「夢の動物園 旭山動物園の明日」 坂東元・著、角川学芸出版、2008年12月25日
p.14 野生の生き物は、「自分中心」ではなく、「自然(全体)中心」で生きている。
p.17-8 「パンダが来ました」「コアラが来ました」といえば、人は来てくれる。しかし、何のためにパンダやコアラを集め、展示するのか。野生動物を見せる根本的な目的は何なのかと突きつめると、答えはすんなり出てこない。
僕らが扱っているのは生き物(いのち)だが、その「いのち」を「お客さんに見せる」以上、動物園側は明確な意図をもってメッセージを伝える必要があるのではないか。「私たちはこういう理由で動物たちを展示しています」という明確な意思があってはじめて、動物たちのありのままの「いのち」が輝くのではないか。そこがあいまいになってしまうと、まったく異なる世界が浮かびあがってしまうような気がする。
薬局も同じだ。お客さんに対応しているのか。患者さんに向き合おうとしているのは、患者さんの「いのち」に向き合っているのではないだろうか。何をしようとしているのか、やり方を通じてでもいいから、その姿勢を、メッセージとして発信する必要があるのではないだろうか。
p.18 旭山動物園は、最初のころから「野生動物とペットは違う生き物だ」と強く主張してきた。野生で生きている大切な動物を擬人化して見せるやり方に反対の声をあげてきた。野生動物本来の姿を見てもらい、野生動物って「すげぇ」と思ってもらうことによって、地球温暖化や自然破壊がいかに多くのいのちを奪うものなのか、それを感じる力を養ってもらいたい、というのが旭山動物園の目的である。動物たちのありのままの姿を見ること、そして、「すごい」と感動したことで、自分もまた自然の一部であり、彼らと対等の生き物だという感性が磨かれると思っている。
p.37 ずっと自殺したいと思っていたけれど、「生きているから生きているんだ」と思った。自分はつまらない人間だと思って死にたいと思ったけれど、そういうものじゃない。死は、生きることを否定して死ぬのではないんだ。受けいれるものなんだ、ということがわかって勇気付けられた。
p.46 そしてつい、彼ら(動物たち)の側に立って人間を見てしまう。彼らが言いたいことは何か、どうしたらもっと快適に暮らせるのか、ついつい彼らの立場で考えてしまう。そういう習性がついたのじゃ、たぶん僕がいじめられっ子だったせいだろう。
p.49 野生動物は依存することをかたくなに拒絶する。人間だけではに。他種の動物に依存することを拒否するのが、野生動物だ。ペットと野生動物とでは、生き方も感じ方もまったく違う、ということを子グマが教えてくれた。今まで僕が見てきたいのちは、自分の都合だけで扱ってきたのだな、と自分の姿をはっきりとらえることができた。
p.56 どんな生き物とも一緒に生きていこうというのではなく、自分の欲望を満たしてくれる対象だけに価値を与えるという見方がどんどん加速した結果、動物にも、価値あるものとそうでないものがあるという見方を創りだしてしまった。
p.112-3 生き物の価値は、入園者一人あたりいくらかかったか、なんてことでは置きかえられないんだよ。それよりずっとずっと重いものなんだ!
逆に言えば、それくらいの気合を入れて、僕らは仕事をしている。黒字になれば認められ、赤字になるとろくでもない動物園だと揶揄される。そんな薄っぺらな経済法則に巻き込まれて、生き物の価値が判断されたのでは、たまったもんじゃない。
p.114 なぜ旭山動物園はここまで集客できたのか? それは、僕らがどん底にいたとき、公務員の常識からはずれていたからである。公務員なのに必死でお客さんのことを考えた。僕たちには飽きることのないアザラシ、でもお客さんにはただのアザラシだった。自分を自慢しないアザラシ。彼らの魅力を知っている僕たち。ならば僕たちがお客さんとアザラシの架け橋となり、お客さんに彼らの素晴らしさを伝えよう。
この瞬間、動物園にとっての動物が、薬局における医薬品と同じように思えた。本来なら、薬のお世話になることなんて、望んでいなかったんだ、患者は。薬は危険性を秘めながら、適切に使ってこそ、意味がある。そんなお世話になるつもりではなかった薬とつきあわなければいけなくなった患者さんに対して、薬剤師が架け橋になって、有意義な活用をしてもらうことが重要ではないかと。
p.115 (来園者数の)目標数値を立てて、り園者の「ウケ」を狙い集客アップをはかろうとすれば、たぶん達成できると思う。しかし、それをした瞬間に、旭山動物園はダメになってしまう。あの「すごいやつら」を集客のための道具とした瞬間に、動物園ではなくなってしまうからである。
p.115-6 公務員のよさを生かして、利益追求ではなく、動物のことを本気で考える。このことをよくよく理解して、これからもやっていかなくてはならないと思っている。
p.119 動物のことを知り、深く知れば知るほど、野生動物がペット感覚で人減の好きなように扱われることが不愉快でしようがないから、そんなことをする動物園に対して、フィールドの研究者は協力しようとはしない。
薬を単なる商材としてしか扱わない経営者たちを、真の薬剤師は、たとえ同じ国家資格を持っているとしても、同業者から見て同じ薬剤師とは心の中で認めることはないだろう。
p.14 野生の生き物は、「自分中心」ではなく、「自然(全体)中心」で生きている。
p.17-8 「パンダが来ました」「コアラが来ました」といえば、人は来てくれる。しかし、何のためにパンダやコアラを集め、展示するのか。野生動物を見せる根本的な目的は何なのかと突きつめると、答えはすんなり出てこない。
僕らが扱っているのは生き物(いのち)だが、その「いのち」を「お客さんに見せる」以上、動物園側は明確な意図をもってメッセージを伝える必要があるのではないか。「私たちはこういう理由で動物たちを展示しています」という明確な意思があってはじめて、動物たちのありのままの「いのち」が輝くのではないか。そこがあいまいになってしまうと、まったく異なる世界が浮かびあがってしまうような気がする。
薬局も同じだ。お客さんに対応しているのか。患者さんに向き合おうとしているのは、患者さんの「いのち」に向き合っているのではないだろうか。何をしようとしているのか、やり方を通じてでもいいから、その姿勢を、メッセージとして発信する必要があるのではないだろうか。
p.18 旭山動物園は、最初のころから「野生動物とペットは違う生き物だ」と強く主張してきた。野生で生きている大切な動物を擬人化して見せるやり方に反対の声をあげてきた。野生動物本来の姿を見てもらい、野生動物って「すげぇ」と思ってもらうことによって、地球温暖化や自然破壊がいかに多くのいのちを奪うものなのか、それを感じる力を養ってもらいたい、というのが旭山動物園の目的である。動物たちのありのままの姿を見ること、そして、「すごい」と感動したことで、自分もまた自然の一部であり、彼らと対等の生き物だという感性が磨かれると思っている。
p.37 ずっと自殺したいと思っていたけれど、「生きているから生きているんだ」と思った。自分はつまらない人間だと思って死にたいと思ったけれど、そういうものじゃない。死は、生きることを否定して死ぬのではないんだ。受けいれるものなんだ、ということがわかって勇気付けられた。
p.46 そしてつい、彼ら(動物たち)の側に立って人間を見てしまう。彼らが言いたいことは何か、どうしたらもっと快適に暮らせるのか、ついつい彼らの立場で考えてしまう。そういう習性がついたのじゃ、たぶん僕がいじめられっ子だったせいだろう。
p.49 野生動物は依存することをかたくなに拒絶する。人間だけではに。他種の動物に依存することを拒否するのが、野生動物だ。ペットと野生動物とでは、生き方も感じ方もまったく違う、ということを子グマが教えてくれた。今まで僕が見てきたいのちは、自分の都合だけで扱ってきたのだな、と自分の姿をはっきりとらえることができた。
p.56 どんな生き物とも一緒に生きていこうというのではなく、自分の欲望を満たしてくれる対象だけに価値を与えるという見方がどんどん加速した結果、動物にも、価値あるものとそうでないものがあるという見方を創りだしてしまった。
p.112-3 生き物の価値は、入園者一人あたりいくらかかったか、なんてことでは置きかえられないんだよ。それよりずっとずっと重いものなんだ!
逆に言えば、それくらいの気合を入れて、僕らは仕事をしている。黒字になれば認められ、赤字になるとろくでもない動物園だと揶揄される。そんな薄っぺらな経済法則に巻き込まれて、生き物の価値が判断されたのでは、たまったもんじゃない。
p.114 なぜ旭山動物園はここまで集客できたのか? それは、僕らがどん底にいたとき、公務員の常識からはずれていたからである。公務員なのに必死でお客さんのことを考えた。僕たちには飽きることのないアザラシ、でもお客さんにはただのアザラシだった。自分を自慢しないアザラシ。彼らの魅力を知っている僕たち。ならば僕たちがお客さんとアザラシの架け橋となり、お客さんに彼らの素晴らしさを伝えよう。
この瞬間、動物園にとっての動物が、薬局における医薬品と同じように思えた。本来なら、薬のお世話になることなんて、望んでいなかったんだ、患者は。薬は危険性を秘めながら、適切に使ってこそ、意味がある。そんなお世話になるつもりではなかった薬とつきあわなければいけなくなった患者さんに対して、薬剤師が架け橋になって、有意義な活用をしてもらうことが重要ではないかと。
p.115 (来園者数の)目標数値を立てて、り園者の「ウケ」を狙い集客アップをはかろうとすれば、たぶん達成できると思う。しかし、それをした瞬間に、旭山動物園はダメになってしまう。あの「すごいやつら」を集客のための道具とした瞬間に、動物園ではなくなってしまうからである。
p.115-6 公務員のよさを生かして、利益追求ではなく、動物のことを本気で考える。このことをよくよく理解して、これからもやっていかなくてはならないと思っている。
p.119 動物のことを知り、深く知れば知るほど、野生動物がペット感覚で人減の好きなように扱われることが不愉快でしようがないから、そんなことをする動物園に対して、フィールドの研究者は協力しようとはしない。
薬を単なる商材としてしか扱わない経営者たちを、真の薬剤師は、たとえ同じ国家資格を持っているとしても、同業者から見て同じ薬剤師とは心の中で認めることはないだろう。