何かをすれば何かが変わる

すぐに結論なんて出なくていい、でも考え続ける。流され続けていくのではなくて。
そして行動を起こし、何かを生み出す。

ジェネリック医薬品促進通知書

2006-05-28 21:34:58 | くすり雑感
 「ジェネリック医薬品利用促進のお知らせ」と題したジェネリック医薬品促進通知書が、昨今、通信系企業の健保組合から被保険者に向けて発行されているという。

 内容は、あなたはこのたび調剤でもらったとの同じ医薬品を、もしジェネリック医薬品に切り替えていくとすると、ひと月あたり、お薬代が最大で●●●●円安くなりますよ、ということが書いてあるという。
 いまや多くの健保組合が財政赤字に苦しんでおり、このシステム、他の健保組合にも導入をしていくことが計画されているという。

 そうなると、このような通知をもらった人はどう思うだろう・・・。
・自分はジェネリック医薬品に変えることができたのだろうか
・ある程度安くなったけど、もっと安い薬があったなんて知らなかった
・薬局では何も説明してくれなかったけど、どうしてだろう

 多くの薬局は、とりあえず先発品に対して1種類のジェネリックを揃えて対応していることが多いが、この健保組合の通知を見て、自分が利用した薬局がどういう基準、根拠でそれを在庫していて、それを勧めたのか、疑問に思うかもしれない。
 ひたすら安いことが必ずしも最善ではないとはいえ、そのジェネリックを勧めるにあたり、患者の視点に照らし合わせて納得のいく理由で在庫していたものでなければ、薬局は疑われることになる。門前の医者を慮った品揃え、チェーンなら本社の都合による品揃え、また薬価差益を優先した品揃え、このようなことをしていては、薬局は自分で自分の首を締めることになりかねない。

 患者は、一つの先発品に対して、いくつかのメーカーがジェネリックを製造していることを知らない。またそれらが何段階かの価格差をもって存在していることも知らないだろう。さらに、患者側がその中から特定のものを選べることも知らないのではないか。

 ジェネリックの使用促進に際し、説明に手を焼く薬局が多いが、結局、説明がどこまで行き届いているかどうかで、薬局の積極さが評価されることになりそうだ。どのジェネリック医薬品を選択するのか、決めるのは患者だ。薬局は選択における情報支援だ。

 代替調剤が始まってまだ2ヶ月足らずである。一般的に、静かな滑り出しだという印象である。しかしそう思っていると、突然嵐がやってくるかのように、薬局の腹の内をえぐるような事態に見舞われて、あたふたすることになるかもしれない。

 スタート直後だから、何種類も在庫できないから、まずはひとつの先発品に対して1種類の在庫で済ませようという薬局が大半かと思う。しかし、それは薬局側の論理。患者側は個々に選ぶ後発医薬品が異なる。

 誤魔化したようなやりかたでなく、本来そうあって当然の、本質的な取組みでなければ、顧客の評価、満足は得られないということになるのではないだろうか 
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ジェネリックの同等性に関連して

2006-05-28 16:09:10 | くすり雑感
 ジェネリック医薬品の先発品との同等性に関するデータを見る際の注意として、

CmaxやAUCを比較して、その数値が大きく違うことをもって、同等とはいえないという考えについて
 先発品と後発医薬品のそれらの数値は、試験に参加したヒトが違うので、異なる数値が出ても当然。単なる数字の比較は無意味である。
 生物学的同等性試験で、被験者をクロスオーバーさせて同等性を確かめているので、それが確認できれば、同等と考えてよい。

溶出試験で、4種類の液性の違う試験データのうち、1種類のデータの溶出性が異なることをもって、同等とはいえないという考えについて
 溶出試験は同等性を示すものであって、非同等性を証明するものではない と言われているという。
 4種類の液性の違う試験データがすべて同等といえるものであれば、生物学的同等性は確保されていると考えてよい。
 そのうち1種類のデータで乖離が見られても、生物学的同等性試験で同等性が確認されていれば、同等であると考えてよく、1種類の溶出試験データの結果は考えなくてもよいという。

 こういうデータをもとに、ジェネリックの同等性に根拠のない疑問が示されることがあるから、注意しなければならない、ということらしい。

 以上、ジェネリックに関する研修会での講演(2006.5.27 中野サンプラザ)メモより 
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ジェネリックでは添加物を気にしすぎるな

2006-05-27 21:38:35 | くすり雑感
 先発医薬品とジェネリックを比較するにあたり、添付文書に添加物が明記されていることから、その違いがはっきりわかるのはいいのだが、その違いをもってジェネリックには先発医薬品には含まれない添加物があるから、アレルギーを引き起こす可能性がある、といったふうに、ジェネリックの使用を控えさせるような論調に、前からギモンを持っていたところ、今日、とある研修会で同じようにギモンを呈する人に出会った。

 先発品であっても、薬剤を他剤に変更すれば、主薬とともに添加物だってまったく違うものを使うことになるのだ。それには別段、問題視して来ずに放置していたのに、昨今の後発医薬品の使用促進の期になって、そこをメクジラ立てるのはおかしくないか、というのだ。
 ガスターをガスターDに変更したって、添加物が変わるのだ。そういうところには、何の疑問が呈されることはない。

 安易ではないかもしれないが、多剤処方を放置しておいて、処方追加の際には添加物を一切気にしてこないかったクセに、いまさら添加物が何だっていうのだ。以前、ブルフェンに14種類もの添加物が含まれていることを述べた。ジェネリック変更による添加物の違いを心配するくらいなら、服用薬を減らすことにもっと躍起になってしかるべきではないのか。

 規制の範囲内で使われているものであれば、それは認められたものである。タートラジンとか、HCO-60とか、一部にアレルギーで有名な添加物があるとはいえ、単純な添加物批判によるジェネリック批判はよろしくないと改めて思う 
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アスベスト危険、「警告」50年、届かず

2006-05-27 00:02:57 | 薬害は人災だ
 「警告」50年、届かず 多数を診察 故・梶本医師  朝日新聞 2006.5.26 夕刊
-----ここから転載
 大阪府泉南市には、50年前から石綿の危険性を訴えていた町医者がいた。94年に80歳で亡くなったか地元政治さん。軍医だった梶本さんは、結核の研究に打ち込んだ後、40歳で梶本医院を開業する。石綿産業が高度成長に乗り始めていた。

 医院を訪ねる労働者は肩で息をする人ばかりだった。梶本さんは早くから石綿が原因と疑った。工場を回っては集塵機の設置を迫り、経営者に突き飛ばされた。行く先々で工場の実態を暴露するガリ版刷りを配り、転職を勧めたという。

 生活費は石綿に関する海外の文献や専門書につぎ込んだ。煙たがられても、「僕は働く人の味方。危ないことはやめさせる」が口癖だった。

 妻タミエさん(87)も亡くなった患者の肺の断片を顕微鏡でのぞき、無数の石綿繊維が突き刺さっていたのを見たことがある。無くなる数日前まで往診に出かけていた梶本さんが、今は誇りだ。

 「警告」は、戦前から繰り返されてきた。37~40年前の国の調査だけでなく、50年代には、旧国立療養所大阪厚生園の医師瀬良好澄さん(02年死去)が32工場814人中88人から石綿肺(10.8%)を検出した。瀬良さんのもとに通い、症例を集めていたのが梶本さんだった。

 宮本憲一・大阪市立大学名誉教授(76)は「こうした業績がなぜ政府の規制に発展しなかったのか。警告がなぜ生きなかったのかを検証しなければならない」と指摘する。
-----転載ここまで

 届かぬ警告。得てして正論や真実は少数の口から述べられるもので、体制派は自己の立場や過去の言動を肯定するために、もみ消しに必死になるものだ。中には過ちを認める者がいないわけじゃないが、それは自ら奈落の底に落ちるようなものだから、それを言い出す勇気を持ち合わせていないのが通例だ。多くのものは、そこに蓋をして目を背け、少なくとも自分の目の黒いうちは、自分が正しいと言い張るものだ。

 誇りに思えるご主人を持って、奥さんは改めて尊敬をし直すだろうが、故人は自分の評価より、危険から回避できなかったことを悔やんでいるに違いない。名誉が回復されることより、責務をまっとうしたかったのではないだろうか。

 石綿が危険と気づきつつ、それを否定し続けてきた国や関係者は、その昔は勝ち誇ったように思ったかもしれないが、果たして幸せだったのだろうか。経営者は、職員の健康の代償で高度成長期を優先したことに、うしろめたい思いはないのだろうか 
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愛国心、無理矢理持たせるもの?

2006-05-25 23:31:09 | 思いつくまま
 「私と愛国」(2) 核は自分の感性や情念、改めて教える必要ない 渡辺淳一さん 朝日新聞 2006.5.25 夕刊
-----転載ここから
 愛国心とは、自分や身近な家族、恋人への愛情といった基礎的な単位から、住んでいる村や町、そして日本全体への愛へと、ゆっくり広がり、育まれていくものだと思う。〈中略〉

 愛国心の核になるのは自身の感性や価値観。〈中略〉

 僕の小学校時代は愛国心がしきりに鼓舞され、「一億総決起」「神国日本」という言葉があふれていた。そこで育ったのはイラクの自爆テロみたいな闘争心だけだった。〈中略〉

 愛国心は感性や情念の蓄積だから、こと改めて教えるまでもない。言葉で表現できるものでもない。それに、ワールドカップや野球に熱狂する姿を見ていると、日本人は愛国心が十分すぎるほどあるように感じる。

 なのに今、国会では愛国心をどう表すかを懸命に議論している。この風景、ポイント外れで、いささか滑稽。不気味な時代がやってきたものだ。
-----転載ここまで

 愛国心を、愛社精神とでも置き換えて、どうも似た風景が眼前に広がっている。いまは一体になって利益追求のために総力を結集しろ、というトップ層。「欲しがりません、勝つまでは」と言わんばかりで、お国のために身の回りのものまで差し出せというがごとく、賞与カットを平然と行う。こういう時期だから、当然だと言い、申し訳ないの「ひとこと」もない。

 こんな組織に、誰が愛社精神を持つというのだろう。儲けろ、と強く圧力をかけ、見つからなければスリも泥棒も黙認しておきながら、けっしてそんなことまでしろとは言っていないと、自己保身は忘れない。

 ここに違和感を抱かず、上司の命令とばかり従順なのは、まさに自爆テロに走る分子を育てているようなものだ。いったい、自分でも考える力を持っていないのだろうか。異臭には気づく能力と、それに染まらない資質を、育てることがひどく大事になっているような気がする 
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自己都合のためならモラルは不要?

2006-05-25 20:24:22 | 薬局経営
 年金不正免除 「事務所長権限で実施」 社保庁長官 組織ぐるみを否定 朝日新聞 2006.5.25
-----ここから転載
 社会保険庁改革関連法案を審議している衆院厚生労働委員会は24日、各地の社会保険事務所が本人に無断で国民年金保険料の免除手続きをしていた問題に質問が集中した。組織ぐるみの不正ではないかとの野党の追及に対し、村瀬清司・社会保険庁長官は「事務所長が自分の権限下でやったのを(各都道府県の社会保険事務)局が止められなかったという認識だ」と述べ、各社会保険事務所ごとの判断で行われていたとの見解を示した。民主党の山井和則議員らの質問に答えた。

 納付率向上を無理に求めたことが不正を生んだのではないかとの指摘に対して村瀬氏は「法令を無視してやれと指示を出したつもりはない」と反論。「免除だけやれとは一切言っていない。納付督促、強制徴収のすべてをやれと指示している。目標を定めてそれに対して的確に仕事をやるのは当たり前のことだ」と強調した。(後略)
-----転載ここまで

 真相はわからないが、にわかに信じがたい話に聞こえる。昨夜の報道ステーションでは、「納付率2%アップ」に関する通知が出ていて(誰から、誰宛てのものかは忘れたが)、臨戦体制、言い訳無用、結果を出せ、と強い口調のものだった。しかも納付率について表彰制度もあったというから、相当、強硬に数字を求めていることがわかる。

 この論理、民間企業でも聞くような響きはないか。売上アップを至上命題とし、結果(アウトカム)という言葉で数字を求め、それについては問答無用、緊急事態だと言わんばかりで、組織の社会における存在意義などなかったかのように、利益追求に走っている。表彰制度も、数字アップを焚きつけるための道具だ。

 どうか成績のためにはモラル崩壊も何のその、自分たちさえ良ければ何をやっても許されるような見識には呆れるばかりだ。こういう人は、社会の中で糾弾されないのだろうか。この社保庁長官は民間保険会社から来た人物らしいが、同じペースで、疑うこともなく数字確保のために、手段を選ばず来たのではないか。その文化が持ち込まれてしまったのではないだろうか 
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薬局からもたらされる価値とは?

2006-05-22 13:27:04 | 薬局経営
 薬局とは、「調剤を実施する薬局」(-->医療提供施設)として規定されようとしているこの期に、利用者は薬局で調剤を通じて、何に対して対価を払っているのか、気になっている。

 薬そのものについて、仕入れ価格と販売価格との差(いわゆる薬価差益)は、市中の薬局ではほとんどないと考えてよい(大手チェーンならまだ10数%ほどあると言われているが・・・)。
 とすると、技術料。ここには機能的な部分と、知識的な部分からなる。

 患者さんは、支払い額に見合ったものを得ていると思っているだろうか。「そういう保険診療のキマリ事だから、仕方ない」と、半ば諦めているのだろうか。
 内心、割高感を感じているのではないか。また、それはジェネリックに変更しても、だ。内訳を見れば、技術料にあたる点数部分は少なくない。棚からちょうとつまんで持ってくるだけなのに、それだけでこんなに・・・? そう呆れる人がいたっておかしくない。

 仕方ない側面もあろうと思いつつ、それでも慢性的に高いという不満を持ちつつ、薬局では対価に見合うほどの価値を提供できていないのではないだろうか。薬局で提供する価値の、具体的な中身って何だろうか。何を、どこまで、どのように、提供したら、納得や満足を感じてもらえるのだろうか。

 「価値とは何か。消費者が、こうなりたい、こうありたいと思う状態、状況に対し、いま現在、不足しているものがある。その不足を補ってくれるものが価値である。」(『鈴木敏文に学ぶ「大きな仕事」ができる人、できない人』国友隆一・著、PHP研究所)

 さらにその価値には、既存の価値と、付加価値があり、それが対価と見合えば満足するという。これに照らし合わせると、薬局における「既存の価値」って何だ、「付加価値」って何だ、ということになる。

 既存の価値とは、薬局の存在意義ではないか。そもそも何のために自分たちが社会の中にあるのか、求められているのか。薬局が、薬を通して国民の健康問題の解決と安全の確保で、業務が整備されているかではないかと思う。具体的にどのような業務を展開しようと、それが基本に据えられているかではないかと思う。

 では、付加価値って何だ。薬局側であれはどうだ、これはどうだと、これまでいろいろ考えて取り組んできたが、それが当ろうと外れようとそれは売り手の発想であり、たまたまの結果にすぎなかった。患者さんの要望や期待するところとのギャップを補うために、個別に“付加”するもの、なのだろうか。答えは、医療消費者である患者さんが知っているとしたら、患者さんからそれを聞き出す、患者さんがそれを打ち明けてくれる、そういうプロセスが日頃の業務に不足していたのではないだろうか 
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内部監査員は顧客の代理の視点で

2006-05-21 12:19:09 | ISO9001奥が深いか浅いのか
 一昨日、内部品質監査(ISO9001の8.2.2に相当する内部監査)に行く。チェックリストを用意し、インタビューし、気づいた点を指摘して、今後の改善の一助にしてもらう。先方と話をする中で、被監査側も「けっしてこの様子はこのままでいいとは言えない」と思い、自分たちの不十分さを自覚すれば、指摘もすんなりと受け入れてもらえる。

 監査なんて、受ける側にすれば喜んで行うようなものではない。監査員は何かあれば指摘するわけだし、褒めることもあるとはいえ、褒めるために来るのが第一義ではないからだ。しかも同じ組織の「内部」の者が来るわけだし、結果は報告される・・・、監査さえないければ見つからないものも、白日のもとにさらされてしまう・・・、歓迎されないわけだ。

 しかし監査をスタートするにあたり、「あら探しじゃないよ、よりよい活動をするための見直しの機会だよ」などと伝えて開始するから、余計、タテマエと本音の違いのように、さもきれいごとを言っているようにしか受けとめてもらえない可能性も大きい。

 ところで労働組合は、会社に争点を投げかけ、交渉して、どこまで譲歩を勝ち取れるか戦うためにあるか、社員を守るためにあるかのようにとらえる向きがある。お互い、対立関係にあるようだ。しかし、社員側が気持ち良く働ける環境が得られれば、会社にとってプラスになるので、団交の場を戦場と捉えず、検討の場と捉えて、むしろ会社側から逆提案をするという考えもあるという(『鈴木敏文に学ぶ「大きな仕事」ができる人、できない人』国友隆一・著、PHP研究所)。

 内部品質監査もコレだ!、と思った。内部品質監査員とは会社側に立つ人間であって、会社の論理に向けて修正を図る調査員のように思われているのではないか。そう思われているから、ときに一夜漬けで繕ったような様子が見られたり、キレイ事でかわそうとするような返答を平気でしてくるのではないか。

 内部品質監査員は、同じ組織内の者と言えども、「顧客の代理」なのではないかと思う。だから、監査はよりよい活動を進めるための検討の機会になる。

 顧客重視が組織の柱となっていれば、この考えはより受け入れられやすくなるだろう。現場が顧客重視なのに、組織本体が売り手指向だったら、監査によって相反する考えを押し付けられると思うから、監査員は招かれざる客のようになってしまう。

 内部監査には、態勢、仕組み、手順などとの適合性を監査する役割もあって、それとのズレは指摘事項になるのだが、態勢、仕組みなども顧客志向で構築されていれば、監査による指摘も現場にとって納得のいくものになるだろう。

 今後、監査員が集まる場がとれれば、問いかけていこうと思った 

内部監査脳を鍛える
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市民のほうを向いて仕事をしてきたか?

2006-05-16 23:39:13 | 薬局経営
 TV東京「ガイアの夜明け」 赤字まみれの公立病院 元凶の“お役人体質”を改革せよ 2006.5.16 22:00-23:00

 病院改革仕掛人として、長隆(おさ・たかし)氏が赤字に苦しむ各地の公立病院の再建に挑む。そこで真剣に熱く投げかける言葉が、“市民のほうを向いて仕事をしてきたのか?”という言葉。少なからず、市民のことを考えてきたのかもしれないが、甘い、甘すぎる!、そんなのは向いたうちに入らない!、という指摘だ。
 “それができないのなら、経営陣は総退陣せよ”と迫るところも圧巻だ。

 番組で取り上げられた公立病院に、市民病院もあったが、国保の病院が2病院もあったのには思わず苦笑。保険料徴収の未払いばかりを責められないのでは? 国保が破綻するわけだ。
 長さんは、再建のために病院を訪れると、医師や看護師の宿舎を必ず見るという。多くの場合、とても人が住む気のしないようなところらしい。職員をないがしろにしておいて、モチベーションを挙げろ、というほうが無理だということだろう。

 公立病院のお役所体質。税金による繰り入れ金を充てにしてきている。公立病院には、民間病院にはできない医療を行う使命があるということだが、補助をもらいつつ、結局は廃院に追い込まれるのだから、誰かが助けてくれると、あぐらをかいてきたのでしょう、ということになる。言い訳だけは立派な公務員。

 公立病院に提示される改革案は、公設民営化か、完全な民営化。“お役所”であろうとなかろうと、体質が変わらない限り、一時的なことはあっても継続する将来はない。悪しき体質の改善。少なくても、今のままでは「努力した者が報われる体質ができない」と、改革をつきつける。

 民間なら必ずいいか、というとそうではない。当り前だ。薬価差益を頼りに、ぬるま湯体質に浸りきっている薬局。売り手志向のまま、保身ありきで買い手に目が向かない。「企業だから儲けることが目的で当然だ」という、医療提供施設の風上にも置けない考えのある薬局。体質改善なくして将来展望がないのは、患者志向なくして存続などありえないのは、民間も同じことなのだ。

 公立病院のまま、2年先を睨んだ改革をするという選択をとった愛知県新城市民病院。果たして、改革はできるのか。自己評価で、自己満足程度の変化で「改革ができた」と今から結論ありきなのではないかと心配する。是非、その結果も報道して欲しい 
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薬局の危機感

2006-05-16 08:52:17 | 薬局経営
 GWも明けて、薬局では4月の実績もおよそ掴んでいることと思う。
例年、GWがあるために直前の受診や長期処方によって、4月は月平均より業績が良い方向にぶれるのだが、どうだっただろうか。ジェネリックの影響で、思ったより伸びなかったところがあるかもしれない。もちろん、調剤報酬減額の影響もあろう。

 そういう数字で物事を見ると、収益が少ないことに危機感を抱く経営者もいることだろう。5月は4月の反動で、業績は下方にぶれるから、余計だ。
 しかし、そういう経営者ほど、数字で一喜一憂しているだけで、本質を見失っていると思われてならない。
 ジェネリックによって下がるのは薬剤費だけだ。つまり、薬価差益頼みの経営をしているから、そうなる。技術料については、いかんともしがたいので、かかりつけと評価してくれる患者さんを増やすしかないのだが、えてして数字が何より大事な経営者ほど、そこに最大のエネルギーを注いでいないことが多い。

 そう考えると危機感とは、業績に見られる数字の多寡ではなく、生産性に乏しい体質、薬局でスタッフが活気のある活動を行われていない日常、顧客のニーズに応えられていない環境、そういったところにこそ、抱くべきではないだろうか。

 とりもなおさず、それは経営者の過去の成績にすぎない。そういう体質や文化は一朝一夕にできるものではないからだ。苦境を招いた主因は、バブル期から今に至るまでの自分たちの方針の誤りにあるのではないか。

 逆風下において、傘がキノコになって吹き飛ばされかかっている姿と、しっかり風上に傘の先を向けて着実に歩を進めようとしている姿と、ますます薬局は二分されているかのようだ。それは危機感の抱きかたに現れているように思う 
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顧客満足こそ目的で、業績は結果にすぎない

2006-05-15 08:35:02 | 薬局経営
 先の記事で、薬局という医療提供施設は、結果ばかり求めるのではなく、プロセスを追求し、顧客満足を目指すことにこそ、全精力を傾けるべきであるということを述べた。なぜ、結果(早いハナシ、売上や利益)を求めるのは好ましくないのか。

●生命に関連する仕事を行う組織では、自分たちの社会の中での存在意義や価値、責任が軽視され、ないがしろにされるから
・顧客にとって、健康問題を解決し、生命の安全を守ることが、医療提供施設を利用する最大の目的であるのに対し、医療行為が結果のための手段や道具になってしまい、顧客満足や評価につながらない
・健康問題が解決しないのは要望に応じられていないことであり、それが最優先課題とされないのであれば、その中でサービス提供と言ってもそれは利用者には押し付けと映り、不満を招くことになる

●サービス提供に至る途中の過程(プロセス)が追求されにくくなるから
・外的要因に頼るようになる(カゼ、花粉症、天候不順、医療機関招致、等)
・顧客にとっての評価より、組織にとっての評価が優先される

●自立的な生産力を持ちにくくなるから
・他力本願、他者依存の体質になる(薬価差益)
・人的(人数)、物的、予算的(労務費)など、活動に制限がかかる

●サービスの質が向上しにくくなるから
・売上げが質的ハードルとなりやすく、顧客満足の改善に至らないため、レベルアップが進みにくい
・たまたま結果が得られることがあると、それで良いと思ってしまい、見直しや反省が行われにくくなる
・性急な結果が求められるあまり、じっくりと改善に取り組むことが行われにくくなり、難局を乗り切る経験や力、ノウハウが身につかなくなる
・数字に追われる日常となり、顧客への目が向けられにくくなる。

●トラブルや不具合が発生しやすくなるから
・結果オーライと考えれば、多少の不具合があっても、そこに目を瞑ってしまったり、不具合を肯定してしまうことになる
・手っ取り早い結果を求めるあまり、違反ギリギリの行動を行うこととなり、それに慣れてくると、さらに行き過ぎに発展することになりかねない
・モラルを欠いたグレーな行動が黙認され、それが少し続くと疑わしいものまで正当化してしまう
・安全確保に対する投資が削減され、トラブルや事故を発生させる土壌を形成する

●職員の満足度やモチベーションが低下するから
・医療従事者として健康を守るために責務を果たす動きと、結果を求める動きとが整合性を持たないので、迷いながら活動を続けることになる
・数字さえ良ければいいという考えで、日頃の努力が評価されず、報われなくなる
・本来なら必要性があるものまで投資が制限されたり、削減される
・スタッフ自身の満足や成長が叶えられにくい

●悪循環を招く
・質の向上、顧客満足が改善せず、利用者の増加に結びつかないので、ますます結果ばかりを強く求められるようになる
・薬局の評判が低下する
・優秀な人材を失い、離職者が増える
・ますますイレギュラー、イリーガルな活動を進めることになり、組織内に矛盾も多く発生し、トラブルに発展する


 顧客満足あってこそ、利用者が増え、さらなる投資のための原資を得て、よりよいサービスに結びつけるというサイクルが発展的組織にはあるのだと思う。
 これまでそこに十分なエネルギーを費やして来なかったところほど、さらに内的圧力を高め、苦しさを増しているのだと思うが、どうだろうか 
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プロセスの改善なくして、結果は得られず

2006-05-12 10:07:21 | 薬局経営
 今年度の薬局は、ジェネリック医薬品、代替調剤という大きな変化に加え、調剤報酬の大幅な減額により、近年の中でも最大級の経営難が予想されている。試算により危機感を抱き、売上拡大を隠さず、大声で叫ぶ経営者もいるという。恥ずかしげもなく、「薬(局)は算術」というわけだ。

 確かにかなり強い逆風ではあるが、この方向性はけっして予想がつかなかったわけでもない。気象予報士のような者でなくても、近年の厚労省や日薬の言動を見ていれば、予想が難しいわけではなかった。調剤バブルはとっくに終了している。近年はその反動というか、急激な変化に戸惑っているようでもある。

 多くの薬局が苦しいのであるが、この逆風下であっても着実に推進力を持って突き進むことができそうな薬局もある。いったいどのような理由によるのか。
 ここで、「アリとキリギリス」の話が思い浮かぶ。キリギリスのように、毎日遊んでばかりで過ごしていたとは言わないが、バブル期からこれは尋常ではない、本番はこの先にある、と思って経営をしてきたかどうかの差によるものではないかと思う。つまり、すべきことをしてこなかった薬局は、いまそのツケが回って苦しんでいるのだろう。

 この苦しさを脱却する仕方にもそれが現れている。キリギリス派の多くは、薬局が力を蓄えることに注ぐエネルギーが不十分だった・・・。経営者がどこに投資をし、力を入れているかは、スタッフには敏感に伝わるものだ。カタチかタテマエだけでの教育や研修が行われているのは、「どうでもいいなどとは考えていない」という言い訳をしているだけのことだろう。だから、キリギリスは他者依存に走る。

 “アリ”の薬局は、苦しいながらも乗り切るパワーを持ち、その可能性を持っている。“キリギリス”の薬局は、ますます苦しくなる。自己で脱出を図る知恵や経験、ノウハウを身につけていないから、他力本願にもなる。薬価差益に頼るし、コスト削減を厳しく求めるようになる。薬局の生産力を持たないから、店舗拡大をしなければ売上が伸びない。つまり力が蓄えられているかどうかは、何をすればよいか、すべきか、という問題でもあり、それにどのように注力するかは、薬局の資質、つまり経営姿勢の差によるものであり、その違いが問われているといってもよい。薬局の文化や風土が何よりも大事だ、というのもここにある。

 店舗拡大(出店)といっても、医薬分業の進展で、残っているのは小規模のところが大多数だ。大手医療機関が分業しても、5本指に入るような大手チェーンがかっさらってしまうだろう。また薬局では機能評価に見られるように、ますます規模にかかわらず、医療提供施設として高機能化が求められる。バブル期に乱立した、小規模薬局もよほど心して望まないと、社会のお荷物になりかねない。

 薬局は、ヒトの健康と生命を守るという役割がある。社会からの最大の期待もそこだ。結果ばかり求める薬局は、この期待に応えることが後回しとなっており、その体制も整っていない。結果を求める前に、社会の要請に応えられるよう、プロセスの改善が急務だ。納得のいくサービスなくして、医療消費者は快くサービスを受けるはずがない。

 医療において、プロセスは必ずしも手段ではない。そこを通過しなければならないので、手段のように見えるが、手段として結果こそ、最大のゴールとするのは誤りである。結果さえ良ければ、プロセスが空洞化するからだ。プロセスの強化、充実こそ、目指す方向であり、どこまで充実させるか、そのレベルはサービスを買う消費者が満足するかどうかだろう。

 結果を求める愚、顧客満足が得られるレベルにプロセス強化を図ることこそ、最大の目的とすべきことを、このあとに述べていこうと思う 
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偽りの安全

2006-05-07 15:56:44 | 薬局経営
 抜けない? 手抜き体質  朝日新聞 2006.5.7 より
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 耐震強度偽装疑惑は、姉歯秀次元建築士らが逮捕され、事件に発展した。「住」の安全に対する信頼は崩れ、業界に深刻なダメージを与えた。にもかかわらず、工事現場を歩けば、一部には、安全を後回しにした過度のコスト重視の体質が今も根強く残る。一方、マンション市況は相変わらずの活況をみせながら、消費者は大手業者への傾斜を強めるなど事件の影響をうかがわせる。

 中部地方の建設会社に勤める40代の男性は今年1月、旧知の同業者から連絡を受け、訪れた現場をみてあきれた。
 「面白いものが見られる」と言われ、倉庫の建築現場を遠巻きに眺めると、その意味がわかった。
 設計図は、安定性の高い杭を使う「拡大根固め工法」だったが、目の前では、簡素な方法がとられていた。
 「こんな場面はしょっちゅう出くわす。事件後も、業界の体質は何も変わっていない」
 元請けが口にするのは「工期とコスト」ばかり。安全対策として、現場写真を重視するようにはなった。が、最近、ある建設現場で、「1期工事の写真がない。よく似た別の現場をそれらしく撮って」と頼まれた。
 「現場のモラルは低下したまま。スーパーゼネコンがつぶれるくらいの衝撃が無いとダメかも」
 審査の実態はどうか。
 北関東の40代の1級建築士は「構造計算の審査は厳しくなった。いや、厳しい装いを増したって感じ」と苦笑する。
 以前は何も言わなかった自治体の建築指導担当者が、必ず1、2点は質問をしてくる。民間の検査機関は建築確認をするまでに時間がかかるようになった。「形式的なポーズだ。本質まで理解しているとは思えない」
 都内の50代の1級建築士も「役所が口うるさくなっただけ」と明かす。「ずるしても、一度OKが出たら『またやろう』となる」
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 消費者も今回の一件があったから、耐震偽装のあるような物件は困るとは思っているだろうが、素人の目で見てわかるわけじゃないし、難しい書類を見せられてもどうしようもない。信じるしかないのがオチだろう。
 またマンションはン千万もする高価な買い物だから、どうしても安全を信じつつも、室内の装備や使い勝手、価格を中心に選んでしまいがちだ。
 消費者が真剣にそこを問えるようにしないと、少なくとも今のままでは、業界に騙され、欺かれ続けていくことにはなりはしないか。

 それにしても、この構図は薬局にもなんて当てはまることだろう。偽るつもりはないのかもしれないが、安全にどこまで向き合って調剤をし、投薬をしているのだろう。消費者はどこでそれを確認するのだろう。結果として、やむをえず信じざるをえないというのが実情なのではないか。

 安全性に投資を惜しみ、コストや売上げにしか意識のない経営者。いつ事件が起きたっておかしくない状況だ。急には変えることができなくても、その土壌すら作れない経営者たち。投資するものが不足しているというより、あっても投資する方向がまちがっていると断言してもいいのかもしれない。
 記事中の言を借りれば、「大手チェーンが潰れるくらいの衝撃がないとダメかも」ということになる。

 消費者に安全性を求める意識がないわけではない。そこをもっと顕在化させて、そこに応えていくことが信頼を得ていく道だと考える。カンタンに物事が改善することなど、もはやありえないところまで来ているように思う 
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進化する企業と、泥沼に沈む企業

2006-05-07 12:52:24 | 薬局経営
<経済気象台> 進化する企業経営  朝日新聞・夕刊 2005.7.28 より
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 わが国企業は、リストラや選択と集中を終え、事業の強化や海外市場の拡大といった成長フェーズに入った。こうした中、グローバルな企業間競争に激しくもまれて、企業経営が急速に進化している。

 100年以上にわたって世界のトップ企業の座を維持している米国GE、この15年間に急成長し、トヨタ自動車に匹敵する1兆円以上の純利益をあげた韓国サムスン電子など、厳しいグローバル競争に勝ち抜き、成長し続ける企業には、際立った特徴がある。

 第一は、企業のトップが高い経営ビジョンを掲げ、自ら行動し、従業員の士気を高め、人材育成に努めている。

 第二に、優れた技術開発力、経営力で高収益分野を開拓し続けるGEや、特定分野に集中投資し、かつ高品質、高技術を確保して他者を引き離すサムスン電子などは、将来を生き抜く明確な事業戦略を持っている。

 第三に、トレンドを見据えた効率的な技術開発戦略と、事業を守り、発展させる知財戦略がある。また、開発・製造期間を短縮し、不良品を出さない生産システムを持っている。第四には、顧客を大切にする姿勢、成長し続ける世界市場をターゲットにしたグローバル戦略、優れた品質、デザイン、ブランドで顧客をひきつけるマーケティング戦略がある。第五には、経営ビジョンを実現させる組織力、変化を好み、変化をチャンスに変えるチャレンジ精神、常に成長し、進化し続ける企業文化を維持・発展させる能力があることである。

 厳しいグローバル競争を生き抜く企業は、今後もこれらの経営力、生産力、技術・知財力、販売力、組織力を極限まで高めていくことになるだろう。もちろん、わが国の成長し続ける優良企業も、これらの能力を持っている。今後は、これらの能力を高める企業が生き残り、戦略を誤った企業、これらの能力を失った企業が競争から脱落することになる。
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 まさにその通りだと思う。国際的な企業でなくても、国内企業や地場産業であろうと、基本的な考え方は共通するだろう。昨今話題にされている企業格差は、これらの総合力によって生まれてきたものだろうか。
 中途半端に「負け組み」になっている企業は、悪あがきであるかのように、その路線に固執したり、さらにこれまでの路線にワをかけたように強化しようとしているところもある。この経営観は、どこから来るのだろうか。
 行き詰まりは見えているのに、それを認めないところがその原因の一つである。そうなってしまった原因は、これまでの経営判断の誤りの集積であり、路線変更は自分たちの非力を認めることにもなり、引くに引けない、ということなのだろうか。
 また過去にこだわり、それもバブル期のやりかたや経験、事例を成功例として、今にそぐわないにもかかわらず、踏襲しようとしていることも原因だろう。だいたい、バブル期には追い風に乗っていただけで、そもそもその時期に大事なことを貯えてこなかったのであって、不況や苦境に立たされて、乗り切る体力、知力が備わっていないのだ。
 こだわるのは、自分たちの地位もある。もはや裸の王様に過ぎないのであるが、一線にとどまることに固執する。アホでも王様を心から崇拝する輩もいる。おかしなことに対して、おかしいといえない文化が生まれてしまう。

 そういう企業は、もっと早く潰れないだろうか。経営陣のリストラに発展しないのか。取締役会で自らを律し、正すようなことなど、無能な経営陣には望めない。外圧しかないのか。自浄能力など期待できなければ、自爆しかないのか。おかしなことを認めざるをえず、責任を取らざるをえず、組織から消え去る道をつくる方法ややりかたは、ないものだろうか 
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薬局はまだまだ甘えている

2006-05-05 13:29:57 | 薬局経営
『鈴木敏文 商売の原点』 緒方知行・編 講談社+α文庫 590円+税

 門前薬局と面分業、昔から同業者の中で対比させられて、ときに悪と正義のような言われ方さえしてきた。しかし、これに自分は常々反論してきた。自分が門前にいたからではないつもりだ。無理矢理、自分を正当化しようと、それが目的でもない。門前かどうかだなんて、単に物理的な距離だけのことで、立地的な利便性の問題だと思うからだ。立地で薬局が選ばれているのは、そこの薬局が優れていることとは無関係だと思うからだ。

 門前であることによって、楽して集客することができた。医薬分業の追い風の中、労せずして処方せんが舞い込み、その量が質を育ててきた一面はある。量があるがゆえに、薬価差益も多少、多めに得ることができた。カゼが流行り、花粉が舞えば、神風が吹いたかのようにさらに好景気に拍車をかけた。

 門前が潤ったのは、経済誘導の波に乗せられていただけであり、本質的には自助努力によってそうなったか、というと必ずしもそうではない。追い風の影響で忙しかったり、否応なく苦労させられた側面もある。そのがんばりは認めないわけじゃない。しかし、けっして自分たちの力だけでそうなっているのではない、自分たちの力があるとしたら、いったいどの程度の力でしかないのか、そういう客観的な目で見ていることが必要だったと思う。門前の繁栄の大半は、自分たちの努力が支えてきた、とするのは過信ではないか。

 門前であるからこそ、努力を怠ってきた、小手先のことでお茶を濁してきた、本来は不十分であるにもかかわらず、利用者にガマンを強いて、それが許されていた。患者さんが薬局に対してイチバンして欲しいことを後回しにして、狭義の調剤、薬の供給程度でよしとしてきた、患者さんの不満に気づかず、目が向かず、放置してきた・・・。

 面分業を自負する薬局も、その努力が不十分で、本当に患者さんをひきつけるほどのサービスが提供できていなかった。本当の努力なんて、そんな甘いレベルじゃないのだ。患者さんに評価されるレベルとは、あらかじめわかっているのではなくて、常に年々変化して、おおむね高度になる一方なのだろう。

 本書を読んで、改めて薬局のすべきことはまだまだ序の口なのだと思った。薬局はまだ保険に守られている。いつか薬局や薬剤師が見捨てられないうちに、ありかたや行動を見直していく必要性を感じさせられた 
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