何かをすれば何かが変わる

すぐに結論なんて出なくていい、でも考え続ける。流され続けていくのではなくて。
そして行動を起こし、何かを生み出す。

野村克也・著 『巨人軍論』

2006-04-30 22:18:15 | Book Reviews
 奥さんと話し方は何とかしてもらいたいと思うけど、野球のこととなるとこの人ほど深く研究した人はいないのではないかと思うほど、その洞察力は尊敬に値する。

 『巨人軍論』 (野村克也・著、角川書店)

 読売ジャイアンツを分析し、考察する・・・というよりも、自分が選手として監督として、戦い、接してきた時を通じて、巨人の存在を通じて、野球を論じるといった内容だ。その物事の捉え方において、野球のあり方を述べているのだろうが、そこにはなんと一般社会におけるプロフェッショナルとしての仕事への取り組み方、人心掌握の極意、管理のあり方などと、共通するものがあることだろう・・・。
 野村監督はビジネス書としても売れるなどと思って書いていないと思う。とにかく野球を深く掘り下げて解き明かし、体力や技術以上に、心理戦、頭脳戦として知的ゲームに高めたことはまちがいない。

 昨今のジャイアンツの凋落ぶりを見れば、そこには数多くの誤った管理や介入があることがよくわかる。それはまるで「他山の石」か反面教師として、そこから学べ、という後世へのテキストにもなるのではないか、と思った。

 単なるジャイアンツ批判、敵対視、野球論、・・・そんなふうに本書を思っていたら大きな誤解である。ビール片手に球場で一喜一憂するのもいいが、改めて野球の奥深さを思い知るのも、また愉しいではないか。
 楽天の選手も、ボヤかれて重苦しいかとは思うけど、ノムさんの著書をすべて読んで考え方を叩き込んでみたらどうだろう。まちがいなく野球人として成長すると思う   
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やはりタダモノではない、ホリエモン

2006-04-30 11:43:28 | 思いつくまま
 保釈されたホリエモン、拘置所の門を出たところで無言のまま車に乗り込むこともできただろうに、報道陣に向かって何を言おうか、事前に考えていたのだろうか。
 出所直後のコメントは、逮捕直前の記者会見を延長しているかのようであり、その考えは揺らぐことなく貫いているようである。ボロボロになって、精気を抜かれたようなことは感じさせず、むしろスッキリして、リフレッシュしたかのようである。清清しくもある。

 94日間に、約200冊の本を読んでいたという。平均して1日2~3冊。すべて読破したかどうかはともかく、ちょっとめくっただけで終わった本が多かったのかどうか。誇張も含めての報道だろうが、乱読、速読、見事なまでの充電期間である。
 慣れない環境、取り調べの精神的苦痛、不自由な規律、ものともせず順応しなきゃできないことであり、「あっぱれ」をあげたい。

 ここでは事件そのものへの批判は置いておくとして、さて、我々の中には月1冊すら本を読んでいない大人も学生も多いのではないだろうか。会社ではそれなりに仕事をしているとはいえ、それとは別に日頃、自己を高める努力を怠っていないだろうか。

 生活が拘束されなくとも、ホリエモンと同じくらい、自分を高めることに時間を費やせているのだろうか。ライブドア粉飾決算を批判する中には、そういう桁外れのバイタリティに嫉妬する無能で努力不足の御仁が少なからずいるのではないだろうか。
 ホリエモンが事件で裁かれる姿を見て、相手が落ちれば労せずして自分が上に上がれるとばかり、まさに「他力本願」で偉くなろうとしているような空気も身辺に強く渦巻いている。そういう者ほど、上司の顔色を伺い、おかしなことにも従い、従順さだけで取り入ろうとする、ヒラメ族と言ってもいいだろう。

 さてゴールデンウィーク。この10日間弱を、どこへも行くあてのない身としては、せめて2~3冊の本でも読んでやろうと、昨日は紀伊国屋に行った。さっそく、1冊の半分ほど読んだ。
 相手のミスで上がろうとするのは、足を引っ張るようなことにも通じる。そうではなく、自分が動いて何かを積み重ねることで、前進をしていきたいと思う。ホリエモンには、そういったところで教えられるところ、学ぶところがあった出所報道だった   
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粉飾、偽装、捏造・・・、人を騙して徳をとる

2006-04-27 23:20:00 | 薬局経営
 堀江貴文・元ライブドア社長が保釈され、やせてすっきりして、なんか若々しくなったかのようにその姿を現した。一方、姉歯・元一級建築士が逮捕されて、坊主頭になった姿がカメラでとらえられた。元々カツラのようだったから、本来の姿なのかもしれないが。
 さらに、大きな扱いではないが、データ捏造の報道もあった。

神戸大教授がデータ捏造 鉄切削工具の特許で 読売新聞 2006.4.27
-----転載ここから
 神戸大工学部の大前伸夫教授(59)が、ダイヤモンドを利用した鉄切断工具の開発について特許を出願する際、実際には実験していないデータを記載していたことがわかった。
 神大の鈴木正幸副学長らが27日、記者会見し、「ねつ造と言われても仕方ない。遺憾だ」と陳謝した。(後略)
-----転載ここまで

 粉飾、偽装、捏造・・・ なんのことはない、みな“仲間”のようなものじゃないか。いずれも相手を欺き、偽って、良く見せかけて、稼いでやれ、そういうことじゃないのか。
 それらが発生する状況や場面の違いのせいで、違った単語を使っているが、要は私利私欲のために、中身を伴わないクセに、さも善人ぶっているだけではないのか。

 金儲けに走ることも共通なら、真っ当な稼ぎかたに十分なエネルギーを注いでいないのも同様である。汗水垂らして・・・なんてことではない。楽して稼ぎたい。知恵も使わないで、自分の安定した地位を得たいという、自己保身も共通項だろう。

 とくに悪質なものは報道にいたるが、少なからず、同根の小心者は掃いて捨てるほどいるのだと思う。
 ホリエモンは、実際は知らないが、自分に恥じるところなし、のような、一種堂々としているようにも見えた。才能は多くの者が認めるところだから、それを真っ当なところへ向ければいいのに・・・、と凡人は思う。清貧でいいから、小心者であっても悪党にだけはなるものか、という気骨のある経営者にお目にかかりたい 
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後発医薬品情報提供書はムズカシイ

2006-04-26 20:07:38 | くすり雑感
 ジェネリック医薬品の調剤に際し、説明書を渡している薬局は少なくないと思う。いわゆる後発医薬品に関する医薬品品質情報提供料(後発医薬品情報提供料)なのであるが、多くの薬局では、まだ1つの先発医薬品に対し、ジェネリックを1種類しか在庫していないから、1:1で比較にすぎないその情報提供書を渡していることが多いように思うが、これについて違和感がある。

 ひとつは、これらがジェネリックメーカーの作成されたファイル等を使って、どこの薬局でもそっくり似たものを使用していること(せいぜい薬局名を書き加える程度で、公正競争規約に抵触するのではないか)。
 次が、その内容がわかりずらいこと。この用紙の言わんとすることを理解するにあたり、これまで使っていた先発品と同じだから、安心して飲んでね、と言いたいんでしょ、という雰囲気では伝わるとは思う。しかし品質について述べられている箇所には、専門用語がズラリと並んでいる。「オレンジブック」と言われてもわからない。オレンジページとどう違うの?などと思ってしまうのではないか。
 そして、本情報提供書の意義。本書で説明するジェネリックは、先発品と同じと考えてもらっていいから、安心、納得して薬物治療を継続してもらいたいために用意されたものであろうが、実態はそうではなくて、薬局で冒頭に示した調剤報酬を算定したいがためのものになっているのではないか、ということ。

 内容が難しくて、少しくらいわかりづらくたっていい、とは言わないまでも、少しでも意義を果たそう、理解してもらおう、という薬局側の思いの感じるものに、今のところお目にかかっていない。じゃあ、オマエが作ればいいじゃないか!、と言われそうだが残念ながら返す言葉がない。妙案はまだ持ち合わせていない。

 算定要件には「備蓄医薬品の一覧とその品質(溶出性等)に関する情報」を、情報提供書に含めるとあるのだが、1品目しか在庫していないのでは、一覧も何もない。たとえある一時期に1品目しかなくても、増えたあとでも1:1で解説するのでは、多くのジェネリックの中から希望するジェネリックを選択するという形になっていない。せいぜい、先発品と後発品のどちらがいいですか、といった域を脱していない。

 多くのジェネリックの中から、順位をつけるがごとく、そして公正、中立の意味で1位に選ばれたものだけを在庫するなんてことはできない。せいぜい数品目に絞るのが関の山ではないか。もしくは、品質に遜色なければとどのつまりは薬価の高低がすべてになってしまうのではないか。

 この1:1の情報提供書を用意するにしても、せめて一般の人の視点で、品質のうえで変わるところがない、ということを理解してもらえるようなものを、その思いが伝わるよう、過渡期の産物として作成してみたいと思っている 
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精神的圧力が苦痛なら、なぜ日勤教育をしたのか

2006-04-26 00:08:06 | JR西に学べ
 JR福知山線の脱線事故から1年。1年も経てば少しは風化するかと思ったが、事故の真相もわからず、JR西の体質改善も進まないようで、安全より利益が優先された結果であると、ますます確信が進む日々のようだ。

 今日の昼間にネットのどこかでみた記事だが(夜になって探しても見つからない)、JR西の福知山線の運転手は、あのマンションの脇を通るたびに事故のことを思い出して、ストレスになる、プレッシャーを感じるので、もう誰も住んでいないあのマンションを解体できないものか、と言っているという内容だった。

 日勤教育が、安全性の再教育じゃなくてパワハラにも似ていたのは、再び日勤教育でイジメられたくなかったら、二度と事故を起こすな、運転ミスをするな、時間に遅れるな、という、いわば精神的圧力による稚拙な再発防止にすぎなかったという側面である。小さい子供に、「悪さをしたらお灸をすえるから、しちゃダメだよ」というのと同じで、なぜそれがいけないのか、どうしたらよいのか、という教育でもなんでもないのだ。

 精神的プレッシャーが運転に負の影響を及ぼすので、その原因を解消しようじゃないか、というのであれば、なぜ真の教育とはほど遠い日勤教育のようなものを、当然のごとく課し、社内では上司に絶対服従のようなコミュニケーションの不通を放置しておいたのだろうか。矛盾していないか。それでもなお、日勤教育は一因じゃないとでも言うのか。

 厚生省が、省内に「薬害根絶の碑」を建てることに猛反対したのも、精神的圧力はタマラナイ、なんとしても避けたい、という思いだった。自分たちが責められるのは、もうコリゴリだと思うのだ。被害者は、責めるのではなく、常に何が大事で優先すべきなのかを忘れないための教訓として、プラスに活かして欲しいという思いとは正反対のものだ。

 エフュージョン尼崎が、薬害根絶の碑だとは言わないが、遺族が毎日、写真に向かって祈り、語りかけるように、何かを学び、教訓として根絶を誓って欲しいと思う。その明かしとして、信じられないほどの社内文化を構築し、利益より安全第一を、疑うことなくブレることなく、最大の目的として欲しいと思う 
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安全は最大のサービス vs 安全投資は負担

2006-04-24 21:55:32 | JR西に学べ
鉄道121社、半数「安全投資は負担」 本社調査 (朝日新聞) - goo ニュース

-----転載ここから
 25日で発生から1年となるJR宝塚線(福知山線)の脱線事故をきっかけに国土交通省が全国の鉄道事業者に義務づけた安全施策への対応をめぐり、全国121の鉄道事業者のうちほぼ半数の事業者が経営への影響が及ぶ水準の負担が生じると考えていることが、朝日新聞社のアンケートでわかった。JRや大手私鉄が整備の前倒しや国の基準を上回る独自の対策を予定する一方で、中小私鉄や第三セクターは負担増により他の施設への投資が難しくなるなど、「安全格差」が広がりかねない実態が浮かんでいる。 <中略>

JRや都市部の私鉄、地下鉄などの大手は、「安全が最大のサービスになる」(各社)などとして積極的に取り組む姿勢が目立った。

一方、赤字や資金不足に悩む地方の中小事業者は、基準を満たすための支出だけで経営への影響が出るとして、心配する声が目立った。「会社を倒産させても安全を確保するということはできない」(土佐くろしお鉄道)、「本来計画していた安全のための設備投資が後回しになる」(中四国の三セク)、「(新しい設備の)維持管理経費が経営に影響してくる」(肥薩おれんじ鉄道)――など深刻な意見が相次いだ。
-----転載ここまで

 余裕があるかないか、ドル箱路線を持っているか、細々と首の皮一枚残して営業しているかどうかの差なのだろうか。
 安全こそ最大のサービスと言えるまでには、それなりの教訓に学び、ときに高い“授業料”を払ってきたのかもしれない。学ぶべきところを、会社の基本に据えるには、経営者のモラルが不可欠だろう。「そうは言っても背に腹は変えられず・・・」と、大事なことを後回しにしてきたところは、これから高いツケを払うことになろう。

 安全投資といっても、国が求めるものだから、路線のハード部分の違いなどとは無関係なものだろう。これまで、少しずつ整備をしていれば、苦しいながらもなんとかハードルを乗り越えられるものではないか。
 逆に、それを怠ってきたものは、えてして法的に義務化されていないから・・・、などと言いながら罰せられなければとばかり、怠慢を正当化するような文化、体質の経営だったのではないだろうか。法律でつつかれなければ動かない姿勢、自立(自律)性のなさ。継続的投資でできたことなのだから、それはまさに儲け主義がもたらした残念な結果だろう。

 JR福知山線の事故から1年。いろいろなコメントが見られる中、安全確保への投資が抑えられたまま、そのくせ片一方で安全を確保し、安心を提供したいなどと、キレイ事をほざく薬局の経営者がいるようだ。多少なりとも出費をしていればいいのではない。額の大小、使い方の是非は、自らが計画し、利用者が評価するものだ。少なくとも、他の同業者と比べて遜色ないか、明らかにそれを誇れるほどの実態を見せて欲しいと思う 
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「調剤事故ゼロ」は方針として適切か

2006-04-22 09:51:13 | 薬局経営
 薬局のみならず、医療において、患者さんにとっても、また医療提供側にとっても事故が起きることは残念なことである。けっして望むものではない。
 そこで、しばしばこのような方針が掲げられているのを目にすることがある、「調剤事故をゼロにする」。本気でそう思っているのだろうか、数字上、ゼロにできると心から思っているのだろうか。それとも、意気込みとしてそのくらいでなければいけないと言う意味なのだろうか。

 「人は誰でも間違える」。これも医療の世界で、もはや定説のように言われることである。開き直りでそういうのではなく、ヒトが関与する以上、100%常にカンペキなどということなどありえず、そういうことを想定内として万全の体制を組むべきである、ということではないかと思う。わずかなミスが命取りにつながる、飛行機やロケットでさえも、万全を期したつもりでも、事故は起きている。

 そこでだ、「調剤事故ゼロ」という方針は、どうだろうか。インシデントは当然あるが、そこで回避されれば、アウトプットされる段階では事故ゼロは可能なのだろうか。どうしたらゼロにできるのだろうか。薬局の現場で、現実に、事故ゼロなんてことはないではないか。もちろん監査もし、それなりに対策はとっているのだが、甘いのだろうか。医療とて同様だ。

 「問題解決入門」(佐藤允一・著、ダイヤモンド社)によると、
目標 達成すべき事柄、到達すべきレベルを示したもの。目標は、目的を今年度どの程度達成するかを数量的に示したもの。
方針 今年度の目標を達成するために、今年度どのような施策をとるか、その考え方、やり方を示したもの。目標達成の具体的方法論。

 と定義されている。事故をなくしたいという気持ちはわかるが、それが目標として示され、ゼロ件が達成できるレベルかというと現実離れしていると言わざるを得ないし、方針という具体的方法かというと、そうでもない。どちらにしてもヘンだ。「事故ゼロ」とは、願いや意気込みのようなものではないか。

 もうひとつ、事故ゼロががんばれば手の届くところにあったとしても、これが目標として掲げられることに、腑に落ちない点がある。それは、事故ゼロは数量的に示された目安であって、結果を問うものだからである。結果に至れば、それを喜んで、途中の過程に目が向けられることが薄まるからである。

 数値的結果の達成が目標とされるのであれば、
・途中の経過が自動的に肯定されて、改善が進まなくなる
・結果を求めるあまり、作為や意図的な要素が入り込む(極端にいえば、事故があっても報告しなかったり、隠すことが起きる)
・結果に至るにあたり、そこに偶然や自然現象などが要因として絡んでいるのであれば、その影響が認められ、そこにかかわったスタッフの努力が評価されず、モチベーションを低下させる

 ことになり、図らずもそれはアウトプットに至るまでのプロセスが軽視されることになり、質の低下を招き、ひいては事故発生の原因となるのではないか。

 つまり、数値で表されるような表面的な結果を求めると、結果は得られない のではないだろうか。逆説的なことである。
 であるならば、目標だぁ、方針だぁ、と掲げるものは、その過程を高めることを最大の課題とすべきではないかと考える。これは売上や利益にも当てはまり、これらを求めるのであれば、最もしてはいけないのはこれらを最大の目標や方針などと掲げることであり、課すことだ。すべきことは、質の向上であり、顧客から製品を評価してもらうための活動ではないかと考える 
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JQAに賠償命令

2006-04-22 08:53:49 | ISO9001奥が深いか浅いのか
 日本品質保証機構(JQA)に、認証指導誤りで7400万賠償命令という記事で、ちょっと驚いた。毎日新聞 2006.4.22
-----転載ここから
商品やサービスがISO(国際標準化機構)やJIS(日本工業規格)などに適合しているかどうか審査・認証する経済産業省主管の財団法人・日本品質保証機構が、商品規格認証の指導を誤り約7400万円の賠償を命じられる判決が21日、東京地裁であった。裁判長は「適切な指導助言をする契約上の義務を怠った」と指摘。
-----転載ここまで

 何のことかよくわからなかったが、このようなことだった。
性能認証機関の過失認定 7400万円賠償命じる (共同通信) - goo ニュース
-----転載ここから
三菱重工業(東京)が発電機などをカナダで販売するため、財団法人日本品質保証機構(JQA)に機械の性能認証などの指導を受けたところ、カナダ側から不適合とされたとして、約1億3000万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が21日、東京地裁であった。

藤下健裁判長は「JQAの担当者は発電機などがカナダの規格を満たしていなかったのに指摘しなかった」と過失を認定し、JQAに約7400万円の支払いを命じた。

判決によると、三菱重工業は発電機や溶接機の輸出を計画。JQAが1998年に製品を試験し、カナダの規格に適合していると判断したため、製品を輸出した。ところが2000年2月、カナダのオンタリオ州当局に規格不適合を指摘され、販売や輸出を停止せざるを得なかった。
-----転載ここまで

 ISOに関する業務のみならず、もっと広い部分にJQAは係っているのであって、中には、長い活動のうちには、想定外のことが起こることもあるのだろうが、なんせ、かたや一方で品質管理を積極的に進めているところでもあるのだから、「アリの一穴も漏らさない」でいて欲しかった。

 JQAによって審査を受けている認証登録機関の不祥事に、JQAが関与した組織が目立ったが(ヒューザー、三菱ふそう、東横イン)、JQAのせいではないとはいえ、われわれのあずかりしらぬところで、何かよからぬことの前触れでなければいいと祈る 




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調査は適切か、事故はなぜ起こったのか、JR西日本

2006-04-21 13:43:11 | JR西に学べ
JR西の日勤教育、過密ダイヤ… 実態、他社と同じ 捜査本部 (産経新聞) - goo ニュース

-----転載ここから
 兵庫県尼崎市のJR福知山線脱線事故で、尼崎東署捜査本部が、JR東日本や関西私鉄各社などから運転士教育の懲罰性や、ダイヤ編成の過密さについて任意で聴取した結果、JR西日本の実態と明確な差異がなかったことが十九日、分かった。これまで日勤教育や過密ダイヤが運転士の焦りを招き、事故を引き起こした要因として指摘されてきたが、事故との因果関係を立証するのは困難との見方も出ている。捜査本部は会社側の管理責任について慎重に調べを進めている。

 捜査本部は、JR西と他社の実態を比較した結果、他社にも運転ミスに対するペナルティーとして乗務を外して繰り返しリポートを書かせるなどの運転士教育をしているケースがあり、懲罰性についてJR西と明らかな差はみられないことが分かった。

 また、過密とされたダイヤ編成についても、福知山線以上に運行本数が多い路線はJR東などにあるが、多数の死傷者を出す事故は発生していない▽JR西がダイヤを厳守するよう運転士に与えた重圧は他社に比べて突出していない-などを確認した。
-----転載ここまで

 要は、他の鉄道会社とJR西日本とで、勤務実態、社内体制とを比べたところ、バックグラウンドの部分で差異が認められず、日勤教育や精神的圧力が事故の背景であるとする見解は当たらない、ということか。

 外見上の差異はなくても、懲罰なのか再教育なのかといった、実質にあたるような部分や程度まではわからないし、社内文化の違いなどもあるだろうから、この結果も報道だけではよくわからないところではあるが。少なくとも被害者にはにわかに受け入れがたい報告ではないか。

 取りようによっては、社内体制に特筆すべきところがなければ、運転士自身の問題(が主因)であると、間接的に言っているようなところもある。置き石が原因として疑われると言ったJR西だ。

 だからといって、なぜ他の鉄道会社には事故が起こらないのか。オーバーランくらいは珍しくないが。何かJR西にはないものを持っているのか。それが欠けていたからなのか。さもなくば事故は時間的な順番に過ぎず、JR西は運が悪かったのか。

 他社にも同様の素地があったとしても、事故によって明るみに出た社内文化は感心したものではない。上に何も言えない風土、イジメと言ってもいい文化。それが認められるものでも、原因とは言えないと完全否定できるものではないと思う。

 TVで、元・阪急の運転士が、JR西との違いを述べていたような番組があったと思う(記憶違いでなければ)。この運転士は、他社のこととはいえ、同じ運転士として危惧していたといったコメントをしていた。ダイヤも、阪急とJR西とで比較して、JR西のダイヤは無理だ、と述べられていた。ビデオも撮っていないし、番組名も忘れてしまったが・・・。

 果たして、原因究明は適切になされているのか 
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売り手指向のジェネリック

2006-04-20 23:12:55 | くすり雑感
 ジェネリックの使用促進にあたり、「促進」というイミを、前向きに使用を検討する、暗に(やんわりと)否定的に捉えない、ということで、そのニーズに対して積極的に向き合おう(ただし科学的に冷静に、中立的に)、ということを言ってきたつもりである。

 その結果ということでもないが、少しずつ1つの先発品に対して1品目ずつジェネリックが揃い始めている。揃い始めると、どちらにしますか? 先発品と後発品をは言うものの、二者択一を迫るような感じ で進められているように思う。
 しかしこの揃え方は、えてして薬局の都合が往々にして入っていることも、たびたび指摘してきた。チェーンでは、店舗間で在庫を譲り合おう、ひいては廃棄ロスを減らそうと、指令を出す始末である。

 ジェネリックを揃えるところまでは、第一歩としてはいいのだが、その先が途端に売り手指向になってしまうのが残念なところだ。患者志向でなくてはならない医療サービスが、ある時点を境に、いつのまにか売り手指向に変わってしまう。これはヘンではないか。

 費用のうえで、選択するという医療への参加の道を開くうえで、ジェネリックが題材として薬局に提示されている。患者さんの立場になって考えるのであれば、当薬局でジェネリックといえば、このメーカーのこの製品だ、と言うのは早急に廃止しよう、在庫が増えて困るは売り手の論理だ。少しずつ、選択肢を増やしてあげようではないか。

 ・・・なんて言いながら、ジェネリックメーカーが無数(?)にあることを思うと、どこまで在庫を増やせばいいのやら、見当もつかない。しかし、なんでこんなことを強く思ったかというと、ある本の存在がある。

『鈴木敏文の「創造的破壊」経営、「セブン&アイ」の成功戦略を探る』(緒方知行・著、小学館文庫)を読んだことによる 
 これまでも鈴木敏文に関する本は5冊読んできた。しかし、改めて唸らされるのだ。かぶれているのだろうか、自分は。医療の世界にこそ、この鈴木敏文の経営観が当てはまると思うのだ。むしろ、今の薬局が医療ではなく、販売業のような考えになっており、何も努力をしていないことに気づかされるのである。この本はお勧めだ。是非、薬局の経営者に知らせてやろうと思う。

 ヨーカドーの店頭に並んでいたときは、またまたぁー、社長の本を宣伝してどうすんのよぉ、と思っていたが、別の書店で目次だけ読んだだけで、「これは買い!」と即決したのだった 
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社員の「統治」から「自治」へ

2006-04-19 22:52:32 | 薬局経営
 分権のあしたへ ⑧ 朝日新聞 2006.4.19 夕刊
-----転載ここから
(政治学者の)松下(圭一)はこう考える。保守も革新も「上からの国家統治」に変わりない。どっちが勝っても360度転換するだけだ。だから180度転換して、市民から出発する民主主義、「自治型の政治」にすべきなのだ。

 こんな思いを松下は、「自治体改革」や「地域民主主義」といった自身の造語に込める。

 高度成長期、政府に先んじて厳しい規定を設ける自治体が相次いだ。横浜市の公害防止協定や川崎市の団地造成基準、兵庫県川西市の宅地開発要綱などだ。「いつから独立国になったのか」と、霞ヶ関から言われた市もある。

 こうした先進例は、市民が主役という松下の影響が大きい。

 松下は自治体を歩いた。現場の職員と飲み明かし、それを発想の糧にした。住んでいた東京都武蔵野市では、職員や住民と総合計画をつくる。高層住宅への対応、清掃工場づくりなど暮らしの課題の解決策を市民参加で練り上げる。「武蔵野方式」と呼ばれた。〈中略〉

 「これで分権が政治課題になる」。松下がこう語ったのは99年、地方分権一括法が成立したときだ。それまで県の仕事のうち8割、市町村でも4割が機関委任事務という「国の命じる仕事」だった。それを廃止する法律だ。

 政府と自治体の関係は「上下・主従」から「対等・協力」になる。松下が思い描いてきた構図が、ようやく実現した。〈後略〉
-----転載ここまで

 国や会社の上層部、自治体を一般社員と考えるとあてはまる記事だと思った。キーワードは、タイトルにもあるように、ズバリ「分権」。社員を信じて、認めて、育てる対象とするのか、駒や兵隊として、指示・命令して動かす存在として扱うかの差のようではないか。どっちが、社会が育つのか、会社や社員が成長するのか。一目瞭然ではないか。

 何かを指示し、命令することが必要と思うのは、そうでもしなきゃ、自分の思うようにならない、と思うからではないか。上層部が「自分の思うよう」な状態は、社員がそうなりたくない状態なのではないか。社員は、もっと違うふうで輝きたいと思っているのではないか。

 自治体と会社組織は違う、と考える向きもあろう。会社は経営者のものだ、と考えればそういう意見もあるように思う。「会社は誰のものか」なんていう本は、何人の人が書いている。少なくとも3人くらいはいたような・・・。社員あっての会社、社会から必要とされる会社。社員が積極的に活動に取り組む会社と、力づくで何でもやらせようとする会社。会社に下心があればあるほど、社員にその正当性が説明できないまま、指示・命令をして支配し、従わせる動きが強まっていくようだ 
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介入して承認しなきゃ気が済まないのか

2006-04-18 00:18:43 | 薬局経営
 分権のあしたへ⑥ 朝日新聞 2006.4.17 夕刊
-----転載ここから
 日曜日の「歩行者天国」を人々が行き交う。どこでも、あたり前の光景である。
 だが、40年近く前に初めて、北海道旭川市の市長だった五十嵐広三(80)が試みたときは、「待った」がかかった。建設省や警察から「そんな道路の使い方は認めがたい」と。
 五十嵐はそれを、地元商店街の応援を受けて押し切る。東京・銀座で歩行者天国が始まる1年前のことだ。さらにベンチを置き、芝生を植えて「ここは道路じゃない。公園だ」とやった。

 市内に動物園を開こうと計画したときには、国が借金を認めてくれなかった。市民運動を盛り上げて実現にこぎつけた。いま、その旭山動物園は自由な動きを見せる「行動展示」が人気で、東京・上野動物園に次ぐ全国2位の入場者数を誇る。五十嵐は振り返る。
 「国は何だかんだと難癖をつけてきました。何を言っているんだというものばかり。自治の反面教師だったですかね」〈後略〉
-----転載ここまで

 些細なことにもお伺いか、報告をさせ、自分たちの許可か承認なくしては動きを認めない。そこまで分別のある大人を縛って楽しいのか。そもそも人を信用していないのか。
 権力を握っているだけで、他に何もとりえのない者にとっては、そこでの優越感しか楽しみがないのではないか。自由を認めて、相手の行動を許してしまうと、それはすぐにも自分たちの発想や見識を上回ってしまうから、引いては自分たちの無能さや発想の貧困さを露呈させてしまうから、認めるわけにはいかないのだろう。

 だから何でも報告せよとか、誰の了解を得てやったのだ、といった発言になる。みんな一丸になってやろう、とは言うけれど、誰もつまらないものを一丸になってやろうとは思わないし、枝葉末節なところまでいちいちお伺いを立てて、検討して・・・、なんてつきあいきれない。

 そういうところに制限(規制と言ってもよい)をかけずに、自由に発想させ、取り組ませて、改善をさせていったほうが、どれだけ成果に結びついて組織が活性化することか。
 逆に言えば、どうしたらそういう権力を持ってはいるが、無能な輩を社会から排除できるんだろうか。いつまでものさばらせておくのもシャクだし、そんなところにエネルギーを使うのも無駄のような気がする。勝手に自爆して欲しいのだが・・・ 
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ジェネリックは患者の視点で選ばれているか?

2006-04-17 13:25:59 | くすり雑感
 ジェネリック医薬品の使用促進も、薬局の現場では「少しずつ」の滑り出しのようだが、なんせ薬の種類はたくさんあるし、患者さんの来局間隔が空いているから、しばらくその余波が続いているように思う。急激な変化ではなさそうなので助かっているが、問題や改善点が見えてくるのはこれからだろう。

 患者さんは、先発品に対し、ジェネリック医薬品というのは何種類もあって、その中から選ぶことができることを知っているのだろうか。 現実に、在庫品目を薬局が決めているので、すぐ間に合う品目は限定されているのだが。

 患者さんの立場として、納得して選択できるとは、どのようなことだろうか。
・すべての選択肢を示されて、あらゆる可能性の中から、最善を選びたい。範囲が限定されるのなら、その理由が(納得のいく理由かどうか)知りたい。
・現在の在庫はこれしかないから、ということで、選択の範囲を限定されたくない。今すぐ入手するためには仕方ないかもしれないが、残念な気もする。
・1種類しか用意してないと言われれば、けっしてヘンなものとは思わないにしても、何でたくさんの中からこれ1つに決まるのか、不透明ではないか。たとえば多種類の缶コーヒーの中で、1種類しか置いてなかったら、それが一番お勧めと言われても、いまひとつすっきりしない。

 当薬局では、こういうことからこれをご用意させていただいているが、必ずしもこれでないものを選ぶことができる、しかし今すぐにはそれは用意できないので、次回からでもいいか、といったことは伝えられているだろうか。ジェネリックと言ったら、これしかない(ウチの薬局ではこれだ!) 的に、半強制的に調剤が進められていることはないだろうか。

 医者が背後でジェネリックメーカーの選択に介入したり、先発品への誘導を薬局に圧力をかけたり、といった話も聞く。一方、薬局が自己都合で特定メーカーを推奨したら、患者の選択権はないがしろにされたようなものだろう。チェーン薬局が、デッドストック防止のために、特定メーカーに集約させて経営効率を図ろうとする動きもあちこちで聞く。

 A薬局に行った患者はX社を勧められ、B薬局に行った患者はY社を勧められ、同じ成分なのに提供されるものが違うなんて、ヘンなものだ。ましてや、ジェネリック同士で価格差があるから、その矛盾も起きてくる。
 今すぐではないにせよ、時間の問題で説明のつきにくいことが発生したときに、薬局が信頼を失うことがないよう、中途半端なカタチで開始されないことを願う  
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会社が生まれ変わるということ

2006-04-11 13:43:14 | JR西に学べ
JR西の安全対策、運転士の6割余「成果ない」 (読売新聞) - goo ニュース

 福知山線の大事故からじき1年が経過しようとするこの時期に、事故にどれだけ学んだかを社内で評価した結果が、さしずめこのアンケートか。全く変化がないわけじゃないが、ほとんど変わっていないといっても過言ではない、といった評価だと思った。

 安全かどうかは、納得のいく体制かどうかは、本来なら利用者が実感できるレベルで目に見える状態が好ましいのだろうが、内部ですらこの様子とはどういうことだろうか。顧客には取り繕ったように、うわべだけの見せ掛けということもあるから、内部評価もけっして無視はできない。とくに安全性にかかわる部分においては。何もトラブルがなくて当たり前の部分を評価するということは、万一の事態への事前対応がどれだけとれているかを問うものだから、よほどその意識が徹底、浸透していないと小手先で終わってしまいかねない。結果として、気が緩んできた頃に、再発を招きやすい。

 社長も変わった。社内体制も変わったはず。でもこの評価。重要なポストにいる人が相変わらずなのか。一般の社員が変わって欲しい、変わるべきだ、と考える要点が変わっていないのか。表向きとは別に、水面下では依然、利益重視の意見が幅を利かせているのか。裏マニュアルなんて、よくある話だ。これまでより締め付けを厳しくすればいいのではなく、これまで「よし」とされていた価値観が重視されなくなって、別の価値観でものごとを見るような風土、体質になってきたとき、改善が前進したという評価になるのだろう。

 ISO9001的には、業務(プロセス)のチェック及び評価をどこで行うのか、明確にして、実際の評価を行うといったことが求められているように思った  8.2.3について、改善の機会  
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時代と逆行する会社

2006-04-10 23:22:38 | 薬局経営
 ニッポン人脈記 分権のあしたへ①
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(石原慎太郎は)決まって言うせりふがある。
「国が動かないから、こっちが先にやってやる」

(田中康夫に)聞く。県議会と不仲が続く理由は何か。いまも偽証の疑いで告発されている。政治家としての指導力不足だろう。そんな指摘に、こう反論した。
「政官業に御用学者と報道という『政官業学報』の現状追認のペンタゴンを、私は『溶かしている』から、それを死守したい人は生理的に、反射的に反発するんじゃないですか」

 四半世紀を隔てて、若者像を小説で切り取った2人が、同時に知事の座にある。決して偶然ではない。目立ちたがり屋で、官僚嫌いの2人は、自分の言葉で政治を語り、政府とのパイプの太さ、組織選挙といった旧来型の価値観も手法も押しつぶしてきた。
 まさに、分権がすすむ時代の住民意識の変化を映し出す存在なのだ。なぜなら、分権とは、住民がみずからの責任で判断し、みずからの権限と財源で地域を作ること。当たり前の民主主義を確立することなのだから。
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朝日新聞 2006.4.10 夕刊より転載

 社内を統制管理し、すべて指示命令で動かし、報告させる。あらゆる拠点を同一色に染めようという動きに辟易していたところ、いわゆる民主主義の基本のようなものに触れてリフレッシュ感を覚えた。
 石原さんも康夫チャンも、知事だからまだいいが、一般庶民は地位的な権限を持たないから、毎日ストレスが溜まる一方だ。精一杯、帰宅途中に捨ててくるつもりだが、どうしても溜まるほうが多い。2人のように揺らぐことのない強く大きな信念を持っていないからだろうか。異常勢力の胡散臭さを並べてばかりいても尽きないし、得るものも少ない。そこからの脱却には、強大な信念が必要なのだ。

 薬局サービスの提供を通じて、地域社会や薬局利用者を薬に関する健康被害から守り、安全を確保することで安心を提供する薬局を作る。 患者志向と顧客満足を柱に、失敗を恐れず、改善を続けること。

 アメニモマケズ、カゼニモマケズ・・・、ジョウブナカラダヲモチ、・・・ もうしばらくはガンバリ続けようと思う 
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