何かをすれば何かが変わる

すぐに結論なんて出なくていい、でも考え続ける。流され続けていくのではなくて。
そして行動を起こし、何かを生み出す。

タミフルによる異常行動は少ないのか?

2007-02-28 20:14:41 | 薬害は人災だ
タミフル服用後また転落死 国、因果関係見極めへ 産経新聞 2007.2.28 より抜粋

 遺族らでつくる「薬害タミフル脳症被害者の会」(軒端晴彦代表)などによると、岐阜県で平成16年、17歳の少年が自宅から国道に飛び出し交通事故で死亡したケースや、17年に愛知県で14歳少年が、18年には沖縄県で12歳の少年が、それぞれマンションから転落死したケースなどで「副作用」が指摘されている。今月16日にも、愛知県蒲郡市でマンションから中学2年の女子生徒(14)が転落死した。

 この後、仙台で中2男子の転落死が報道されている。


タミフルと転落死 因果関係は未解明 毎日新聞 2007.2.28 より抜粋

 厚生労働省によると、タミフル服用後の異常行動死が最初に確認されたのは04年。インフルエンザ治療中の17歳の男性が服用後に自宅を飛び出し、トラックにひかれた。同省によると服用後に死亡したのは昨年10月までに54人。うち3人が転落など異常行動死で、残りは肺炎や肝機能障害などだった。16歳以下に限ると死亡は16人、異常行動死は2人だった。

 <タミフル服用後に転落などで死亡した主な例>
報告     年齢 性 経過
04年2月 17歳 男 服用2~3時間後、自宅を飛び出しトラックに飛び込む
05年2月 14歳 男 服用2時間後、自宅マンションから転落
06年7月 12歳 男 自宅マンションからの転落とみられ服用6時間後に発見
07年2月 14歳 女 愛知県蒲郡市の自宅マンションから転落死、服用していたとみられる
07年2月 14歳 男 服用から約7時間後に、仙台市の自宅マンションから転落
 (厚労省への報告などによる)


 子の他にも「薬害タミフル脳症被害者の会」で生の声を聞くと、実に多くの“経験者”(多くは親)が異常行動について告白している。
 主なものを挙げると、意味不明なことを言う、大声(奇声)をあげる、狂ったように強い力で暴れる、何かに怯えたように取り乱す、これまでに見たこともないような表情になる、酒に酔ったようにふらふら歩く、実際にないものが見えたり聞こえたりする、などである。

 15分程度で異常事態はおさまっているようだが、たまたま高層マンションに住んでいないから、また家族が気づいて必死に押さえたから新聞報道には至らなかっただけにすぎないかのようである。

 インフルエンザもせいぜい数日の出来事である。患者さん本人が元に戻れば、そのまま何事もなかったように受診せずにいるかもしれない。
 また受診しても、医師はそのエピソードを訴えられてもその場に居合わせたわけではなく、視認していない。血液等の検査値異常がでるわけではない。翌日の受診時が何事もなければ、「このまま何もみられなければいいでしょう」ということで、結局、副作用報告が十分なされないまま済んでしまっている事例が相当数あるのではないかと思われる。

 そういう患者さんが薬局に必ず再来したり相談したりすることは、必ずしも保証されていない。また自分が異常行動を起こしたことを、あえて公言しないことだってある。それでも知りえたのであれば、薬剤師は副作用報告(モニター報告)を是非しておきたいものだ 
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国の指示を待つのではなく動け

2007-02-27 20:12:48 | くすり雑感
タミフル服用 被害者の会「注意喚起を」 異常行動、国は因果関係に否定的
2月27日16時9分配信 産経新聞 より抜粋して転載

 インフルエンザ治療薬「タミフル」を服用後、異常な行動を起こして未成年者が死亡するケースが相次いでいる。16日にも愛知県蒲郡市でタミフルを服用したとみられる中学2年の女子生徒(14)が転落死している。タミフル薬の副作用との指摘もあるが、厚生労働省は因果関係に否定的だ。インフルエンザの流行時期を迎え、遺族らでつくる「薬害タミフル脳症被害者の会」は「因果関係が証明されていなくても、医師は投与の際に注意喚起をしてほしい。親は服用した子供から目を離さないで」と訴えている。

 厚労省研究班は昨年11月、約2800人を対象にした調査で「タミフル服用の有無によって異常行動などのあらわれ方に差はない」との結果を公表した。また、13年2月のタミフル発売以降、厚労省に報告された服用後の患者死亡54例(今年1月末現在)の中には、因果関係が認められるような異常行動のケースはなかった。

 タミフルの添付文書は16年5月、副作用の精神・神経症状の欄に「意識障害、異常行動」が追加されたが、販売元の中外製薬(東京)は「予防、警告的な意味」と説明。厚労省安全対策課も「現段階で異常行動だけを強調する必要性はない」としている。

 これに対し、薬害に詳しい医薬ビジランスセンター理事長の浜六郎医師は「研究班はデータの取り方に問題がある。服用直後に限定すれば、異常行動を起こす割合は約4倍になる」と指摘する。

 研究班は現在、服用からの経過時間を明確にした上で、新たに1万人を対象とする調査を実施している。「タミフルとの因果関係をしっかり見極めたい」と主任研究者の横田俊平・横浜市立大大学院教授。結果は秋にもまとまる予定だ。

 「処方の際、丁寧に説明してくれる医師もいれば、飲むか飲まないかを尋ねるだけの医師もいる」。被害者の会のメンバー、京都府の新井隆司さん(50)は厚労省の担当者に、医療現場の実情をこう伝えた。17年冬、中学3年の長男がタミフル服用後に自室で暴れ、かろうじて押さえ付けた経験を持ち、医療機関に対し、患者への十分な情報提供を求めている。


 異常行動に関する報告はこれまでもあったが、タミフルを服用していたとはいえ、必ずしもタミフルのせいとはいいきれない、といったあいまいな状態におかれている。数例程度でも厚労省安全性情報で取り上げられたりするのに、タミフルにだけはなぜか慎重すぎる扱いだ。疑いのレベルであってもその未然防止を図るのは、安全性を確保する原則ではなかったか。慎重になるべきは、患者さんへの投与に対してであって、疑いの濃さに対してではなかろう。

 国が注意喚起に腰が重かろうとも、もはや薬局で“自主的に”注意を促していってはどうだろうか。それは、
・報道の周知と、
・初期症状を伝えることと、
・防止のために取りうる行動
 だと考える。

 タミフルとの因果関係がどうあろうとも、転落死は事実である。疑いの程度にかかわらず、注意にこしたことはない。ただでさえ5日間しか服用しない薬だ。

 初期症状としては、意識がぼんやりする、うわごとを言ったり興奮したりする、普段と違う行動をする、けいれんを起こす、幻覚が見える だと言われている。そして、これは服用初日に多く発生すると言われている。これを単に「異常行動が見られたら」などとまとめたような言葉で言っても具体性に欠けるだろう。

 とりうる対応としては、一言でうえば「服用後2時間程度は、患者さんから目を離さないようにして」ということだろうが、これは案外難しいことは述べた。鍵をかけた部屋に閉じ込めておくこともできないし、何もしないで同じ部屋にいることも難しい。音がしたらすぐ駆けつける程度の状態ではありたい(それでどこまで防げるかは怪しいが)。また寝かせたまま外出することは避けたい(これも難しい人がいるかもしれない)。

 特効薬などと称されるくらい“いい薬”であるならば、適切に使うことによってその存在を確立することができるが、何も対策がとられなければ危険が放置されたままの状態になるので、やがて危険物はこの世から取り除かれる運命になってしまいかねない。

 タミフルをすごくいい薬だというつもりはない。他の薬と同じように、薬である以上、安全性に注意し、使うならば適切に使いたいだけである 
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ひと言が足りないがゆえの摩擦

2007-02-25 13:54:48 | 心に残ること
 昨日、娘がインフルエンザの疑いで受診した際に、確定診断のためと思われる、鼻の奥を綿棒で掻きとり、培養?する検査が行われた。15分ほど娘はベッドで横になって待っていたのだが、そこへ検査技師らしき人が紙を持ってやってきて、話し掛けてきた。

 何のためにいろいろ聞いてくるのかは、わからなかった。検査をする際の、患者の周辺の事情を把握したいのだろうか、それは病院として知っておきたいのか、どこかから密かに頼まれて行っているのか、いまだにわからない。カルテを見ればわかるだろうに、とも思うが。

 インタビュー目的の不透明さは置いておくとして、その際に「診察で聞かれたことと重複することを聞くかもしれないけど、教えてくれる?」といって切り出してきたのである。あらかじめそのように断りを入れられると、こちらも「さっき話したのに、また同じことを答えなきゃいけないの?」といった気持ちが薄れているから不思議だ。素人なら、インタビュー目的が何であるか気にせず、早く病院を後にすべく医療提供側の言われるがままに答えてしまうだろう。

 薬局の窓口でも、このフレーズは使えると思った。「医者に話してあるんだけど・・・」とか「そんなこと話さなきゃ薬をもらえないの?」などと口に出す人もいるし、“顔に書いてある”人もいる。そういう人には薬剤師が服薬指導・管理をすることの意味も説明しなければいけないが、それに加えて同様に重複して聞くこともある旨の了解を得るひと言は、不満を和らげるうえで有効な文句だなと、ちょっぴり感心した。

 患者が煩わしく思うでろう気持ちを理解していることを示しているし、そのうえで気遣いを見せていることになる。同じ会話をするにしても、お互いの距離感を緩和するのに、今後使ってみようと思った 
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タミフル処方時の同意と説明

2007-02-24 09:58:23 | くすり雑感
タミフルの副作用認定、被害者の会が厚労省に要望書 2月23日22時20分配信 読売新聞


 インフルエンザ治療薬「タミフル」服用後に異常行動をとって事故死するなどした子供の家族らで作る「薬害タミフル脳症被害者の会」などは23日、同薬剤と異常行動の因果関係を認めることなどを求めた要望書を厚生労働省に提出した。

 厚労省によると、昨年10月末現在、16歳以下でタミフル服用後に死亡したケースが16例報告されているが、同省では、因果関係については否定的にみている。被害者の会では、「因果関係がはっきりするまで放っておけば、その間に亡くなる人が増えてしまう」と訴えている。

 一昨日、娘が高熱で学校を早退し、頭痛や軽い嘔吐が見られ、昨日近隣の個人病院の小児科を受診した。受診時は37度台だったが、一時は39度超だったこともあり、A型かなと思っていた。しかし検査によりA型ではなく、B型だった。

 「残念ながらAは出ませんでした」という小児科医の説明があった。A型とばかり思っていた予想が外れたことを“残念ながら”と言ったのだろう。いずれにせよ「特効薬として使う薬は同じですから・・・」、タミフルのことだろう。

 「ただしこの薬については、いろいろ報道などもされているのですが、どうしますか?」という。たまたま自分はその報道などを知っているからいいようなものの、一般人に対する説明としては意味不明かもしれない。しかし、立派なインフォームドコンセントだと思った。

 「たぶん、飲むとしても帰宅後とせいぜいあともう1回程度でしょうから・・・」と告げる。本当はいっさい飲ませたくないのだが、1週間も寝ていられない状況もあって、ここは葛藤だ。自分なら、よほどのことがない限り、まず飲まないだろう。

 インフルエンザワクチンの接種状況を家族も含めて聞かれたが、その効果にも懐疑的なことまでは話さなかった。

 「(タミフルを)飲ませたら、2時間ほどは目を離さないでくださいね」、そう女医は言う。これは意外だった。ある意味、“うれしい”意外だった。

 薬局でもそう申し添えるようスタッフには伝えていることでもある。どうして目を離してはいけないのか、その説明は女医からはなかったが、その時点では親が薬剤師であって異常行動の報道などを知っている者だということがバレていたからだろう。これが薬局の窓口であれば、報道のことを知らせねばならない。しかも、冷静に、必要以上に不安を起こさないように。

 院内投薬(非分業)の個人病院の女医だったが、タミフル服用について同意を求めるところや、服用直後の異常行動防止の説明という、はじめての経験だった。

 苦渋?の選択といえば大げさだが、帰宅して1回分を飲ませた。目を離さないとはいうのは、言葉としてはわかりやすいが、その行動は案外難しい。家の構造上、寝室はただちに見えない位置にあるし、枕元にずっとついていることもできず、時折、寝ているところを覗くことしかできなかった 
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後発医薬品の使用促進に対して(3) 決まればあとは同じ

2007-02-23 23:47:57 | くすり雑感
 後発医薬品を使ってみようと、薬局の推奨するものでよいと最終的に決まるのは、そのジェネリックの説明を聞いた後であろう。そこでの説明は、新しい薬を使い始めるときとだいたい同じ説明をすればよい。

 日頃、処方変更や新規薬剤追加があると、
1)どの薬がそれであって(実物を見せて)
2)何という名の薬であって
3)どういう効果、作用、目的で使われる薬であって
4)服用上の(とくに開始初期の、また特筆すべき)注意事項は何で

 などが説明されるはずだ。

 後発品でも全く同じではないか。後発品だからといって、この部分で著しく説明に手間が必要になるということではない。
 むしろ3)は先発医薬品と同じということで、簡単に済ませることができるところだ。
 4)では、主成分由来の内容は3)同様だから、残されているのは使ってみないとわからない部分であり、体調変化があった際に早めに連絡をとれる体制を築いておけばよいのではないか。できれば、ここでは主治医の協力が得られるとなおよい。
 後発品ということであえて追加説明が必要だとすれば、変更によって自己負担がいくらくらい軽減されるか、ではないだろうか。

 よって、これらはそれほど後発医薬品への変更だからといって、それほど律速段階にはならないように思える。手間だと思えるとしたら、先発品を継続使用していたらこんな説明もいらないのに、改めてそれをしなきゃいけない、という思いか。

 先発品と後発品は「完全に」同じとはいえないまでも、かなりの部分で同じというスタンスで接するのか、まるで別物というスタンスで接するかによって大きく異なるだろう。 私は「全くの別物」というスタンスはとらない。
 その差異が極力少ないと思われるものを選択し、揃えることを避けて通っておきながら、別物のスタンスでいるのはあまり科学的な態度とはいえないのでhないかと考える。

 やってみなきゃわからないから、当たれば儲け物だから試してみましょう、ではない。症状が比較的軽症であるとか、安定しているとか、ジェネリック使用を勧めてもよさそうな条件を有する患者さんで、関心のある人であることが前提だ。
 そして、ここでもコンフリクト・マネジメントが重要だと思われる。薬局が保証する・すべての責任を持つということではなく、薬剤師と患者さんとで一緒になって取り組んでいきましょう、という共同作業での進めかただ 
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後発医薬品の使用促進に対して(2) 不安を解く説明

2007-02-22 18:03:00 | くすり雑感
 後発品の使用促進が進まない薬剤師サイドの要因として、説明不足が問われている。単純に言えば、投薬時に後発品についてきちんと説明をしなさい、ということになる。

 テレビCMのおかげで、ジェネリック医薬品という言葉や、薬代が安くなるという最低限のことはかなり浸透してきているように思う。そこで、後発医薬品とは何かの導入や説明はかなり省略できるとしたら、次の2段階のハードルが待っている。
・ジェネリック医薬品と先発医薬品のどちらを選択するか(後発医薬品を使ってみたいと思う気持ちはあるか)
・同成分でも、たくさんのメーカーからのジェネリック医薬品の中から、どれであれば安心して使えるか

 ジェネリックを試してみたい気持ちはあっても、「当薬局ではその先発品の場合、コレです」とばかり、品目が決まっていれば、患者さんはそれしかないと言われれば何もわからず従うしかなくなる。それでは納得して使用するにはほど遠い。

 その理由として、こういう観点で吟味して最も同等性に期待が持てそうだと思うものを用意させていただいた、と説明できることが重要だ。そこに薬剤師の専門性が発揮される場があり、必要性があり、安心を与えることができるのだと考える。
 吟味したことがわかる資料を見せながら説明すればわかりやすい。それを補完するのが後発品情報提供書である。

 たった1品目だけの比較表を示されて、それで同じだからと言われても、前述のように患者さんは「はぁ、そうですか」としか答えようがないだろう。
 単にその品目が同じならいいのではなく、同成分・同含量の多くの後発品の中から「自分も選択にかかわった」、「薬局側と一緒に考えた」ということが重要で、それがあるからジェネリックに対して不安が和らぎ(減る)、医療へ参加したことになる。

 後発医薬品の使用促進とは、代替におけるインフォームドコンセントである。一方的に説明して、これでいいですね、ではICになっているとは言い難い。そこは薬局に任せて・・・では、パターナリズムではないか。ICに足る説明が不安を解き、使用に踏み切らせるのではないかと考える 
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後発医薬品の使用促進に対し

2007-02-22 14:38:42 | 思いつくまま
 後発医薬品(ジェネリック医薬品)の使用促進について、厚労省は躍起になっている。現在、処方の6%弱と言われているが、とても満足のいく数字ではないらしい。その責任は、後発品使用可の処方せんを発行する医師よりも、薬剤師に向けられているように思われる。

 一言で「使用促進」というが、薬剤師の説明に問題がある(改善の余地がある)といわれている。後発医薬品を使用するかどうかは、薬剤師が一方的に決めるのではなく、患者さんと協議のうえ決まるものだから、そこで患者さんが使用に納得するよう薬剤師が説明しろ、というわけだ。選択だから、どちらにしてもいいようであるが、使用促進がつきつけられている以上、誘導しろと言われているようなものだ。

 しかし、薬剤師は何かと理由をつけて、できない、やらない(やろうとしない)、“できる範囲で”といった言い方で必要最小限にとどめている。やっていないわけではない、という言い訳を持ちながら、消極的と言われても仕方のない状態である。

 忙しさのせい、購入費用のせい、手間増加のせい、同等性への疑問、・・・要は面倒だし、抵抗感があるのではないか。しかし、一方で経営難があり、欲しいものは欲しい、現状に満足しているわけではないがあまり活動を変えたくないといった、“虫の良さ”というか、汗もかかずに求めている状態のように見える。

 後発品に取り組んでも、苦労ばかり多くて、益(少)ないと思っているのではないか。患者さんは喜ぶかもしれないが、2点+10点(これは一時的)のフィー程度では、薬価差益減少や説明の手間増加、待ち時間増加などで、総合的にワリに合わないと思っているのではないだろうか。

 薬局の金銭的収益がなきゃやらないのというのは、薬局の活動が、医療行動ではなく、経済活動の上にのっているということのようにもみえる。そうなのか?

 患者さんとの間で、ジェネリックへの移行を取り組むべき共通課題(プロブレムでもよい)として、医療レベルを低下させずに自己負担金の減額を図るという目標を掲げて、行動することができないのだろうか。そこに、薬剤師として楽しさややりがいを感じることはないのか。患者さんの喜びが、薬剤師の喜びにもならないようでは、薬局は経済活動の手段に閉じ込められているのだろう。

 患者さんが喜んでくれれば、薬剤師として明日への励みになる。疲れも和らぐ、少しは薬剤師をやっていて、社会に貢献できたかな、と思う瞬間が得られるように思う(続く) 
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安全の値段

2007-02-22 09:27:41 | JR西に学べ
 大阪で死傷事故の「あずみ野観光バス」を家宅捜索  信濃毎日新聞 2007.2.19 より

 大阪府吹田市津雲台の府道(大阪中央環状線)で18日早朝に起きた観光バスの衝突事故で、吹田署は19日中に観光バスを運行した「あずみ野観光バス」(北安曇郡松川村)の家宅捜索に入る。大町労働基準監督署(大町市)も同日中に立ち入り調査をする方針だ。

 事故当時、バスには運転していた小池勇輝運転手(21)=安曇野市=のほかに、運転手の交代要員が乗車しておらず、同署は交代要員の配置など過労防止策を定めた国の省令などに違可する能性もあるとみて、運行計画などを調べる見込み。

 あずみ野観光バスのスキーバス事故で、21歳の若い運転手、その弟16歳が添乗員でとなって営業が行われていることに、多くの者が驚かされたと思う。ベテランとコンビで業務にあたらせるべきではないのかと。案の定、長距離バス運行に必要な2名の運転手が用意されておらず、4台で6名、さらに休みも満足にとれない状態で業務にあたっていた。

 ここから
1)サービス提供体制に無理がある
2)安全軽視、安全管理体制の不備
3)職員に精神的ストレスがあった

 ということが浮かび上がり、これは2年前にあったJR西日本の福知山線で起きた事故と共通している。利益優先で、無理な運行スケジュール・勤務態勢が課せられていたのではないかと、思わせる。

 ハンドルを握っていたのは事故を起こした当の本人であったとはいえ、バス運転手の道路交通法違反で済ませていてよいのか。いくら社内で十分な睡眠をとって・・・、などと言っていても、業務態勢が絵空事になっているとしたら、社内規定は乗客を守るというより、会社(のトップ)を守る免罪符にしかなっていない。

 バス会社に自主的に任せていたのでは事故が防げないのであれば、法的規制や業界での規制が見直しに向かいそうだ 

 『職場はなぜ壊れるのか』(荒井千暁・著、ちくま新書) では成果主義の弊害で組織も職員もすさんでいくおそれがある可能性のあることを警告している。
 月々の運行キロ数をグラフ化していたり、扱った乗客数をビジュアルで示していたりしていなかったかと、その他にもボディーブローのように効いてくる職場環境を心配する  
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政治家は「鈍感力」が大事?

2007-02-20 23:26:52 | 思いつくまま
不協和音収拾? 小泉氏「鈍感力が大事」  産経新聞 2007.2.20

 小泉純一郎前首相が20日、国会内の自民党幹事長室を訪ね、中川秀直幹事長と塩崎恭久官房長官に対して、与党幹部らから安倍晋三内閣の閣僚への苦言や安倍首相の指導力不足を指摘する声が相次いでいる問題について、「目先のことに鈍感になれ。鈍感力が大事だ。支持率が上がったり下がったりするのをいちいち気にするな」と述べ、結束を促した。政府・与党内に不協和音が広がっているのを見かねて、収拾に乗り出したものとみられる。

 小泉氏はこの後、記者団に「支持率は40%でも30%でも十分だ。批判は必ずある。批判するのはマスコミだ」とメディア批判を展開した。


 「●●力」というのは、昨今流行の表現だが、元来にマイナスの要素である「鈍感」というものに、ある一定の力量があるかのような雰囲気を与えてプラスの評価に転じようというのは、小泉元首相ならではの特異表現、面目躍如かもしれない。
 自分にとって不都合なことから逃げろ、耳を傾ける必要ない、という意にとれる。不協和音の収拾に乗り出したとされる。そうでもしなきゃ、総理大臣なんて身が持たないのかもしれないが、そのひとつが都合の悪いことから目を背けるというテクニックなのかもしれない。見かけは収拾しても、呆れた事実はその後も残る。

 政治の世界のみならず、とかく身の周りでも同様のことがないか。もうあちこちに行き詰まっているのに、打開策も出せないのに、地位や権力にしがみついて優越感だけは手放せずにいる人々が。
 何をすればわかっているのかいないのか、これまでを改めることはそれまでの自分の非を認めることにもなるので、修正ができずますます泥沼にハマっていく・・・。新たな提案がなされても、都合の悪いものにはけっして向き合おうとしない御仁が。
 小泉発言を聞いて、「そうだ、オレも少し鈍感にならなきゃ。これまであれこれ神経使ってきたもんナァ・・・」などと思っているのではないだろうか。

 本質から目を背けていて物事が解決するわけがない。本来ならよりセンシティブに、感性豊かでなければならないにもかかわらず、自己都合で具合の悪いことには鈍感でいればいいと思うこと自体が鈍感なのだろう。そんなパワーは、本質とはかけはなれたところで出していてもらえばいい 
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「忠誠心を問う」側近がいる

2007-02-20 13:21:24 | よくわからないこと
「私語なし」「全員起立」幹事長の批判に発言相次ぐ
2月20日12時44分配信 読売新聞

 自民党の中川幹事長が首相が閣議前に入室する際に起立しない閣僚や、閣議で私語を慎まない閣僚を批判したことをめぐって、各閣僚からは20日午前の閣議後記者会見で発言が相次いだ。

 甘利経済産業相は「首相が入ってきて席を立ち上がらない閣僚は一人もいない。閣議や閣僚懇談会で私語が交わされることはない」と述べた。山本金融相は「(閣僚間の)連絡調整の時間がとれないので、重要なことを話し合っているケースが多い」と指摘した。

 高市沖縄相は「能面のように全く会話を交わしていないのは、かえってまずいと思い込んでいた。今後はそういったことのないようにしたい」と語った。

 中川氏が閣僚に絶対的な忠誠心を求めたことに関して「忠誠心が欠けている閣僚は一人もいない」(冬柴国土交通相)「言われなくても分かっている」(渡辺行政改革相)などの反論が出た。


 総理大臣の入室が、教室に先生が入ってきて、自動的に「起立」の号令がかかったようなものなのでしょうかね、子供みたいだけど。
 閣議が始まるんだから、それまで雑談していても切り替えろ、という意味ならわかるが、「忠誠心が欠けている」というのは・・・?わかっていてもダラダラしているとしたら、総理大臣の求心力がないのかも。
 
 忠誠心を問うところに、今日も有意義な会議にしよう・始めようといった中身を重視する姿勢ではなく、権力に従え、言われた通りにしろ、といった圧力が滲み出ているように感じる。そうであれば閣議でも容易に異論をはさめず、言ってもしょうがいない、総理が白と言ったら白なんだといった、検討も生半可なものにならざるをえず、骨抜きでゴマすり優遇の空しさを感じないだろうか 

 そういうのを「裸の王様」というのではないか 
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「管理を強化する」は要注意

2007-02-17 14:17:24 | Book Reviews
『「失敗をゼロにする」のウソ』飯野謙次・著、ソフトバンク新書、2006年、p.220-1

 大きな事故が露呈したとき、対処として管理者が決まって使う台詞に「管理を強化します」というのがある。これも先の「社会にご迷惑をおかけし、大変申し訳ありませんでした」と同じくらい、曲者の言葉だ。管理を強化するというのはどういうことか考えてみてほしい。このようなあいまいな表現では、精神論的解決しか考えていないように聞こえる。たとえば、「毎日朝礼をして注意を喚起する」とか、「毎週水曜日は午後三時の休憩から戻ったら、各班で安全についてのアイデアを十五分間話し合う」とか。それら自体は決して悪いことではなく、むしろ奨励されるべきだが、ここで管理者は、こういった精神論を根底に持つ解決策は、事故の発生確率を直接的に下げることはないということを肝に銘じるべし。

 また、聞く側も、「管理」と「強化」という二つのいかめしい言葉に惑わされないことだ。スイッチボックスのスイッチが識別しにくいから管理を強化するでは、いい解決がないからとりあえずがんばると認めているのど同じだ。もっと根本的な解決を、つまり事故の発生確率を小さくする仕組みを考えなければならない。そのやり方は、ハード、ソフト、手順など、具体的に対象物があって、それに変更を施すことである。このとき、作業員の心構えを変更の対象物としてはいけない。「がんばり」が報われる時代はとうに過去のものとなっている。


 調剤事故が多いという問題意識を持っており、管理を強化しようという考え方を強く主張する意見に出会い、戸惑っていたところ、このような記述に出会った。事故のリスクアセスメントも考慮されず、単に件数が多い(減らない)、だからやり方を変えるという強硬論でもあった。減らない原因を分析、調査せず、やり方のせいに一方的に押し付けるのは短絡的だろう。やり方に修正を加えることが必要というのはわからなくもないが、その方法が機能しない背景を見失っているからだ。

 「事故をゼロにする」という目標を平気で掲げる(口にする)者にそのような意見が出る傾向があるように思えた 
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医療従事者ネットワーク講演会より

2007-02-17 13:47:43 | 心に残ること
平成18年度「医療従事者ネットワーク講演会」(2007.2.9、都庁にて)より
テーマは『チームで取り組む医療安全―病院のリスクマネジメントの原理と戦略―
講師は橋本迪生さん(横浜市大病院医療安全管理学教授)

以下、講演を聴きながらのメモを箇条書きで・・・
▽「安全文化」とは、安全という価値に基づく行動が当たり前にできること・フツウに行われていること
▽医療事故をゼロにするためには、医療をしないことに尽きる。しかし、医療を放棄することはできないのだから、医療事故をゼロにすることは不可能である。
▽医療安全活動には2つの本質がある。未然防止と事後の適切な対応である。医療において、バラツキは制御できない。同じ治療を施しても結果は異なるので、リスクはゼロにはできない。こういった不確実性の幅が大きいので、医療事故が起こった際にどう対処できるかが問われてくる。
▽医療安全管理の目的において、安全を抜き出してパッチしていくのではんくて、質と一緒に考えていく
▽「注意が不足していた」という反省は役に立たない。「注意しなさい」の効果(注意力)は、いつまでも持続しない。
▽安全確保におけるリスクアセスメント(対策の優先性の検討)は、一般的に「頻度×深刻度」で見積もるが、対策の波及効果も考慮することが大切である。
▽何かが起こると、自分の過ちだとして謝罪して済ませていることがある。「私が悪かった」というのは美しいかもしれないが、役に立たない。
▽報告は重要であるが、現場での共有と対応も必要である。現場の者でないと共有できないことがあるので、現場で対応させることである。
▽マニュアルを読んだだけではできないことがあるので、日常技術化する研修が必要である。
スキルの根底にはハートがある
▽医療のコンフリクト・マネジメントによる患者と医療従事者の関係の再構築:これまでは、何かが起こってもただちに謝ってはいけない・謝ることはミスを認めたことになるから、と言われてきたが、これは誤解である。ミスがあっても、記録を取る習慣があまりなかった時代に、コトをうやむやにする方法でもあった。現在では、記録をきちんととっておくことが必要である。
 医療は、患者と医療従事者が同じ目的を持って医療を進めていたはずである。ミスや想定外のことが起こったということは、それができなくなってしまったのであるから、それに対して謝るのであり、それは残念な事態が起きてしまったことへの共感の姿勢でもある。望ましくないことが起きても、そこから離れることなく立っていること。
▽今後求められる安全確保には、(1)個別の質の向上への期待から、組織的な質の管理へ、(2)患者と医療従事者が対峙するスタイルから、患者も参加した中での医療安全の促進へ


 とくに印象深かったのは、コンフリクト・マネジメントだった。日頃、その意識や文化で業務が進められているだろうか。知らず知らずのうちに、対峙型になっていないだろうか。患者さんと一緒に医療を進めることは、すでに参加が始まっていることである。その流れの中で、最善を尽くしていけるようにしたいものだ 
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安全管理に主眼が置かれていない

2007-02-13 23:13:19 | よくわからないこと
リンナイ、事故情報の収集が不十分(読売新聞) - goo ニュース

ガス機器最大手「リンナイ」(名古屋市)製のガス湯沸かし器で一酸化炭素(CO)中毒事故が相次いだ問題で、同社の過去の事故情報の収集が不十分だったことが分かった。
 過去の事故に関する記録が不十分で、同社は、今回発表された5件以外にも「社として把握していない事故が存在する可能性がある」としている。

 同社は昨年1月、製品の修理を行うサービスショップや顧客からの情報集約を強化するため、品質保証部内に「QI(品質情報)センター」を設置し、再発防止策の検討や製品開発などに生かそうとしている。しかし、それまでは社員が新聞記事で見つけたり、ガス事業者から任意で提供されたりした事故情報が主だった。
(以上、読売新聞 2007.2.13)

 リンナイはいつの創業開始だか知らないけど、なんと1年前まで安全管理を主管する部署がなかったということのようだ。当然、開発部署はあっただろう。販売部署(いわゆる営業)もあっただろう。製品の不適合を当然扱う部署だってあってよさそうなのに。

 自ら積極的に集めず、場当たり的に行っていたとは、会社の文化が透けてみえる。

 現在、製品の無償点検を行っているが、事故の機種は限定されているようだから、無償で問題のない機種に取り付け直してあげたらどうだろう。
 ホームページは昨日と少し変わって、前面に事故のことが取り上げられたが、主張しているのは正しい使い方をしろ、ということだ。つまり湯沸かし器の問題ではないと考えていると、暗に言っているようなところがある。パロマとは違った不気味さを感じる。
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「調剤事故を減らす」ために服薬管理を充実しよう

2007-02-13 22:33:00 | よくわからないこと
 顧客満足(CS)には
・あって当然といった本来のサービス以前のものであったり、その前提になるべき部分と、
・サービスの核心や社会から求められる本質的部分
とから構成されているように思う。どちらも、不十分なところがあると不満足の原因になるという点で共通している。

 しかし、顧客にしてみれば前者はあって当然なので、それだけではCSを高めないし、向上させない。後者は、他と比較されやすく、評価されることでCSに直結するという点で異なる。

 調剤事故(過誤)防止活動というものは、まさに前者だろう。だから調剤事故防止こそ薬局が果たすべき最大の課題だ、なんていう意見に出会うと、違和感を覚える。顧客満足に目が届いておらず、処方せん通りに調剤できたことで自己満足に陥っているようにも見えるのだ。

 調剤では、顧客は服薬を安心して進められるべく、最大の効果を得るべく、薬局に対して服薬の安全管理を求め、安心して薬物治療を進められるための、専門家としての支援を期待する。副作用の早期発見や未然防止、重複投与の回避、飲み合わせの防止などにより、安心という価値を提供することを求めているのだ。

 服薬管理をきめ細かく行っていくことで、薬識が向上すると共に体調管理もできるし、誤服用の防止にもつながる。当然、調剤事故防止にも寄与する。正しく服薬できていることの確認が、自動的に用法確認にもなるし、安全確保にもつながる。

 単純に調剤事故をゼロにしようなどと言っているのは、それ自体は(そこだけとってみると)けっして間違ったことを言っているわけではないのであるが、自分の立場にフォーカスが向いており、患者さんの要望を外し、残念なことに事故防止にもいまひとつ効果的に作用しないのではないか。

 ある程度の(基本的な)調剤事故対策はするにしても、そこから先は服薬管理を充実させることが、同時並行で調剤事故防止対策としても機能しているように思われる 
 
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特定機種にすすがたまりやすい

2007-02-12 22:40:11 | よくわからないこと
リンナイ 大量のすす、事故機種のみ 前後の製品問題なし

 リンナイ(名古屋市)製のガス小型湯沸かし器で一酸化炭素(CO)中毒が相次いだ問題で、事故機種の製造時期(91~97年)前後に販売していた機種では、事故原因となった不完全燃焼防止装置の機能が停止するケースは発生していないことが分かった。事故機種と同じタイプの不完全燃焼防止装置を備えていたことから、同社は事故機種に構造上の問題がなかったか調査を始めた。

 原因が分かっている事故4件は、いずれも通気口が大量のすすで覆われたためセンサーが温度上昇を検知できず、不完全燃焼が続いたことが原因だった。
 新旧機種とも同程度の生産量だったが、事故機種以外では通気口がすすで覆われるケースは確認されておらず、事故機種だけがすすが発生しやすい構造だった可能性がある。
(毎日新聞 2007.2.12 より)

 案の定というべきか、事態は様相が変わってきた。特定の機種の話となると、単純に使い方が悪い、ユーザーの過失だと言いにくくなるのではないか。仮に換気不十分だとしても、欠陥のある機種について警告しなくてもよい、ということではないのだから。

 パロマの事件があってから、いよいよ公表できなくなってしまったのはわかる(だからそこは許される、という意味ではない)。なぜ、もっと前に公表して来なかったのか。十分調査していなかったのか。パロマ以前でも、わかっていたけど、公表することで世間から叩かれることを恐れたのだろうか。

 リンナイの幹部は、被害者や家族の無念さがどのくらいわかるのだろう・・・。ちょっとしたことで人命にまでかかわるようでは、安全と危険の幅(安全域)が少なすぎるように思う。
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