「勝者の方程式」 広岡達朗・著、講談社文庫、1991年2月15日
p.35 (酒を)適量ならいいと言っても、残念ながら、若い選手に「適量」を守れるような者はほとんどいない。また、四六時中、選手を監視することは事実上不可能だから、飲みたい者は、いくら規制しても隠れて飲むだろう。そこで全面的に禁止しておけば、うしろめたい気持になり、ブレーキになる。
p.38 意識革命――「これが正しい」と信じ込んでいる者に、「それは間違いだ。正しいのはこうだ」と、頭を切り換えさせるのは、そう簡単にできるものではない。ある意味で、意識革命は監督と選手との嘘隠しのない戦争からはじまるものだと言える。
p.52 極端なことを言えば、彼らはプロ選手は故障しているのが当たり前という意識であり、故障しない身体をつくるにはどうしたらいいかなどというところまで思いが及んでいなかった。
p.66 基本的な訓練だから、はじめからむずかしいことをする必要はない。というより、もっともやさしいところから、納得しながらマスターしていくことが、技術を自分のものにしていくための近道である。
p.71 怠けてミスをしたのではなく、一生懸命にやった結果としてミスをした場合、腹の中では怒っていても、それは個人的な感情であって、監督やコーチがそれを選手にぶつけてはいけないと思う。
p.74 最初の成果が出たとき、ここで安心し、怠けてしまえば、もとの木阿弥だ。それをステップにして、さらに次の段階に進んでいかなければならない。その間に、何度も壁に突き当たるだろう。それを乗り越え乗り越えして、しだいに実力が身についていくのである。
p.87 プロ野球の壁を打破するのは「欲」である。
p.98 登板の翌日から、酒を飲みたいだけ飲んで遊びほうけて、次の登板予定の前日になってやっと投球練習をはじめる。疲れがとれていないうえに、調整不足なのだから、ゲームで満足な投球ができるはずがない。
p.105 勝ちパターンは、らくな勝ちパターン、必死の勝ちパターンなどをつくっておく必要がある。いくつかの勝ちパターンがないということは、行き当たりばったりで闇雲に試合をしているのと同じことなのだ。
p.114-5 ドラフト制度のより、選手の入団時の戦力に関する限り、十二球団は均質化しているといえる。にもかかわらず、毎年、優勝争いに顔を出してくるチームと、いつも下位を低迷しているチームとに分かれてしまうのは、なぜだろうか。
首脳陣がやるべきことを正しく認識して、それを実行しているかどうかの違いである。
p.163 本当に身につくのは、押しつけられたものではなく、自ら求めて獲得したものである。
p.168 故障を隠してプレーすることが、結局は選手生命を縮めることになって、選手本人のためにもよくないということも、私は身を持って経験ずみである。
選手生命を縮めるほうがいいか、一時は戦列を離れることになっても、早期に適切な治療をして、選手生命を伸ばすほうがいいか、よく考えるべきである。
p.172 (大リーグは)「競争に負けたくなかったら、勝手に這い上がれ」と言うのではなく、コンディションを崩すもとになることはしてはならないという教育を、球団はきちんとしているのである。
p.198-9 ある日の試合に負けたとしても、その中から反省材料を見つけて、次の肥料にしていくのであれば、その敗戦も決して無駄ではない。言い換えれば、敗戦を意味あるものにしていけるかどうかが、監督の裁量だと思う。
p.206 (言われたことを無条件で受け入れることを)「管理」だと評する人がいる。言われたから仕方なくやったという選手にとっては、それは確かに「管理」されたことになったかもしれない。しかし、私はあくまでも自己管理の方法を教えたにすぎない。
p.208 監督の意図が練習にあらわれているチームは、公式戦がはじまると、大体上位に位置しているし、監督の意図がわからないチームは、公式戦に入っても、たいてい下位を低迷しているものだ。
p.218 監督、コーチは常に選手たちに見られていると思え。建前論はすぐに見破られる。尽きるところ率先垂範しかないのである。
p.234 身体を動かすのは心だ。
p.235 監督から(調子の良くない)原因を問われて、コーチが「あいつはスタミナがないからだ」と答えて平然としているようでは、コーチの資格はない。
スタミナがないことぐらい、素人にもわかる。素人にもわかる。なぜそうなのか、それを改めるにはどうしたらいいか。原因を突きとめ、それを改良していくのがコーチの仕事である。
p.246 完全な人間などない。誰にでも弱点や欠点はある。だから、ミスや失敗をするのは当然である。ただ、自分のミスや失敗に対しては、常に責任を感じ、恥ずかしいと思い、悔しいと思うべきだ。そして、その悔しさをバネにして、二度とそういう失敗を繰り返さないように、自らを練習に駆り立ててこそ、上達する。
p.251 基本とは、やるべきことをきちんとやり、安定して長続きするための絶対的なものだと思う。
p.295 「こうすべきである」と思っていることは、どこの監督やコーチも同じである。しかし、それを選手に繰り返し繰り返しやらせ、身につけさせることができる指導者は少ない。
p.35 (酒を)適量ならいいと言っても、残念ながら、若い選手に「適量」を守れるような者はほとんどいない。また、四六時中、選手を監視することは事実上不可能だから、飲みたい者は、いくら規制しても隠れて飲むだろう。そこで全面的に禁止しておけば、うしろめたい気持になり、ブレーキになる。
p.38 意識革命――「これが正しい」と信じ込んでいる者に、「それは間違いだ。正しいのはこうだ」と、頭を切り換えさせるのは、そう簡単にできるものではない。ある意味で、意識革命は監督と選手との嘘隠しのない戦争からはじまるものだと言える。
p.52 極端なことを言えば、彼らはプロ選手は故障しているのが当たり前という意識であり、故障しない身体をつくるにはどうしたらいいかなどというところまで思いが及んでいなかった。
p.66 基本的な訓練だから、はじめからむずかしいことをする必要はない。というより、もっともやさしいところから、納得しながらマスターしていくことが、技術を自分のものにしていくための近道である。
p.71 怠けてミスをしたのではなく、一生懸命にやった結果としてミスをした場合、腹の中では怒っていても、それは個人的な感情であって、監督やコーチがそれを選手にぶつけてはいけないと思う。
p.74 最初の成果が出たとき、ここで安心し、怠けてしまえば、もとの木阿弥だ。それをステップにして、さらに次の段階に進んでいかなければならない。その間に、何度も壁に突き当たるだろう。それを乗り越え乗り越えして、しだいに実力が身についていくのである。
p.87 プロ野球の壁を打破するのは「欲」である。
p.98 登板の翌日から、酒を飲みたいだけ飲んで遊びほうけて、次の登板予定の前日になってやっと投球練習をはじめる。疲れがとれていないうえに、調整不足なのだから、ゲームで満足な投球ができるはずがない。
p.105 勝ちパターンは、らくな勝ちパターン、必死の勝ちパターンなどをつくっておく必要がある。いくつかの勝ちパターンがないということは、行き当たりばったりで闇雲に試合をしているのと同じことなのだ。
p.114-5 ドラフト制度のより、選手の入団時の戦力に関する限り、十二球団は均質化しているといえる。にもかかわらず、毎年、優勝争いに顔を出してくるチームと、いつも下位を低迷しているチームとに分かれてしまうのは、なぜだろうか。
首脳陣がやるべきことを正しく認識して、それを実行しているかどうかの違いである。
p.163 本当に身につくのは、押しつけられたものではなく、自ら求めて獲得したものである。
p.168 故障を隠してプレーすることが、結局は選手生命を縮めることになって、選手本人のためにもよくないということも、私は身を持って経験ずみである。
選手生命を縮めるほうがいいか、一時は戦列を離れることになっても、早期に適切な治療をして、選手生命を伸ばすほうがいいか、よく考えるべきである。
p.172 (大リーグは)「競争に負けたくなかったら、勝手に這い上がれ」と言うのではなく、コンディションを崩すもとになることはしてはならないという教育を、球団はきちんとしているのである。
p.198-9 ある日の試合に負けたとしても、その中から反省材料を見つけて、次の肥料にしていくのであれば、その敗戦も決して無駄ではない。言い換えれば、敗戦を意味あるものにしていけるかどうかが、監督の裁量だと思う。
p.206 (言われたことを無条件で受け入れることを)「管理」だと評する人がいる。言われたから仕方なくやったという選手にとっては、それは確かに「管理」されたことになったかもしれない。しかし、私はあくまでも自己管理の方法を教えたにすぎない。
p.208 監督の意図が練習にあらわれているチームは、公式戦がはじまると、大体上位に位置しているし、監督の意図がわからないチームは、公式戦に入っても、たいてい下位を低迷しているものだ。
p.218 監督、コーチは常に選手たちに見られていると思え。建前論はすぐに見破られる。尽きるところ率先垂範しかないのである。
p.234 身体を動かすのは心だ。
p.235 監督から(調子の良くない)原因を問われて、コーチが「あいつはスタミナがないからだ」と答えて平然としているようでは、コーチの資格はない。
スタミナがないことぐらい、素人にもわかる。素人にもわかる。なぜそうなのか、それを改めるにはどうしたらいいか。原因を突きとめ、それを改良していくのがコーチの仕事である。
p.246 完全な人間などない。誰にでも弱点や欠点はある。だから、ミスや失敗をするのは当然である。ただ、自分のミスや失敗に対しては、常に責任を感じ、恥ずかしいと思い、悔しいと思うべきだ。そして、その悔しさをバネにして、二度とそういう失敗を繰り返さないように、自らを練習に駆り立ててこそ、上達する。
p.251 基本とは、やるべきことをきちんとやり、安定して長続きするための絶対的なものだと思う。
p.295 「こうすべきである」と思っていることは、どこの監督やコーチも同じである。しかし、それを選手に繰り返し繰り返しやらせ、身につけさせることができる指導者は少ない。
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