何かをすれば何かが変わる

すぐに結論なんて出なくていい、でも考え続ける。流され続けていくのではなくて。
そして行動を起こし、何かを生み出す。

不信任者に改革ができるか

2007-07-31 09:23:52 | よくわからないこと
 参院選が終わった。自民党は「政権選択」の選挙ではないというが、勝てば逆のことを言うのだろうから、用意されていた言い訳のようだ。国民はこれまでの実績を見て、行く末をどちらに託したいと考えているかの選択をしたのであり、安倍政権にNoをつきつけたと理解される。

 もはや自民党は「改革政党」などとは誰も思っていない。小泉首相になって少し雰囲気が変わっただけである。改革は改善が前提であり、改悪や悪化はそう呼ばない。
 自民党は「改革」か「逆行」かと国民に問いかけきた。これまでを作って動かしてきたのが自民党であり、国民はこのままではやりきれないから、変えて欲しいと思っている。自民党のこれまでに辟易していたのだから、さらに自民党に任せているのでは少しも「改革」にならない。自民党というプラットフォームの中で「改革」ができるとは思わないし、して欲しくない。自民党こそ、国民の想いに「逆行」してきたと思うから、このテレビCMには大きな感覚のズレというか、違和感があった。

 政権選択でないとしても、安倍政権の成績評価、信任度が今回の結果である。結果を求めて、やるべきことができていなかった。小泉政権の後を受け、恵まれた中での船出だったはずだ。歴史的大敗でも退陣しない総理大臣のいる国は、世界中から“美しくない”国どころか、不可解な国に映っているだろう。それを新しい国にするには、もはや体質転換を図るべきではないかと思う。

 どの党が政権をとろうとも、国民が求めるものは同じだ。自民党が、自分たちの立場は変えず、変わらず、権力を握ったまま新しい国にするというのは、国民に変われと言っているようなものだ。自民党が率先して、現体質を一掃することこそ、未来への希望が開けてくるような気がすると思うが、そんなふうには見えない(見せない)。それを民主党をはじめ、野党がその感覚を持っていないと、この勢いも持続しにくいように思う。
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なぜトヨタは人を育てるのがうまいのか

2007-07-27 22:27:53 | Book Reviews
『なぜトヨタは人を育てるのがうまいのか』 若松義人・著、PHP新書379、2006年。

 さすがトヨタというか、著者のトヨタに関係する書を読むたびに、歴代の管理者や社風にカイゼンが根づいて今の発展があるのだと思うが、最近、ときどきトヨタの不祥事も聞くので、トヨタといえども綻びもあるのかなと思うこのごろである。

 「成功しろ」から「失敗してもいい」への発想転換(p.82)

 何がなんでもクリーンヒットを打たなきゃダメというのでは、結果に怯えて萎縮してしまい、成長にもつながらない。むしろ三振してもいいから、思い切ってやって、どんな結果になろうとも、そこから学べば進歩もあろう。もちろん何の準備もなく、開き直ってやれということでもない。

 「失敗」というのが、薬局では「健康被害」「危害」のようにイメージしてしまうのか、“失敗してもいいから”という行動が少ないように思う。手術してメスさばきを誤って、大出血しても仕方ない、といったふうに拡大解釈してしまうのか・・・。
 それなりの準備をして、最善を尽くして・・・、このような部分がこれまで欠けていたのではないか。一生懸命やっても患者さんが十分ではない、というのであれば、どこに不十分に至った原因があるのかを探し出して、次からに生かせばいいのではないか。

 そもそも薬局は外科治療と違って、ただちに大きな健康問題になることも少ない。もう少し思い切った行動してはどうかと思う。


 「できそうにない」と「できない」は違う(p.132)

 これは大野耐一氏の言とはいえ、以前からここだけはすんなり受け入れられない部分だ。やってみもせずに・・・と言うのがわからぬでもないが、改善を求める程度が、桁外れに現状と異なるようでは、無理難題もほどほどにして欲しいと思わざるをえない。超えるハードルの高さを徐々に上げていくことに異論はないが、それでも予算を一桁削りつつ10倍の結果求めるようなことに対し、「やってみもせずに」と言われるのは理不尽だと思う。

 皆で知恵を出し合い、どこかにできる道があるのだと考え、打開を計れというのが言わんとすることのようである。そうであれば、「やってみもせずに、できないと言うな!」と怒るのではなく、真意のほうで改善を促すべきではないかと思うのだ 
 
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喘息患者に禁忌の薬剤

2007-07-25 15:14:35 | くすり雑感
 「気管支喘息患者に禁忌の薬剤」として、有名なところでは、
・非ステロイド性消炎鎮痛剤(NSAIDs) ※1
・ベータブロッカー
・麻薬(モルヒネ、リン酸コデイン等)

 ※1 感冒に繁用されるPL顆粒も含まれる。アスピリン喘息では、アセトアミノフェンや塩基性抗炎症剤も添付文書上では「禁忌」とされているが、その根拠は不明確だという。ペントイルには記載がない。

 あまり知られていないというか、うっかりしそうなところで、
・ベサコリン
・アボビス
・ペリアクチン
・エボザック
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鈴木敏文 経営の不易

2007-07-24 21:47:18 | 薬局経営
『鈴木敏文 経営の不易』 緒方知行・編著、日経ビジネス人文庫、2007年6月

「自分の本業は何か、自分の顧客は誰か――、本業ではないことを中途半端にやっても、また自分の顧客の期待と違うことをやっても、意味はありません」(p.136)

「モノは売れる理由によって売れ、売れない理由によって売れない」(p.228)

 現在の医薬分業下における多くの薬局は、分業率向上の追い風に乗って作られた門前薬局やマンツーマン薬局が多い。その多くが行き詰まりを感じ、経営に苦しんでいると聞く。表向きはまずまずでも、内実はボロボロは当たり前のようにすら感じる。

 門前という立地で、経営安泰の保証だとそれに甘えて、国民の薬局に対する本質的な期待に応えて来なかったツケが来ているように思われる。国民の立場になって考えれば、どこに薬局があろうと、自分の薬物治療が確実に進められ、安全が確保され、質が担保できることが重要だ。薬局が門前医院の医者の顔色を窺い、妙な気遣いをし、国民の期待に応えなければ、どこでも薬がもらえる患者は、自分の要望に沿う薬局を、移動可能な範囲の中で探すだろう。

 門前にあるという利便性は、とくに門前薬局が汗水流して築き上げたものではない。楽して儲かる手段としているだけのことだ。門前の医者の圧力に屈して、服薬説明すら十分にできない薬剤師。立地に甘えて、独自のサービスが開発できない薬局。一方、門前の医者に不必要な気遣いをせず、患者を中心にニーズに応える地域の薬局。どちらが、将来有望かは言うまでもないことだろう。

「コンビニエンスストアという業態がいらなくなったから、アメリカのセブン-イレブンはダメになったのではない。業態のせいにしてはならない」「コンビニエンスを求める生活のニーズはなくなったわけではありません。そのニーズに対して応える商売が、世の中で必要ではなくなったということではないでしょう。人々が求める便利さの中身・内容が時代とともに変わったのです」(p.68~9)

 今でも院内で薬をもらったほうがよいという意見もしばしば聞かれる。しかし、薬について、必要なことは教えて欲しいし、飲む前に聞いておきたいし、困ったときは相談に乗って欲しい、というニーズがなくなったわけではなかろう。
 そういうことに、薬局は十分に応えきれていないという、今のままではダメということを認識すべきではないかと思う。風邪を引いて受診し、薬をもらう際に「風邪のクスリですという“服薬指導”に意味があるのか」という批判もあるくらいだ。

 店舗拡大がブームのときならともかく、もはや薬局に求められるものは本質的なニーズに移っている。それこそ、薬局の存在理由だ。今は本質で信頼を得て、将来への基盤作り、充電をする時期なのかもしれない。
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JR福知山線事故の本質

2007-07-21 10:53:41 | JR西に学べ
『JR福知山線事故の本質 企業の社会的責任を科学から捉える 山口栄一・編著、NTT出版、2007年6月。

 事故から2年以上経過してはいるものの、「本質」という言葉と「社会的責任を問う」内容ということで、迷わず買って読む。

 これまで多くの報道から、スピードを出しすぎた運転手個人に原因があったとするJR西日本に対し、過密ダイヤ、いじめとも思える日勤教育に代表される利益優先体質が運転手をそう動かしたのではないか、と考えてきた。

 本書はそういった直接的ではなく、主観的ともいえるものはJR西日本の経営構造があいまいな理由であり、本質を解き明かそうとしたものである。どこが本質があるかを明らかにし、その社会的責任を問うことが、再発防止や今後の在り方を考えるうえで重要であるという。

 前半の、被害者による実話も生々しい。これほどまでのダメージを与えておきながら、その後の事故対応に誠意も反省も見られないJR西日本には、改めて憤りも感じる。

 輸送の現場に科学的視点が抜け落ちてしまったことが原因とする指摘は、なるほどと思わされた。現場に理系の人間がいないわけではない。しかし営業重視で現実が作られるから、どこかにそうしたくても「してはいけない」「やってはいけない」部分があることがないがしろにされる。そこを指摘できるのは、科学の目で安全に目を向けることができる者だ。そういう目で経営する視点が抜けていた。

 科学的な目で物事を考えるというのは、倫理的、道義的な視点とも違う。しかし、そういう感性にも非常に近い考え方のように思われた。

 最後に結論を総括したうえで、それでもこれだけは付記しておかずにはいられないかのように、

 会社の目的は営利の追求ではない。その目的は、「社会のために、今この世にない何かを創り出すこと」である。創り出された何かは、社会に評価され価値づけられる。だから、営利追求という目的の結果として新製品・新サービスの提供が行われるのではなく、新製品や新サービスという具体的な価値を創り出した結果として、会社に営利がもたらされる。今までこの世になかった価値を創り出すことこそ、イノベーションだ。会社とは、イノベーションを世に送り出す主体なのである。 (p.199)

 とのセンテンスにより、結論により一層の説得性を感じた 
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医療機関経営「もう持たない」

2007-07-20 08:56:38 | 思いつくまま
 ドキュメント医療危機(38) 危機感的中 「もう持たない」 朝日新聞・編集委員 田辺功
(朝日新聞 2007.5.31 より)

 「『世界一』の医療費抑制政策を見直す時期」という本がある。著者は、医師で医療経済学者の二木立・日本福祉大教授(59)。「厚生省のころから会議に一度も呼ばれたことがない」のは、国の政策に常に疑問を投げ続けてきたからだ。

 いまの医療危機のほとんどは、94年出版のこの本に書かれている。「当時は日本医師会も病院団体もまったく危機感がなかった」と二木さん。

 80年から93年の13年間に日本の人件費は43%上昇し、消費者物価は30%上昇した。病院の人件費は約50%だ。しかし、医療費・診療報酬の引き上げがたった5%。診療報酬が10年以上も事実上凍結された国はない。

 日本ではなぜそんなことができたのだろうか。80年代に厚生省局長の「医療費亡国論」が出て、医療・福祉費の総枠抑制論が力をもった。医師会が弱体化し、強い国の規制のもとで病院は診療報酬の誘導について行くのがやっとだった。

 「医療費を抑制して質は保てない」と二木さんは書く。だから欧米より医師、看護師は少なく、医療の質は低い。

 先日、二木さんに意見を聞いた。

 「いま利益を出せる病院は、経営ノウハウや労働強化など特殊な要因がある。団塊世代の医師は馬車馬のように働いたが、若い医師はだめ。医療費抑制策を転換しなければもう持たない」

 「現実的な財源は保険料だ。企業負担を欧米なみに上げればよい」

 消費税の扱いでも国は病院に冷たい。病院は物品や設備に5%の消費税を払うが医療費には消費税はつかないので、その分が持ち出しになる。

 輸出でも似たことは起きるが、国は企業に「戻し税」として消費税分を返還している。湖東京至・関東学院大法科大学院教授の推計では、05年度はトヨタ自動車など上位10社で9900億円。

 一方、病院には戻し税はない。約30の自治体病院の調査では、04年度の消費税の持ち出し分は1病院平均約5200万円だった。


 今は参議院選挙前で、厚労省側もおとなしくしているが、医療費削減を声高に叫ぶのは8月もお盆を過ぎたあたりからだろうか。医療費削減はすべてに優先、これだけは不変というスタンスだ。

 医療が公共性を持った活動である。国民の健康を守ろうとしたら、その活動者に対して財源を削ってどうやってよりよい未来を作っていけというのだろうか。自助努力も限界で、かろうじて原形を保っているもののいつ崩壊してもよいところが多くなってきているように感じる。

 原形を保つといっても、格好だけで中身はお粗末だ。質を低く抑えなければならないのに加えて、もはややってはいけない領域に片足をつっこんでいるようなこともますます増えておかしくない。

 一気に絞め殺すようなことをしなくても、徐々に積み重ねてくれば、やがてはわずかな変化にすらついていけず倒れる。優良な施設だけを将来に残すフィルターをかけているつもりなのだろうが、そんな理屈通りにいくだろうか。

 すべてしわ寄せは国民に向かう。その典型的ともいえる悲惨な事例が出てようやくブレーキに足が乗るのかもしれない。

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ミドリ安全のTVコマーシャル

2007-07-19 09:54:45 | よくわからないこと
 ミドリ安全という会社は、携帯用酸素を扱っているということを通じて知っていた。ミドリ十字じゃなくて、ミドリ安全である。

 同社の最近のテレビコマーシャルで、白衣を着た年配の女性が、薬局の店頭で通り過ぎる人に対して、もう少しケガでもしてくれなきゃ私たちがやっていけないじゃないの・・・、と語らせているものがある。

 いかにも薬剤師を思わせる女性が、である。それでは、まるで薬局では住民がもっと不健康になってくれて、薬でも何でもどんどん買ってくれることを望んでいるかのようなイメージを与えはしないか。体調を崩して薬局に駆け込み、ミドリ安全の製品を買って欲しい・・・、その思いは、ミドリ安全自身のそれではないだろうか。国民の健康問題の解決を願いこそすれ、不健康を望むなどありえない薬局や薬剤師にその役を代弁させるというのは、いかがなものか。

 ちょっと不見識というか、軽率なテレビCMだと思った
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ミスをしない人間はいない

2007-07-18 08:54:16 | 薬害は人災だ
失敗の心理学 ミスをしない人間はいない』 芳賀繁・著、日経ビジネス人文庫、2004年10月。

 失敗を何のせいにしますか?

 物事が起きたとき、人はその原因を何かに結びつけて考えます。科学的な因果関係の推定とは違う、心理的、直感的な理由づけ、言い訳です。これを心理学では「原因帰属」といいます。

 失敗の原因帰属にはおもに四つの方向があります。帰属の方向とは「せいにする何か」です。

 一つは、不運。
 2番目は、能力不足。
 3番目は、他人や外的状況。
 4番目は、努力不足。

 この四つを分類すると、「不運」と「他人や外的状況」は自分以外のもの、外部の要因に原因を見つけ、「能力不足」と「努力不足」は自分自身のせいにしています。また、「不運」「能力不足」「他人や外的状況」は自分の力でコントロールするのが難しいのに対し、「努力不足」は自分さえがんばえれば変えることができる要因です。ですから、自分の努力不足に失敗原因を見つける傾向の強い人は、同じ失敗をあまり繰り返さないし、失敗した後に成功する可能性も高いのです。 (p.220-1)

 調剤過誤・調剤事故に対し、とにかくその件数を減らせ、という考えがある。件数とは発生件数なのだが、それは報告件数で把握する。そこが要注意だ。

 報告件数を見て「件数を減らせ」と言うのだから、報告にてごころを加えれば数字的には減ってしまう。それでは意味がないのは言うまでもない。減らしたいのは発生状況だ。それは件数ばかりでなく、程度も問題だろう。

 トップが報告件数を見てそういうと、現場ではその意図を汲もうとする。誰のために件数を減らすのか。患者さんへの健康被害を減らしたいと言っても、そのための直接的行動は現場が行うのだ。患者さんのことを思って言う言葉であるならば、「件数を減らせ」ではなくて、「患者さんの健康被害を防げ!」と言うべきだろう。患者さんにとって、間違った薬ばかりが問題になるわけではないからだ。患者さんはそもそももらう薬が間違っていないことは当然と考えており、関心は薬剤師の専門的知識や技術によって健康が守られ、安全を確保されるかどうかにある。患者さんが考える健康被害とは、専門的な力量が発揮されずに起こるそれだ。

 件数という数字が問われるのであれば、専門的なものというより、作業的に間違った薬を渡さないとか、薬袋を正しく書く、とかいったものに焦点が向きがちになる。件数が減って喜ぶのは、患者さんへの被害の減少が薬局にとってのトラブル減少につながるといった、薬局側の都合が多分に含まれるからだ。数字を問うことで、余計な出費を出したくないんだ、というメッセージにも受けとれよう。

 しかし調剤は人が行うものである以上、ゼロになることはない。薬局側の都合で「件数を減らせ」と言っていると、職員は薬局のために迷惑をかけてはならない、と言われているようなものだから、報告を控えたり、軽微なものや、不可抗力的に発生したものだけ報告するような傾向にもなりかねない。

 調剤エラーはあくまでも一生懸命業務を行った結果にすぎない。現場が故意にやったのならともかく(そんなことありえない)、責められるようなものではない。報告は、その結果をもとに改善をするための元情報であり、さまざまなケースから発生する事例を知り、より質の高い業務につなげる材料だ。

 現場が調剤エラーの発生にナーバスになるのではなく、患者さんから本来求められていることに応えるべく、本質的な業務に専心すべき理由はここにもあると考える 
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安全が軽視される理由

2007-07-13 11:27:50 | 思いつくまま
『安全とリスクのおはなし―安全の理念と技術の流れ―』 向殿 政男・監修、日本規格協会・発行、2006年。

 経営トップに生産現場の安全について質問すると、必ず“安全第一”という言葉が返ってくる。しかし、その一方で“安全は金がかかる”と妄信しており、実際に幾らかかるのかを確認しようともしない。安全は利益を生まないのであまり関心がないというのが本音である。“安全第一”と言いながら、自分は何もしない“お任せの安全”に陥っている。

 社長も役員も事故が起きると部下である部長に対し、“安全第一”の方針を示すが、安全方策の実施は部長に任せて自らは何もしない。“安全第一”の方針を受けた部長は、部下である課長を呼んで“安全第一”、“現場の安全を守れ”との方針を示すが、安全方策の実施は課長に任せて自らは何もしない。部長からこの方針を受けた課長は、部下である係長と職長を呼んで同様の方針を示すが、自らは何もしない。

 ところが、“安全第一”、“現場の安全を守れ”との方針を示された係長と職長は、経営幹部の本音を知っているから、“課長は本気なのか?”と考える。さらに言えば、係長も職長も、生産とコストについてのプレッシャーにさらされているから、突然、“安全第一”、“現場の安全を守れ”と指示されても信じることができない。まして、係長も職長も“ケガと弁当は自分持ち”の環境で育っている。現場の機械設備を安全にするための改造を提案しても、上司からは何の回答もない。ケガをすれば叱られるが、安全を守ったからといって誉められない。これが大方の生産現場の現実の姿である。このような生産現場で働く人たちは、“今回の安全についての指示は建て前だ! 本音は生産にある”と、幹部の本音を敏感に察知している。

 企業のトップ、工場のトップの本音を知っているからこそ、現場で働く作業者は“生産のためには、多少の不安全皇道は許される”と勝手に考え、近道行動や裏技に走る。これが“お任せの安全”が招く結果であり、経営のトップから末端までが集団的浅慮に陥っている現実の姿なのである。 (p.87-8)


 なーんだ、今頃になって気づいたのか、と言われそうだが、最近、つくづく組織のトップがしっかりしていないと、容易に組織はぐらつき、崩れると思う。トップとて人間だ。等しく1日は24時間しかないのだから、その間に見るべきものを見て、正しく理解し、次の決断ができるかどうかで、組織を巻き込むことを実感する。

 いわゆる正論を言うだけなら、誰でもできる。美辞麗句を並べて、このように考えていると言われれば、周辺は容易に反論できない。つまり、近づけない。

 しかしトップの行動や選択を見ていれば、言動不一致が随所に見られる。その一例が「安全」への取り組みだ。関心の程度、どこまで重要と考えているか、急ぐのかどうでないのか、などから力の入れようがわかる。

 これからの時代(これまでもそうだったのだが)、薬局では「安全」こそ“売り物”だ。患者さんに安全を提供できるかどうかが、利用者側の最大のニーズであり関心事だ。
 だから薬局はそこで競っているか、凌ぎを削っているかというと、そうではない。どうやって利用者を呼び込むか、囲い込むかに必死だ。安全第一なんて、理想に近いもので、夢に描く世界のように捉えているふうな経営者が少なくない。

 トップがその意識だから、日ごろ管理されるのは常に売り上げや予算である。どこに収益が安定的に確保できる道があるかどうか探っているかのようだ。どこかにあるか探し、簡単に作ることができないか考える。

 そうじゃないだろう、と思う。あるのは「本質」という道が常に目の前にあるだろう。そこを愚直に進み、質を高めるべく改善し続けるだけではないかと思う。その評価や成績が、経営的数値ではないかと思う。
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顧客よりも売上げ

2007-07-12 08:58:20 | 薬局経営
 いまさらだが、英会話学校NOVAの問題を振り返って。

 NOVA社長、講師不足に「売り上げ少ない」 朝日新聞 2007.6.16 より

 多くの特定商取引法違反(不実告知など)があったとして経済産業省が一部業務停止命令を出した英会話学校最大手「NOVA」(統括本部・大阪市)の猿橋(さはし)望社長が、講師が不足している現状が報告された会議の席上、「売り上げが少なければ、講師は増やせない」といった趣旨の発言を繰り返していたことが関係者の話でわかった。

 同省や東京都も事実関係を把握。同社がレッスンの予約がとりにくくなっている現状を十分に把握しながら、利益確保を優先させて対策を怠っていたとみている。

 「売り上げが少なければ、生徒が多かろうが、講師は増やせない」

 関係者によると、昨年、同社で開かれた会議の席上、猿橋社長は複数回にわたって、こんな発言をしたという。

 毎月、猿橋社長ら幹部と、全国各地の教室を担当し、苦情などに対応する「エリアマネジャー」と呼ばれる役職者が集まった「統括会議」。講師が不足し、各教室で「予約がとれない」といった苦情があることなどが話題になったとみられる。

 こうした会議の模様は映像などに収められていたとされる。同省や都は2月に実施した立ち入り検査などで関係資料を入手。厳しい行政処分に踏み切る決め手の一つになったとみられる。同社側は同省や都の調査に、「利益優先の意図ではなかった」などと弁明したとみられる。

 語学学校の内情は知らないが、英語に限らず、またビジネスの世界ではやはり英語に対するニーズは高く、不況であえぐ業界が多い中、繁盛しているのではないかと思っていた。

 そこでNOVAほどの大手の社長がこの見識である。顧客の多さに恵まれているにもかかわらず、理解しにくいのが一点。そしてもうひとつは、顧客への視点よりも売り上げを優先している点が、身の回りで見聞きするのと酷似している点で、憤りを感じる。

 口を開けば、売り上げだ、利益だ、というのは醜かろうが、経営者としてはしょうがないんじゃない?、という同情論もある。日本において、英会話ができなければ、生きていけないということではないから、今が語学ブームであっても将来のことまではわからない不安もあろう。

 それに比べて、医療の世界はどうだろうか。生活している以上、病気を経験しない人はいない。薬のお世話になることが全くないなどということはない。加齢により、イヤでも体調が変化し、医療機関や薬局の世話にならざるをえない。

 にもかかわらず、「そうはいっても、会社が成り立たなきゃ続けていけないから」という意見も聞かれる。年度単位で赤字に転落したくないのはいいが、組織内を削りまくる。とくに労務費だ。設備は“残る”からいいが、ヒトは失うかもしれないから、教育投資など真っ先だ。サービスも短時間で切り上げる。新たな開発投資も控える。

 これで業績が上がるはずもないのに、「売り上げがなければやっていけない、利益優先」だ。売り上げを上げたいのに、やっていることの矛盾に気づかないのだろうか。

 いくら素晴らしい人材や技術、設備や販売網をもっていたとしても、お客様がいなければビジネスを展開することはできません。ビジネスはお客さまが存在してはじめて成立します。この基本を忘れてはいけません。企業のためにお客様が存在するのではなく、お客様のために企業が存在するのです。

 お客様がいるから会社が成り立っており、究極的にはお客さまからの利益が企業を永続させ、従業員の生活を維持させる源泉だからです。

 これらは『これが実践! 超お客様満足主義』にあった一節(p.41、71)。

 薬局も経営がラクじゃないが、利用者があってこそ成り立っているのだから、経営に合わせたやりかたではなく、利用者に沿った取り組みを充実させることに尽きよう。予算を度外視してまで、と言っているのではない。その方針で方法を考え、投資をし、体制を着実に整備しよう、ということである 
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組織行動の「まずい!! 」学

2007-07-10 22:53:29 | くすり雑感
『組織行動の「まずい!!」学――どうして失敗が繰り返されるのか』 樋口晴彦・著、祥伝社新書、2006年。

 日々業務に追われている現場では、「このままでは納期に間に合わない」「人繰りがつなかくてマニュアル通りの人員配置ができない」といったトラブルがつきものだ。そのような時、当座の方便として、「ほんの少しくらいは構わないだろう」と安全基準を超過したり、安全対策の一部を無視したりする誘惑に駆られるのは無理もない。

 もともと作業規則の中には、安全面への配慮が十分すぎるほど盛り込まれているものだ。特に危険物を取り扱うような職場では、多重防護という発想から安全対策が重層的に施されている。たとえ対策の一つや二つが機能しなくても、別の安全装置によって安全が担保されるシステムである。したがって、少しばかりの規則違反を犯したところで、すぐに事故が発生するよいうわけではない。

 問題は、この手抜き状態がすぐに「日常」として定着してしまうことだ。そうしているうちに、第2の安全規則違反が行われ、それが新たな「日常」となる。そして、いずれ第3の規則違反が・・・・・・。かくして安全対策は時間の経過とともに少しずる磨耗し、最後は中身が虚と化してしまうのである。 (以上、p.81~2)


 調剤エラーが起こる原因の主要な部分を述べているように思えた。
 調剤(計数、計量)をしていても、最終鑑査があるからという甘え、気の緩みもつい起こしてしまう。もし違っていたら、そこで指摘してくれるだろう、と頼ってしまう。その“少しくらい”が危ない。

 もちろん大半の調剤においては、正確に調剤が行われ、問題なく交付される。しかし緩んだ状態のままでは、一部に間違いが発生する。それを生み出す土壌からは、ある一定の確率でエラーが生産されてしまう。

 調剤事故・調剤過誤において、こういった連鎖的な確認もれが生じてしまうのは、その結果がどういうことに結びつくのかといった危険性の認識が欠けていることもあろう。また認識があるのなら、わかっていてもそれを手抜きさせてしまう別の動機が入り込んでいるからかもしれない。

 安全確保を手薄にさせる動機、安全を高めようとしない動機、安全が維持できにくい理由、いったいそれはどこからくるのか 

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完全分業でジェネリックは促進する

2007-07-06 09:22:09 | 思いつくまま
 後発医薬品に変更された処方せんは、先月末の日薬の調査報告で2%とのことだった。半年前が1%だが、やはり遅々たる歩みか・・・。

 処方せんの「後発品への変更可」欄にサインされていても、本当は変更して欲しくないと水面下で伝えてくる医者がいるという話を聞く(私だけか?)。変更可の処方せん発行で診療報酬は稼ぎたいが、心情的にはこれまで通りに変更しないで調剤して欲しいらしい。薬局が患者さんの希望に応えるのはいいが、できることなら後発品の使用を思い留まるよう、うまくやってくれ、ということのようだ。変更した事例の報告が増えると、いい顔をしない。不機嫌になる。

 現在の薬局は、医薬分業の追い風のさなか門前・マンツーマンの立地が多いから、医者が快く思わないことは調剤全体において、好ましいことではない。後発品への変更を渋々受け入れても、疑義照会でとりつくシマがなくなってしまったら、それも困る(療担で注意されていてもである)。意見交換がしずらくなってしまったら、業務に支障が出ないとも限らない。ましてや、院外処方せんをストップされたらアウトだ。

 厚労省は後発医薬品の使用促進に向けた環境整備と称して、処方せん様式の変更をはじめ、メーカーに向けて品質・情報・供給、それぞれの側面で改善を求めてきている。来年度も、改めて処方せんの記載に関して、サインのあるときだけ変更を認めないとする変更を検討している(印刷なので、デフォルトで記名されたら変更できないが、使用促進しない矛先は、薬局から医療機関に移る)。

 薬局で後発品への変更について何かに気をとられることなく説明ができるように、それが医療機関からの圧力として跳ね返ってくることがないよう、医薬分業がストップされてしまわない保証が必要ではないか。
 それを薬局の交渉力に委ねるのではなく、薬局の活動を支援する環境整備を図るべきではないか。いまさら引っ込められないような仕組みは作れないものか。

 多少の摩擦があろうとも、医者と患者のどっちを向いて仕事をしているのか、と言われるかもしれない。ジェネリックは国民の希望だ。活動に支障をきたし、最悪断たれようとも、国民のニーズに応えるべく、後発品への変更をしろというのか。処方せん発行を引っ込められても文句が言えない状況の中で、不本意ではあるが患者志向も及び腰になってしまう薬局もあるのではないだろうか、と思った。
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儲けようとするから儲からない

2007-07-05 08:41:24 | 薬局経営
 『目先の利益を捨てなさい』から、改めて抜粋(p.45~6)。

 お客様と店側とでは立場が逆ですから、お客様が良いと思うことは店側にとっては、投資を伴うとか、損をするとか、何らかの犠牲を強いられる、といった場面が多いものです。

 お客様と店側は根本において立場が反対であり、利害得失、つまりメリットとデメリットとは逆の方向にあります。お客様にとって商品を買うという行為は、こちらにとっては商品を売るという行為であり、お客様にとってのメリットは、即こちらにとってのデメリットであり、それらは相即する事柄の相反する二面にほかなりません。

 お客様とは立場が逆であるということは、同じ土俵の上で双方が戦いをしているということです。戦いですから、相手側は勝ちたいと思って臨み、こちらも勝ちたいと思い土俵に臨みます。

 顧客にとって「買う」ということは、リーズナブルであっても支払いという損をした代償による。店の利益は顧客の損によって成り立っている。
 店側が売上拡大・利益優先で動くということは、顧客側にさらに損を重ねさせることにもなりかねない。

 顧客は得られる代償が、相対的に自分たちに得か店側の得か(勝ち負けということではないが)を見抜こうとする。店側がさらなる“勝ち”を得ようと仕掛けてくると、それは自分たちにとっての得ではないと察知し、敬遠するようになる。その店から足が遠のくことになる。つまり、売ろうとする店からは買わない。店は売ろうとすればするほど、本音を隠していても、売れなくなる。

 これが薬であれば、てどんどん飲むことを促そうものなら、その薬局は信頼を失うだろう。サプリメントでも健康食品でもそうだ。できるものなら服薬を減らす方向で現状を見ていてくれることが伝わらないと、安心して相談しにくいだろう。

 「最近ようやくわかってきたのは、売上げというのは、それだけを追っかけてはだめだということです。金は追えば追うほど逃げていくということです」

 これは『これが実践! 超お客様満足主義』にあった一節(p.7)。

 売上げを上げろ、労務費を減らせ、コストを削減しろ、・・・直接そう言わないまでも、それを目論むというか、その延長線上にある指示が次々と下りてくるような組織は要注意なのかもしれない。
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もしも金に困らなかったら

2007-07-04 09:15:35 | よくわからないこと
 厚労省は後発医薬品(ジェネリック医薬品)の使用促進に躍起になっているが、もし先発医薬品を後発品に変更することによる価格差が、庶民には高額であっても、その人にとってとるにたらない額にすぎず、先発品のままでいいと言われたら、後発品の使用促進は進まないのであるが、そういう患者さんが増えたらどうするのだろう?

 極端な話、皆が高くても先発品のままでいい、と言ったらどうするのか。後発品は使われない。

 経済的に余裕のある人であっても、医療レベルに影響が及ばないのであれば後発品に変更してほしいはずである。しかし医療従事者がいくら後発品を勧めても、「変更する」ということは「試す」ことから始まるので、わずかであっても“危険”を伴うのだから、価格差とのバランスで試す動機も失われれば、制度が成り立たなくなる。

 そういう自己負担金額の減少がメリットにならない人でも後発品が使われるようになるには、どう説明をしていけばよいのか。国の財政危機(医療費削減)に貢献する、だけで理解が得られるか。患者さん自身にメリットがないのに、変更させるインセンティブをどう伝えるとよいのだろう。

 現在の後発品への変更割合を1%から30%にするには、価格差とは異なる動機が必要かと思われる。
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調剤事故のリスクマネジメントに際し

2007-07-03 11:11:41 | 思いつくまま
 調剤事故(調剤過誤、インシデント事例を含む)の発生や未然防止に対し、何らかの対策をとろうとしている薬局は多いと思う。

 ある薬局の開設者は、一向に減らない調剤事故等の原因の中で、薬剤師らが決められたことをやっていない、やるべきことをやっていないことが問題であるとし、強制的にでもやるべきことをやらせたいという。
 調剤事故等は「好ましくないこと」には違いなく、起こしてはいけないこと・あってはならないこととの位置付けだという。だから、調剤事故等はゼロにすると意気込む。

 そのせいだろうか、職員は調剤事故等の発生に気づくと、“発覚した”とか、“起こしてすみません”などと、少なからず罪悪感を覚えるという。だから報告書も、起きてしまったことはけっして良いとは言えないが、仕方なかった・避けがたかったといった言い訳めいた内容が多いという。ひょっとしたら隠している職員だっているのかもしれない。

 一方、他の薬局では、調剤事故等は職員が一生懸命やったうえでの結果、事象ととらえる。そうなってしまったことには、それなりの理由があり、それを受け入れて、その背景を形成しているものを改善しようと考える。
 そのためには、見られた事例はそれぞれに貴重なデータであり、すべて報告してもらうことが重要だと考えるという。

 どうも前者の薬局では、職員は技量不十分であると信じていないように思われる。指示してやらせるというのだから、薬剤師も専門職というより作業労働者的扱いだ 

 一方、後者の薬局では、職員も人だから間違えることもあることを想定の範囲内にとらえているようで、どうやったらより質の高い状態ができるかと考えるように思われる。人は間違うこともあるが、やればできると信じているのではないかと思った 
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