何かをすれば何かが変わる

すぐに結論なんて出なくていい、でも考え続ける。流され続けていくのではなくて。
そして行動を起こし、何かを生み出す。

不二家が山崎製パンに学ぶもの

2007-01-31 12:40:55 | よくわからないこと
不二家、山崎製パンが支援へ 品質管理など技術協力

 山崎は米国で普及する品質管理技術「適正製造規範」を自社の製パン・洋菓子工場に採用しており、不二家にも同様の制度の導入を提案する。不二家にとり、操業を休止している洋菓子工場の品質管理体制の整備は急務で、山崎の技術支援に強い関心を示している。

 さらにおいしいお菓子を目指して、他社と技術協力・技術導入を図るというのならわかるが、品質管理で技術協力なんてどこかヘンに聞こえないか?

 要は品質管理がずさんだったから、支援・教えを仰ぐということだと思うが、それは旨い・不味いといった味以前の問題であって、食品を製造する基本ができていないということだから、そこを「技術協力」と言い換えているところが、なんか違和感がある。ある意味、最低限ことができるよう教わるのだから、恥ずかしい気がする。

 技術協力という言い方は、本来、新製品や改良品の開発に向けた、ある程度のレベルはできた状況において、さらに上を目指すときに使う言葉ではないだろうか。

 それを衛生管理、品質確保のためだというのだから、基礎の基礎ができていない状況でお菓子を作っていたことを改めて認めたことになる。

 何匹ものガの混入や、大腸菌数の基準を自主的に緩和するなど、機械や手順とともに、モラルや本質をも導入してもらわねばいけないような気がするのだが・・・ 
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期限切れ菓子とデータ捏造の共通点

2007-01-30 09:56:25 | ISO9001奥が深いか浅いのか
 不二家の一件以来、一段と期限切れ製品の流出について回収をする旨のお知らせが多い(目に付く)。これだけ多いと、表に出るのは氷山の一角で、現実はこんなもんじゃないと誰もが思うだろう。関西テレビも、「あるある」で放映された他の健康情報において、次々と捏造疑惑が取りざたされている。関西テレビや日本テレワークだけのことかと、視聴者はどう思うだろうか。

 お菓子もテレビ番組も、両社においていわば“製品”だ。それを顧客に提供する。その製品に不適合が見つかったのである。
 とすれば、製品が生み出されてくる過程に問題があったのではないか、ということだ。製品を計画する段階(7.3.2)、部分を作成していく製造過程(7.3.4)、できあがった製品が顧客の要望を満たすかどうかを確認する妥当性確認の段階(7.3.6)、それを顧客に引き渡していいかどうかを確認する段階(7.5.2)、期限切れやデータの信憑性について、いたるところでチェックすることができたはずである。それらがおろそかになっていた。ひとことで言ってしまえば、プロセスに甘さがあった。ISO9001を取得していたのに・・・、というのはそういうことを指すのだろう。

 しかしそれらの関門でひっかからずに、ことごとく通過してしまうのは、もっと上層部からの力が働いているからとみるべきだろう。警告を解除してしまったのは担当者かもしれないが、そうさせた“黒幕”こそ追求されるべきではないか。組織内文化、体質がそうさせたのであれば、それを生み出された土壌からは、改善されたものは芽生えない。そこをそのままにしていて何かが再発したら、その影響を受けた者はもちろん、他の顧客や組織内の職員をも裏切ることになる。これまで是としてきたものの中に、非が潜んでいるのではないだろうか 
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立つ位置を間違えなければ好転する

2007-01-28 16:29:57 | くすり雑感
 出店すれば儲かるとばかり、医薬分業の追い風に乗って、たくさんの薬局が出現した。ゴールドラッシュで一攫千金を夢見るがごとく、とにかく処方せんを院外に出すうえで、多少のことであれば薬局の中身には目を瞑りつつ今まできた。

 世の中は薬学教育は6年制となり、薬の専門家を輩出し、医療提供施設として社会の中で機能させようとする、薬剤師は医療従事者として医療の質の向上が求められている。これまでは、門前に出す(労せず集客、処方せん通り渡していれば済む)、経営が苦しければ卸に泣きつき差益で帳尻を合わせる、人を減らすなど経費削減、それでもダメなら出店という構図。もはや、過去のビジネスモデルはこれからに合わないのは明らか。出店しなければならないと思っているとしたら、悪循環にはまっているかのようだ。

 今は時代の分岐点であることが明白であるにもかかわらず、旧態依然としたビジネスモデルをあてはめようとするから、薬価差益に頼り、内部環境の締め付けを強化しようと、ますます躍起になる。その結果、どうやって薬局がより評価を受ける活動ができるかの視点を見失う。負のスパイラルは生産性を低下させながら発展を願うといった自己矛盾がもたらしたと見るべきではないか。

 国家資格を与えられて専門家として独占的にその業務ができるということは、任せられた者がひたすら利益追求の権利を認められたのではなく、自ら何をすべきか、どうあるべきか、倫理を守り使命を果たす重い課題を達成するよう、公益性のある社会活動が期待されているからだろう。

 薬局がかかわる安全確保の提供が行われ、医療の質の向上に向けて、サービス改善を提案していくことに全力を挙げられるためのきっかけはどこにあるのか。それをすれば確実に儲かるという保障がなければ動こうとしない経営者。それがわかったときには、もはや二番煎じでたいした評価もない。薬局の置かれている位置がわからない・理解できないければ、求めるものは後からついてくることに確信が持てないまま、ますます内部圧迫を進め、結果として自分で自分の首を締めることになるようだ。
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怪しい情報を見抜くコツ

2007-01-28 14:08:49 | 思いつくまま
 TV番組の納豆ダイエットのデータ捏造 健康情報「踊らされぬ目を」(朝日新聞 2007.1.25 より)

Q.信頼できる情報かどうかの見分け方は?
A.その情報が①学術論文として記されたものか、②人を対象にした研究か、③複数の研究で同様の結果が導かれているか――などが重要。たとえ専門家でも、個人的な発言なら妥当かどうか判断できず、うのみにできない。マウスなど動物実験で効果があっても、人にあてはまるわけではない。ある研究で効果が報告されても、「一つや二つの論文で科学的証拠として固いというのは早すぎる。多くの研究で結果が同じであっても将来覆されることさえある」(梅垣さん)という。

Q.具体的には?
A.実験が紹介されたら、対象患者が少なかったり、効果を比べるためにその食品を食べない人たちが正しく設定されていなかったとしていないかどうか注意する。厳密な実験ではないのに、結果を拡大解釈しているかもしれない。短期間で効果が出ることはなかなかないと考えて。

 「梅垣さん」とは、梅垣敬三・国立健康・栄養研究所・健康食品情報プロジェクトリーダーである。

 また坪野吉孝・東北大学大学院法学研究科教授は、その著書『食べ物とがん予防』(文春新書)、p.17の中で、次の観点を挙げている。

 1.具体的な研究に基づいていつか。
 2.研究対象はヒトか。
 3.学会発表か、論文報告か。
 4.定評ある医学専門誌に掲載された論文か。
 5.研究デザインは「無作為割付臨床試験」や「前向きコホート研究」か。
 6.複数の研究で支持されているか。

 これらを順番に考えて、その段階で当てはまらなかったら、信頼性や重要性に乏しいものとして、それ以上深く係わることを終わりにしてはどうかという。

 関西テレビばかりではなく、他局の健康情報番組でもある食材に“驚くべき”効果があるかのように紹介し、それでスーパーの品揃えに影響を及ぼすこともあった。他局も関西テレビだけを責めるのはいかがなものであろうか。

 こういったフードファディズムに対し、「こんなにおかしい!テレビの健康情報番組」(高橋久仁子・群馬大学教育学部教授、『論座』2005年9月、p.130)が指摘をしている。すべての番組が怪しいわけではないだろうが、今回の事件ですべての番組が信用を失いかけている。漠然と「薄々ヘンだと思っていた」などと言うのではなく、こういうものだから、適当に受け流しておこうと、自信を持っていえるようになりたい 

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テレビ局にとって「顧客」とは誰か

2007-01-25 23:05:46 | 思いつくまま
[裏切りの演出]中 「結果出せ」孫請け重圧 朝日新聞 2007.1.25 より

 情報番組の制作会社に勤める20代男性は、連日の徹夜が当たり前でも年収は約300万円だ。
 取材した外国人の発言がテレビ局のプロデューサーに「面白くない」と言われ、吹き替えを「要するにこうも言えるという、ギリギリ許される範囲」に手直ししたことがある。「捏造はあってはならない。でも、プレッシャーで本当に追い詰められた時、絶対しないと言い切れる人はこの世界にどれだけいるだろう」

 「結果出せ」というところの「結果」とは何か。

 いけないとわかっていても、そういうことが常態化してくると、そうでもしなければ「もうその世界では生きていけない」ようになってしまう。それでも、魂を売らずに、おかしいことはおかしいと言い切れる人はまだいいが、誰しもがそう強くはない。追い詰められて、限りなく黒に近いのに、完全に黒じゃない、というあたりでかろうじて良心を保たざるをえない。まさに極限状態。“ギリギリ許される”と思っていても、捏造の張本人だと世間は言うだろうが、別の意味で被害者でもある。彼は、再生できるのだろうか。もう元には戻れないところまできてしまっていないだろうか。

 結果を求められても、おかしいことはおかしい、できないことはできない、しかし弱い立場に置かれたものができるのは、最後は手を出してはいけないところに手を染めてしまうことしか残っていない。

 番組制作を丸投げするという、ずさんなアウトソースにも問題がある(ISO9001,7.4購買の不適合)。しかし、スタッフを追い詰めた“黒幕”は誰なのか、黒幕は(視聴者ではなく)何を優先していたのか、その構造にメスを入れて、膿みを出すべきではないかと思う 
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「薬局2.0」

2007-01-24 14:12:38 | くすり雑感
 Web2.0が話題になっている。インターネットが普及して10数年、次々とサービスが複合し、連携し、「こうしたい」「次はこうなればいい」ようなことが仕組まれているようである。まだまだWebは進化の途中で、発展途上だというようだ。2.0の時代を知らず知らずのうちに体感しつつも、必ずしも十分に活用できたかわからないうちに、3.0、4.0の時代へと次々と進んでいくようである。

 Webに限らず、時間の経過とともに、少しずつの改善されたり、新しい技術が登場したりして、気がついてみたら昔とだいぶ違う様相を呈してきた、ということはあるだろう。

 果たして、薬局や薬剤師の世界もそうなのか。薬局を利用する患者さんが、それを一番感じているだろうか。医薬分業、薬学部6年制、医療提供施設など、さまざまな、また大きな変革が来ていることは明らかであるが、どちらかというと薬剤師の世界だけの話であって、国民にその影響がいまひとつ及んでおらず、「これからの時代」という意味を実感できずにいるのではないだろうか。

 何をもってWeb2.0と定義するかは難しいようである。あるソフトのバージョンアップではないからだ。ところで「薬局2.0」というものがあるならば、どのように位置づけるといいのだろうか。薬局機能評価に見るような、さまざまな機能を有し、働かせるのも容易ではないが、国民の生活がどう変わるのか、どのようにプラスの影響を及ぼすのか、そういう取り組みがいくつかできて、他の医療従事者と有機的に連携できて、安全や安心を提供できる社会が築けてきたとき、「薬局2.0」といえるように思う。

 具体的なサービスや機能はまだまだであるが、地道かつ大胆に積み重ねていかねばならないのだと思う 
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薬が足りないんですけど・・・

2007-01-23 09:25:59 | 思いつくまま
 薬局でそれなりの説明を受けて帰宅した、さて飲み進めていくと、なぜかある薬の数が足りないことに気づく、もらった“その時”は気づかなかった、飲み方は間違っていない、紛失した形跡も心当たりもない、薬局が必要な数を渡し忘れているのではないか、そう思って薬局に「薬が足りないようなんですけど・・・」と申し出てこられる患者さんがときどきいらっしゃる。

 患者さんは薬局に抗議にしに来たのではない。もらった時に数を確かめておけばよかったが、その時は具合も悪く、薬局を信用して、確かめもせず家に帰ってしまった、いまさら申し出るのもちょっと気まずいところがないわけではない。

 中には不足が誤解であったり、何らかの理由のある“確信犯”もいないわけではないが、多くの患者さんはそうではない。申し訳ないと思いつつ、来局されていると思う。

 しかし薬局は、鑑査を経て投薬しているし、レセコンで在庫を調べても在庫量は合っているし、自分たちに落ち度はない、と思って接しているのではないかと思う。

 困って来局された患者さんに、クレームではないかと疑う薬剤師。投薬の際には、体調を気遣い、愛想よく接してくれたのに、薬の不足には非常に冷たく映ることだろう。

 真実は、最初に渡した時点に遡らなければわからないし、レセコンも渡し忘れと渡し過ぎの過不足の帳尻が合っているにすぎないことだってある。

 気まずい申し出であるにもかかわらず、わざわざ来局されたのだから、その気持ちを汲んであげて、極力、患者さんの望む状態が叶えてあげられるよう、配慮してはどうだろうか。簡単に言えば、もう原因を調べることもできない、調べてもわからないのだから、薬局の持ち出しに思えて、損失を出すようで気になるかもしれないが、不足分を渡してあげてはどうだろうか

 困っている事態に対し、薬局側は間違っていない、という自己主張を続けて渡さないことを押し通していたら、気まずさは解消するどころか、増幅するだけだろう。患者さん側にも注意すべきところはあったかもしれないが、困っていることを相談しても、親身になってもらえない、という不快感を残すのではないだろうか。

 今後、その患者さんに薬を渡す時は、きちんと数を確認して渡すようにすれば、お互いすっきりした関係が改めて続くであろう。数の確認は、お互いにとって後々の気まずさを起こさない確認だと理解されるはずだ。
 もうこの薬局では相談しようと思わない、お金を払う時だけやさしそうな顔をする、といったふうにしらじらしい薬局だと思われることのほうが、薬局にとって何もプラスを生まないように思う。薬代の損失を防いだことで、お金では買えない信頼を失うことにもなりかねないのだから 

(参考:『顧客不満足の実践的解決法』兼村美徳・著、繊研新聞社、2005、p.176-7
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国民からの抗議はどこまで伝わるか

2007-01-22 13:13:19 | 薬害は人災だ
花王、番組スポンサー降りる 「あるある」捏造(朝日新聞) - goo ニュース

 納豆にダイエット効果があるとうたったフジテレビ系の「発掘!あるある大事典2」で紹介されたデータなどが捏造(ねつぞう)されていた問題で、スポンサーの花王は22日、番組提供を降りることを決めた。同社は96年10月の番組スタート時からメーンスポンサーだった。
 花王は「日頃から信頼性のある番組であることを要望していたが、捏造によって今回の事態を招いた」としている。

 雪印や不二家といった食品メーカーは国民や消費者を裏切った代償として、不買運動に合い、会社の存亡にも発展している。発覚した不祥事(商品)は氷山の一角かもしれないが、他のすべて製品まで信用を失い、フランチャイズは営業停止に追い込まれている。

 関西テレビは、ひとつの番組で捏造があったとはいえ、どこまで他の番組の信用にまで発展しているだろうか。もともと番組なんて編集されているんだから、半信半疑で受け止められている向きも一部にあろう。しかし視聴者は自分にとって都合のよい情報には容易に飛びつく。放映した内容は、明らかにパロディや騙しを目的としたような番組でない限り、真実であるというのが視聴者との約束事でもあるはずだ。

 抗議の電話が3000件にも届く勢いだという。スポンサーなら番組から降りるということもできよう。視聴者は「関西テレビを一切見ない」ということができるのだろうか。信用を失う行為をしたという点は食品メーカーも同罪であるが、視聴者に調査内容をまとめて情報を伝えるような番組は見ないが、たとえばスポーツ中継のようなものであれば見ても支障はないので、テレビ局全体に不祥事が波及しないという点で不公平な感が否めない。謝れば済むのか。人事に発展するのか・・・。

 公共性が高い業種であることも一因だろう。あるある大事典に関与した下請けの番組制作会社が他の番組でも外されることはもちろん、国民が納得できる形での責任の取り方を関西テレビは示すべきではないかと思うがいかがだろう 
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モタモタして隠せば命取り

2007-01-21 16:48:00 | 思いつくまま
 不適合の発生に対して、もたもたして初動が遅れる、公表を躊躇っていると隠蔽だと扱われる、それは顧客離れを起こし、組織の存亡にもかかわる(早く公表すれば、一時的なダウンはあっても結果的には再生の可能性を残す)ということを、昨今の不二家や北海道ガス等から学んだのかどうか知らないが、TDLやおたべ、また関西テレビ「あるある大事典」の納豆ダイエットに見るやらせの告白が続き、品質管理について、世間はますますナーバスになっているようだ。

 この逆風状態は、「やらせ」であれば視聴者を騙した・欺いたなどといったふうに、とにかく悪人扱いのように報道されることからもわかる(いや、ホントに許されるものではないのだが)。公表したことで、逆に正直だと言われたいのかどうか。顧客を裏切ったという印象だけが残るほど、かなりのイメージダウンになるだけで、体質が腐っているかのように思われるだけのようだ。納豆業界やスーパーマーケットなど、消費者のみならず、社会を巻き込んだ罪も大きい。

 期限切れや異物混入は、安全管理という側面が家庭の感覚、素人の倫理のレベルであったことを証明したかのようだ。明日の経営に活かすために、消費者意識をやニーズを探るのはいいとしても、体制の運営がそのレベルとはお粗末すぎる。
 家庭なら、少しくらい期限の切れた食品を捨てずに食べてしまうことがあっても、勝手な判断であって、自己責任で誰も何もいわないが、その感覚を業務に持ち込むとは、法的にも倫理的にも許されるものではないことがどうしてわからないのか。その一方、怪しいことを平気でやる会社ほど、コンプライアンスを遵守する・徹底する、なんて言っているのではないだろうか。

 廃棄による損失をなくしたい、大事に至らなければ売ってしまいたい・・・、過去を改めるにしても、その事実がわかったらすみやかに公表してただちに対応をとればよい、そういった学び方は本質的ではないような気がする。

 あるまじき行動に至った判断の狂い、行動の誤りを生み出した原因や背景は何かというと、利益優先体質であり、倫理観の欠如であることに疑う余地はなさそうだ。改めるべきはこれら根底にある考え方、姿勢であろう。いくらマスコミの前で頭を下げたって「組織のためなら、顧客の知らないところで何をしても構わない」と、消費者は言われてきたと同様の結果が許せないのだ。

 消費者は内部のことを常にチェック・監視できるわけではないから、それを代わって担保すべく、社会や顧客に安心であることを理解してもらおうというのが第三者評価であるISO9001だ。にもかかわらず、それを曲げていたのだから、余計に裏切り行為だとのイメージを与えないわけがない。曲げる力を持っているのは、経営陣をおいて他にいない。見直しや方針転換が求められているが、その意味するところは、経営陣の退陣、刷新をすべきではないですか?、ということの問いかけではないだろうか 
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後から世に出れば比較は避けられない

2007-01-19 09:07:01 | よくわからないこと
 先発医薬品を後発医薬品(ジェネリック医薬品)に変えた、その後、副作用が疑われる症状が見られた、効果が変わった(増強または減弱)、使い勝手が良くない、だから後発品は先発品に比べて“粗悪”なのか。確かに、そのような事態を直接経験した者はそう評価するかもしれないが。

 後から使うモノは、前に使っていたモノと、否が応でも比較されるのは、薬に限ったことではない。セーターやバッグだって、前のほうがこうで今のはこうだ、となる。当然、改善された面もあれば前のほうが良かった面もある。

 使用する順序が違うだけで、もし逆だったらどうなったのか。やはり前のほうが良くて、後から使うものは前のと違ってどうのこうのと“批判”されるだろう。前の薬にはなかった副作用も見られれば、使い勝手も違うと言われるだろう。

 そういった意味で、後発医薬品が“叩かれる”のは、しかたないのだろうか。比較されるのは避けられないまでも、だからといってただちに低い評価を受けるのは不当ではないか。お互いを対象薬としたRCTを行わねば決着しないのか。低い評価を受けてしまうのは、盲検化されていない状態で使用評価されているからではないか。先発品は臨床試験の際に、有効性が最大の関心事の中、試験されるが、後発品はピリピリした状態の中、安全性ばかりを、わずかな違いも後発品のせいだとされかねない中、試されているのではないか。

 今後、後発医薬品に関するさまざまな情報が集積されたとして、その大半は安全性・使用性に関する、どちらかといえば負の側面が中心である。先発品は、同じ視点で使用評価、情報集積はなされてきたとはいえないのではないか。後から世に出るモノの宿命として、そういったハンディを乗り越える状態でないと、社会の中に溶け込んでいけないのだとしたら、何をしていくべきか。

 後発医薬品変更後の情報は収集したとしても、それをもって直ちにその後発医薬品の優劣を決めるがごとく受け止めててしまうのではなく(特筆すべきものは別としても)、時間的な差、使用した順序の違いによる結果にすぎない、と思っていないと、ジェネリックを不当に評価してしまうように思えた 
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資生堂「ノルマより信頼」

2007-01-16 13:53:48 | いいものはいい
 気に入って買った新着のスーツを着て授業参観に出かけた母親が、同じ服を着た母親と遭遇して、一転、恥ずかしさと悔しさにさいなまれる、「どうして、買う際にそのことを確認しなかったのだろう」と。
 販売員も売ったら終わり、買ったら終わりではない。歯の浮くような言葉で喜ばせて買わせても、帰宅してみたら逆の評価になるようであったら、後で「売りつけられた」と販売員に不信感を持つ。
「顧客不満足の実践解決法」兼村美徳・著、繊研新聞社、p.88-9

 目先の利益(売り上げ)でなく、もっと幅広い視野を持って、本当の顧客を作っていくことがいかに大切か。


資生堂「ノルマより信頼」 必要のない商品を買わせればマイナス
 (朝日新聞 2007.1.15 より一部転載)

 「商品・サービスなど企業活動の『品質』はたし算ではなく、かけ算。一つでもゼロがあれば、すべてがゼロになる」

 前田社長は「ノルマによる売り上げの『上積み』なんて、必要ない」と言い切る。なぜ、脱「たし算」なのか。

 むやみに「たし算」による成果を求めたところで限界はある。「大切なのは、今日買わなくても『資生堂と一生付き合いたい』というお客さまを増やすことだ」。
 カギはお客さんの信頼だ。だが、「ノルマの影響で大切なお客さまを失っていた」と前田社長は考える。BCがノルマ達成に向けて、がんばれば、がんばるほど同社の売り上げは伸びる。だが、お客さんは必要のない商品を買わされかねない。

 顧客を大切にすることに異論はないだろうが、ノルマ廃止に代表される、一見、売り上げの確保を横に置くような考えには抵抗が強かったようだ。資生堂に見る「売り上げが減ったらどうするんだ」、「BC(ビューティーコンサルタント)がなまける」などと批判は、その不安の強さを示すものだろう。だから「売る」「買わせる」ことを企業は“正しい”と信じて疑わない。

 買う・買わないの決断は、売る側が制御できるものではないから、いかにその判断に持っていくかは、その価値を顧客側が納得しなければならない。また、一時的に無理矢理買ってもらったところで、無理した分は、ツケを負わせることになる。不満の火種を残すことになる。

 然るべきことをすれば、買ってくれる(売り上げが発生する)保証がない。その中での資生堂の舵取りは、英断だろう。目先の売り上げで利益が得られても、継続しなければ意味がない。むしろ目先にとらわれるあまり、不満を残すようでは顧客離れにつながる。繁栄を望むようで、自傷行為でもある矛盾を感じる。

 資生堂の今後は注目されるが、ただ羨ましく見ているだけでなく、自分を取り巻く環境においてもぜひそうあって欲しいと願わずにはいられない 
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幹部たる者のすべきこと

2007-01-16 09:11:23 | 薬害は人災だ
製造ライン、うそ容認 不二家、詳細なお「調査中」(朝日新聞) - goo ニュース より一部抜粋(朝日新聞 2007.1.16)

 食の安全を軽視した不正は、やはり「組織ぐるみ」だった。15日の記者会見で、製品の消費期限改ざんを工場関係者が広く知っていたことを認めた不二家。上司の指示で消費期限が切れた原料を使ったことも明るみに出た。

 04年6月から06年10月にかけてプリンの消費期限を1日延ばして表示していたケースでは、工場長をはじめ、生産管理課長、製造課長、現場担当者ら関係者全員が、うその期限表示を容認していたという。

 また、前回の会見では、埼玉工場製造の「シューロール」の細菌検出量は国の基準の10倍だったとしていたのに、実際は64倍。出荷量も当初の説明の6倍だった。

 社内の食品衛生マニュアルの内容を問われても、品質管理の担当者が「手元に資料がないから、わからない」。「期限切れ原料の使用を指示した上司とは具体的にどんな役職なのか」とただされても「調べている」と答えるだけだった。

 お粗末の一言といってもよい。「会社ぐるみだといわれても仕方ない」と社長は言うが、まさに「会社ぐるみで行っていました」と言うべきではないか。自分がその場にいれば、制止できたというのだろうか。社内告発が発端であるが、たった一度の“手違い”が知らされたというより、常態化していたものを、見るに見かねて訴えがあったと見るのがふつうだろう。

 工場は、ISO9001を取得しておらず、14001を取得していたという。期限切れの材料を使ったり、消費期限の改ざんというのは、7.3、7.5で問うことができそうだ。しかしそれは表面的であって、ずさんな態勢がまかりとおっている企業体質こそ問題だ。

 公表怠り、ずさん次々 不二家の原料期限切れ問題 より一部抜粋(朝日新聞 2007.1.15)

 一連の問題の発端は、「(06年)11月7日消費期限の牛乳4ロット分を11月8日に使用した」との社内告発があったことだ。同社は11月中にこの事実を把握し、対策会議まで開いていた。

 ここで幹部は二つの判断を誤った。

 一つは公表を見送ったことだ。「公表すべきだ」と言う幹部はいなかったという。11日の1回目の記者会見での発表は、マスコミ報道に押されてのものだった。 

 同社はここ数年、少子化などの影響で業績不振が続き、昨年5月に発表した2カ年計画で、再建に取り組んでいるさなかだった。食品業界は、雪印乳業食中毒事件、牛肉偽装事件などで、速やかな情報公開が企業の生命線になることを学んでいたはずだった。

 コンプライアンスの専門家は「速やかな公表は、会社の信用を維持し、損害の拡大防止とするための経営者の義務でもある。不二家は過去の教訓を生かせず、公表の重要性を認識していなかったのだろう。クリスマス商戦だったこともあったかもしれないが、判断が鈍いという印象だ」と指摘する。

 社長が公表しようとしたのに周囲がそれを止めた、とは考えにくい。社長が誤った判断をしていても、それに異を唱えることなく、それを推進しようとしている者がいないか。疑問を述べるにしても、社長の意見に沿うことを前提としている中での、制止力に乏しいものであったのではないか。

 「「公表すべきだ」という幹部はいなかった」ということは、組織にとって最大の弱点であると思わざるをえない。同族経営ということで、一族の言動は絶対だったのだろう。不二家の役員あるいは幹部であるということは、もはや汚点にすらなってしまったようでもある 
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薬局でもサービスの「開発」機能は必要だ

2007-01-15 10:22:46 | 薬局経営
 「護送船団」から企業間競争へ (日刊薬業 No.12189, 10, 2007, 1/15 より抜粋)

 昨年9月に発足した安倍政権は、人口減少社会でも経済成長を可能とするため、医薬分野を筆頭に、イノベーションを促進し、国際競争力を強化する方針を掲げた。

 ただ、政府方針の「イノベーション」の促進と「国際競争力の強化」は、いわゆる護送船団方式から、生き残りをかけた激しい企業間競争への転換を意味する。
 日本製薬工業業界の青木初夫会長は、「イノベーティブな医薬品を継続的に創出できるか否かが、生き残っていく上で重要だという政策。優勝劣敗は今後さらに鮮明になる」とみる。市場が求める新薬を継続して開発できない企業は、これまで以上に厳しい経営を迫られるということだ。しかし青木会長は、「新薬の研究開発を進めている企業には、その覚悟があるはず。だからこそイノベーションを支える環境整備、それに見合う十分な報酬、継続的な投資を可能にする薬価制度が必要だ」と話す。

 製薬会社の今後のありかたに関する記事だが、保険薬局にも当てはまることだと感じた。医薬分業の推進の追い風のもと、それに乗っていれば薬局が運営できた。まさに仕組みに守られていたのであり、護送船団スタイルだったといえよう。

 調剤報酬の仕組みは、薬局であれば全国共通、同一であって、そういう意味では「護送船団」的ではあるが、いまや乱立された薬局も二極分化していると言われる。

 本紙が「保険薬局調査」 進む薬局の2極分化 (薬事日報 No.10323, 1, 2007, 1/10 より抜粋)
 薬事日報は、保険薬局の現状を把握するための調査を毎年秋に実施しているが、昨年11月の調査では、1薬局当たりの平均売上高は前年より11%増加したものの、薬局の半数以上が「売り上げが減少した」と回答しており、2極分化がさらに進行していることをうかがわせる結果となった。

 イノベーションといえば格好良いが、これまでにないサービスを生み出せるかどうか、それによって他の薬局との差別化がなされるかどうかが、生き残り、勝ち残りにつながると考えてよいのではないか。それには設備を導入するなど、資金力で解決するものというより、人によって、薬剤師の技術の向上(革新)によってなされるものではないか。

 これまでもそれなりに頑張ってきたのであろうが、これまで「そこまでやらなくてもよい」「そこまではなかなかできない」といったあたりがハードルとなって、そこに踏み込む覚悟、勇気が必要だと考える。それは全く新しいサービスかもしれないし、段違いにレベルの高いサービスかもしれない。

 とかく「開発」というと、メーカーの部署名のようにとらえる向きがあり、薬局には縁のない部門だととらえがちではないか。部署を新設する必要はないかもしれないが、その機能や視点は必要だろう 
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やすべえ新宿店

2007-01-14 14:54:12 | 思いつくまま
土曜日の昼、息子の案内で新宿南口は甲州街道沿いの「やすべえ」に行く。ラーメンよりつけ麺で人気なのだそうだ。カウンターばかり20席ほど、確かに9割ほどの客がつけ麺をオーダーしているようだ。

辛味つけ麺を注文。予め食券を渡しておいたとはいえ、空いた席に座るのとつけ麺が運ばれるのと、どちらが早いかといった早さ。息子のような腹を空かせたうえ待たされていた者にはスピードも味のうちかもしれない。

辛さには強いつもりでいた自分のほうが結構ヒーハーで、ワサビも辛子も苦手な息子のほうが「このくらい辛くなくちゃ」という始末。

中盛にしておいたが、そのあとしばらく腹持ちは良かった。麺の質は異なるものの、スパゲティーほどの太麺。細麺じゃ上品過ぎるかな、それでも女性の一人客も目についた。

ホームページでは腕組みした一見、コワモテの店長、実物はとても優しそうだった  
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掲示は見る人に対する約束事

2007-01-11 17:57:44 | 薬害は人災だ
 あるコラムに次のような内容が載った。要旨は次のようである。

 ある患者さん(薬剤師でもある)が、薬局の「薬の重複や相互作用のチェックをしているので、お気軽にご相談ください」の旨の掲示を見て、OTCとの相互作用について尋ねてみたところ、調べるどころか、「他の薬局で買った薬のことは、そちらの店で相談するのがよい」と、“真面目に” 対応を受け、面食らったというものだ。
 「応対した若手薬剤師は不勉強で、バカなのではなく、『患者様向けお知らせ』を掲示しておけば事足りると考えている経営者+薬局長に問題あり」と、この患者は本質を喝破している。(Pharmavision Vol.10 No.11 p.43, 2006)

 建前では重複や相互作用にみる飲み合わせの相談を受けるという、サービス精神を示しつつも、それは見せかけにすぎず、本音としてはこのような相談は歓迎していない。何かあれば相談できるんだ、頼りになるんだという、一見良いイメージだけ持ってもらい、しかし自局で渡した(購入した)薬でなければ、その相談は断ることが正当化されるというのは、責務を誤って認識している。要は、楽してオイシイところだけとりたいという発想か。

 このコラムは『看板に偽りあり』と題されている。掲示(ポスター)内容の偽りであり、同時に薬局という看板に対する偽りではないかと、核心をついている。相互作用の相談ができないことより、薬局や薬剤師への期待が裏切られたことに利用者は愕然とする。いっぺんでこの薬局が信用を失うのは必然といえる。

 こういう薬局があることは想像できる。「薬局」という存在への不信感をもたらし、まじめにやっている薬局の足を引っ張るのは、こういう薬局である 
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