「人生の作法」 鍵山秀三郎・著、PHP、2009年3月11日
p.10 お金を使うときの判断基準は、「このお金を使うことにどういう意義があるか」です。その基本にあるのは、「できるだけ自分以外のことにお金を使う」ことと、「少しでも社会をよくするために使う」ことです。
志高く生きている人の手助けになるようなお金の使い方です。
p.13 「いくらお金持ちでも、他人に施しをしない人は、心の貧しい人である」
p.14 ものを買うとき、できるだけ縁のある人から買うという基準も持っています。
p.17 安く買ってきたものを、いかにも高いものであるかのように見せようとする風潮には、人間の浅ましさを通り越して卑しささえ感じます。
p.30 「恥の人におけるや大なり」(孟子)(不正、不義を恥じれば聖賢と同じになれるが、恥をしらなければ最低の人間になる)
p.43 自分が変わった分だけ、確実に相手も変わります。変わるべきはまず自分。その第一歩は、「いまから」「自分から」下座に降りることです。
p.45 言葉と言動が違いすぎると、人からの信頼が得られないからです。「いっていること」と「やっていること」が限りなく近い人、この人が私のいう「本物人間」です。
p.46 自分の利益は二の次にして、自分以外の人のことや公のことに優先して取り組む人。
p.57 逃げるのではなく、近づく。苦手な人との人間関係も同じです。苦手な人だからこそ、自分から近づく努力をして、一にも二にも「譲る」ことです。そこまで譲るか、と相手から感服されるくらい譲りきることに尽きると思います。
p.144 簡単にやめられるような努力は、努力と呼ぶに値しないと思います。
p.156-7 初心を忘れた人は、かつて自分が受けた仕打ちをそのまま人に返してしまうことがよくあります。
「今に見ていろ!」「必ず見返してやる!」という偏向した精神を持っているからであり、仕返ししなければ腹の虫が収まらないという狭い心を持っているからでしょう。
世の中を荒ませないためには、自分が体験した辛い思いを、自分自身で昇華できる人間になることです。
p.159 私も、できるだけ譲るようにして生きてはきましたが、ある一線を超えたら一歩も譲らないようにしています。一歩も譲らないのは、私個人の利害からではありません。
これを譲ったら、「社員が幸せにならない」「相手にもよくない」、この二つが、譲らないと決めるときの私の判断基準です。
p.175 単なる個人的な「欲望」は、その人がいくら努力しても、周囲の人を喜ばす力にはなり得ません。個人の欲望は、自分のためにはなっても、社会や国家のために役立つことは少ないからです。ここが「志」と決定的に違うところです。
p.10 お金を使うときの判断基準は、「このお金を使うことにどういう意義があるか」です。その基本にあるのは、「できるだけ自分以外のことにお金を使う」ことと、「少しでも社会をよくするために使う」ことです。
志高く生きている人の手助けになるようなお金の使い方です。
p.13 「いくらお金持ちでも、他人に施しをしない人は、心の貧しい人である」
p.14 ものを買うとき、できるだけ縁のある人から買うという基準も持っています。
p.17 安く買ってきたものを、いかにも高いものであるかのように見せようとする風潮には、人間の浅ましさを通り越して卑しささえ感じます。
p.30 「恥の人におけるや大なり」(孟子)(不正、不義を恥じれば聖賢と同じになれるが、恥をしらなければ最低の人間になる)
p.43 自分が変わった分だけ、確実に相手も変わります。変わるべきはまず自分。その第一歩は、「いまから」「自分から」下座に降りることです。
p.45 言葉と言動が違いすぎると、人からの信頼が得られないからです。「いっていること」と「やっていること」が限りなく近い人、この人が私のいう「本物人間」です。
p.46 自分の利益は二の次にして、自分以外の人のことや公のことに優先して取り組む人。
p.57 逃げるのではなく、近づく。苦手な人との人間関係も同じです。苦手な人だからこそ、自分から近づく努力をして、一にも二にも「譲る」ことです。そこまで譲るか、と相手から感服されるくらい譲りきることに尽きると思います。
p.144 簡単にやめられるような努力は、努力と呼ぶに値しないと思います。
p.156-7 初心を忘れた人は、かつて自分が受けた仕打ちをそのまま人に返してしまうことがよくあります。
「今に見ていろ!」「必ず見返してやる!」という偏向した精神を持っているからであり、仕返ししなければ腹の虫が収まらないという狭い心を持っているからでしょう。
世の中を荒ませないためには、自分が体験した辛い思いを、自分自身で昇華できる人間になることです。
p.159 私も、できるだけ譲るようにして生きてはきましたが、ある一線を超えたら一歩も譲らないようにしています。一歩も譲らないのは、私個人の利害からではありません。
これを譲ったら、「社員が幸せにならない」「相手にもよくない」、この二つが、譲らないと決めるときの私の判断基準です。
p.175 単なる個人的な「欲望」は、その人がいくら努力しても、周囲の人を喜ばす力にはなり得ません。個人の欲望は、自分のためにはなっても、社会や国家のために役立つことは少ないからです。ここが「志」と決定的に違うところです。
「一流になる力 ビジネスで勝ち残るための教科書」 小宮一慶・著、biz講談社、2009年6月10日
p.20 日本経済は、良い意味でも悪い意味でも「成長」ではなく「成熟」してゆくのです。
p.53 「義は利の本なり」
本当に利を得ようとするなら、「どうすることが義か」という根本に立ち返って行動しなくてはならないというのです。そういうことを知らないと、「儲けるためには何をしてもいい」ということになってしまいます。
p.54 たとえば損得だけを考えて転職したり起業しても、結局は何の得も得られません。損得で考えてはいけないのです。「何が正しいか」から考えなければいけません。
p.56 「商売というものは、暮らしを高め、日々を豊かに便利にするために、世間の人が求めているものを、精いっぱいのサービスを込めて提供してうゆくのである。だからこそ、それが不当な値段でないかぎり、人びとに受け入れられ、それにふさわしい報酬も得られるはずである」
他人の幸せなど考えず、「お金が欲しい、お金が欲しい」と思ってお金を得ることは、私利私欲であるということであり、逆に、人々を幸せにしようと考え、良い仕事をした結果としてお金を得ることは、私利私欲ではないということなのです。お金は良い仕事の「ごほうび」なのです。
p.62-3 誰も「うちの会社は利益を第一の目的としています」などという会社で働きたくはありません。お客さまにしても、「なんでそんなところに仕事を頼まなくてはならないんだ」と思うでしょう。そういう会社は、最後には消えていきます。
反対に、「結果として儲かるぐらい、良い仕事をしましょう」と経営者が言えば、働いている人たちにも働き甲斐が出てきます。お客さまにも喜ばれ、結果的に利益も上がってきます。
「お客さまにどれぐらい喜んでもらえているか」という指標として、売り上げの目標、利益の目標を立てるのです。ただし決して利益を仕事の「目的」とはしません。
「目標」とは、そこに至るまでの通過点であり、評価ポイントです。「目的」とは存在意義です。
p.64 どちらもお客さまから喜ばれ、良い仕事をした結果として利益が出ています。
多くのビジネスマンも、経営者も、そのことを分かっていません。みんな「成功したい」と思っています。しかし、そのためには急がば回れで、とにかく「良い仕事をしよう」と個人も会社も考え方を変えればいいのです。
p.72-3 成功のすべては「お客さま第一」を徹底することから生まれている。
多くの経営者がそうしたことを分かっていないまま、口先だけで「お客さま第一」と言っています。それでは効果はありません。成功したかったらまず「自分第一」を捨て、「お客さま第一」を手段でなく「目的」にすることです。
p.73-4 ほとんどの会社では、「お客さま第一」と言っている会社でさえ、自分たちが一番で、お客さまは二番目になっています。だから儲からないのです。なぜならそんな会社はお客さまは嫌いだからです。
お客さまは払ったお金と比べて得られたバリューを見ています。そして「得をした」と思わなければ、継続的に利用することはありません。
p.76 売上・利益がじり貧で落ち続けてしまう会社があります。なぜでしょうか。
それはその会社がお客さまのニーズに合った商品やサービスを提供できていないからです。ではニーズに応えられていない原因は何でしょうか。表面的な理由はいろいろあるでしょう。しかし根本的にはその会社の体質が「お客さま志向」でないからです。
p.93 アメリカという国は、大人になったらパフォーマンス、つまり結果しか見ないところがあります。おそらくそれは「正しいプロセスで努力を続けていたら、パフォーマンスは上がるはず」という考え方から来ているのでしょう。「結果が出ていないのは、やり方が間違っているからだ」と考えるのです。
p.97 「会社には、良い会社、悪い会社はない。良い社長、悪い社長しかない」
p.151 チャンスは誰にでも巡ってきます。それが巡ってきたときに正しく対応できるかどうか。そのために必要な準備があるかどうか。それが成功できるかどうかの分かれ目なのです。
p.170-1 努力しない人の成功は一時だけのことで、いずれ落ちてゆきます。反対に「自分でやれることに最善を尽くそう」という心構えのある人は、少々の不運には負けず、何をやっても最後には成功するものです。
p.20 日本経済は、良い意味でも悪い意味でも「成長」ではなく「成熟」してゆくのです。
p.53 「義は利の本なり」
本当に利を得ようとするなら、「どうすることが義か」という根本に立ち返って行動しなくてはならないというのです。そういうことを知らないと、「儲けるためには何をしてもいい」ということになってしまいます。
p.54 たとえば損得だけを考えて転職したり起業しても、結局は何の得も得られません。損得で考えてはいけないのです。「何が正しいか」から考えなければいけません。
p.56 「商売というものは、暮らしを高め、日々を豊かに便利にするために、世間の人が求めているものを、精いっぱいのサービスを込めて提供してうゆくのである。だからこそ、それが不当な値段でないかぎり、人びとに受け入れられ、それにふさわしい報酬も得られるはずである」
他人の幸せなど考えず、「お金が欲しい、お金が欲しい」と思ってお金を得ることは、私利私欲であるということであり、逆に、人々を幸せにしようと考え、良い仕事をした結果としてお金を得ることは、私利私欲ではないということなのです。お金は良い仕事の「ごほうび」なのです。
p.62-3 誰も「うちの会社は利益を第一の目的としています」などという会社で働きたくはありません。お客さまにしても、「なんでそんなところに仕事を頼まなくてはならないんだ」と思うでしょう。そういう会社は、最後には消えていきます。
反対に、「結果として儲かるぐらい、良い仕事をしましょう」と経営者が言えば、働いている人たちにも働き甲斐が出てきます。お客さまにも喜ばれ、結果的に利益も上がってきます。
「お客さまにどれぐらい喜んでもらえているか」という指標として、売り上げの目標、利益の目標を立てるのです。ただし決して利益を仕事の「目的」とはしません。
「目標」とは、そこに至るまでの通過点であり、評価ポイントです。「目的」とは存在意義です。
p.64 どちらもお客さまから喜ばれ、良い仕事をした結果として利益が出ています。
多くのビジネスマンも、経営者も、そのことを分かっていません。みんな「成功したい」と思っています。しかし、そのためには急がば回れで、とにかく「良い仕事をしよう」と個人も会社も考え方を変えればいいのです。
p.72-3 成功のすべては「お客さま第一」を徹底することから生まれている。
多くの経営者がそうしたことを分かっていないまま、口先だけで「お客さま第一」と言っています。それでは効果はありません。成功したかったらまず「自分第一」を捨て、「お客さま第一」を手段でなく「目的」にすることです。
p.73-4 ほとんどの会社では、「お客さま第一」と言っている会社でさえ、自分たちが一番で、お客さまは二番目になっています。だから儲からないのです。なぜならそんな会社はお客さまは嫌いだからです。
お客さまは払ったお金と比べて得られたバリューを見ています。そして「得をした」と思わなければ、継続的に利用することはありません。
p.76 売上・利益がじり貧で落ち続けてしまう会社があります。なぜでしょうか。
それはその会社がお客さまのニーズに合った商品やサービスを提供できていないからです。ではニーズに応えられていない原因は何でしょうか。表面的な理由はいろいろあるでしょう。しかし根本的にはその会社の体質が「お客さま志向」でないからです。
p.93 アメリカという国は、大人になったらパフォーマンス、つまり結果しか見ないところがあります。おそらくそれは「正しいプロセスで努力を続けていたら、パフォーマンスは上がるはず」という考え方から来ているのでしょう。「結果が出ていないのは、やり方が間違っているからだ」と考えるのです。
p.97 「会社には、良い会社、悪い会社はない。良い社長、悪い社長しかない」
p.151 チャンスは誰にでも巡ってきます。それが巡ってきたときに正しく対応できるかどうか。そのために必要な準備があるかどうか。それが成功できるかどうかの分かれ目なのです。
p.170-1 努力しない人の成功は一時だけのことで、いずれ落ちてゆきます。反対に「自分でやれることに最善を尽くそう」という心構えのある人は、少々の不運には負けず、何をやっても最後には成功するものです。
「夢・ありがとう」 杉浦誠司・著、サンマーク出版、2008年12月1日
p.91 楽しいから笑うのではなく、笑っていたから楽しいことが起こった。だから、“えがお”で「福」なんです。
p.107-8 これは僕の持論なんですが、「やる気」と「本気」には大きな違いがあると思います。「やる気」とは、やることにしか目がいってないから、結局はやる気で終わってしまう。
ところが本気の人間は、何のためにやるのかって本質に目がいっているから本気になれると思うのです。時間を惜しまずにやりつづけることや一生懸命取り組むことが「本気」の本質ではなく、どうしたいのか、何のためにやっているのか――本気に目がいったときにこそ、新しいものが見えてくる、新しい自分に出会えると僕は信じています。
p.91 楽しいから笑うのではなく、笑っていたから楽しいことが起こった。だから、“えがお”で「福」なんです。
p.107-8 これは僕の持論なんですが、「やる気」と「本気」には大きな違いがあると思います。「やる気」とは、やることにしか目がいってないから、結局はやる気で終わってしまう。
ところが本気の人間は、何のためにやるのかって本質に目がいっているから本気になれると思うのです。時間を惜しまずにやりつづけることや一生懸命取り組むことが「本気」の本質ではなく、どうしたいのか、何のためにやっているのか――本気に目がいったときにこそ、新しいものが見えてくる、新しい自分に出会えると僕は信じています。
薬局にテクニシャンを導入するという話、米国をお手本に自分が大学を卒業した頃か、それ以前から言われているように思う。確かに、何年か遅れで日本にも導入されるのではないかと、期待もしていた。
導入されるとどうなるか。導入されるとどう変わるか。そもそも導入の目的は何か。
医療の場に新たな仕組みを導入するからには、それが患者のために、医療の質の向上につながるものとの期待があってのことである。果たして、患者に対して服薬管理、安全管理が向上するだろうか。するとしたら、テクニシャン制度をどう活用するとよいのだろうか。
・現在の調剤プロセスを考えたときに、最終鑑査や薬剤交付は薬剤師が担当することとし、調製まではテクニシャンに任せればよいのか。今も事務スタッフが入力や薬の取り揃えをしている薬局からすれば、何も今と変わらないのではないか。
・最終鑑査以降を薬剤師が担当したとして、一処方に1人の薬剤師が係わるだけとなり、1人の専門家だけの目しか入らないことになることはないか。薬剤師が調製も係わっていたときのほうが、処方に向けられる専門性は多いのではないか。
・薬剤師が調製から解放されたとして、その時間は何に向けられるのか。一患者当りに費やされる薬学的管理の時間や深さが増すのだろうか。それによって、患者の健康問題が今以上に解決したり、危険性から回避される事例が増えることに結びつくだろうか。
・捻出される時間も、たいして調製にかかる時間の少ない処方であれば、それほど多くはなく、結果として服薬管理レベルはこれまでとさほど変わらないことはないか。調製されてくるまでの時間、何か準備して待っているのだろうか。
・調製から解放された時間を、受付時の(調製前の)インタビューなどに向けることができるだろうか。
・薬剤師は患者に関わる場面に特化(集中)した業務となり、より少人数へとカットされ、またテクニシャンによって薬剤師手当も不要となり、経営者だけが喜ぶ結果になるだけではないか。
つまり、テクニシャンというのは先例もあり、有望な業務改善のアイデアだと思うのだが、現行にいきなり導入したところで、服薬管理レベルの向上は期待できないのではないかと思われる。現状において、薬剤師の質が問題にされるのは、またレベルアップが進まないのだとしたら、テクニシャンが導入されていないからではないのではないか。
テクニシャンという仕組みによって業務効率が図られるようにも思われるが、それはテクニシャンを活かし、薬剤師の業務がもっと重い業務に変わることが必要なのではないか。少なくとも、テクニシャン導入によって、現在の業務が緩和されることを期待しているのだとしたら、それは方向が違うように思われる。
テクニシャン制度がないから質が上がらないのではなく、社会からもっと質の高いことが要求され、それに応える業務が相当増えてくることが先決ではないかと思う。現在、質の向上が出来ないようでは、テクニシャン制度が出来ても質の向上にエネルギーは向けられないのではないだろうか。
まずテクニシャン制度ありきではなく、薬局の基本方針が質の向上に据えられないようでは、テクニシャン制度が国民の利益のための仕組みではなく、薬局経営のための仕組みにすりかえられてしまうおそれはないだろうか。
ぜひ国民の利益に資する制度として迎えられることを願う。
導入されるとどうなるか。導入されるとどう変わるか。そもそも導入の目的は何か。
医療の場に新たな仕組みを導入するからには、それが患者のために、医療の質の向上につながるものとの期待があってのことである。果たして、患者に対して服薬管理、安全管理が向上するだろうか。するとしたら、テクニシャン制度をどう活用するとよいのだろうか。
・現在の調剤プロセスを考えたときに、最終鑑査や薬剤交付は薬剤師が担当することとし、調製まではテクニシャンに任せればよいのか。今も事務スタッフが入力や薬の取り揃えをしている薬局からすれば、何も今と変わらないのではないか。
・最終鑑査以降を薬剤師が担当したとして、一処方に1人の薬剤師が係わるだけとなり、1人の専門家だけの目しか入らないことになることはないか。薬剤師が調製も係わっていたときのほうが、処方に向けられる専門性は多いのではないか。
・薬剤師が調製から解放されたとして、その時間は何に向けられるのか。一患者当りに費やされる薬学的管理の時間や深さが増すのだろうか。それによって、患者の健康問題が今以上に解決したり、危険性から回避される事例が増えることに結びつくだろうか。
・捻出される時間も、たいして調製にかかる時間の少ない処方であれば、それほど多くはなく、結果として服薬管理レベルはこれまでとさほど変わらないことはないか。調製されてくるまでの時間、何か準備して待っているのだろうか。
・調製から解放された時間を、受付時の(調製前の)インタビューなどに向けることができるだろうか。
・薬剤師は患者に関わる場面に特化(集中)した業務となり、より少人数へとカットされ、またテクニシャンによって薬剤師手当も不要となり、経営者だけが喜ぶ結果になるだけではないか。
つまり、テクニシャンというのは先例もあり、有望な業務改善のアイデアだと思うのだが、現行にいきなり導入したところで、服薬管理レベルの向上は期待できないのではないかと思われる。現状において、薬剤師の質が問題にされるのは、またレベルアップが進まないのだとしたら、テクニシャンが導入されていないからではないのではないか。
テクニシャンという仕組みによって業務効率が図られるようにも思われるが、それはテクニシャンを活かし、薬剤師の業務がもっと重い業務に変わることが必要なのではないか。少なくとも、テクニシャン導入によって、現在の業務が緩和されることを期待しているのだとしたら、それは方向が違うように思われる。
テクニシャン制度がないから質が上がらないのではなく、社会からもっと質の高いことが要求され、それに応える業務が相当増えてくることが先決ではないかと思う。現在、質の向上が出来ないようでは、テクニシャン制度が出来ても質の向上にエネルギーは向けられないのではないだろうか。
まずテクニシャン制度ありきではなく、薬局の基本方針が質の向上に据えられないようでは、テクニシャン制度が国民の利益のための仕組みではなく、薬局経営のための仕組みにすりかえられてしまうおそれはないだろうか。
ぜひ国民の利益に資する制度として迎えられることを願う。
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┃ ★ ジェネリック de リ・スタート!
┃ -治療レベルを下げずに、支払いはリーズナブルに-
┠────────────────────────────
┃ 2010.4.11 Sun. 通巻54号
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
みたキタ企画、薬剤師のsukeです。
このメールマガジンは、ジェネリック医薬品(後発医薬品)が適切に使用
されることを目的として、話題を提供しています。
◆ジェネリックの使用をためらっている一般のかた
◆ジェネリックの適切な使用促進に悩んでいる薬剤師
◆ジェネリックについて興味や関心のあるあなた
といった皆さんにお読みいただきたいと思います。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
☆ ジェネリックを選ぶにあたり、改めて医師の了解は不要です!
──────────────────────────────
ジェネリックの「使用促進」が開始され4年が経過し、5年目に入りました。
当初は、処方せん様式において、右下の「後発医薬品への変更可」欄に
処方医がサインを入れた場合は、処方医はジェネリックへの変更を了解した
こととされていました。
つまり医師はサインをすれば、当該患者さんが薬局で相談のうえ、
ジェネリックを使用することもあることも承知しているという意でした。
その場合、薬局において、改めて医師に了解を求めることは不要であり、
患者さんの同意が得られれば、説明のうえ希望するジェネリックを使用する
ことが可能とされていました。
この「薬局において改めて医師に了解を求めることは不要」という部分は、
ジェネリックを使用するうえでたいへん重要なポイントのひとつであり、
現在も続いています。
現在の処方せんは様式が変更になり、処方せん右下の「後発医薬品への
変更不可」欄に処方医のサインがなければ、処方医はジェネリックへ変更して
使用されることもあると承知しているという解釈に変わりました。
が、それまでと同様、薬局は、患者さんの同意が得られれば、
改めて医師に了解を求めることなくジェネリックに変更しても構わないという
部分は変わりません。
------------------------------------------------------------
なんですが、既に4年を経過しているにもかかわらず、この
「改めて医師の了解は不要である」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
という部分について理解されていないケースがいまだに見られます。
それは、患者さんの疑問や、薬局への苦情としてもたらされます。
「薬局で、先生(処方医)がせっかく処方してくれたにもかかわらず、
先生に話もせずに勝手にジェネリックに変更してしまってよいのだろうか」
「薬局が先生(処方医)に話をすることなく、勝手に処方薬を変えてしまおう
としており、ケシカラン」と・・・。
薬局では、患者さんにジェネリック医薬品を使用することについて説明をし、
患者さんの同意を得ることが条件です。
薬局は、処方医に了解を得ることが不要とはいえ、
さらに患者さんの同意も得ることなく、一方的にジェネリック医薬品に変更
して調剤し、お薬をお渡しするようなことはありません。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
☆ 薬局では、領収証に加えて、明細書もお渡しします。
------------------------------------------------------------
今年度から、医療機関でも薬局でも、これまでもお渡ししていた領収証に
加えて、明細書もお渡しすることが義務づけられました。
これは単に明朗会計の意ばかりでなく、提供した医療の中身を公開し、
透明化を図ることが意図されたものです。
ただし明細書が不要なようであれば、予めお申し出いただくことで、
これまで通り、領収証のみとさせていただくこともあります。
------------------------------------------------------------
そんな矢先、明細書を見ると「後発医薬品調剤体制加算」なる点数が
算定されているものの、もらっている薬の中にはジェネリックはない・・・、
この点数が算定され、その分の自己負担金を払っているのはおかしい
のではないか、といった苦情をいただきました。
「後発医薬品調剤体制加算」は、後発医薬品をもらっている患者さんに
対する点数ではないのか、という疑問のようです。自分はジェネリックを
もらっていない(もしくは、もらいたくても、自分の処方薬に対して
ジェネリックが市販されていない)のだから、算定に該当しないのではないか、
という思いのようです。
そうとらえるかたがいるのは、わからなくもありません。
------------------------------------------------------------
この「後発医薬品調剤体制加算」とは、いったい何なのでしょうか。
薬局では先発品に加えて、ジェネリックを希望されるかたもいることから、
同じ成分の薬にもかかわらず、二重に薬を用意しておかねばなりません。
その手間や管理、費用に対する点数が、ジェネリックを取り扱っている
数量に応じて設定されているのです。
すなわち、個々の患者さんに対して算定するものではなく、
その薬局の機能や負担に対して、努力や苦労に応じて設定されている
点数なのです。
よって、その薬局で調剤を受ける患者さん全員に対して算定されるものです。
------------------------------------------------------------
ジェネリックの取り扱い数量の少ない(ある一定の数量に満たない)
薬局を利用すると、この点数は算定されません。
ということは、その薬局を利用するほうが安いのでは・・・?
「そこ」だけ見るとその通りです。
しかし、ジェネリックを使用するのであれば、
薬剤料(=いわゆる、狭義のお薬代)を含めたトータルの点数で考えると、
ジェネリックを積極的に使用する薬局でお薬をもらったほうが安くなります。
──────────────────────────────
また薬局を選ぶにあたり、窓口で支払う自己負担金の多寡だけで決まる
ものではありません。
調剤を受けるにあたり、患者さんの状態を考慮したうえで、
処方に対して検討し、説明をし、問題点がないかを一緒になってくれる薬局で
あるかどうかが何よりも重要ではないでしょうか。
ジェネリックに対して前向き、積極的な薬局であることと、
安全管理レベルとは必ずしも相関するものではありません。
ただし、ジェネリックの説明の仕方や内容、姿勢などを考慮すると、
まんざらではないのかもしれません。
総合的に見て、信頼できる薬局、薬剤師に巡り会えること、選ぶことが
重要だと思います。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
みなさんはどのようにお感じでしょうか。
ジェネリックにまつわるエピソードやこれらについて、是非お知らせください。
また取り上げてほしい話題、感想等、些細なことでも構いません。
お送り先は、 tamsuke@gmail.com です。
(@は小文字の「@」に変えてお送りください)
お待ちしています! それではまた次回! (^^)/
============================================================
☆☆☆【みたキタ企画よりお知らせ】
みたキタ企画では、ジェネリックについてご相談をお受けしています。
●個人的な疑問がある、相談したいという要望(一般のかた)
●ある集まりで、話をして欲しいという要望(一般のかた)
●どうやってジェネリックを進めていくとよいか悩んでいる(薬剤師)
ご要望があれば相談に応じますので、ご遠慮なくお知らせください。
現状から一歩前進できるよう、そのお手伝いができればと思います。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
☆☆☆ メールマガジン 【ジェネリック de リ・スタート!】
■発行 : みたキタ企画
■発行人: suke
■ご感想やご質問等の宛先 --> tamsuke@gmail.com
(@は小文字の「@」に変えてお送りください)
------------------------------------------------------------
■発行システム:『まぐまぐ!』 http://www.mag2.com/
■購読希望(メールアドレス登録・変更)・配信停止はこちら
http://www.mag2.com/m/0000286496.html
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┃ 2010.4.11 Sun. 通巻54号
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みたキタ企画、薬剤師のsukeです。
このメールマガジンは、ジェネリック医薬品(後発医薬品)が適切に使用
されることを目的として、話題を提供しています。
◆ジェネリックの使用をためらっている一般のかた
◆ジェネリックの適切な使用促進に悩んでいる薬剤師
◆ジェネリックについて興味や関心のあるあなた
といった皆さんにお読みいただきたいと思います。
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☆ ジェネリックを選ぶにあたり、改めて医師の了解は不要です!
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ジェネリックの「使用促進」が開始され4年が経過し、5年目に入りました。
当初は、処方せん様式において、右下の「後発医薬品への変更可」欄に
処方医がサインを入れた場合は、処方医はジェネリックへの変更を了解した
こととされていました。
つまり医師はサインをすれば、当該患者さんが薬局で相談のうえ、
ジェネリックを使用することもあることも承知しているという意でした。
その場合、薬局において、改めて医師に了解を求めることは不要であり、
患者さんの同意が得られれば、説明のうえ希望するジェネリックを使用する
ことが可能とされていました。
この「薬局において改めて医師に了解を求めることは不要」という部分は、
ジェネリックを使用するうえでたいへん重要なポイントのひとつであり、
現在も続いています。
現在の処方せんは様式が変更になり、処方せん右下の「後発医薬品への
変更不可」欄に処方医のサインがなければ、処方医はジェネリックへ変更して
使用されることもあると承知しているという解釈に変わりました。
が、それまでと同様、薬局は、患者さんの同意が得られれば、
改めて医師に了解を求めることなくジェネリックに変更しても構わないという
部分は変わりません。
------------------------------------------------------------
なんですが、既に4年を経過しているにもかかわらず、この
「改めて医師の了解は不要である」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
という部分について理解されていないケースがいまだに見られます。
それは、患者さんの疑問や、薬局への苦情としてもたらされます。
「薬局で、先生(処方医)がせっかく処方してくれたにもかかわらず、
先生に話もせずに勝手にジェネリックに変更してしまってよいのだろうか」
「薬局が先生(処方医)に話をすることなく、勝手に処方薬を変えてしまおう
としており、ケシカラン」と・・・。
薬局では、患者さんにジェネリック医薬品を使用することについて説明をし、
患者さんの同意を得ることが条件です。
薬局は、処方医に了解を得ることが不要とはいえ、
さらに患者さんの同意も得ることなく、一方的にジェネリック医薬品に変更
して調剤し、お薬をお渡しするようなことはありません。
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☆ 薬局では、領収証に加えて、明細書もお渡しします。
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今年度から、医療機関でも薬局でも、これまでもお渡ししていた領収証に
加えて、明細書もお渡しすることが義務づけられました。
これは単に明朗会計の意ばかりでなく、提供した医療の中身を公開し、
透明化を図ることが意図されたものです。
ただし明細書が不要なようであれば、予めお申し出いただくことで、
これまで通り、領収証のみとさせていただくこともあります。
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そんな矢先、明細書を見ると「後発医薬品調剤体制加算」なる点数が
算定されているものの、もらっている薬の中にはジェネリックはない・・・、
この点数が算定され、その分の自己負担金を払っているのはおかしい
のではないか、といった苦情をいただきました。
「後発医薬品調剤体制加算」は、後発医薬品をもらっている患者さんに
対する点数ではないのか、という疑問のようです。自分はジェネリックを
もらっていない(もしくは、もらいたくても、自分の処方薬に対して
ジェネリックが市販されていない)のだから、算定に該当しないのではないか、
という思いのようです。
そうとらえるかたがいるのは、わからなくもありません。
------------------------------------------------------------
この「後発医薬品調剤体制加算」とは、いったい何なのでしょうか。
薬局では先発品に加えて、ジェネリックを希望されるかたもいることから、
同じ成分の薬にもかかわらず、二重に薬を用意しておかねばなりません。
その手間や管理、費用に対する点数が、ジェネリックを取り扱っている
数量に応じて設定されているのです。
すなわち、個々の患者さんに対して算定するものではなく、
その薬局の機能や負担に対して、努力や苦労に応じて設定されている
点数なのです。
よって、その薬局で調剤を受ける患者さん全員に対して算定されるものです。
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ジェネリックの取り扱い数量の少ない(ある一定の数量に満たない)
薬局を利用すると、この点数は算定されません。
ということは、その薬局を利用するほうが安いのでは・・・?
「そこ」だけ見るとその通りです。
しかし、ジェネリックを使用するのであれば、
薬剤料(=いわゆる、狭義のお薬代)を含めたトータルの点数で考えると、
ジェネリックを積極的に使用する薬局でお薬をもらったほうが安くなります。
──────────────────────────────
また薬局を選ぶにあたり、窓口で支払う自己負担金の多寡だけで決まる
ものではありません。
調剤を受けるにあたり、患者さんの状態を考慮したうえで、
処方に対して検討し、説明をし、問題点がないかを一緒になってくれる薬局で
あるかどうかが何よりも重要ではないでしょうか。
ジェネリックに対して前向き、積極的な薬局であることと、
安全管理レベルとは必ずしも相関するものではありません。
ただし、ジェネリックの説明の仕方や内容、姿勢などを考慮すると、
まんざらではないのかもしれません。
総合的に見て、信頼できる薬局、薬剤師に巡り会えること、選ぶことが
重要だと思います。
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みなさんはどのようにお感じでしょうか。
ジェネリックにまつわるエピソードやこれらについて、是非お知らせください。
また取り上げてほしい話題、感想等、些細なことでも構いません。
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ご要望があれば相談に応じますので、ご遠慮なくお知らせください。
現状から一歩前進できるよう、そのお手伝いができればと思います。
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『予感力 人生を決める! なぜか「ツキ続ける人」の習慣術』 西田文郎・著、イースト・プレス、2009年1月13日
p.2 人生がうまくいかないのは、すべて自分自身が前もって規定した予感に従っているだけなのです。
p.16-7 現実には、ツイている人と、ツイていない人がいます。成功する人と、成功しない人もいます。この差は、予感を信じるか、信じないかの差です。予感はあっても、「予感力」がない人は、ツキも成功も逃してしまいます。
多くの人は、そのときの予感を「根拠がない」と埋没させてしまいます。予感したことを“詰める”作業をしないから、現実になりません。これは、運がなかったのではなく、予感を信じられなかっただけなのです。
p.25-6 まず、「受かるはずないよ」と予感した受験生は、その時点で脳が「受からない」という未来を規定しているのです。予感は現実になりますから、そのレベルまで自分を高める必要はありませんし、勉強しようとしてもモチベーションは上がりません。
逆に「受かる」と予感した受験生は、受かるはずがないのに「受かる」とおもっているわけではありません。脳が「自分が努力すれば、そのラインに到達できる」という確信を持っているのです。
「受かる」と知っているのですから、そのための努力も苦痛になりません。だから、必ず合格するのです。
p.49 では、どうすれば「お金持ちになる」ことが“いい予感”として脳に芽生えるようになるのでしょうか。
それは簡単です。“お金を儲けること”が、他人からねたまれるような“悪いこと”ではなく、自分を幸福にし、他人も幸福にできる“いいこと”であると考えればいいのです。
p.53 予感はそのとおりの結果になります。だから、「難しい」と思っている限り、いつまでもそれはあなたにとって難しい問題ですし、「できない」と思っている限り、あなたはそれをクリアできません。脳に抑制がかかって、絶対にそれ以上の結果が出なくなります。
p.54 成功やお金儲けが「簡単だ」という予感を持っていれば、誰もが自然にそう思えるようになります。「自分にできないことなどなにもない」とハードルを低く見積もることが大事なのです。
p.70 成功者は決して予感から逃げません。実行するか、しないか。続けるか、あきらめるか、それだけが、成功できるか、できないかの分岐点なのです。
p.135 悪いイメージも、いいイメージも、それをつくる最も大きな要因は「言葉」です。「そんなこと、できるはずないですよ」と言った本人は、それを言った瞬間に、それを“正しい”と考える。“正しい”から「そんなことをやる」理由はなくなる。これが「思考停止」のメカニズムです。
p.139 「クリアランス」の方法は二つあります。ひとつは、“イヤなこと”に直面したら、二段階目の「言う」の段階で止めてしまうことです。
マイナス思考を引き出す言葉の代表的なものは、「不満」「愚痴」「悪口」の三つです。まずはそういった言葉を言わないようにしましょう。
p.193 「いつかその会社から飛び立とう」とか、「もっと新しい仕事ができるようになりち」と思っていたとしても、必要なことは、目の前の問題に対して結果を出し、それを“自責”ととらえ、自分自身の「予感力」を高めていくことなのです。
p.2 人生がうまくいかないのは、すべて自分自身が前もって規定した予感に従っているだけなのです。
p.16-7 現実には、ツイている人と、ツイていない人がいます。成功する人と、成功しない人もいます。この差は、予感を信じるか、信じないかの差です。予感はあっても、「予感力」がない人は、ツキも成功も逃してしまいます。
多くの人は、そのときの予感を「根拠がない」と埋没させてしまいます。予感したことを“詰める”作業をしないから、現実になりません。これは、運がなかったのではなく、予感を信じられなかっただけなのです。
p.25-6 まず、「受かるはずないよ」と予感した受験生は、その時点で脳が「受からない」という未来を規定しているのです。予感は現実になりますから、そのレベルまで自分を高める必要はありませんし、勉強しようとしてもモチベーションは上がりません。
逆に「受かる」と予感した受験生は、受かるはずがないのに「受かる」とおもっているわけではありません。脳が「自分が努力すれば、そのラインに到達できる」という確信を持っているのです。
「受かる」と知っているのですから、そのための努力も苦痛になりません。だから、必ず合格するのです。
p.49 では、どうすれば「お金持ちになる」ことが“いい予感”として脳に芽生えるようになるのでしょうか。
それは簡単です。“お金を儲けること”が、他人からねたまれるような“悪いこと”ではなく、自分を幸福にし、他人も幸福にできる“いいこと”であると考えればいいのです。
p.53 予感はそのとおりの結果になります。だから、「難しい」と思っている限り、いつまでもそれはあなたにとって難しい問題ですし、「できない」と思っている限り、あなたはそれをクリアできません。脳に抑制がかかって、絶対にそれ以上の結果が出なくなります。
p.54 成功やお金儲けが「簡単だ」という予感を持っていれば、誰もが自然にそう思えるようになります。「自分にできないことなどなにもない」とハードルを低く見積もることが大事なのです。
p.70 成功者は決して予感から逃げません。実行するか、しないか。続けるか、あきらめるか、それだけが、成功できるか、できないかの分岐点なのです。
p.135 悪いイメージも、いいイメージも、それをつくる最も大きな要因は「言葉」です。「そんなこと、できるはずないですよ」と言った本人は、それを言った瞬間に、それを“正しい”と考える。“正しい”から「そんなことをやる」理由はなくなる。これが「思考停止」のメカニズムです。
p.139 「クリアランス」の方法は二つあります。ひとつは、“イヤなこと”に直面したら、二段階目の「言う」の段階で止めてしまうことです。
マイナス思考を引き出す言葉の代表的なものは、「不満」「愚痴」「悪口」の三つです。まずはそういった言葉を言わないようにしましょう。
p.193 「いつかその会社から飛び立とう」とか、「もっと新しい仕事ができるようになりち」と思っていたとしても、必要なことは、目の前の問題に対して結果を出し、それを“自責”ととらえ、自分自身の「予感力」を高めていくことなのです。
「いま伝えたい生きることの真実」 竹田和平・著、生活文化出版、2007年4月19日
p.23 何でも与えれば徳を積めると思ったらいかんよ。与えるときは、相手の立場も考えなきゃいけないんだ。それなのに、自分の徳ばかり考えて与えてしまうと、いらぬ“我”が育ってしまうからね。
p.25 喜ばせたいと思う気持ちは愛だから、そこからは徳も生まれるし、感謝も生まれる。そうすると、自分自身がどんどん幸せになっていっちゃうよ。
p.37 嫌いなことで成功しようと思っても無理。
p.39 わくわくしないと道を突き進むことができないし、誰かを納得させられるだけの成果を上げられるはずがないんだよ。わくわくすることは、自分が好きなことであったり、楽しいことだからパワーがあるんだ。わくわくの行動は、当たり前の生き方なの。
p.71 運の前に徳がある。
p.79 そしてもっとよくないのが、我が肥大化してくると、人を支配したくなってしまうことなんだ。
p.81 子供でも、我が出てくると憎たらしいでしょう。あれは、子供が憎たらしいんじゃなくて、我が憎たらしいのよ。大人になってますます我が強くなると、人から見たらもっと憎たらしい、ってことになる。
p.23 何でも与えれば徳を積めると思ったらいかんよ。与えるときは、相手の立場も考えなきゃいけないんだ。それなのに、自分の徳ばかり考えて与えてしまうと、いらぬ“我”が育ってしまうからね。
p.25 喜ばせたいと思う気持ちは愛だから、そこからは徳も生まれるし、感謝も生まれる。そうすると、自分自身がどんどん幸せになっていっちゃうよ。
p.37 嫌いなことで成功しようと思っても無理。
p.39 わくわくしないと道を突き進むことができないし、誰かを納得させられるだけの成果を上げられるはずがないんだよ。わくわくすることは、自分が好きなことであったり、楽しいことだからパワーがあるんだ。わくわくの行動は、当たり前の生き方なの。
p.71 運の前に徳がある。
p.79 そしてもっとよくないのが、我が肥大化してくると、人を支配したくなってしまうことなんだ。
p.81 子供でも、我が出てくると憎たらしいでしょう。あれは、子供が憎たらしいんじゃなくて、我が憎たらしいのよ。大人になってますます我が強くなると、人から見たらもっと憎たらしい、ってことになる。