割りのいい投資と言える。
 社員のスキルを高めたり、人間性を高めるための投資は、成功したとしても会社の決算書にそれとわかるような形では表れない。だから人材への投資をする経営者がなかなか増えないのだが、実際にはそうした数字に表れない、社員が持っている付加価値のようなものこそが「企業の力の差」となって表れる。

 人は辞めてしまうから、人への投資は慎重に、極力最小限に、経費でなく個々に行ってもらうべきである、という経営者を知っている。さぞかし、その組織は成長性を失っていることだろう。

p.74 社内で社員たちがおしゃべりをしていたり、おやつを食べているのを見て「無駄話ばかりして」と怒る社長がいるが、腹が立つのは社長が「会社のお金は自分のものだ」と思っているからである。
 自分のお金から給料を払っていると思っているから、時間いっぱい、きっちり働いてもらわなければ損だ、と思ってしまうのだ。

p.75 社員への投資を惜しむ経営者は少なくない。
 会社にお金がないわけではないのに、劣悪な職場環境を改善しようとしなかったり、社員に一切決裁権を与えなかったり、それもこれもすべては自分のお金だと思っているから、惜しくてできないのだ。

p.76 会社は社員全員のものである。社長はたまたまその中でいちばん大きな決裁権を任されているに過ぎない。
 そう思えるようになれば、社員のためにお金を使うことほど気持ちのいいことはないはずだ。

p.78 他人から見たらどんなに無駄なことでも、当人が「そのおかげで自分の人生が豊かになっている」と感じられれば、それは「豊かにするための無駄」と言える。
 人生においてはそうかもしれないが、ビジネスの世界には「豊かにする無駄」など存在しないと思っている人は多い。
 だが、ビジネスの世界でも、無駄は必要なのだ。
 いや、上手な無駄遣いこそが、その会社を豊かにすると言っても過言ではない。なぜなら、会社の業績を伸ばすためには、投資において「無駄なお金」を使うことがどうしても必要だからだ。
 無駄なお金を一切使わないというスタンスで戦略を考えると、打てる手立ては極端に少なくなる。

 無駄をなくすことが優良経営になるという経営者も少なくない。贅肉をゼロにするにも限度があり、明らかな肥満体質であればそうかもしれないが、すでにスリム化したうえに、この考えを強固に打ち出そうとしている経営者もいるという。

p.80 勝率と倍率のバランスをひとつの投資ごとに見るのではなく、五つの投資をするとしたら、五つ全体でバランスが取れるようなものを考えて投資するのである。
 もうひとつは、三手先ぐらいで回収できるような、長期的な投資を考えることだ。
 実際、短期的に見たら無駄に等しいが、長期的に見れば大きな利益を回収できる投資というのはたくさん存在している。
 単発での回収を目指さないことも、長期的な回収を目指すことも、いずれの場合も、「無駄遣いをしない」というスタンスに立つとできなくなってしまう。
 別の言い方をすれば、ある程度の無駄遣いを受け入れるからこそ、最終的に勝てる勝負ができるのである。
 人生も企業も、すべての無駄を排除したところに、本当の豊かさは訪れないということだ。

p.83 投資先として最も確実なのは、「人材」と「情報」、そして「ブランド」である。
 なぜこの三つに投資することが最も有効なのかと言うと、何十倍、何百倍という投資効率を生み出す可能性があるのは、人材と情報、そしてブランドだけだからだ。

 経営が苦しいからそういう投資を控えることに意味があるのではなく、そういうところへの投資を惜しんできたから、苦しくなってしまったのだろう。誰が助けてくれるって、これまで投資をされてきて、力を蓄えた社員に他ならない。駒や部品のように使ってきたからこそ、エネルギーが残されていないのだろう。

p.98 人が生きていく上で必要なのは、お金そのものではない。必要なときに必要なお金を作り出すことのできる能力を身につけることである。だからお金は、貯金するよりも、能力を身につけることに使ったほうがはるかに生きた使い方だと言える。
 売り上げが上がったときに、それを蓄えても企業として安定しない。
 会社が安定するために必要なのは、社員一人ひとりの能力を磨き、会社全体の能力をアップさせることだ。私が「社員に対する投資ほど確実な投資はない」と言い続けているのは、そういう意味である。

p.125 私の場合、決断を求められたときにどちらを選ぶか、答えを先に決めてしまっている。
 やるかやらないかというときは、それが新しいものであればやる。
 今やっていることを続けるか続けないかというときは、それが今までずっとやってきたことならやめる。
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ギフト-君に贈る豊かさの知恵

2007-11-19 22:34:48 | Book Reviews
「ギフト―君に贈る豊かさの知恵」 平野秀典・著、大和書房、2006年5月1日。

 本書は、平野秀典さんのセミナーに行った記念に買ったもの。一応、著者のサイン入り。

p.60-1 日常の様々な領域でパフォーマンスレベルを高めたい場合は、意識的に高い基準で「振る舞う」ことです。
 古今東西の成功法則では、夢を実現するのに重要なコツは、実現した感情を先にイメージすることと言われています。
 どうしてそうなるかは、今の時代はまだうまく解明されていませんが、素直に実践すると高い確率で結果が出る法則です。

 夢物語を語るようだと地に足がついていないような感じになるが、確信が持てていれば、実現した先を見据えて、心に訴えるプレゼンテーションや行動ができるのだろう。それによって、現実がついてくるようだ。

p.174-6 私は以前勤めていた会社で、長く続いていた「価格と商品特徴の説明」だけのセールストークを変えるために、営業マンに、商品の開発物語を語るセールストークを披露しました。
 商品に込められた「思い」というストーリーを知るには、開発担当者へのインタビューが不可欠です。
 新しい商品は、必ず、「お客様に、こんなふうに使ってほしい」との思いで開発されるものです。
 つまり開発担当者の頭の中はハッピーエンドシーンの宝庫のはずです。
 興味津々のキラキラした目で、水を残らず吸収するかのような乾いたスポンジのような耳で、開発者の話を注意深く聴かせてもらいました。
 開発者たちは、心からうれしそうに、且つ楽しそうに、商品へのこだわり、思いを伝えてくれました。
 営業マンたちに劇的な変化が起こりました。
 自分たちが、その商品が欲しくなったのです。
 欲しくなるほど商品を気に入った人間がすることは、決まっています。
 口コミをはじめたのです。
 誰に?
 お客様にです。
 想像してみてください。
 営業マンがお客様に商品を売り込むのではなく、口コミをするのです。

 伝説になったこのドラマの成功要因は、営業マンの能力を上げたのではなく、「表現方法」を変えただけなのです。

 新製品も、スペックを紹介し、改良された部分や特長を示しても、何となくいいことはわかるが、相手の行動を起こしにくい。一見、それと似ているようで、新製品に込めた思い入れや自慢が熱く語られると、現在がどう変わるかがイメージされ、行動に結びつきやすいのだろう。「売ろう」「売りたい」の思いからは、製品の本当の良し悪しは伝わってこない。製品に惚れ込み、現実が改善され、新たな未来が待っている、それを皆に伝えたいという気持ちで話していると、自ずと私もそれが欲しい、という気を湧き起こしていくのだろう。
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採用の超プロが教えるできる人できない人

2007-11-18 11:11:50 | 薬局経営
「採用の超プロが教えるできる人できない人」 安田佳生・著、サンマーク出版、2003年2月10日

 著者の書を読んで気づかされたのは、人はおよそのレベルであれば誰でもいいから、あとは教育や研修にかかっている、という考えがある中、その素材こそ重要であると明言していたからだ(『採用の超プロが教える伸ばす社長潰す社長』)。

<「できる人」が集まるシステムをつくる>
p.47 レベルの高い人間は、頑張ったと言って自分に満足したりはしない。常に上を目指して努力しつづけることができる。
 伸びる素材を持って入ってきた新入社員の周囲に配すべき人間は、「まだまだ足りない」という自覚を持って仕事に取り組んでいる人間である。
 周囲のレベルが低いと、せっかくいい素材と見込んで採用したのに、「この程度でいいんだ」と、低いレベルで満足してしまう。

 もともとは無垢の新人だったのに、誰にどう教わったのかモチベーションの低い、後ろ向きな若手になってしまう者がいて、残念に思うことがあった。また中間管理職でもそうだ。そういう者に教わると、ダメな者が再生産されてしまうかのようだ。後からの修正も難しい。

<社員の満足なしに、顧客の満足なんてありえない>
p.56 誰だって気持ちのいい会社で働きたい。そして、人からいい会社だ、かっこいい会社だと言われたい。愛社精神とは、そういうところから生まれてくるのだ。
 経営者の目というのは、とかく自社の社員より、顧客に向けられがちである。私は社員の会社への満足なしに顧客の満足などありえないと断言する。社員は、自分が満足して初めて、客にも心のこもった対応ができるからである。
 経営者が社員を満足させられない以上、社員は客を満足させられないという当たり前の事実に、経営者は早く気づくべきだ。

 ESなくしてCSなし。これは他でも言われている。口ではそう言いつつ、正反対の態勢や指示をしている組織も、また少なくない。

<企業は「人」であって、「金」ではない>
p.62 「のっけから文句を言います。金が価値であるという思想をお持ちのようですが、金は道具でしょう。価値ではないと思います。それが今、日本の産業に大きな間違いを引き起こしているんじゃないですか」
 これは、ノーベル物理学賞を受けた東京大学名誉教授、小柴昌俊氏の研究に力を貸した浜松ホトニクス社長、晝馬輝夫氏の言葉である。

<できない人は指導できない>
p.99 自分は仕事ができなくても人の指導ならできると思っている経営者なり上司がいるとすれば、それはとんだ心得違いというものなのだ。「営業成績はイマイチだったが、教えるのには自信がある」とカン違いしている人は多いが、実際にはできない人が教えることは不可能だ。ナンバーワンとは言わないが、少なくとも上位5パーセントくらいに入る人でなければ部下を持つ資格はない。育てられない上司の下についた部下ほどかわいそうなものはないのだから。

 上位5%といったって、全体の層が変われば、時代も変われば、その5%は変わっていく。そもそも流動的なはずだ。それが一度席につけばそのまま居座ると、老害または害人となる。
 上司という立場になると教える側にまわることが多いが、それでも学ぶことを続けていかなければ、遠からずネタ切れの、過去の自慢話ばかりするようなつまらない存在に成り下がってしまうだろう。

 研修会に行くと、若い者ばかりで年配者の姿は少ないが、恥ずかしがらずに中年のオジサンも行くべきだろう。
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感動力

2007-11-17 11:12:46 | Book Reviews
「感動力 7つの魔法でビジネス能力がアップする 平野秀典・著、サンマーク文庫、2007年7月25日。

 感動の方程式の基本は、思い=現実 ――> 満足

 現実が大きければそのギャップに応じて、これはさらに感動、感激、感謝へと発展する。逆に思いが勝れば、不満、怒りへとつながる。

 順番で言えば、怒り<不満<満足<感動<感激<感謝 の6段階。

 ビジネスの世界で、CS(顧客満足)が脚光を浴び、顧客満足アンケートが行われて、満足している人がたくさんいることで、企業は活動状況を図る。

 平野さんは、ここに強い違和感を抱く。満足のレベルを“最高”に設定しているのではないかと。だから、CSが得られても、ES(職員満足)は得られず、業績も悪化している企業がいかに多いことかと。うーん、御意。

 満足と感動は似て非なるものだという。満足に安住していてはダメだというのだ。それも納得。ともすると、それをCSを否定されたかのように受け止めると、平野さんの想いとズレてくる。
 ISO9001では、顧客満足(顧客重視)を柱としている。しかし顧客満足はゴールではない。ISO9001で言うCSは顧客の要求に応えているに過ぎず、まさに先の方程式通りだ。それで良しとせず、継続的改善し、満足のレベルを上げていくことの重要性を説いているのである。

 ISO9001を快く思わない考えの人たちもいる。うっとうしいだけに思っているようだ。
 だから、満足じゃない、感動が大事なんだと言われるとて、ISO9001を否定してきた自分たちが正しかったように感じ、歓迎するのではないか。ISO9001に取り組んでいても意味がない、とさらに確信的に誤解したのではないだろうか。

 平野さんのセミナーでは、思いを「期待」、現実を「実感」と表現して、満足が得られて良しとしているのではなく、感動を与えようではないか、と力説していた。それも“期待より1%上”でよいのだと(大きすぎる感動は続かないし、唖然とするだけだと)。だからビジネスでは満足を目指すことを見直してはどうかというのだ。いやぁ、ISO9001だってけっして感動を否定していないんだけどなぁ。

 満足を目指すと、足りないものを満たそうとする、すなわちマイナスをゼロにすることを目指していることもあるとも指摘していた。

 ビジネスにおけるCSもアンケートも、「満足」という言葉を使っていても、そこで推し量っているのは「満足」ではないと、私は思っている。最低ラインは満足が得られているかも考慮するが、そこは出発点であって、顧客の心に響く満足、すなわち感動の兆候を探っているものと考えている。
 ISO9001を推進している者からすると、期待=実感 の予定調和で (o^-')b などと考えていないのではないだろうか。

 でもどうだろう、レベルの高い満足であっても、利益を得る手段としての満足であるように位置づけているのだとしたら、感動とは違うのかもしれない。ビジネスの世界でいう損得が絡む延長にある満足とは必ずしも関係なく、相手の琴線に触れるかどうか、を述べておられたのかもしれない。
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職員に原因をなすりつける取締役

2007-11-17 11:04:26 | よくわからないこと
偽装「取締役が指示」 パート女性らが会見 船場吉兆 朝日新聞 2007年11月14日23時43分

 船場吉兆(大阪市中央区)が菓子や総菜の賞味・消費期限を偽装していた問題で、同社が福岡市の百貨店、岩田屋に出店していた「吉兆天神フードパーク」のパート女性らが14日、同市内で記者会見し、期限が迫った商品について、船場吉兆の湯木尚治取締役から「日持ちするから延ばしていい」などと偽装を指示されたと証言した。船場吉兆は「偽装はパートの独断」として本社の関与を否定してきたが、パートらは「社員も期限シールの張り替えをしていた」とも証言した。

 現場責任者の女性によると、10月31日と11月1日の夜、船場吉兆が同市博多区に開いている日本料理店「吉兆博多店」で、湯木取締役らから、「商品管理をしていたのは現場責任者」という内容の「事故報告書」に署名を要求されるなどしたことを明らかにした。両日とも2時間程度、深夜まで説得されたが、署名などを拒否したという。

 「拒否すると、『やったのはあんたやないか』などと怒鳴られた。トイレにもなかなか行かせてもらえず、恐怖を感じた」と語った。

 「怖くて言えなかった」 朝日新聞 2007.11.15

 記者会見に臨んだ4人の女性たちは、店側への反感を次々に口にした。

 「ずっと我慢していた。(湯木取締役の主張への反論は)言えないですよね、怖くて・・・・・ 」

 湯木氏から偽装のリーダー役と指摘されたパート女性はこれまで反論しなかった理由を問われ、こう言った。湯木氏から売り場で怒鳴られ、「売り上げを伸ばせ」と厳しく求められたこともあったと訴えた。

 偽装はパートの女性による「現場の判断」――。謝罪会見で湯木氏は、自らの関与を否定した。その光景をテレビで見た別の女性は「こいつ、何言っているの」と感じたという。さらに別の女性は保健所の立ち入り調査後、湯木氏から「あんたのせいやで」としかられた、と涙声で訴えた。

 誰もが思うことであろうが、バレれば会社へどう影響が及ぶか、いかに信頼失墜するか、子供でもわかるようなことを現場のパート待遇の人間だけで出来るはずがない。今に及んで組織ぐるみや役員の関与を否定しているが、往生際が悪いとしか映らない。あまりにも構図が不自然なのだ。

 但馬牛が、もうどこの牛でも構わない。たとえ正真正銘の但馬牛であろうとも、職員に罪を着せ、職員が犠牲になってでも会社の存続を守ろうとするような会社は社会から退場願いたい。

 食品偽装問題に端を発しているが、職員を守ろうとしない体質に焦点が移り、問われようとしている。会社を守るとはいうものの、身代わりになって罪を被ってくれれば自身の責任追及を免れ、ひいては自身の地位安泰が図られるという、自己保身だったのではないか。

 その遺伝子が各地の「吉兆」の刷り込まれているのだろうか。吉兆なんて、庶民には縁のない店だから、行く先がどうなろうと関心はないが、そういった社会通念はもっと明らかにされ、糾弾されて撲滅したいと思う。

 “人は見た目が9割”といった本も出ているが(未読です)、最初の時は湯木氏も一見、善人ふうに見えた。しかしここへ来て、推理ドラマよろしく、一番怪しくなさそうな人物が、結局、犯人だったようなストーリーで展開されてきたようだ。
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関東学院大学ラグビー部、スポーツの掟

2007-11-16 19:16:09 | 思いつくまま
大麻部員2人逮捕!関東学院大、リーグ戦と大学選手権辞退へ(サンケイスポーツ) - goo ニュース

春口監督と大学側が再び協議した結果、「今年度末まで公式戦を含む対外試合を自粛」「春口監督の3カ月活動停止」「逮捕された2人は退部処分」と、より厳しい処分へと発展。さらに、同大ラグビー部・森崎初男部長も辞任した。

練習は可能だが、24日の最終戦(対法大)を残す関東大学リーグ戦、12月16日に開幕する大学選手権も辞退となる。前年度王者が不在という、全国大学選手権史上例のない緊急事態。早大と並ぶ大学ラグビーの雄が、戦わずしてグラウンドから姿を消してしまうのだ。

 しょーもない部員だ。これまでスポーツ界でも、芸能界でも、大麻や覚せい剤に手を染めて人生を大きく狂わしてきた事件を見てこなかったのか。揃いも揃って、同部屋で栽培していれば完全犯罪ができるとでも思ったのか。あまりにも浅はかだ。

 ところで他の部員たちはどうなってしまうのだろうか。今期は大会を棒に振るのはやむをえないとしても、とくに4年生たち。このまま対外試合もできないとは、なんとか救ってあげる道はないのだろうか。親善試合、練習試合、紅白戦もダメなら、トレーニングの名目で早稲田大学と同じグラウンドに立たせてあげることはできないのだろうか。

 部員の不祥事を止められなかった、防止できなかった責任は重く、いわゆる連帯責任としてキッパリ諦めるしかないのか。見て見ぬふりをしていた部員はそうかもしれないが、大半の部員はそうではあるまい。せめてもの道を模索するのは甘いか、温いか。

 「打倒・関東学院大学」を目指してきた相手校も拍子抜けだろう。

 詭弁か、体のよい言い訳だと言われようとも、何とかしてあげられないものか。それがスポーツにおけるもうひとつの“ルール”なのかもしれない。過去に同じような事態で、悔しい思いをした学校は少なからずある。それもまた人生か。しかし、さぞかし無念だろう。
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平野秀典さんのセミナー

2007-11-16 13:26:05 | 心に残ること
 過日、感動プロデューサーを自称する平野秀典さん(ドラマティックステージ)のセミナーに行った。冒頭、BGMとともに登場した平野さんは、自己紹介はさておき、張りのあるテノールを思わせる惚れ惚れとする声で、ある実話を紹介する。

 とあるレストランに、たいへん客から評判の良い若い女性アルバイトがいた。その彼女、このたび就職が決まり、店を辞めるすることになった。経営者としてはたいへん残念ではあるが仕方がない。新たな門出に対し、お祝いとこれまでの感謝を述べ、最後の仕事を指示した。その仕事とは、なんとトイレ掃除だった。

 しかし彼女は、何でこの機になってトイレ掃除なのか、などという素振りをみせず、いつも通りに受け入れてトイレ掃除に向かった。

 その間、経営者はレストランに来ている約30名ほどの客に、花を1本ずつ託し、その彼女が来たときにこれまでの労をねぎらってやってくれないか、と依頼する。客はレストランに食事をしに来ているのである。店側の都合なのだから、客を巻き込まないで店側でやってほしいという客がいても不思議ではないところであるが、なぜか客はみな快く引き受けたという。

 後刻、トイレ掃除を終えた女性アルバイトがテーブルを回ると、客からこれまでの感謝の言葉と共に花が手渡されていった。彼女が号泣したことは言うまでもない。

 感動とはどういうものか、心を揺さぶるとはどういうものかを説くための導入としては、十分な逸話だった。
 えてして話の主人公がベテランではなく、若者であることも世の中捨てたもんじゃない、と思わせるところもいい。

 どこのレストランか、一度行ってみたい、とか、ウチの娘もそうなってくれれば、などと現実に引き戻すようなことは考えず、味わいのある話だった 
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