何かをすれば何かが変わる

すぐに結論なんて出なくていい、でも考え続ける。流され続けていくのではなくて。
そして行動を起こし、何かを生み出す。

夢の動物園

2012-06-30 09:45:26 | Book Reviews
夢の動物園 旭山動物園の明日 坂東元・著、角川学芸出版、2008年12月25日

p.14 野生の生き物は、「自分中心」ではなく、「自然(全体)中心」で生きている。

p.17-8 「パンダが来ました」「コアラが来ました」といえば、人は来てくれる。しかし、何のためにパンダやコアラを集め、展示するのか。野生動物を見せる根本的な目的は何なのかと突きつめると、答えはすんなり出てこない。
 僕らが扱っているのは生き物(いのち)だが、その「いのち」を「お客さんに見せる」以上、動物園側は明確な意図をもってメッセージを伝える必要があるのではないか。「私たちはこういう理由で動物たちを展示しています」という明確な意思があってはじめて、動物たちのありのままの「いのち」が輝くのではないか。そこがあいまいになってしまうと、まったく異なる世界が浮かびあがってしまうような気がする。

 薬局も同じだ。お客さんに対応しているのか。患者さんに向き合おうとしているのは、患者さんの「いのち」に向き合っているのではないだろうか。何をしようとしているのか、やり方を通じてでもいいから、その姿勢を、メッセージとして発信する必要があるのではないだろうか。

p.18 旭山動物園は、最初のころから「野生動物とペットは違う生き物だ」と強く主張してきた。野生で生きている大切な動物を擬人化して見せるやり方に反対の声をあげてきた。野生動物本来の姿を見てもらい、野生動物って「すげぇ」と思ってもらうことによって、地球温暖化や自然破壊がいかに多くのいのちを奪うものなのか、それを感じる力を養ってもらいたい、というのが旭山動物園の目的である。動物たちのありのままの姿を見ること、そして、「すごい」と感動したことで、自分もまた自然の一部であり、彼らと対等の生き物だという感性が磨かれると思っている。

p.37 ずっと自殺したいと思っていたけれど、「生きているから生きているんだ」と思った。自分はつまらない人間だと思って死にたいと思ったけれど、そういうものじゃない。死は、生きることを否定して死ぬのではないんだ。受けいれるものなんだ、ということがわかって勇気付けられた。

p.46 そしてつい、彼ら(動物たち)の側に立って人間を見てしまう。彼らが言いたいことは何か、どうしたらもっと快適に暮らせるのか、ついつい彼らの立場で考えてしまう。そういう習性がついたのじゃ、たぶん僕がいじめられっ子だったせいだろう。

p.49 野生動物は依存することをかたくなに拒絶する。人間だけではに。他種の動物に依存することを拒否するのが、野生動物だ。ペットと野生動物とでは、生き方も感じ方もまったく違う、ということを子グマが教えてくれた。今まで僕が見てきたいのちは、自分の都合だけで扱ってきたのだな、と自分の姿をはっきりとらえることができた。

p.56 どんな生き物とも一緒に生きていこうというのではなく、自分の欲望を満たしてくれる対象だけに価値を与えるという見方がどんどん加速した結果、動物にも、価値あるものとそうでないものがあるという見方を創りだしてしまった。

p.112-3 生き物の価値は、入園者一人あたりいくらかかったか、なんてことでは置きかえられないんだよ。それよりずっとずっと重いものなんだ!
 逆に言えば、それくらいの気合を入れて、僕らは仕事をしている。黒字になれば認められ、赤字になるとろくでもない動物園だと揶揄される。そんな薄っぺらな経済法則に巻き込まれて、生き物の価値が判断されたのでは、たまったもんじゃない。

p.114 なぜ旭山動物園はここまで集客できたのか? それは、僕らがどん底にいたとき、公務員の常識からはずれていたからである。公務員なのに必死でお客さんのことを考えた。僕たちには飽きることのないアザラシ、でもお客さんにはただのアザラシだった。自分を自慢しないアザラシ。彼らの魅力を知っている僕たち。ならば僕たちがお客さんとアザラシの架け橋となり、お客さんに彼らの素晴らしさを伝えよう。

 この瞬間、動物園にとっての動物が、薬局における医薬品と同じように思えた。本来なら、薬のお世話になることなんて、望んでいなかったんだ、患者は。薬は危険性を秘めながら、適切に使ってこそ、意味がある。そんなお世話になるつもりではなかった薬とつきあわなければいけなくなった患者さんに対して、薬剤師が架け橋になって、有意義な活用をしてもらうことが重要ではないかと。

p.115 (来園者数の)目標数値を立てて、り園者の「ウケ」を狙い集客アップをはかろうとすれば、たぶん達成できると思う。しかし、それをした瞬間に、旭山動物園はダメになってしまう。あの「すごいやつら」を集客のための道具とした瞬間に、動物園ではなくなってしまうからである。

p.115-6 公務員のよさを生かして、利益追求ではなく、動物のことを本気で考える。このことをよくよく理解して、これからもやっていかなくてはならないと思っている。

p.119 動物のことを知り、深く知れば知るほど、野生動物がペット感覚で人減の好きなように扱われることが不愉快でしようがないから、そんなことをする動物園に対して、フィールドの研究者は協力しようとはしない。

 薬を単なる商材としてしか扱わない経営者たちを、真の薬剤師は、たとえ同じ国家資格を持っているとしても、同業者から見て同じ薬剤師とは心の中で認めることはないだろう。




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人生を絶対に後悔しない「やりたいこと」が見つかる3つの習慣

2012-06-27 21:46:59 | Book Reviews
人生を絶対に後悔しない 「やりたいこと」が見つかる3つの習慣 古川武士・著、日本実業出版社、2011年11月20日

p.36 これ(やるべきことに追われていることによる快感)をいつまでも正当化していると、WANTが現れる機会がなくなります。
 多忙なビジネスマンは、時間に追われているのは当然として、心の中でやるべきことだけではなく、常にやりたいことを考える時間、機会を持つことが重要だと言えます。

p.54 何を求めて働くのでしょうか? それは精神的報酬に他ならないと思います。
 ・自分の強みが生かせる
 ・つらくてもワクワクできる
 ・お客様の笑顔に直接ふれることができる
 ・仕事はハードだが社会的影響力が大きい
 ・社長のビジョンに深く共鳴できる

p.180 直感を十分働かせたら、理性で検証することで納得度、確信度を高めてみてください。

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一番役立つ!ロジカルシンキング

2012-06-26 22:43:20 | Book Reviews
「一番役立つ!ロジカルシンキング」 小宮一慶・著、PHPビジネス新書、2012年6月1日

p.54 理解してもらえることと、本心から納得してもらえることは別である

p.58 自社の判断基準のロジックをおさえておくことが、何よりも大事なのです。

p.60 つまり、上司だとか、さらにその上にいる立場の人間だとか、話を聞く側の状況を十分に把握しておくことが、とても重要なのです。
 また、そのような場合、否定した上司を「物分かりが悪い」と非難する人もいますが、そんなことを言っている人のほうが、実は論理だけで世の中を渡っていけるという狭い判断基準しか持っていない、ものごとの道理を分かっていない人なのです。
 大切なことは、狭い意味での論理だけでは人は動かないということです。好き嫌いというものがあるのです。それも分かってことを成し遂げていくのが本当の意味でのロジカルシンキングです。

p.94 現実的には、コストに関してはほぼ100パーセント正確な数字が得られますが、収益は期待値にすぎず、確率変数が入ってきますから、結果は正確には予見できません。

p.135 経験を根拠にしたときには、両極端の反応が考えられます。本人の経験は、相手にとって最も受け入れやすいものの一つです。しかし、相手が嫌がっている人の経験は、逆に受け入れがたいものとなります。特に嫌いな人の成功体験など、相手は聞く耳にしたくもないはずです。

p.183 自分に都合の良い前提で話をしていると、相手の論理的思考力が高い場合、そこで疑義をはさまれて、相手はすべてに対して疑いを持つようになります。

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うそをつかない医療

2012-06-23 20:20:28 | Book Reviews
「うそをつかない医療 患者と医療者をつなぐ仕事 豊田郁子・著、亜紀書房、2010年3月15日

p.6-7 被害者の気持ち・感覚、考え方を医療現場に伝えることができれば、病院の対応はずいぶん変わるのではないか。想像上の被害者・遺族の気持ちでなく、実際の被害者・遺族の気持ちがわかれば、少なくとも配慮を欠いた対応はなくなるのではないか。

p.54 なぜ、(被害者は裁判で)勝てないと判断されたかといえば、息子のケースは「医療の技術上の過失ではなく、医師の不作為にあたる」からです。「何もしなかったことは、ミスだとは認められにくいのです。弁護士からは、医師の不作為で争って被害者側が勝った例はこれまでほとんどないと言われました。刑事で行政処分とは連動しているので、刑事で不起訴になれば行政処分もありません。そして、民事でも訴えられない。

p.56-7 言葉一つで許せることも許せなくなります。被害に遭った患者・家族は、平常な状態よりもずっと傷つきやすくなっています。そして、病院という大きな組織に個人で向き合い、なんとか事実を突き止めたいと必死になっています。そのために、ほんのひと言がぐさりと胸を刺すのです。

p.75 「救急外来であれだけ危機感を感じていたのに、私たちはそれを引き継げなかった。その責任は重いと思っています」

p.95・97 「言い訳は禁句」と、事故を起こした当事者が経緯を説明しようとすると、そうさえぎる人もいます。そう言われてしまっては、正直に自分が思ったことを口にできず、聞き取りをする側の「指導」や「アドバイス」に添ったことを答えていくことになります。それを続けていくと、突然、当事者が怒りをぶつけるような態度をとることがあります。自分の思いを聞いてもらえず、強制されているような雰囲気に、がまんができなくなるのです。

p.97-8 患者・家族は、医療事故によって大きな傷を受けます。しかし、その傷を、第三者に癒してほしいとは思っていません。病院側に誠実に対応され、どんな経緯でそうなったのかが解明されていくなかで、少しずつ落ち着きを取り戻し。回復していきます。患者・家族は、ショックのあまり、自分の傷ついた心を治すことは、視野にありません。ただ、ひたすら、何が起こったのか知りたいと望みます。

p.99 私がセーフティー・マネージャーとしてかかわったケースでは、当事者の医療者には「いま、患者さんはこういう状態で元気にしていますよ」「ご家族とはこのように連絡をとっていますよ」と、被害者には「先生にもご家族の様子はお伝えしていますよ」「院内では再発防止のためにこういう取り組みをしています」などと、相互の様子をできる範囲で伝えるようにしています。すると、そのことによって、被害者・医療者双方が立ち直っていくことがあるのです。

p.121 「訴訟になる場合、患者がクレーマーでないことは確かだ」

p.124 あるとき、家族の方がこう言いました。「病院が逃げなかったことがうれしい」
 医療に関する事故やトラブルは、命や健康に大きくかかわることですから、患者・家族が一度や二度の説明で納得できることはまれです。すぐに「問題のあるクレーマー」と思ってしまわず、粘り強く説明し、対話を続けていくことが必要なのです。

p.135 医療事故やミスは、だれか一人のスタッフにすべての責任があるという状況は少ないと思います。コミュニケーションの問題やシステムの問題、あるいは人手不足や機器の不備など、その病院全体が抱えている問題が、直接的に、あるいは間接的にかかわっているはずです。 #RM

p.154 医療安全対策室という正式名称がかたいためか、ふだんは「患者支援室」と呼ばれています。

p.171 ヒエラルキーの強固な病院や、患者・家族に対して情報を隠蔽しようとする体質をもった病院では、いくら優秀な院内相談員を要請し、配置したとしても、本来の機能は果たせないでしょう。むしろ、院内相談員が病院と患者・家族との板挟みになってつぶれてしまう可能性もあります。
 やはり、「患者とのパートナーシップを大切にする」文化、「うそをつかない」文化が病院にあってこそ、院内相談員という存在が生きてくるのだと思います。

p.175 医療者は、早くこのトラブルを解決したい、早く収拾して日常的業務に戻りたいと思っています。ところが、患者・家族は、早く解決したいのではなく、まず、とにかく事実や原因を知りたいのです。そのうえで解決をはかりたいと思っているのです。

p.175-6 「あなたたち(患者)には、医療現場のことはわからない」「あなたたち(医療者)には、病院に最愛の家族を殺された者の気持ちはわからない」と言い合い、憎しみ合うことからは、何も生まれません。医療者が患者・被害者の立場に立って考えて、対話していくなかでこそ、患者・被害者も医療者の気持ちが理解できるようになってくる、と思います。

p.183 医療者は患者を知らずしらずのうちに傷つけていることがありますが、それは相手の感情をほんとうは知っていないからです。

p.184 向き合う、というと正面で対峙する関係をイメージしがちですが、同じ方向へと気持ちが向かう、それが「向き合う」ということだと、私は思っています。

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健康不安と過剰医療の時代

2012-06-21 22:01:56 | 薬害は人災だ
「健康不安と過剰医療の時代 医療化社会の正体を問う」井上芳保・編著、長崎出版、2012年3月15日
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メディカルマーケティング

2012-06-11 22:54:35 | Book Reviews
「メディカルマーケティング 選ばれる医療機関になるために 廣田祥司・著、日経BP、2010年8月9日

p.1 医療という行為は、不特定多数の人に利益ともたらす公益性を持ちながら、対象となる人から常に会い維新間・満足感を求められており、しかもその行為は人に依存している。

p.12-3 現代の医師に要求されるのは、目の前にいる患者がどんな思いで自分の診察室まで足を運び、どんなことを望んでいるのか、という想像力である。患者が欲しいのは、薬の処方せんではなく、自分が抱える健康上の問題について医師に相談し、解決に結び付く助言をもらうことなのである。

p.13 医療は、医師・スタッフの知識・技術を駆使して、診察料と引き換えに患者のニーズに応えるべきだというのが患者の言い分だ。これをきちんと受け止めないと「医者は自分の都合を優先し、患者のことを考えていない」と、根拠のない不満だけが残ってしまう。

p.25 需要の不確実性とは、いつ病気になるのか、どんな病気になるのか、どれほど重い症状になるのか、費用がどれだけかかるのかなどを、消費者が事前に予測できないことを指す。通常のモノやサービスを買う場合には、いつ、何を、どの程度の予算で買うかを事前に考えられるが、医療ではそれができない。

p.27 診察料はある日突然、必要になる。金額も分からない。そのときに、すぐに支払えるよう、保険に加入しておけば、保険金で医療費を賄うことができる。これが、保険の必要性である。

p.27 日常の買い物や食事で、値段、機能、デザイン、味などが分からないまま、吟味することもできないまま、売り手の言いなりのサービスを受け、それにお金を支払う人はまずいない。これがまかり通るのが医療であり、患者の不満、不信の根になっている。情報の非対称性は、医療が抱えるミクロ、マクロのさまざまな問題の原点といえるだろう。

p.33 「医者は高給取りなんだから、365日休みなしで24時間働いて当たり前」、自分中心手技、お客様は神様だ、といった考えになっているわけだ。そして、その勝手な都合に応えないでいると「医者はお高くとまっている」「医者は信用できない」という身勝手な不満、不信につながっていく。
 ここには、患者の「権利」は守られるべきだが、果たすべき「義務」がある、という意識も知性も欠如している。患者の義務とは、たとえば、自分の健康に関する情報をすべて正確に伝える、納得して医療を受けるために、理解できるまで説明を受け、質問する、ほかの患者に迷惑をかけない、医療業務に支障を与えない、医療費をきちんと支払う、といったことである。

p.43 対応すべき最大の課題は、「情報の非対称性の緩和」であることは間違いない。これによって、患者の不満を少しでも解消し、信頼を少しずつ獲得できれば、患者満足度の向上という、医療消費者と医療提供者の最終目標を達成することができるはずだ。

p.44 マーケティングが顧客満足度を重視するように、メディカルマーケティングは、患者満足度を重視している。

p.55 患者は、自分が何をされるのか、何を必要としているのかが分からない。その患者に対し、解決のためのすべての情報を握っている医師が、患者の理解度と満足度を計りながら、必要に応じて情報を分かりやすく伝えるのである。こうして、情報の非対称性が緩和し、患者が自ら治療に参加すること(アドヒアランスの向上)が、患者満足度の向上につながっていく。

p.60 これを医療に置き換えると、「選ばれる医療機関は、経済性と利便性において、患者ニーズに応え、効果的にコミュニケーションできる医療機関」となる。買い手(患者)の視点に立つ4C(Customer solution、Customer cost、Convinience、Communication)は、より医療に適したマーケティング・ミックスの発想である。

p.70 かつて、企業は、利益目標やシェアの目標を掲げ、一方的に製品やサービスを作り、消費者に提供していた。しかし、これでは、今日の消費者のニーズが大きく早く変化する時代の流れに対応できず、競争力を失うことが経験的に明らかになってきた。

p.78 情報の非対称性が緩和されたときこそが、コミュニケーションがうまくいっている状態であり、これが患者満足度の向上に結び付いていく。

p.120 医療は経済学的立場から見ればサービスであり、医療にかかわる問題は、サービスの需要と供給を考えることで解決されるはずである。

p.130 医療とスタッフが一緒になって、患者の望むことは何かを常に想像し、それを共有するコミュニケーションを行うこと、つまりインターナル・マーケティングの発想が強く求められるというわけだ。

p.174 ISO9001が何物で、それが医療の質にどうかかわるかという説明がない点に、情報の非対称性がある。患者は理解できないし、もしISO9001による品質改善があっても、それがすぐに患者満足に結び付くかどうかは分からない。

p.181 患者満足度を指標に、医療の質の向上を図る努力を継続すれば、結果的に経営の質の改善につながるということである。医療の質の向上と、経営の質の向上は、車の両輪であり、両者がしっかり噛み合うように努力することで初めて、安定した医療機関の運営ができると考えられる。

p.184 結局、患者が医療の質を評価するのは、自分が受けた医療に「満足できたかどうか」だけである。しかも、その評価軸は、患者一人ひとりで異なっている。そして、この患者満足度を把握するのは、コミュニケーションによってのみ、達成されると考えられる。


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営業の神さま

2012-06-08 23:21:31 | Book Reviews
営業の神さま 営業が進化する9つの問いかけ 中村信仁・著、HS、2011年5月10日

p.33 営業の目的は「売ること」という考えを捨て、「喜んでもらう」ことに軸が変わった。

p.43 上手い話や、儲け話が舞い込んできたとき、そこに人としての正しさがあるかどうかを、しっかり見極めなければいけないということ。

p.44 「私には営業のことは分からないけど、技術や知識はただの必要条件であって、絶対条件ではなく、そういう能力以上に人としての心がお客さまに対して大切なんだってことじゃない」

p.71 なぜを考えるのは科学者の役割で、われわれ実務家は考えるよりも大切なことがある。それは起こってしまった事象を無条件で受け入れることなんだ。特に、辛いことや嫌なことには『感謝します』といって受け入れる。勿論、予想もしていない嬉しいことが起こったときも『ありがとう』といって。

p.77-8 一時、『ウィン・ウィン』ということばが流行したけど、お互い『勝ち・勝ち』なんて有り得ない。必ずどちらかが勝てば、どちらかが負ける。英語圏の国ですら、『ウィン・ウィン』なんてことばは存在していない。日本人が創った和製英語なんだけど、おかしなことを考える国になったよね。
 お互い上手くいくように、と理屈で考えるなら有り得そうなんだけど、現実には『ウィン・ウィン』は存在しなかった。そうじゃなかったら、不景気なんて訪れないからね。

p.99 モノでつながるんじゃなく、想いでつながるんですって。その人の心の中に、どんな想いがあるか・・・・・、その想いが姿に顕れるそうよ。そして、その姿は、その人の仕事への形になって、仕事の在り方を創りあげるんですって。

p.99 類は友を呼ぶって昔からいうでしょう。どんなことに価値観を持っているかというのはとても大切よ。

p.109 「あなたは一度死んだのよ」「いいえ、死のうとはしましたが・・・・・」「違うは、死んだの」「そんな・・・・・、今、私は生きています」「そう、生き還ったの。新しい自分に。死ななかった、と勘違いしているだけ。すでにあなたは一度死んでいるのよ。そして、生き還った」

p.111 あなたは、コピー機を売っているのではなく、多くの人が読んで感動できる資料を大量につくったり、なにかを誰かに伝えたいと願っている。そんな人のお手伝いをしているわけでしょう。

p.129 人は、出会うとき、出会うべく人に、一分一秒のずれもなく出会うんです。

p.137-140 九つの質問
あなたは何を売ってうらっしゃいますか?
お客さまは何を買って下さっていますか?
あなたが売っているものとお客さまが買っているものは同じですか?
あなたは何屋さんですか?
あなたのお客さまは誰ですか?
お客さまにとって本当に価値のあるものは何か?
お客さまは何にお金を払って下さっていますか?
お客さまから見てあなたは誰ですか?
なぜあなたは営業という生き方を選んだのですか?

p.142-3 生きる中で、仕事を得、その仕事を通して色々な方たちと出会い、そしてその方たちと様々な喜びを分かち合うことができ、毎日ワクワクして過ごすことができる。私たち営業職の者は、唯一コントロールできる、この「生きる」という部分をしっかり見据えなければいけないのです。その、営業職で「生きる」という大チャンスを最初に与えて下さったかたへ、感謝する心がなければ、トップ営業には決してなれません。

p.148 この見えない存在が常に自分達の周りにいるんだ、ということを感じられる人は、どのような苦境に立たされようともへこたれません。強い営業職の人は、自信があるのではなく、守られていることを知っています。見えないからこそ、感謝するしかないことを知っています。

p.159 大人たちが、輝く背中、尊敬される背中を見せることで、子供たちがドンドン輝き出します。青臭いこと、甘いことを堂々といい、子供たちを導くことが一流の大人です。そして、このステージに立って、初めて「夢」を語るのです。人生において真に大切なものはなにかが分かってからこそ、子供たちのために真の夢を堂々と聞かせるときです。つまり、トップの営業の人は「還元」できるものをしっかり構築するのです。

p.165 お金というのは、正しい出し方をすれば、必ず出した分は戻ってきます。正しければ正しいほど、少し仲間を連れて還ってきます。

p.168 金銭管理とは、お金の出し方を徹底的に管理することです。自分への投資も、もちろん必要ですが、そのときは自分自身にこう問い掛けてください。「この投資は、未来のお客さまのためになっているか」と。

p.178 肯定的なことばは無責任を心掛けることがコツです。大丈夫、やれる、心配ない、なんとかなる、たのしそう、すばらしい、すごい、あと少し、もう慣性したと同じだ・・・・・

p.179 私たち営業職のものが簡単に陥る行動戒めことばに「まず、自分が幸せにならなければ、人さまを幸せになどできない」という思考の落とし穴があります。これは裏を返せば、自分ですらまだ「幸せ」をつかんでいないのだから、自分より先に人が幸せになってはいけない、と脳にインプットしているのと同じです。仮に自分が幸せであれば、人様を幸せにできるのなら、既に自分は幸せなのだと無責任に決めてしまえばいいのです。

p.180 実は、肯定的な無責任ことばは、人に希望を与え、やる気を生み、ワクワク感が漲り、人に大きな喜びを与える魔法を秘めているのです。

p.180-1 若い営業職は、懸命に適切なアドバイスをしようと頑張りますが、その必要はありません。何度もいいますが、お客さまは答えを持っているからです。アドバイスを求めているのではなく、自分を理解してくれる人を探しているだけです。だから無責任でいいのです。

p.181 何度も繰り返しますが、肯定的な無責任であるべきです。責任を持つ必要はないのです。なぜなら、人は自分の生き方に責任を持っていますから、人様の生き方にまで責任を持てという人はいません。そんな理不尽な要求をする人は、そもそも世間が相手をしなくなります。であれば、自分の生き方にきちんと責任を持ってさえいれば、人に対しては「大丈夫」「なんとかなる」「心配ない」といってあげるだけでいいのです。

p.194 今日から「丁度良かった」ということばを口癖にして下さい。

p.196 すべて自分に必要なものは与えられている。足りないものはなにひとつない。必要になれば必ず身につくものだ。辛いことや、苦が訪れるのも、その経験が今必要だから。望みが叶わないのは、まだそのときではないから。しかし、既にすべては手に入っている。そのことを知り、今に感謝すること。

p.197 足るを知ったならば、私たちはつぎに、出会う人、ご縁を頂いた人に対し、常にその人の良い部分だけを瞬時に発見することを身につけなければいけません。それは「良かった探し」という技術です。

p.204 では、どのようにして私たちはお客さまに、日々感動し続ければよいのか・・・・・。環境管理において、大切な最後の実践は、少し損をして生きる練習です。

p.213 努力できたのも、頑張れたのも、それを思い出してみてください。それこそまさに、親から授けられた素晴らしい能力なのです。ですからその授かったものを、どんどん、どんどん、人のために使ってください。能力を人様のために活用しないことは、人生最大の親不孝です。

p.214 自分の名声を得るためだけに時間を使っている人は、必ず失態を犯し表舞台から去っていきます。自分の富を得るために時間を使っている人は、家族まで巻き込んだ不幸に出会います。

p.220 恩返しより、恩送りのほうが正しいのかもしれません。なぜなら、恩は返せるものではないからです。

p.220 「受けた恩は石に刻み、掛けた恩は水に流せ」
 恩返しを期待して、恩を掛けて下さる人なんていません。掛けた恩は、さらっと忘れるのが一番です。しかし、受けた恩はしっかりと石に刻んで忘れてはいけない。そして、それを次の人に渡すのです。

p.221 損得よりも善悪で行動してください。成功より成長を目指してください。
 損だからやらない、損だからやる、のではなく、善いことだからやり、悪いことだからやらない、と考えることです。


★★★★★
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「空気」の研究

2012-06-07 23:12:04 | Book Reviews
『「空気」の研究』 山本七平・著、文春文庫、1983年10月25日

p.14-5 「いや、そう言われても、第一うちの編集部は、そんな話を持ち出せる空気じゃありません」
 大変面白いと思ったのは、そのときその編集員が再三口にした「空気」という言葉であった。彼は、何やらわからぬ「空気」に、自らの意志決定を拘束されている。いわば彼を支配しているのは、今までの議論の結果出てきた結論ではなく、その「空気」なるものであって、人が空気から逃れられない如く、かれはそれから自由になれない。

p.21 「空気」といわれる以上、それが一種の力をもちうるのは、何らかの気圧のような圧力があるからであろう。人はそれを感ずるから「空気」と表現したに相違ない。従って、この空気に対抗して論争した論説を、その空気が消え去った後で読むと、その人びとが、なぜこんなに一心不乱に反論していたかが、逆にわからなくなってくる。

p.22 従ってわれわれは常に、論理的判断の基準と、空気的判断の基準という、一種の二重基準のもとに生きているわけである。

p.59 福沢諭吉はお札は踏めたが、これは「過去のお札」だから踏めたのである。それ自体は何ら根本的解決ではないから、すぐに彼にも絶対に踏めない「文明開化」の新しいお札が出てくる。教育勅語であり、御真影である。“化学的”な言い方に従えば、双方とも紙であり、一方は印刷インキ、一方は感光液がついているだけの物質である。



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薬剤師とコミュニケーション

2012-06-06 21:23:09 | Book Reviews
裁判例から学ぶ! 薬剤師とコミュニケーション」 秋本義雄・鈴木政雄、薬ゼミ情報教育センター、2009年9月11日

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恐れない技術

2012-06-05 22:05:06 | Book Reviews
「恐れない技術」 桜井章一・著、ソフトバンク文庫、2012年3月25日

p.5 私がこれまでさまざまなことを恐れなかったのは、「恐怖」をまったく感じなかったというより、心の柔らかさがつねに保たれ、そのおかげで「こんなこと、大したことではない」とその状況を楽しめたからだと思う。

p.7 一体、どこが安泰で、どこが成功なのだろうか? そんな現代を、君たちはどう生きていけばいいのだろう? 答えは簡単だ。君は堂々たる自分の人生を歩めばいい。何事にも惑わされず、自分らしい生き方を貫くだけだ。

p.32 学校や会社、その他あらゆる組織が「規則」や「制度」でいつの間にか人間の行動を柴っていまったのだ。

p.37 会社の「社則」、「従業員規則」というのもどうなのだろうか。これもまた、社員という「群れ」をつくり、「制度」や「規則」で一律に管理すれば、経営がやりやすいという単なる経営者側の理屈に他ならないのではないだろうか。

p.58 君も一度でいい、平穏無事な時に「不調こそ、わが人生」と思ってみるのだ。そうすれば、どんな時だって平然としていられるものである。

p.69 確実に言えることは、君が物ごとを損得で考えるのではなく、一銭の得にならなくとも、自然に身体が動くようになるのであれば、君という器は大きくなり、君の心は必ず強くなるだろう。

p.74 私にとっての「裏切り」とは、自然が季節によって変化を見せるように、時と場合によって、人が「考えを変えること」というように捉え方が変わっていったのだ。

p.89 得たものは、必ず失う。それは、生きている者がいつか必ず死ぬのと同じことでもある。

p.94-5 何かに不安にならないようになるためには、まず、そうした自然に存在する不平等を素直に認めることが大事なことだと私は思う。
 「自分に悪いことが一つ起こったら、どこかの誰かに一ついいことが起こっていると思うようにしているんだ」

p.97-8 君の上司がとにかく威張りくさっているタイプだったら、君が取るべき態度は、決して上司に媚びないことだ。相手は単に特別扱いを受けたいだけ、言ってみればわかりやすいタイプなのだから、こちらに敵対しようという気持ちがなければわざわざ手などは出してこないはずだ。ならば、君がやるべきことはつねに堂々としている、ということで十分だ。
 私の経験からすれば、人を怯えさせたり威嚇するような態度を取る相手には、恐れずに毅然とした態度を貫くのが一番なのだから。威張った相手とはわざわざ戦わない。その代わり一歩も引かない。

p.111 これは明らかにおかしいと思う時は、たとえ多少はやられるかもしれないと思っても、たじろいだりなどすべきではない。まして、子どもが一緒にいるならば、それこそ腹をくくる必要があると私は思う。

p.164 貧しいのは、仕方がない。そして貧しいからいけないのではない。それを理由に卑屈になることがいけないのだ。

p.170 人間である以上、「悲しい」とか「つらい」とかいう感情はあって当たり前だ。君が仕事でミスをすれば、落ち込むのも当然のことなのだ。だが、そんな時こそ、肉体でその感情を支えてみるのだ。つまり、自分の身体で己の心の不安や動揺をコントロールするのだ。

p.178 勝つことだけを目的にすると、どうしても精神が卑しくなる。これは勝負の世界だけでなく、人生においても同じことだろう。「勝ちたい」と思えば、汚いことも、ずるいことも併記でやるようになってしまう。際限なく相手を叩きのめすようなやり方も、「勝ちたい」という欲望に支配された人間のやり方だ。

p.179 会社のために滅私奉公して、金を得ることばかり考えてきた人たちの人生がどこか空しいのは、なぜだろうか。君には、ぜひ、「人生は勝ち負けではない」ということをわかってほしい。そして、そこにある幸せをしみじみと感じてほしい。

p.190 私は、「素」のままでいられる人こそきれいな人だと思っている。

p.195 仕事だけじゃない。家庭内の問題だって大変な人は山ほどいる。病気の子を持った親たち、震災で家族を失った人たち、家や財産を流された人たちの悲しみを考えたら、君は自分の悩みの小ささがわかるようになるだろう。これが「自他を知る」ことなのである。

p.199 「動じるな。ぶれるな。求めるべきは、安住ではなく試練である」

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考えすぎない

2012-06-04 22:02:33 | Book Reviews
「考えすぎない」 本多時生・著、アルファポリス文庫、2011年5月31日

p.9-10 自分は小さいことで“くよくよ”“イライラ”することがあると思う人は、何かを考えてイヤな気持ちになった時に、「小さいことじゃないか?」「考えすぎではないか?」と自問してみてください。
 「これは一年たったら忘れてしまうことではないだろうか?」と自分に問いかけてみてください。
 一年後には忘れてしまうようなことは、「小さいこと」と考えていいのではないでしょうか。

p.13 「小さいこと」に正しさや立派さを求めるより、いい意味での“いい加減”さがあったほうがいいのではないでしょうか。

p.16-7 たとえば、イヤな人がいて、ちょっとぐらいイヤなことをされても「この人はこういう(所のある)人。こんな人のためにイヤな気持ちになるのは損だ」「気にしない、気にしない」などと考え、受け流す。その人といっしょに過ごす時間は「なんとかやり過ごせばいい」と心がける。そして大事なのは、「いっしょにいない時にはイヤな人のことを考えるのはよそう」と心がけることです。

p.17 「考えないようにしよう」と思っていても、無意識に考えてしまうことはあるでしょう。それはしかたありません。つい考えてしまっても、それに気づいて「このことをこれ以上考えるのはよそう」「こんなことを考えるよりも、○○をしよう」と切り替えられればいいのです。何度でも。

p.21 まだ先のことを今あれこれ心配するのではなく、その時になってから考えればいいのです。それに実際には、そうならないかもしれないのです。そうならなかったとしたら、心配するだけ無駄です。「その時はその時」という覚悟には、悪い状況になってもその時にベストを尽くそうという決意も含まれています。

p.29 たとえば、イヤな人に“イライラ”した時には、「あんな人のことを考えるよりも、○○をしよう」。たとえば、多少問題があっても(やがて自然消滅する問題や、自分さえ考えなければいい問題なら)、「このことを考えるより、○○をやろう」。

p.64 自分のまわりの人を大切にし、いい関係を保つことは、自分の生活を大切にすることになるのです。実生活においてはいちばん大事なことかもしれません。

p.73 嫌いな相手といっしょの時に多少イヤなことがあっても、「この人はこういう人」とわかった上で、できるだけ軽く受け流すことができるといいでしょう。

p.78 人をバカにする人は、その価値観において自分より上の人と比べたら、自分をバカにせざるを得ません。実際には、漠然とした劣等感や無力感のために、沈みがちになるか、何かに逃避するか、その価値観にしがみついて苦しい抵抗を続けるか、というようなことが多いでしょう。

p.90 人のことを考えてイヤな気持ちになった時には、「あんな人のことを考えるより、○○を大切にすることを考えよう」と切り替えられるといいのです。

p.102 「××たら、どうしよう」と不安な気持ちになるよりも、「○○たらいいな」と希望をもち、「ではどうしたら?」と、自分にできることを考えたほうがいいでしょう。「その時にできることを考えてやる」というのが“ベストを尽くす”ことになるのです。

p.115 自分が今不幸なのは、過去の不幸な出来事のせいだけではなく、今幸せになる努力をしていないせいが大きいのです。

p.127-8 また、人は同時に二つのことを考えることはできません。「人のため」を考えることが「自分のため」を考えすぎて苦しむことから抜け出す方法でもあるのです。そこで、自分のことで悩み苦しんだ時に、「このことを考えるよりも、人のためになることを考えるようにしよう」と切り替えることができるといいのです。

p.166 「考えるのはいいこと、考えすぎは苦悩の元」
 悪いのは“すぎる”ことであって、“考える”のはいいことです。ただし、ヘタに考えずに“よく考える”ことが大事です。

p.203 人生の中では選択が大事なことがありますが、一つの決断によって人生の幸不幸が決まってしまうわけではありません。むしろその選択よりも、その後の生き方のほうが大きいのではないでしょうか。「選択がすべてではない」のです。選択した生活の中で幸せに暮らす努力をすることのほうが大切なのです。

p.270 自分がくよくよしやすい、悩み苦しむことが多いなどは「性格だから、変えようがない」と思い込んでいる人もいます。「性格ではなく、考え方のクセ」と考えたほうがいいのです。クセは努力すれば変えることができるのです。

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男の器

2012-06-03 17:28:49 | Book Reviews
「男の器――常識に囚われない生き方 桜井章一・著、角川oneテーマ21、2012年4月10日

p.31 私がよく使うそれらの店が「何かを持っている」のは、味もさることながら、それをつくる人の生き様が料理に濃く込められているからだと思う。生き様には血、汗、困難、意気、自信、さまざまなものが詰まっている。その組み合わせが人として「いい味」を出し、強いスパイスとなって料理を引き立てるのではないだろうか。

p.40 「絶対に○○します」といっている人は、未来のことを「絶対」といっているわけだが、万物が変化してやまない世界において「絶対」という予測は成り立たない。「可能性はある」という言い方ならできるが、「絶対」というものは未来にないのである。

p.45 もちろん仕事を意識しないでやるなんてことは不可能な話である。要は余計な意識を持たないで、どれだけやれるかということだ。仕事における過剰な欲求や思い込みは確実に失敗につながる。そのような強い意識は必ずいい流れを殺ぐものだ。

p.60-1 仕事のマニュアルというものがあるが、あれは、仕事のこんな局面ではこう演じろという、ビジネスにおける演技指導規則のようなものだと思う。サービス業における接客では、そうしたマニュアル化された演技を存分に見ることができる。
 もっともいまの世の中には、社会のほうにそうした「演じる生き方」をかなり強いるところがあると思う。心が疲れている人、病んでいる人が急増していることからも、それははっきりといえる。
 人は日常生活でも仕事でも、それぞれの役割や立場がある。しかし、だからといって演じなければいけないということではないと思う。あくまで臨機応変にその場、その場に応じて対処していけばいいだけのことだ。「あるがまま」という素の状態で、素早く的確に動くことができれば、それで申し分ないではないか。わざわざ人生を「演じる」ことなど、さらさら必要ないと思う。

p.63 それはただ遊ぶというよりは、そこで何かを学ぶようなことを伴っている。明らかな遊びの形態をとっていなくても、遊びの感覚がまじっていればそれは遊びになるのである。だから私の場合は仕事でも仕事と思ってやることはない。

p.65 道楽を楽しむようになると遊びをつくりだす感覚は衰えていく。「道楽に走ると本質的な遊びを忘れてしまう」という逆説が生まれるのだ。

p.69-70 知識を権威にしている人は、野球にたとえるなら、現実には時速百五十キロの豪速球を打つことはできなくても、百五十キロのボールを打てるかのような感覚になってものをしゃべるのである。「実践と理論」というセットのうち、理論しか持っていないのに実践もできるよかのように振る舞ってしまうのだ。
 理論と実践はかけ離れているのに、知識をたくさん持ちだすと、実践も伴っているかのような錯覚を必然的に起こすのである。

p.71 (知識で「悟り」の状態を知ったような)タイプの人は知識で世の中のことを眺めまわし、そこで考えたことを人に話すと評価されるという繰り返しをやっているから、知らず知らずに自分のなかの知識が現実以上の重みと価値を持ってしまっているのだと思う。

p.84-5 最近は「自立した人間になれ」ということがあちこちでいわれるが、そもそも人は本質的には自立などできない生き物である。他人と必ずつながり、どんな形であれ誰かに依存して生きていかざるをえない存在である。
 自分のためだけなら力なんて出てこない。私に限らず、人は誰かのためにと思って何かをするほうが力を出すものである。

p.87 そもそも迷惑を他人にかけないで生きていくことなどできるのだろうか。すなわち、生きるということは、人に迷惑をかけるということなのだ。

p.140 トラブルに対しては現実に身体を使って動かなくてはいけない。頭であれこれ考えるのではなく、瞬間的にサッと動かなくてはトラブルは大きくなってしまう。トラブルの形態や質をとらえて臨機応変に対応していかなくてはいけないのだ。

p.176 「偶然に偶然なし、偶然はみな必然である」とすれば、運もまた必然であるということである。運のない人がよく運を期待するということがある。だが、運は期待してもやってこない。運とはしかるべき行動をとった人にしかやってこないものだ。間違った考えをして間違った行動をとっていては運はやってこない。運とは、不思議な偶然でもなんでもない。


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イヤな人がいる!

2012-06-01 22:04:08 | Book Reviews
イヤな人がいる! 苦手な人とうまくつきあう方法 本多時生・著、アルファポリス文庫、2009年1月30日

p.11 さらに、「こんな人のことを考えるより、いいことをしよう」「こんな人のことより、好きな人のことを考えよう」などと考えることで、イヤな相手のことから頭を切り替えることができれば、なおいいでしょう。

p.13 悪い人間関係で悩んでしまった時の方針は、「この人との関係を良くできるように努力しよう」と考えるか、「この人とはそれなりにつきあえばいい」と考えるか、「この人とは関係が多少悪くてもこのままでもいい」と考えるかの三つです。

p.16 「このままでもいいか」と思えるためのもう一つの考え方は、まず、「あの人との関係で悩むよりも、もっと大切なことがあるのではないか?」と自問することです。

p.18 大事な相手でも、イヤな人も自分とは合わない人もいます。「世の中にはイヤな人もいる」「こんな人もいる」「こんな人のために悩み苦しむのは損だ」などと考えれば、「それなりにつきあおう」という決心もしやすいでしょう。

p.25 相手といっしょでない時に、つい相手のことを考えてしまっても、「いっしょにいない時にはイヤな人のことを考えるのはよそう」「あんな人のことを考えるより、何かいいことをしよう」と切り替える。

p.33 基本的なことさえしっかりやっておけば、あとは無理してつきあわなくてもいいのです。

p.50 悪口を言うのは「相手が未熟だから」です。相手に問題があるのですから、それで自分が傷つかないようにしましょう。口が悪い人には「こういう人だから」と考え、気分屋の人には「こういう時もある」と考え、悪意がある人には「まともに相手をするのはよそう」と考え、少しでも落ちついて対応できるようになれたらいいでしょう。聞くべきことは聞き、その他の余計なことは受け流すことができたら、なおいいでしょう。

p.53 もし、本当に相手に悪意があるとしたら、傷ついたり怖れたりするのは相手の“思うツボ”ではないでしょうか。そういう自分の姿を見せることは、相手を喜ばすだけでしょう。

p.54 人を傷つけるような、意地悪な人も、無神経な人も、どちらも未熟な人です。そういう相手に対しては、まともに相手をすると自分も同レベルになってしまいます。意地悪な人へのいちばんの仕返しは、「平然と、相手にしない」ことです。

p.58 ある程度感情がおさまってそれで我慢できれば、それでいいのです。「怒りを完全にコントロールできないといけない」のような完璧主義は不幸になる考え方です。「怒りは爆発させなければいい」「ある程度はコントロールできる」などと考えられればいいのです。

p.61 「怒ってもいいことはない」「怒りは毒」「怒りは自分を醜くする」などと考えられるといいでしょう。

p.69 (イヤな事を)ふと考えてしまっても、そのたびに心を切り替えるような考え方を心がけることができるようになればいいのです。

p.84 “人を受け入れる”ことは、相手のためよりも、自分(の心)のためなのです。人が変わることを無意識にでも期待しているうちは人間関係でイヤな思いをしやすいでしょう。

p.97 「思ったことを言ってもいいし、言わなくてもいい」

p.103 人づきあいの中でのちょっとした事を苦にしないためにはまず、「人間関係に気まずいことはあるもの」と覚悟することです。

p.135 自分をイライラさせる相手を変えることは難しいことです。たとえひとりを変えられたとしても、イライラさせるような人は他にもたくさんいます。そういう人に出遭うたびに相手を変えようとしたら大変でしょう。
 それならなおさら、自分(の考え方)を変えたほうがいいのです。

p.168 “幸せになる考え方”のポイントは、「今自分にできる」と「少しでも幸せ向きに気持ちを変えられる」です。

p.171 自分の不幸になる考え方に気づいて、「不幸になる考え方はやめよう」とストップできたら、続けて、「何かいいことを始めよう」「やりたいことをやろう」「今やることを(少しでも)楽しもう」などと考えられれば、なおいいでしょう。

p.178 イヤな人が存在する現実は受け入れ、相手が変わることを期待するのはやめて、まずは「こんな人もいる」と考えることができればいいのです。

p.182 相手を悪く考えないように心がけることも大事です。その人の一面や一つの言動だけで、悪い人だと決めつけないほうがいいでしょう。相手の思惑などの余計なことを考えないようにすることも重要です。また、人の悪口を言ったり、人をバカにしたりするのもやめたほうがいいでしょう。

p.187 イヤな気持ちになった時には、「不幸になる考え方をしているからではないか?」と自問し(答えはいつもYES)、「不幸になる考え方はやめよう」と今の考え方をストップできればいいのです。
 続いて、(少しでも幸せ向きの気持ちになれる)「幸せになる考え方は?」と自問するように心がければいいのです。
 「幸せになる考え方をしよう」と意識すれば、考え方を変えることはできます。

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