広岡氏は、巨人OBでありながら、ヤクルトや西武で監督を務め、優勝を果たしている。その功績は大きいと思うが、一方、指導者としてイメージが良くない印象だ。理論は確かなのだろうが、どちらかというと「上司であってほしくない上司」に映る。選手には、指導内容に愛情が感じられないのだろうか。
〈要旨〉若い時は体力もあるから無理もきくが、基本を無視して無理を続けていれば、やがては無理が祟って代償が来る。「基本」とは何か。野球という専門的領域の技術における基本もあれば、それ以前の生活の基本というものもある。後で後悔しないよう、若いうちから基本を身につけておくべきである。 p.57
若いときだからこそ味わえるものがあるのではないか、という想い。それを諦めて、チャンスを見送って、人生がつまらなくなってしまうのではないか、という思いとの葛藤。そんな暗い、節制を重ねた生活の先にある、別の次元の楽しさ、輝きというものを思うことができない。
一時的にうまくいっても、基本に手を抜いていては安定的に力を発揮することは難しい。基本の修得は、継続的に力を発揮する対策ではないか。
〈要旨〉「優勝は無理としても、せめて3位くらいになれ」という、一見ものわかりがよく聞こえる意見。その程度で満足する選手を作ってしまっては、妥協が身についてしまう。選手が飛躍するには、優勝の喜びを経験することである。 p.205-6
一生懸命やっても、それが結果として出るかどうかは、自分の努力とは無関係の要因があって、運も左右するように思っているのか。自分一人だけではどうしようもない部分もある。本当の喜びを知っているといないとでは、そこに向かおうとする意識に雲泥の差が生じる。
患者さんに本当に喜んでもらった経験の乏しい人は、その患者が引き続いて来局してくれれば、とりあえずその程度の業務をしていればよいと思ってしまう。ちょっとした程度の喜ばれかたではなく、心から感謝された経験を持つと、しかもそういった事例をある一定の件数経験すると、「また今度も心から喜んでもらえると、自分もうれしい、やりがいもある、薬剤師をやっていて良かった」という気持ちになり、患者への係わりかたにおいて専門性を追求し、患者の生活やQOLを考慮したものへと、レベルアップしていくに違いない。
〈要旨〉最初は簡単な捕球練習から始める。イレギュラーなどない状態から「今度はそのボールが逃げると思って」と言うと、身構えて補給にあたろうとする選手。さらに、それまでとは全く異質のボールを転がすと、それを予想していなかった選手は当然取れない。しかし、不測のことが起きるのが試合であれば、それすら想定した構えをするようになる。何がくるかわからない状態を意識して練習を続けたときに、上達が始まる。 p.252-3
どんな処方が来るか、どんな生活状態、考え方の患者が来るかわからない、医者も処方にどのような微修正(処方変更)をかけてくるかわからない、そういった準備があるかどうかで、要点を見逃してしまうか、適切に対処できるか、変わってくるだろう。
“たぶん前回と同じだろう、前と同じように用意して渡せば一丁あがり”的な心構えでは、仮に処方変更があっても、誰もが気づくところに対処できても、それに気を取られて見逃してしまう部分もあれば、確認をし忘れたまま交付していることもあるだろう。
真正面に飛んでくる打球も、イレギュラーバウンドがあっても取るぞ、という意識の有無。ささいなことのようで、大きな差を生むように思われる。
※ページは、「勝者の方程式」による。
〈要旨〉若い時は体力もあるから無理もきくが、基本を無視して無理を続けていれば、やがては無理が祟って代償が来る。「基本」とは何か。野球という専門的領域の技術における基本もあれば、それ以前の生活の基本というものもある。後で後悔しないよう、若いうちから基本を身につけておくべきである。 p.57
若いときだからこそ味わえるものがあるのではないか、という想い。それを諦めて、チャンスを見送って、人生がつまらなくなってしまうのではないか、という思いとの葛藤。そんな暗い、節制を重ねた生活の先にある、別の次元の楽しさ、輝きというものを思うことができない。
一時的にうまくいっても、基本に手を抜いていては安定的に力を発揮することは難しい。基本の修得は、継続的に力を発揮する対策ではないか。
〈要旨〉「優勝は無理としても、せめて3位くらいになれ」という、一見ものわかりがよく聞こえる意見。その程度で満足する選手を作ってしまっては、妥協が身についてしまう。選手が飛躍するには、優勝の喜びを経験することである。 p.205-6
一生懸命やっても、それが結果として出るかどうかは、自分の努力とは無関係の要因があって、運も左右するように思っているのか。自分一人だけではどうしようもない部分もある。本当の喜びを知っているといないとでは、そこに向かおうとする意識に雲泥の差が生じる。
患者さんに本当に喜んでもらった経験の乏しい人は、その患者が引き続いて来局してくれれば、とりあえずその程度の業務をしていればよいと思ってしまう。ちょっとした程度の喜ばれかたではなく、心から感謝された経験を持つと、しかもそういった事例をある一定の件数経験すると、「また今度も心から喜んでもらえると、自分もうれしい、やりがいもある、薬剤師をやっていて良かった」という気持ちになり、患者への係わりかたにおいて専門性を追求し、患者の生活やQOLを考慮したものへと、レベルアップしていくに違いない。
〈要旨〉最初は簡単な捕球練習から始める。イレギュラーなどない状態から「今度はそのボールが逃げると思って」と言うと、身構えて補給にあたろうとする選手。さらに、それまでとは全く異質のボールを転がすと、それを予想していなかった選手は当然取れない。しかし、不測のことが起きるのが試合であれば、それすら想定した構えをするようになる。何がくるかわからない状態を意識して練習を続けたときに、上達が始まる。 p.252-3
どんな処方が来るか、どんな生活状態、考え方の患者が来るかわからない、医者も処方にどのような微修正(処方変更)をかけてくるかわからない、そういった準備があるかどうかで、要点を見逃してしまうか、適切に対処できるか、変わってくるだろう。
“たぶん前回と同じだろう、前と同じように用意して渡せば一丁あがり”的な心構えでは、仮に処方変更があっても、誰もが気づくところに対処できても、それに気を取られて見逃してしまう部分もあれば、確認をし忘れたまま交付していることもあるだろう。
真正面に飛んでくる打球も、イレギュラーバウンドがあっても取るぞ、という意識の有無。ささいなことのようで、大きな差を生むように思われる。
※ページは、「勝者の方程式」による。