何かをすれば何かが変わる

すぐに結論なんて出なくていい、でも考え続ける。流され続けていくのではなくて。
そして行動を起こし、何かを生み出す。

こんにゃくゼリー、対策取らず死者17人目

2008-09-30 23:31:32 | 薬害は人災だ
こんにゃくゼリー、また幼児死亡 対策取られず17人目 朝日新聞 2008年9月30日12時10分

 国民生活センターは30日、兵庫県の男児(当時1歳9カ月)がこんにゃく入りゼリーをのどに詰まらせる事故が7月にあり、9月20日に死亡したと発表した。こんにゃくゼリーは子どもや高齢者には窒息の危険があるとされ、95年以来の死者はわかっているだけで17人となった。規制する法的な枠組みがないとして抜本的対策がとられず、被害が広がっている。

 センターによると、事故のあった製品は業界最大手「マンナンライフ」(群馬県富岡市)の「蒟蒻(こんにゃく)畑 マンゴー味」。凍らせたものを7月29日に祖母が与えたという。

 こんにゃくゼリーでは95~96年に8件の死亡事故が相次いだ。センターの注意喚起や業界団体の注意表示で97~04年は8年で3件と減ったが、05~07年の3年で5件と再び増加の兆しを見せている。昨年3月には三重県伊勢市で男児(当時7)が学童保育所でおやつに出されたゼリーで窒息死した。

 センターは昨年7月にも業界団体や国に対して事故防止策の検討を要望。しかし、食品衛生法を所管する厚生労働省は「食中毒対策など衛生面で危害の恐れがない」、日本農林規格(JAS)法所管の農林水産省は「表示の問題ではない」などと主張。いずれの省庁も現行の法体制では規制できないとして、「すき間事案」のままになっている。

 こんにゃくゼリーは通常のゼリーより硬く、弾力性が強いため、のどに詰まらせやすい。全国こんにゃく協同組合連合会や全日本菓子協会など業界3団体は昨年10月から商品袋の表面に「お子様や高齢者の方はたべないでください」と書いた統一警告マークを表示しているが、01年以降に事故が相次いだEU(欧州連合)や韓国では、既に販売が禁止されている。

○消費者庁で規制を
 佐野真理子・主婦連合会事務局長の話 これだけ多くの方が亡くなり、「行政のすき間」の商品として問題となっていたのに、行政が何もせず放置してきた結果、また1人亡くなった。警告マークをつけて済む問題ではないことが明らかになったし、そもそも高齢者や子どもが食べてはいけないお菓子が流通していること自体おかしい。早急に消費者庁を設置して、規制すべきだ。

○表示を改良したい
 マンナンライフの話 これまでの事故を受けて、業界団体で協議し、商品に警告マークをつけてきた。表示を大きくするなど、消費者にさらにわかりやすく改良したい。製造を中止する考えは今のところない。

----------・----------・----------

 「こんにゃく」にも「ゼリー」にも罪はないが、これを組み合わせたこの製品は欠陥を持ったまま市場に置かれている。相手が「こんにゃく」や「ゼリー」だと思うから、何もそこまでメクジラ立てなくても・・・、などと、回収も改善もされないまま、危険が放置されていることはないだろうか。

 危険性があると知りながら、それが市場にあったのなら、この男児は死ななくてもよいのに犠牲になってしまったことになる。男児の祖母の胸中は察して余りある。まさに人災といえるのではないか。

 想定された危険性に有効な手立てが打てないのなら、この組み合わせの製品は製造可能な製品であっても存在させるべきではない。せっかくの食感を持ち合わせていても、なくてはならぬ食品ではない。だからEUや韓国では販売禁止となっているのだろう。

 商品への警告マークもあった。しかし個装にまで施されていたのだろうか。意義を果たせないのなら、メーカーの、責任逃れのために表示したにすぎないことになる。どの程度に表示を改善するか知らないが、表示だけで済む問題なのか。TVや各種広告で大々的に警告を発すべきではないか。そして、新表示品ができるまで、現表示品を回収してはどうだろうか。

 どこか薬害を起こした問題のある薬剤にも似ている感じがしてならない。
Comments (2)
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「ランチェスター経営」がわかる本

2008-09-30 22:22:17 | Book Reviews
儲けの仕組み、教えます! 「ランチェスター経営」がわかる本』 竹田陽一・著、フォレスト出版、2005年10月1日

p.18 商品を買うかどうかの決定権はお客が100%持っていて、売る側には1%の決定権もありません。
 経営で最も大事な仕事は「お客を作り出す仕事」であることが分かるはずです。どんな会社もお客がいるから経営できるのであって、会社はお客がいるからこそ存在できるのです。

p.76 目標の規模に手段を合わせようとするな。持てる手段の規模に目標を合わせよ。

p.166 初めてのお客が商品を電話やFAXで注文してくる場合、その商品が非常に気に入って注文したという人はほとんどいません。
 注文したお客の気持ちは、「これまで他社に注文しているのを、今回ムリしてあなたの会社に回したんだよ」と思っていたり、「どの程度の仕事をするか試しに注文しているんだよ」と思っていたりしているものです。

p.172 あなたにもし、「お客を紹介してもらうために親切にしよう」「他社の注文をうちに回してもらおう」と下心があって実行すれば、相手もそのことに気づきます。お客はそうした下心には敏感です。
 つまり、「報いを求めない親切な心」が必要になります。
 お返しを求めない新設な行為が、力まずにできるようになったら、顧客対応は免許皆伝の立派なビジネスマンになれるのです。
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一瞬で信じこませる話術 コールドリーディング

2008-09-29 21:51:17 | Book Reviews
「一瞬で信じこませる話術 コールドリーディング」 石井裕之・著、フォレスト出版、2005年6月7日

セレクティブメモリ、アンビバレンス、ストックスピール、ズームアウト/ズームイン、サトルネガティブ、サトルクエスチョン、サトルプリディクション
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週末起業

2008-09-28 22:04:13 | Book Reviews
「週末起業」 藤井孝一・著、ちくま新書427、2003年8月10日
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薬局、薬剤師を信じよう

2008-09-28 07:28:19 | 薬局経営
教育改革の前に 学校・教師を信じよう 現場の予算・人を充実させよ
(広田照幸・日本大教授) 朝日新聞 2007.2.1より

(前略)もう一つは、教育行政が世論に応えて「何か改善策を」とやるたびに、学校現場は余裕がなくなっていく、という悪循環にはまっていることである。特に、授業の工夫や子どもと向き合うための時間的余裕がなくなってきている。1980年代以降、学校は、ろくに教員も増員されないまま、次々と「改善」「改革」の名のもとで、新しい試みの指示が上から降ってくるようになった。その結果、教師の職務は、水ぶくれのように多方面で不安定型なものへと広がってきてしまった。会議や研修や書類作りの仕事が増えた。トラブルや苦情への対処の時間も増えた。教育活動そのものではなく、評価資料作成や評価のための時間も増えた。学校選択制のもとでは、パンフレットを作って「営業」に出かける必要も生まれてきた。見ばえのよい新規の事業でないと予算がつかないしくみが、そうした職務の水ぶくれの拍車をかけている。

 教師が燃え尽きる危険

 ここ数年は、学校や教師への不信感をベースにしたシステムが全面化されようとしている。学校選択制度、学校の外部評価、教員免許の更新制、バウチャー制である。個々の学校や個々の教員を評価し、チェックする。学校や教員を不安にさらすことで、否応なしに彼らをもっと働かせようとするしくみだ。まじめで熱心な教師ほど、限界まで追いつめられる。近年の精神疾患の増加は、おそらくその現れである。このままの方向では、さらに大量の教師がバーン・アウト(燃え尽き)してしまいかねない。
 金をかけずに非難や恫喝で人を動かすシステムは、一時的に高い成果を挙げたとしても、長持ちはしない。「学校や教師を信用してみる」方向での改革が必要なのではないか。まずはたっぷりお金を出してほしい。ひも付きでない形で予算と十分な時間を与えてみる。「教材検討の時間でも、子どもと向き合う時間でも、自由に工夫してみろ」と。いじめや不登校など、日常の関係レベルでの問題を減らすためにもそれが必要だ。日本の教師の力量をもっと信用して、時間的な余裕を与える条件整備が進められなければならない。

---------- ---------- ----------
 「学校」を「薬局」に、「教師」を「薬剤師」に、「子ども」を「薬局利用者に置き換えてみると、かなり当てはまるように思える。「改善」を前面に出されると、ただちに反論もできない。しかしその中身はやることを増やすだけで業務が改善されるわけでも、利用者が享受するメリットが増えるわけではない。

 そもそも“やらせる”方式で強制されており、指示命令という服従を強いるものだ。報告を義務化していれば、何らかのことをやらざるをえない。

 そんな日常に体を合わせ、生活のリズムができてしまうと、ますます社会に本来の役割を果たし、専門性を提供することから遠ざかってしまう。利用者や社会から求められていることと、内部で求められていることの乖離が進み、披露、消耗、場合によっては絶望感におそわれる。

 有能な職員を失えば、ますます外面的に形だけでも整えておかねばならないから、仕事は表面的なものにならざるを得ず、利用者に向き合うことも薄っぺらなものになっていく。

 本質を追求し、レベルアップするために日々悩み、改善を図るのならともかく、それ以前の内部のひずみやゆがみを是正するようなことが活動の関心になってしまっているのは、現体制の行き詰まりを意味しているのかもしれない。

 
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フルスウィング

2008-09-27 20:54:10 | Book Reviews
「フルスウィング」 須藤靖貴・著、小学館文庫、2005年8月1日
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失われた「売り上げ」を探せ!

2008-09-26 22:24:22 | Book Reviews
『失われた「売り上げ」を探せ! 商売繁盛の大冒険  小阪裕司・著、フォレスト出版、2001年11月6日

p.32-3より 患者が説明を聞こうとしない(あるいは必要としない)のは、なくても大丈夫であると思っているか、心が話を聞く体制になっていないからではないか。自分にとって必要性に乏しいと思っているのなら、“話を聞いて確認しておかなきゃ・・・”という動機を持ってもらうことが先決だろう。

p.73より 薬局に来て薬剤師と話をすることが“楽しみ”でもあり、これまでの生活に改めて充実感、安心感を与えてくれる、といった期待が、服薬管理指導を受ける背景に欠けていることはないか。

p.88 真の商売人というのは、伝道師なのです。「伝道」というのは文字通り、「道を伝える」ことです。
 真の商売人は、お客に自分の教えたいこと、伝えたいこと、広めたいことを教え、伝え、広める人です。それを通じて「道」を伝える人です。

p.92 ワクワク系における「売る」という行為は、「教える」という行為。そしてみなさんの役割は、マスター。
 マスターだから威厳があるわけです。別に威張らなくてもいいんですけど(本当の師というのは威張っていませんから)。

p.100 私は信念を持って言いますが、人は人の役に立って全体の幸福に貢献したい存在なのです。もうちょっとわかりやすい言葉で言えば、誰かのために何かしたい存在なのです。
 人の役に立てたことの喜び。
 誰かのために何かして、それが喜ばれた時の感動――これは自分が利己的な欲求を満たしたときより、確実に大きいのです。人の役に立ったときの喜びって・・・・・。
 人には「人の役に立ちたい」「人に何かをしてあげたい」という欲求が眠っています。これが最も人にとって大切な、根源的な力です。
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なぜあの人は会社を辞めても食べていけるのか?

2008-09-25 22:12:23 | Book Reviews
「なぜあの人は会社を辞めても食べていけるのか? 会社にいても、飛び出しても、うまくいくひとの考え方・仕事のやり方 藤井孝一・著、明日香出版社、2007年4月30日

p.120 経営コンサルタントは、成果が形に残らない典型的な仕事です。そのため、お金をもらうことが難しい職種だと考えられています。形が残らないことをいいことに、まったくお金を払おうとしない人もいます。
 対策としては、あえて目に見える成果物をつくることです。たとえば指導をしたらその過程をしっかりと記憶しておき、レポートや議事録として提供することです。

p.172 お金で人を動かすことには限界があります。人はお金で動くわけではないからです。では、何が人を動かすかというと、たとえば「仕事に対する興味」があります。「この仕事が面白いか」とか「この仕事にやりがいがあるか」など、優秀な人ほど仕事に対する興味が「仕事を引き受けるかどうか」の判断基準になります。
 一度仕事を依頼したら「あまり口出しをせず、自分がすべての責任を取る」という態度が大切です。途中でいろいろ口出ししても、成果が自分の思い通りに変わらない場合が多いからです。それなら、気持ちよく主体性を持って仕事をしてもらったほうが、結果的に良いものができます。

p.198 ビジネスで儲けること、すなわち稼ぐことができるのは、人を幸せにするからです。つまり、人を幸せにできる人だけが儲けることができます。
 反対に、自分の儲けだけを目指したり、儲けることよりも使うことに関心が移ってしまったりすると稼げません。理由は人が離れてしまうからです。

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野村再生工場

2008-09-25 00:00:33 | Book Reviews
「野村再生工場――叱り方、褒め方、教え方 野村克也・著、角川oneテーマ21、2008年8月10日

p.10-11 無視されたり、ほめられたりしている段階では、まだ半人前なのだ。逆にいえば、期待するから叱る。もっと育ってほしいと思うから厳しくなるわけだ。

p.12-3 「失敗」と書いて「せいちょう」と読む。人間は叱られて育つと信じている私であるが、それだけに叱る際には気を遣う。
 ただやみくもに叱ってはいけない。それでは逆効果になってしまう。
 全力を尽くした上での失敗から学ぶことは少なくない。

p.20 いくらコーチに教えられても、言われたことだけを言われたとおりにやっているだけでは、それ以上の成長は見込めない。選手自身に創意工夫しようとする気持ちが生まれなければ、「もっと打てるようになるにはどうすればいいのか」と考えることがなければ、絶対に一流にはなれないのだ。だからこそ、技術論を教える前に、自ら能動的に取り組むという意識を植え付けることが大切なのである。

p.29 野球選手は野球で目立てはよろしい。真剣に野球に取り組んでいるのなら、そんなこと(モヒカン頭)はしないし、考えないはずだ。言い換えれば、髪の毛をいじるという行為は、精神のバランスが崩れていることを意味するのである。

p.42 指導者はなんとかしてモチベーションが高まるような目標を与えることで選手にハングリー精神を叩き込んで、満足や妥協などできないような状態にし、本人が気づいていない才能に気づかせ、引き出してやらなければならない。それは指導者の務めである。それができない指導者は、人を育てたり、再生させたりすることはできない。

p.42-3 「考え方が変われば行動が変わる」。
 心が変われば態度が変わる、態度が変われば行動が変わる、行動が変われば習慣が変わる、習慣が変われば人格が変わる、人格が変われば運命が変わる、運命が変われば人生が変わる。

p.51 「無形の力を養う」。「かたちのない力、目には見えない力」のことである。

p.54 結果の裏側にあるものは何だろうか。
 「プロセス、過程」にほかならない。「プロフェッショナルのプロ」とは、「プロセスのプロ」でもあると私は思っている。きちんとしたプロセスを踏むからこそよい結果にたどり着くことができるし、結果を出すためには、どのようなプロセスを歩むかということが重要になると私は信じている。

p.90 人間の価値は他人の評価で決まる。他人の評価が正しいのだ。「この選手はこうなってもらわなければこれ以上伸びない」と周りが判断しているのに、当の選手が自分は正しいと思い込んでいては、つまり自分から「変わろう」という意思が見られないのでは、いくらこちらが変えようとしても変えられない。

p.125 人間の評価とは他人がどう感じるかによって決まる。他人の下した評価が正しいのだ。とすれば、一度落ちてしまった評価を覆すには、「あいつ、変わったな」と周囲に感じさせる必要がある。そのためには、それまでの考え方を変えなければならない。選手が再生できるかどうかは、この「考え方を変えられるか」ということが非常に大きな意味を持つのである。

p.131 力があるのに引退せざるをえなかった選手は、指導者の怠慢だといっていい。選手たちの隠れた才能や長所を発見し、引き出し、チャンスを与え、それを活かす方法を教えてやらなければならない。それは指導者の使命である。

p.136 「どうやって人を再生させるのですか」よくそう訊かれる。
 「その選手に対する愛、そして情熱です」そう、再生の根底にあるのは、愛情なのである。

p.151 「見ている人は見ているよ。仕事は絶対に手を抜いたらダメだ。全知全能を使ってベストを尽くしなさい。必ず誰かが見ているから」

--------------------

 研修とは、自分たちが本来顧客や社会のために役割が果たせるための力量を育て、高めること。自分たちにとって都合のよい内部事情を満たすためのものではない。 
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一冊の手帳で夢は必ずかなう

2008-09-23 18:19:34 | Book Reviews
「一冊の手帳で夢は必ずかなう なりたい自分になるシンプルな方法 熊谷正寿・著、かんき出版、2004年3月22日

p.184 もし経営者が、自分の感動や夢を誰かと分かち合いたいという思いを持たずに、売り上げ数字だけを見て事業を展開していたらどうでしょう。

p.186 経営者の役割の一つは、社員が「自ら動くような仕組み」を作ることにあります。
 指示待ち社員を嘆く気持ちはわかりますが、経営者としては、どうすれば自ら動くようにできるかを考え、そのための仕組みを作る工夫をすることが先決です。

p.192 社長たる者の意思決定はすべからく、彼ら(社員、株主、顧客など)の「笑顔」と「感動」を得られるかどうかになければなりません。
 
p.215-6 ベンチャーとは、
 「新しい技術やサービスを持って、新しい事業を作り出し、お客様に笑顔と感動をもたらす企業」
 「既得権益でガチガチに固められ、お客様が不利益を享受している分野に、新しい技術やサービスをもちこみ、お客様に笑顔や感動をもたらす仕事をやっていこうとする企業」
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ジェネリックは選ぶのか指定されるのか

2008-09-23 14:26:13 | くすり雑感
 ジェネリック医薬品を銘柄で処方し、中には変更を「原則不可」としている医療機関がある。特定の薬剤が変更不可とされるのならともかく、処方全体において、処方の時点で薬剤が決められてしまうことは適切か。

 後発品の銘柄指定であろうと、後発品の使用を考慮しているじゃないか、国の使用促進になっているからいいじゃないかとしているようである。

 病院の担当者は、「院内で後発品を使っているし、院外でも指定したうえで処方している」と話し、後発品処方の制限ではないことを強調。後発品への変更は、調剤後に薬局が商品名を連絡していることに、「商品名を把握しにくい形で処方するのには不安を感じる」と説明した。(リスファクス 5185号、2面、H20.9.8)

 どの後発品が患者に使用されるかが、処方の段階で指定されてしまえば、患者に選択の余地は生まれない。医療へ参加する機会を失う。場合によっては、先発品にしたいという意向すら、叶えられない。

 処方に「変更」というオプションが付与させないのなら、何のための代替調剤、新「処方せん様式」なのだろう。受診する医者によって、同じ成分であっても処方される銘柄が変わってしまうのなら、患者は戸惑い、混乱する。処方とは、薬理作用を有する成分を治療に用いるのが適切であるとする選択だろう。そもそも同じ成分でありながら、医療機関のよって指定する銘柄が異なるとはどういうことか。銘柄を指定してみたら、そこまで意見が分かれる理由は説明がつかないのではないか。

 その薬理作用を有する成分を含む製剤の中で、適切なものを選ぶ場が薬局である。銘柄が固定された処方ならば、同成分の薬剤でありながら、ありとあらゆる薬剤を在庫しなければならなくなる。これは薬局経営のみならず、医療のムダだ。

 ジェネリックの使用促進はメーカーも含めて、関係団体がみなで取り組まなければ進まないし、定着しない仕組みだ。患者がどの医療機関を受診しようとも、かかりつけ薬局において適切な薬剤を選択し、提供されることで、治療レベルを下げずに自己負担金も軽減でき、国の医療費削減にもつながる仕組みだ。薬局はもっとどの薬が服薬にふさわしいか、国民に示していく必要がありそうだ。

 ジェネリックが処方されてさえいればいいのではない。処方は、その成分の薬剤によって治療を進めるという計画書であって、どの製剤を使うかは、国民や薬局に委ねることに意味がある(一部の、どうしてもその薬でなければいけない薬剤を除いて)。薬局は使用に値するジェネリックを採用し、責任を持って使用に結びつける。患者はどの医療機関で受診しようと、どの薬を使っていくとよいか、適切に管理されて、自らも納得して治療を進める。その相談場所は薬局にほかならない。

 後発品調剤体制加算が薬局の調剤報酬に付けられているのも、そういう背景があってのことであるととらえるとよいと思われる。
Comments (4)
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危ない薬の見分け方

2008-09-22 23:12:47 | Book Reviews
「危ない薬の見分け方」 浜六郎・著、ベスト新書(KKベストセラーズ)、2007年10月20日
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成功はどこからやってくるのか?

2008-09-21 18:24:11 | Book Reviews
「成功はどこからやってくるのか? 「成功法則」の取扱説明書 岡本吏郎・著、フォレスト出版、2004年11月22日

p.93 「あいつ」。
 まるで自分に乗り移ったかのように、自分以上の力を発揮させてくれる力。

p.104 「冒険とは実行する当人に主体性がなくてはならない」。言われてみれば当たり前のことです。
 主体性のない冒険なんて考えられません。しかし、「冒険」という言葉に「ビジネス」や「人生」という言葉を入れてみると、「主体性」のないものが多くあることに気づきます。

p.107 成功者の共通点は、ストイックな準備と気楽な実行力です。
 失敗者はこの逆です。いいかげんな準備と用心深い実行。

p.135 最初は、あくまでも「偶然を待つ」というのは「思考法」でしかないと考えていました。しかし、いつの間にか水に全身を預けると体が浮いてしまうように、「偶然を待つ力」というのは「人生の浮力」だと思えるようになってしまったのです。

p.222 「才能は磨きをかけなくてはならない」
 確かに「あいつ」はそうでない時も来るけれど、圧倒的に多くやってくるのは、自らの「才能」にあぐらをかかず、「才能」に磨きをかける問いを発して努力する時だ。

p.245 「効率を考える場合は効率から追ってはダメなんだよ。非効率から入っていくんだ。君はまだ若いからわからないかもしれないが覚えておきな・・・」
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健康を脅かすことを通り越して犯罪

2008-09-21 11:29:42 | 薬害は人災だ
 丸大食品が原料として用いていた中国産牛乳の中にメラミン樹脂が含まれていたことから、消費者の健康を考え、回収に踏み切った。食品を扱う企業として、国民の食の安全を考えれば当然のことといえる。

 三笠フーズは汚染米と知りつつ転売し、不正に利益をあげていた。そこには食の安全を守ろうとする姿勢などみじんも感じられない。見つからなければいいだろう、自分たちが問われなければいいだろう、といった狡さすら感じられる。
 
 ミニマムアクセス米の処分に困っていた農林水産省にも甘い調査体制が指摘されており、農政にも矛先が向けられている。こうなってくると、もはや犯罪との声も聞こえる。

 最近のこれらの報道を知り、薬や薬局の行動にとってもひとごとではないような気がした。
 「汚染」ではないものの、そもそも副作用のない薬はないし、中には相当の注意が必要な薬剤、また安易に使うべきではないとされる薬剤もある。患者に必要な注意が知らされないまま交付されていたら、薬剤師もとにかく渡せば自分たちの役目は終わりとしていたら、薬局は何のために仕事をしているのか、ということが問われるだろう。

 薬の安全性を守るのは誰なのか。薬剤の承認に問題があったとすれば、厚生労働省や製薬企業にも関連し、医療行政の問題でもある。役割を果たさない薬局に対する監査体制が甘かったら、業界のありかたも問われるだろう。

 安全を守ろうとする姿勢の見えない企業からは、組織的な私利私欲、儲け優先の考え方が容易に見てとれる。その組織(企業)の社会における存在意義が存在理由に、国民にたいする「安全確保」が最優先であるはずなのに、利益確保が方針に挙げられていたり、それに結びつく内的な行動計画が掲げられているようなことは、厳に慎まねばならない。社会に対して、本来果たす役割を全うすることに全力を挙げて取り組むべきである。

 あるところで大義名分で社会的使命を掲げていても、一方で売上確保が目標とされているようであれば、常に売上管理によってその推移が関心事として現場に投げかけられていれば、それは組織の活動において、物事の判断や選択に大きく影響する。安全確保にそれらがジレンマとして重く関係している状態は、危険信号の状態であると警告しているようなものであり、そのうえで収益を強く求められているとしたら、もはやバランスを大きく欠いた、行き過ぎの状態といえるだろう。そのような組織で、本来の役割である顧客の安全確保など、たいして機能しない(出来ない)であろう。

 その一端が垣間見えるような企業や薬局は、まず避けること、それが消費者にとって賢明な係わり方であると思われる。
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とことん悩む人が強い理由

2008-09-20 23:12:47 | Book Reviews
「とことん悩む人が強い理由」 岡本正善・著、ぶんか社文庫、2008年3月20日

p.57 スポーツ界に限らず、若い人たちが本来もっている能力をより広く生かすためには、苦しいことやつらいことはなるべく避けるという態度は障害になるだけです。

p.59-60 トップに立つ選手たちは、「今日試合でこういう失敗をしてしまった」という場合、なぜ、どういうふうにしてその失敗が起こってしまったのか、克明に覚えています。そしてその失敗をした場面をイメージで再現しては、しつこいほど反省をします。
 一方、実力のない人間ほど「明日に備えて」といった理屈をつけては、自分のおかしたミスは忘れよう、忘れようとする傾向にあります。こういう人はまた同じような状況になると、同じようなミスを繰り返すのです。

p.67-8 ネガティブなことを排除しようとする風潮が、われわれの能力を引き出すのではなく、埋もれさせてしまっていること、失敗を成功に変えるチャンスを奪い取ろうとしている・・・

p.75 スポーツの試合が問題を発見することとそれを解決することの連続であるように、仕事、あるいはわれわれの人生自体、結局は問題発見と問題解決の連続と考えることもできるでしょう。
 問題をどれだけ見つけることができるか、その問題を解決する方法をどれだけたくさん身につけることができるか。それによって結果を出せるかどうかが決まるわけです。

p.76 「問題」を見つけ、「問題」に気づくためには、まず否定的な結果を素直に認める態度が必要です。能力を信じ、よい結果を思い描くだけでは現実を変えることはできず、思いどおりにはなりません。

p.77 「問題」や、失敗やミスという「悪い結果」を無視せず、潜在意識のレベルにしっかりと入力し、蓄積することによってはじめて潜在能力は「問題解決」のために働き出すのです。
 こういう目標をもったのに、現実にはそうならなかった。では、なぜそうなったのか、目標と現実との間にどんな差があったのか、どうしてその差があるのかなど、それらの問題について潜在意識に考えさせることが、ネガティブ思考の目的です。

p.78 本来のポジティブ思考というのは、ミスや失敗をする自分には目をつぶり、成功する自分を思い描くといった短絡的なものではありません。

p.79 不幸な未来を先取りし、わざと最悪の事態を想定して、潜在意識を刺激することで、潜在能力はより活性化され、問題解決により真剣に取り組むようになるのです。
 そのためには、ミスや失敗をたくさん経験することは無駄ではありません。そうしたミスや失敗を生む背景や状況を素直に認め、そのうえで二度と同じミスを繰り返さぬよう正確に分析し、対処できる力を養っていけばいいのです。

p.85 過去の体験をもとに情報処理するわけですが、体験そのものを失敗ではなく成功したものとして入力してしまえば、プログラムが書き換えられて、本来の成功のプログラムとして機能することになります。先に説明した「ミスの練習」は、いわばこの情報の書き換えのための作業といえます。

p.114-5 (最悪の事態に対する)不安が大きければ大きいほど「なんとかしなくては」というエネルギーも大きくなり、潜在能力が動きはじめます。
 最悪の事態を避けるにはどうすればいいのかということを潜在能力が真剣に考えはじめるわけです。つまり、ネガティブ思考というのは潜在能力を動かす原動力、必要なときに動かすためのエネルギーをため込む作業といえます。

------------------------------

 調剤エラーの原因を教訓として、類似した状況が見られたら過去の経験を活かし、必要なプロセスを機能させ、繰り返すまいとしているだろうか。それが「注意する」ということだろう。
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