何かをすれば何かが変わる

すぐに結論なんて出なくていい、でも考え続ける。流され続けていくのではなくて。
そして行動を起こし、何かを生み出す。

二次元バーコードと安全管理

2008-07-10 23:40:19 | 薬局経営
 電子薬歴は便利で、有益な側面もある一方、本来の役割である薬歴の活用による薬剤師にとっての薬学的管理、患者にとっての安全確保を考えると、旧来の紙薬歴のほうが機能するのではないか、と述べた。薬局業務の本質のレベルが下がってしまうのであれば、電子薬歴に飛びつく意味は乏しい。

 薬歴は薬局のためのものであって、服薬指導加算等調剤報酬算定のための道具として考えているようであれば、記録を重要視するであろうから、それほど電子薬歴が気にならないのかもしれない。患者のために、書きこんで使いこなしてきた人ほど、不便さを感じるのではないか。

 また調剤におけるIT化のひとつに、「二次元バーコード」による入力の簡略化がある。どんなに多剤投与されていても、薬や用法等さえ事前登録されていれば、入力は瞬間的に終了するのがメリットだ。待ち時間短縮にも寄与するし、読み取り間違えも少ないという。

 しかし、二次元バーコードが威力を発揮するには条件がある。処方が間違っていないことだ。処方ミスがあれば、誤記されている通りに忠実に読み取る。薬剤師は処方ミスの疑いがあれば疑義照会をするが、一瞬で入力が完了するあまり、その機会を失うおそれがある。

 入力するからには、否でも処方せんを読む、前回入力と比較する、など入力過程を通じて、処方せんを鑑査する機会が生まれる。時間を要するが、そこにひとつの意味が存在するのだ。

 であれば、二次元バーコードが便利であるには、もうひとつの条件がある。処方せん鑑査が適切に行われることである。

 レセコンによって相互作用や処方日数、最大投与量のチェックといったことは行われることは当然として、薬剤師が処方経過を見ないと、薬学的管理をなしえない部分がある。それはレセコンのチェック機能の限界ともいえよう。

 二次元バーコードには、いくつかのメリットがあるとはいえ、入力の早さ、ひいては待ち時間短縮を主たる導入のメリットとして考えていると、その意識が業務の根底に流れ、短時間で調剤をすることが最優先され、計数的調製は事務スタッフが行い、薬剤師は最終的な鑑査だけを担当し、調剤を済ませようと考える。
 すなわち、待ち時間対策が調製時点での処方せん鑑査を省略させかねない。二次元バーコードリーダー導入が、急ぎの調剤を誘発し、薬剤師による鑑査を希薄にするおそれがあるのだ。その結果は、調剤事故や調剤過誤、インシデントの発生の素地となる。リスクマネジメントのレベルを低下させかねない。

 鑑査さえしっかりやればいいだろう、そうなのだが、そこが重要だと認識されるには、調剤の重要な視点に待ち時間対策であっては浸透しないのではないか。調剤業務は、患者の薬物療法における適正使用や安全管理が自分たちの使命であると、いかなることにも優先する責務であると、徹底していることが必要だろう。
 「待ち時間」も大事だが、それにも増して「安全管理は絶対に疎かにしてはならない」、そう明言できる薬局運営が望まれる。

 最新鋭の機器導入に投資が、外見のスマートさ、IT化や最先端を歩んでいるというイメージ先行で進められ、本質がおきざりにされていなければよいがと危惧している。
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50代の生き方を本気で考える本

2008-07-10 22:31:35 | Book Reviews
『「50代の生き方」を本気で考える本 人生の大転換期を楽しく乗り切る49のヒント 国司義彦・著、PHP文庫、2002年10月15日

p.121-2 「中小企業は大企業の二軍」「大企業で勤まれば、鼻唄まじりで中小企業は勤まる」――こんなふうに考えたとしたら、それは大間違いである。
 むしろ中小企業のほうが「実務ができなければならない」「オールラウンド・プレーヤーでなければならない」など、高度の技術を要するところもある。

p.136 出世しよう、金をかせごう、認められようというような欲は、そんなにギラギラさせるものではない。自分の知識や経験が、他の人々の役に立つだけで何となく嬉しいではないか。

p.156 「社長のつもりで将来を展望する心構えが必要だ」そうすれば視野が開けてくる。
 与えられた責任を果たしていればよい、という考え方では、少なくともこれからはけっして強い人間にはなれないことを意味している。

p.164 どう見ても不自然、不愉快なことは、オーナーだろうが、その道の権威だろうが、異議を申し出て軌道修正すべきである。内部で力関係が働くと、こういうことになるのだろうか。
 「どうもおかしい、不自然だ」と感じたら、理屈抜きで心にブレーキをかけることが大切である。

p.175 お客さんのところへ行って、私は相手と“議論”していたことに気づきました。議論をして勝っていた。でも、議論に勝ってもものは売れない。

p.203 「自分の関心のある分野で、広い視野をもち、無欲の境地に立つこと」ができれば、ものごとの本質をつかむことができる。
 本質を知り、本物をつかんだ者は、どんな分野でも強い。そういう人のところには、豊富な話題と、核心をついたアドバイスを求めて、いろいろな人が集まってくる。
 「何か儲かるものは」「何か耳よりな情報は」「何か少しでも有利な商談は」「頼りになる仲間は」と、短絡的な結果だけを求めたがる人には、あまり大きな実りは期待できない。

p.311 サラリーマンの頃は「出世したほうが幸せ」と思うかもしれないが、人の一生が終わってみなければ幸・不幸は分からない。

p.326 「ゆったりと落ち着いた気持ち、素直な気持ちになれば、同じものでもちがった見方ができる」これが、五十代からの第二の人生を過ごす基本的な心がまえではないか。そのためには、「ボンヤリと、自然と一体になって過ごす」――そういう時間の過ごし方があってもいいように思われてきた。
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戸塚洋二さん死去

2008-07-10 22:27:45 | 心に残ること
戸塚洋二さん死去 ノーベル賞目前に…恩師の小柴さん悲痛 7月10日13時59分配信 毎日新聞

 戸塚さんが施設長を務めた東京大宇宙線研究所神岡宇宙素粒子研究施設(岐阜県飛騨市)の鈴木洋一郎施設長は「突然で頭の整理ができない。スーパーカミオカンデの成果は、戸塚さんの強いリーダーシップがあってこそ生まれた。研究への姿勢は非常に厳しくいいかげんな実験解析など絶対に許さない人。いい意味で怖い先輩だった」と肩を落とした。

 宇宙素粒子も戸塚さんのことも知らないが、科学の世界で、さらに人類にとってこういう人の存在がいかに大きいかは、わかるような気がする。

 人間は弱いから、強いように見えても、ある時どこかで折れて、許して、甘くなってしまいがちである。自分で自分が崩れるのを抑えるのが精一杯のようですらある。そのエンジンは、「自分に厳しく生きる」だけでは続かず、自分が守るべきところを守り、変えてはいけないことを変えずにいるのは、科学のためであり、神のためであるような気さえする。神に任され、現世で真実を担当し、後世に伝えるには、それなりの人格者が担うのがよい。

 きっとそんな人だったのではないか。誰もが、できそうで出来ない。ときに煙たく思われようとも、頑固だと思われようとも、こういう人がいたからこそ、ダメな自分が存在しえたのではないかと思えるのではないか、尊敬に値する人物とはこういう人なのだろう。

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