何かをすれば何かが変わる

すぐに結論なんて出なくていい、でも考え続ける。流され続けていくのではなくて。
そして行動を起こし、何かを生み出す。

規則や習慣を強いる状態が意味するものは

2006-12-29 20:57:55 | 思いつくまま
 ピラミッド型組織では人は無能になるために昇進を続ける、という『ピーターの法則』(ローレンス・J・ピーター、レイモンド・ハル著、渡辺伸也訳、ダイヤモンド社)がある。能力があるから上のポストに就けるわけだが、しだいに能力に余裕がなくなる。最終的には、能力的に職務を満足にこなせない段階のポストに至って落ち着く。したがって、全員が無能のレベルで組織は均衡する、という皮肉な結論である。

 ピーターの法則について、少し調べてみたところ、以前から言われていたもののようである。この年になって知った自分がいかに遅れていたか、ということである。

 しかし、無能者ばかりで構成する組織がなぜ存続できるのか。そればかりでなく、社会はなぜ崩壊しないのか。そんな疑問をイタリア人のジャーナリスト、ピーノ・アプリーレが提起している(『愚か者ほど出世する』泉典子訳、中央公論社)。なるほどと思う。アプリーレは、階級社会の組織は「知性」を必要とせず、人間に「規則と習慣」を強いるという。批判精神や好奇心などを持たない「バカ者」のほうが組織に馴染む。つまり管理されやすい、あるいは管理におとなしく従う人のほうが、組織にとって好都合なのだ。

 言われてみると、身の回りに規則だの、規程だの、ルールだのと、そういうことばかりに躍起になっていることはないだろうか。思い当たるフシが少なからずあるかと思う。こういうことが横行するのは、本来の能力に欠けている者が集まり、もはや生産性に乏しい状態を意味しているのだろうか。

 ピーターの法則でいう“無能者”で埋め尽くされると、規則と習慣による「統制」が始まる。このような風土がさらに次の次元に進むとしたら、どういうふうに変わっていくのだろうか。“正常化”することはないのだろうか。

引用(出典):中村邦夫「幸之助神話を壊した男」(森一夫・著、日経ビジネス人文庫、p.173-4、2006)
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「幸之助神話」を壊した男

2006-12-29 17:33:34 | Book Reviews
 中村邦夫「幸之助神話」を壊した男(森一夫・著、日経ビジネス人文庫) より

p.60 松下電器は、皮肉にも豊かさが実現した途端、徐々に迷走しはじめる。松下は理念も経営体制も、ハングリー時代の企業だったのである。商品が市場にあふれると、「生産に次ぐ生産」だけでは収穫は逓減する。「豊かさ」の先に、何を提供すべきなのか、それにはどのような経営が必要なのか、新しい勝利の方程式を創り出さなければならない時代を迎えて、従来の成功要因が足かせに変わった。

 医薬分業が追い風の時代はとっくに終焉している。そうなる前からその後のことを睨んで質向上への転換を図ってこなければならなかった。それがいまだに出店やM&Aによる売上げ拡大をしているというのは、無策をさらけ出しているようなものだ。

p.81-2 自分の事業部の利益にならないものなど、利益率を下げそうなビジネスには自然に手を出さなくなる。そこそこ利益が見込めるものに飛びつく。だから、他社が成功したものに追随する。いわゆる「マネシタ電器」と揶揄された点だ。他の事業部と同じ商品を奪い合う。すべて守りの姿勢から出ている。

 新たな提案は、当然投資も必要だし、やりながら修正を加えていき、練れたものにしていかなければならない。リスクはつきものだ。しかし、少ない投資で大きな効果ばかりを期待する発想(これこそ守りの姿勢)からは、投資をさける結論に持っていこうと、否定的な見解ばかり出てくる。その提案の先の効果や価値が判断できないことにも由来する。

p.135 幸之助の著書『企業の社会的責任とは何か?』(PHP研究所)に、「まず基本として考えなくてはならないのは、企業は社会の公器であるということです。つまり個人のものではない、社会のものだと思うのです」とある。これは経営者に、自己を厳しく律する倫理感を求めることを意味する。公私混同、私物化は許されない。社会から預かっている資金、設備などの経営資源を最も効率的に活用して、社会のために事業活動をしなければならない。
 では何のために行うのか。社会のニーズに応えて有用な財を供給し、顧客の満足度を高めることによって初めて、企業は存在理由を確立でき、結果的に利益をあげられるという論理である。

 企業が利益、収益をあげるとはどういうことか。自分たちに課せられた責務を果たし、価値を提供することで、社会に存在意義が生まれ、結果として利益に結びつくという、まさに売上げ、利益という前に、自分たちのすべきことを行い、それが理解、評価されることが先決というわけだ。

 松下電器もパナソニックとして生まれ変わろうとしている。松下幸之助の思想すべてが永遠だと、今の時代に合うこともないだろうし、だからといって非難されるものではないだろう。今の時代も、また業種が違っても当てはまる本質的なものもあるだろうと思う 
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チェーン薬局の進むべき道

2006-12-28 12:18:02 | 薬局経営
 医薬分業もここ10数年で急速に伸びた。当初は、処方せんを院外に出すうえで、多少のことには目を瞑りつつ(目に余る行為にまで黙認していたわけではないが)、50%超となった。その追い風の中、薬局は「出せば儲かる」バブル時代に生まれたのがチェーン薬局である。いまや薬局も量から質の時代になったとはいえ、既得権のごとく、医療機関前に陣取っている。

 チェーン薬局といっても、その定義は難しい。
・同一経営者が複数店舗を持っていれば、チェーンなのか。
・店舗の数によるのか。
・店舗のあるエリアの広さによるのか(複数の都道府県にまたがっていることか)。
・店名が同じで「●●薬局××店」といったふうに、本店・支店化されたネーミングであればそうなのか。
・株式上場していれば、チェーンなのか。

 ものには程度というものがあるから、店舗数が2~3店舗なら、ただちにチェーンとは言い難いが、数十(十数?)もあれば立派にチェーンだろう。また隣接県程度の展開であればまだしも、(必ずしも47都道府県を制していなくても)全国的であれば、そう呼ばれるだろう。

 チェーン薬局かどうかの線引きをしたいわけではないが、決定的ではないかと思われる視点がある。店舗拡大指向、利益追求型経営かどうか、というものだ。歴史的に分業バブルの波の中、急成長をしたというのは、こういうことが土台にある。
 こういう薬局は、薬局が利益追求のための「道具」とされている。だから、そこで働くスタッフも、牛馬とまでいかなくても、ネジか駒扱いであることが多い。日頃の中心課題や価値判断、経営判断は、国民の健康や、薬局の評価、薬剤師の力量アップではなく、損益・収益だ。

 だから社会の中で薬局を育て、薬剤師の地位向上を図り・・・、そういう思いで長年がんばってきた薬局とは波長が合わない。経営者同士がすれ違っているだけならいいが、勤務者までもが所属組織のレッテルで判断されて、脇へ追いやられてしまう。まったく迷惑な話だ。勤めていれば、流されてしまう部分もあるだろうが、見据える中身で考えてほしいと思う。

 新年、新時代を迎えるにあたり、チェーン薬局と言われる中で、そういった路線から脱却して、ニュー“チェーン薬局”に方向転換するところはないのだろうか。医療提供施設として、薬局機能を重視して、患者志向・買い手志向・顧客重視で、社会の中で医療従事者としての責務をまっとうしようとするトップ(あえて“経営者”とは言わない)はいないのか。

 医療法改正が行われ、来年度から実施される。パラダイム・シフトにも近い、体質転換が求められている。(国民からの)社会的信用も、(6年制に移行する時代の)優秀な人材確保も、そういった体質がもたらす価値によって得られるだろう。さらに得られる経済的部分もすべて、薬局が社会のニーズに応え、専門家としての活躍の場を求めるニューフェイスに理解されてこそ支えられ、確立していくのではないだろうか。

 周囲からチェーン薬局と呼ばれてしまうのは、成り行き上、仕方がない。しかし、いわゆる“チェーン”とは異質の、本質追求型・価値提供型組織へ、どこの既存チェーンが真っ先に生まれ変わることができるか。その一番手として評価を得ることができるか、追随・後追いでその真似をしているような扱いに甘んじるのか。そこには大きな課題が横たわっているとはいえ、輝かしい席がぽっかりと空いているように思われる 
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薬の回収は国民の一大事

2006-12-26 08:46:03 | くすり雑感
成分不足の睡眠導入剤「ハルシオン」自主回収を開始(読売新聞) - goo ニュース

 ハルシオン0.125mg錠が回収となった。昨夕プレスリリースされたが、医療機関には22日夕刻に伝えられていた。このお知らせは「お得意様各位」であり、「先生方には多大なご迷惑とお手数をおかけして」となっている。「患者様各位」ではない。国民に向けた報道の後、医療現場で直接の混乱を受け止めてもらわねばならないので、それに先立ち伝えられたのだろう。本来謝罪すべきは服用する消費者だろうから、医療機関向けの案内とはいえ、国民への謝罪の言葉も含まれていて欲しかったと思う。

 一般紙等への報道がされても、それを知った人と知らずに過ぎてしまう人がいる。薬局では、この両者に対して対応が必要だ。

 それを知った人は、自分の飲んでいる薬がまさにそれに該当すると知って、驚くだろう。そこで知りたいことは次の3点。
・回収の理由など、その詳細。
・既に飲んでしまったが、大丈夫か。
・今後、どうすればよいのか。

 “薬”のことだから、わかりやすく知りたい。ひょっとしたら患者さんの中には、その不具合(後述)を薄々感じていた人がいるかもしれないのである。

 それを知らずに過ぎてしまう人は、次回受診時になって初めてそれを知ることになる。それまで知らずにおり、遅ればせながら知って、同様のことを知りたいと思う。
 報道を見た人と違うのは、飲みきる途中で知らなかったのだから、とくに体調への不安が強いだろうということ。また今の体調という「結果」に関係なく、もっと早く知ることはできなかったか(なぜわかった時点で教えてくれなかったのか)と思うであろうこと。そして今後他の薬に対し、それ以上にその医療機関・医療従事者に対し、信頼を寄せていいものかどうか、疑問や不安を抱くのではないかと思う。

 医療機関や、とくに保険薬局ではそれを調剤し、投薬した人に、報道を知っている・いないにかかわらず、すぐ連絡をとって、すみやかに状況説明をすべきだ。

 ハルシオン0.125mg錠を例にとれば、11月中に投薬した人は、頓用を除いて、理屈の上では既に服用が済んでいるから既に手元に残薬はないはずである。12月に入ってから投薬した人をリストアップし、「今回の回収連絡を受け、お知らせしたのですが」と切り出し、情報提供すべきだと考える。

 回収理由は、錠剤の溶出性が基準以下の製剤が含まれている可能性があるということである。不純物等が含まれていることが見つかった、というものではない。起こりうる可能性のある不都合としては、飲んでも溶解するまでに通常以上の時間がかかり、寝つきまでに時間を要する、ということである。放っておいてただちに生命に危険があるといった、副作用的な健康被害が見られるものではないのは幸いなことで、“当面の”安心を伝える必要があろう。

 今後どのようなことを考えておかねばならないかの説明は、“今後の”安心を伝えるうえで患者さんにとって欠かすことのできない関心事である。

 我々薬剤師だって、まず製品の復旧のメドが知りたい。ハルシオン0.125mg錠の販売再開には、半年以上かかる見込みという(これはメーカーからの「お知らせ文書」では不明、電話して知ることができた)。

 そこで、考えられる代替策は、次の3通り。
●同成分0.125mg含有の錠剤なら、後発医薬品の使用を考慮する
●銘柄にこだわるなら、0.25mg錠の半錠処方を考慮する
●同成分でなくてもいいのなら、他の眠剤の使用を考慮する(超短時間型なら、アモバン、マイスリー、短時間型なら、レンドルミン、リスミー、ロラメット・エバミール、等)

 注意すべきは、手持ちの0.125mg錠を持ち込まれても、薬局で交換してあげられないことだ。全ロットが回収なので、交換すべきものがない。またどの方法をとっても、いずれも他の処方になるので、受診(処方せん再発行)を必要とするからである。

 回収になったとはいえ、これまで大きな不都合がなければ、今まで通り、手持ちの0.125mg錠を使い続けるのも一法だ。しかし時間の問題でそれもなくなる。その時に、これらが検討されることになる。一部の患者さんでは、精神的にどうしても本剤でないとダメという人がいるので、最善の代替策を選ぶ・試すことになろう。

 薬局では、代替薬の確保にてんてこまいかもしれない。しかしそれは来局者に対してだけであって、既に渡した患者さんに対し、適切な情報提供を是非してあげてほしいと思う 
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薬剤師が行う「慎重投与」とは

2006-12-20 10:27:18 | くすり雑感
 医薬品の添付文書には、行ってはならないという「禁忌」と、必要な場合には注意して服薬をという「慎重投与」とがある。
 医者であれば、患者の諸状況をもとに総合的に判断し、細心の注意を計り、そのうえで処方する、という一連の過程がなされていれば「慎重」に医業が行われていると理解されるだろう。慎重姿勢があって処方に至るのであるが、ときに、処方されていればそれはすべて慎重に行われているという、その逆も真であるという意見には、ただちに同調できないが・・・。

 ところで、その処方せんが薬局に持ち込まれて、薬を扱うのは薬局であり、薬剤師である。そこでの「慎重投与」というのは、どのようなことを指すのだろうか。薬剤師という薬の専門家の手を経て患者さんに渡されるのであるから、薬剤師は処方せんを鑑査する役割があり、必要なことは疑義照会する義務を負うのだから、「慎重投与」というのは医師だけに求められているものではなく、薬剤師にも係るものだと考えてよいだろう。さらには、他の医療従事者においても

 医療側が慎重に投与するのであれば、患者側は“投与され”なければならない。その薬が慎重に扱われなければ、危険な状況に陥る恐れがあるということである。誰に危険が及ぶおそれがあるかといえば、患者。

 つまり患者の危険(副作用、相互作用、等)を未然に回避すべきにあたり、どうしても使ってみないとわからない場合は、もし異状があれば早期に対応し、被害を最小限に食い留め、ということが行われるよう、そのためにとられるアクションが薬剤師のとるべき「慎重投与」のありかたではないか、と考える。

 具体的には、
(1)その薬の使用に際し、どのような危険に合うおそれがあるかを、説明(情報伝達)する〔情報伝達〕
(2)現在、既に疑わしい症状があるか、または危険発生が危惧される状況にあるか、を確認して、それらがあれば服薬(継続使用)について疑義照会する〔疑義照会〕
(3)今はその危険がなくても、今後、疑わしい症状が出るようであれば、患者がすみやかに適切な行動をがとれるよう指導する(通常、服用を中止して、ただちに受診する)〔服薬指導〕
(4)今はその危険発生が危惧される状況に置かれていなくても、その後状況が変わってそういう状況に置かれているかどうか確認する〔経過観察〕

 このようなことではないだろうか。

 そうであれば、初めてその薬を投薬するときはもちろん、その後のアフターケアを含めて、日頃の活動のスタンスそのものが「慎重投与」をベースにしているかどうかのようだ。ひいては薬局の活動の基本方針が、患者志向であり、国民の健康の維持・向上という公益に寄与する立場にいることとされていることが重要ではないかと考える 
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すべきではないことを命じられたとき

2006-12-19 09:59:43 | 思いつくまま
 司法改革タウンミーティングで「やらせ」に関する準備文書が見つかったのだが・・・
 司法制度改革TMで「やらせ」準備文書(朝日新聞) - goo ニュース

 「関係者受付」を通り、一般席に紛れた「指定席」に着席。その隣には「同行者」が付き添う――。裁判員制度などを語る司法制度改革タウンミーティング(TM)で事前に質問を振り付ける「やらせ」があった問題で、質問を依頼した人への対応を示した準備文書が明らかになった。法務省などが「官製討論」を演出した実態が浮かぶ。
---中略---
 「限られた時間で制度を周知したいと、国民の疑問点の最大公約数を想定したQアンドAを作った。役人の仕事を全うしただけ」と法務省幹部。「罪の意識は、ない

 組織の指示に従って従順に仕事をした、とでもいいたいのだろうか。しかし、やらせが何を意味するのか、国が世論を操作するということに、罪の意識すらないというのだから、通常の業務として行ったのだろう。

 こういうことが平気で行われてしまうのは、何を目的としているのか、どのような使命を負っているのか、そこが違うから、発想にズレが生じ、アクションまで違ってきてしまうのではないか。(参考:『プロフェッショナル原論』波頭亮・著、ちくま新書、p.64

 事件が起こると、あの会社はワルイ会社だなぁ、と言う。そこに勤めていただけで、悪人のように思われてしまうことがある。しかし、事件を起こしたのは上層部や関係者などその一角にすぎず、マジメに働いている多くの社員は・・・、などという言われ方もする。

 判断や決断を行う立場にいる者の倫理性、責任は重大だ。ある一人の個人が決済したといっても、そこに至るまでに相談することも、参考意見を聞くこともあろう。逆に言えば、相談されたり、意見を求められたりする立場の者がいうわけで、彼らの機能は重大である。チェック機能が明文化されて与えられていることは少ないかもしれないが、その見解が将来、天と地ほどの差をもたらしてしまうのだから。

 往々にして耳障りのいい意見しか聞こうとしない者もいる。関係者に相談すると言っても、自分の意見を正当化して欲しいだけかもしれない。そういうケースが多いのではないか。異論をはさもうものなら、後々のことを恐れて何も言えなくなっている。異論を述べることこそ、役割であろうに。

 形はともかく、実質ワンマン経営を行っている経営者の周りでは、本来、取締役が本質を見失わないよう、その役目を持つのだろう。それこそ「補佐する」ことだと思うが、社長の言には逆らわずに、言うがままに従うことだと勘違いしている向きがないか。

 結局、社長に意見を言うなど許されないという文化が出来て、さらに上司が何を言おうと絶対だ、という雰囲気が生まれて、組織内は萎縮し、顔色を伺い、斬新な提案すら慎重にならざるをえない。タイミングを逸すれば、せっかくのチャンスを逃すことにもつながる。その損失のいかに大きいことか。

 権力者は自分の周りをそういうイエスマンで固め、一見、民主主義であるかのように採決をするが、既に反対意見を出しにくくなっているのだから、内実は独裁的かもしれない。結果として組織は迷走、暴走していく。

 「やらせ」が大ブーイングを浴びる中、会議でも根回しをして結論をある方向に導くなんて珍しくないかもしれない。そういった異論を排除する構造を崩していくのには、たいへんなエネルギーがいるようだ 
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とりあえず応援してみたい>そのまんま東

2006-12-15 19:32:34 | 思いつくまま
そのまんま東氏 「私も宮崎も再出発」 出直し知事選立候補を表明(西日本新聞) - goo ニュース

 同氏が出馬を決断したのは、前知事が逮捕された2日後の今月10日という。会見で「旧態依然のしがらみのある県政を断ち切る。新しい風を入れて県政を浄化する」と訴えた。8年前の風俗店での不祥事について質問されると「過ちを反省材料にして再チャレンジする姿勢を、教育現場に反映させたい」と切り返し、「新しいクリーンな宮崎にすることと、私がやってきた(不祥事後の)プロセスとは重なる部分があると思う」と述べた。

 県議会や現職政治家や議員、関係者にすればナメられているように思われるかもしれない。ハナから、箸にも棒にも引っ掛からない、相手にするほうがおかしい相手のように思っているだろう。政治の世界には、実績らしいものがない。シュワルツネッガーが知事になったような土壌が宮崎県にあるのだろうか。

 当の本人にしてみれば、揺れに揺れ、迷いに迷い、決断したのだろうが、宣言した今でもときどき自問自答する瞬間があるのではないかと思う。

 お笑いタレントのイメージ払拭(ふっしょく)については「信じられないかもしれないが、根は結構まじめ」と照れ笑いし「そのまんまの東を見てもらいたい」と強調。選挙応援にも、有名人を呼ぶ考えはないという。

 いつぞや自ら起こした不祥事のイメージは、そうカンタンに受け入れられないことは本人も承知していると思う。その後、TVからも遠ざかり、早稲田大学で勉強し直し、けっして若いとはいえない(政治家としては若いが)年令で、新たな挑戦をするという。多くの有権者が半信半疑かもしれない。それでも、いわば「敗者復活」を賭けたような、これでダメなら落ちるところまで落ちるのも覚悟といったような行動に、ちょっと応援してみたい気がする。

 どういったビジョンを持ち、公約していくのか、それによって落胆するかもしれない。やっぱり無理だよなぁ、とか、所詮芸能人なんて・・・、と言われるのは覚悟の上の出馬だろう。マイナスからの、逆風下での、ハンディを抱えたうえでの挑戦。そういう勇気ある行動に対し、斜に構えてここでコメントしているような人間がとやかく言うのは失礼かもしれない。そのこともあって、とりあえず応援する側にまわり、注目していきたい 
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問題はプロセス

2006-12-14 08:56:28 | よくわからないこと
 三菱自動車のタイヤ脱落事故による裁判で、三菱自動車および関係者がいずれも無罪という判決に、不可思議な思いを持った人は少なくないだろう。不具合は報告していたが、真実を隠蔽し、虚偽の報告をしていたということは、しなきゃいけないという意識はあったが、隠そう・ごまかそうという犯意があったということだ。それを認定しても、裁判の争点、判断基準は別にあって、そちらの観点で判決を出したということなのだろうか。

 今朝(2006.12.14)の朝日新聞に、元・三菱自動車の営業マンの思いが載っており、「裁判で勝った・負けたじゃない、問題はプロセスです」という言葉に、胸が詰まった。給料激減、離婚、辞職を経て、今回の判決をどのように聞いたのだろう。生活が物質的にはどんどん豊かになっていくのに、つらい思いをしてこの元営業マンは生きていかねばならないのだ。

 何のプロセスなのか。判決に至るまでに公判で検討されたプロセスの中に意味があるというのか、自動車販売を通じて社会に価値を提供していくという、会社の姿勢、体質が問われることが重要だというのだろうか。

 リコール隠しをしたが、企業風土は明らかになってきた。いまだに警察と検察には猛省を求めている被告だから、いったい何が問われているか、“意識不明の重体”だと思う。三菱グループ全体をあげて、会社は存続した。しかし亡くなられた家族は戻ってこない。三菱グループも、守る相手、手をさしのべる相手を見誤っていないだろうか 
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ルールを越えて国民の声に応える

2006-12-06 22:30:34 | いいものはいい
 NHK-TVによると、緑茶飲料において原産地表示されているものとそうでないものがあり、表示されるようになるのだという。ところが野菜サラダに見る原産地表示の実態はというと、容器に対してキャベツとレタスが50%ずつだと表示しなければならないが、これにドレッシングがかかると表示しなくてもよいのが現行法なのだという。

 キャベツ40%+レタス30%+トマト30%の場合も不要、当然、ミックスサラダであれば見た目もよくて、栄養バランスも良さそうに見えるのだが、原産地表示は不要なのだという。

 消費者は、こういう食の安全が問われるご時世もあって、すべての素材に対して原産地表示がなされていることを歓迎する。表示のあるものを選択して買う者すらいる。

 加工食品の表示基準というものについて、詳細は知らないが、そういう実例で解説されると矛盾だらけの、意味の薄いルールだと思われる。いったい何のための原産地表示なのだろうか。

 そういう声に応えて、店側で自主的に表示をするところも出てきているようだ。とかく規則遵守を逆手にとって「ルール違反でないからしない」という風潮が強い。決められた通りにやっているとまで開き直られることすらある。

 一方、ルールはルール。ルールが国民の意図するところに沿えないのであれば、国民の声に耳を傾け自主基準を設け、実施していこうとする人たちもいる。こういう文化こそ、大事にしたいものだ。安ければいい、口に入れば(何でも)いい、そういう考えの消費者もいるだろうが、それでは自分の健康も守れないし、周りもそれに巻き込んでしまう。

 自主的にすればいいのだから、法律は変えないで、店側の自主規制に任せる・・・、そうではないだろうと思う。前向きな取り組みが広まって法律の矛盾も解消され、事態が改善されていって欲しいと思う。スーパーマーケットに行ったのなら、自ら安全な食品を選択することから始めていこうと思う 
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宅配便の顧客満足度

2006-12-05 14:55:34 | いいものはいい
ヤマト運輸が4年連続トップ、宅配便サービスの顧客満足度

 J.D. パワー アジア・パシフィックが12月4日に発表した宅配便の顧客満足度調査の結果によると、「ヤマト運輸」のサービスが最も高い総合評価を獲得し、4年連続でトップとなった。
 ヤマト運輸は、「料金」以外のすべての項目で最高の評価を得た。特に「配達員」「配達業務の確かさ」といった受け取りに関する評価が高く、総合評価を押し上げた。
 ヤマト運輸の後には、「佐川急便」「郵政公社」「日本通運」と続いた。佐川急便は「料金」について、ヤマト運輸を上回る評価を得た。また郵政公社は「配達業務の確かさ」で、佐川急便と日本通運を上回った。

 本件は、J.D.Powerによるプレスリリースによる。
 1000点満点において、ヤマト運輸644ポイント、佐川急便602ポイント、郵政公社597ポイント、日本通運596ポイントだから、たいした差がないようにもみえるが、他3社はいわばどんぐりの背比べ状態のようにも見えるが、グラフで見てみると、クロネコヤマトが、飛脚、ゆうぱっく、ペリカン便と水を開けている様子がわかる。

 なかでも、「配達員」「配達業務の確かさ」といった、人でなくてはできない部分に評価を得たことが評価されると思われる。値段の安さや機能もサービスではあるが、そういったいわば物理的な側面はその気になればどうにでもできるものである。
 しかし、人を介しての部分は、相当教育を行い、社内文化が育まれなくては達成できないものであり、この業界では「1日の長」がある証しともいえよう。

 日頃、道路ですれ違っても、佐川急便トラックの運転の荒さや、日通の事務所前の路上喫煙の凄さを見ても、この結果は納得のいくところがある。TVコマーシャルで見るように、幼稚園での交通安全教室にヤマトのトラックやスタッフが参加していることでも、社会貢献や安全確保の姿勢がわかるし、それがトラブルによる配達遅延の減少やイメージアップなどにもつながることとして、評価できると思う 
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改善を強要されているように思われているとしたら

2006-12-01 10:29:50 | ISO9001奥が深いか浅いのか
 先日、内部品質監査に携わる機会を得た。業務監査や検査、指導、粗探しのようなものではなく、一緒になって今後のより良い活動に向けて見直しをする協同作業の場だと説明して臨んだのだが・・・。

 確かにウィークポイントや危うい(怪しい)活動が見つかれば、何らかの改善指摘を残す。被監査部署にとって、それは無視して済ませることのできない課題でもあり、ただでさえ忙しくてノルマに追われているのに、あまり歓迎しない(しばしば迷惑な)置き土産のようでもある。

 もっと現実に突きつけられているものがある。それをこなすのに汲々としているのに(それすら、もはや改善指摘のひとつなのだが)、内部監査による指摘は優先性や重要性に乏しく、渋々やらされるものといった印象を計らずも与えてしまうようだ。

 ISO9001では、苦しみを与えようなどと少しも“計画”していない。むしろ内部監査が、被監査部署にとって前向きで、活き活きと、伸び伸びとしか活動ができて、パフォーマンスが向上するきっかけになればと、監査員自身も自分たちは味方だと思っているくらいではないだろうか。

 にもかかわらず、このギャップ! と言うか誤解と言うか・・・

 すぐにでも指摘を受けてアクションを起こせとは言わないが、なぜそのような改善指摘になったのか、
・その根拠や理由が十分説明できていないからだろうか
・理解が得られていないのだろうか
・改善“指摘”とは言うものの、その意図するところは改善“提案”であって批判や注意ではないことが伝わっていないからだろうか

 あれしろ、こうしろ、と指図してくるのは、よほどの事態でなければしたくないものだ。要点を押さえつつも、目的が果たせるよう、具体的なアクションは被監査部署自身が積極的に考えてもらえるよう、その勇気や元気を与えてあげられるように内部品質監査の腕前を磨いていかなければいけないのだろう、と思った 
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