何かをすれば何かが変わる

すぐに結論なんて出なくていい、でも考え続ける。流され続けていくのではなくて。
そして行動を起こし、何かを生み出す。

犠牲(サクリファイス)

2008-07-14 22:44:55 | Book Reviews
「犠牲(サクリファイス) わが息子・脳死の11日 柳田邦男・著、文春文庫、1999年6月10日
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付加価値が価値でなくなるとき

2008-07-14 22:44:26 | くすり雑感
 今回のジェネリック薬価収載で目立ったのは、多くのメーカーが付加価値を付けて市販したことだった。相変わらず、同等の効果が期待できるとして、これといった特徴もないまま上市したメーカーもあるが、スタート時点で遅れをとったのは明らかである。

 しかしこの「付加価値」。ジェネリックであるから先発品との基本を変更することはできないが、新薬に付随する部分に変更あるいは改善の余地があったことを意味する。新薬は成分において新規性があるが、製剤においてけっして完成品ではなかったことにならないか。

 口腔内崩壊錠を作るまでもなく、ヒートや使用性において、医薬品全体は開発途上であるかのようだ。
 しかし先発品において、後発品が付加価値とする部分において改善が図られたとする。今はニュータイプジェネリックであるとか、スーパージェネリックなどともてはやされている向きもあるが、やがてジェネリックの薬価収載時にこれといって特徴のない製剤しか出てこないことになるかもしれない。改良のアイデアが次々と出されて、それが当たり前のように製剤に反映されて、そのネタが切れれば、極端なハナシ、“安いだけの製剤”というわけだ。果たして、そこまで先発メーカーが改良に投資するか。

 今回のアムロジピン製剤では、付加価値が“改良品”のイメージすらもつものもある。薬価や使用成績、効能効果では比較できなかっただけに、それが選択の重要な要点のひとつでもあった。

 さて新薬メーカーの製剤改良により、ジェネリックの付加価値が消えたとする(仮にそうなるとしてもしばらく先のことではあるが)。ジェネリック比較の要点がなくなり、差がなくなる。薬局としては。悩ましいところだ。いや、どれを使っても大丈夫であるというくらい、ジェネリックの製剤品質がボトムアップするのだろうか。

 国民にしてみれば、ジェネリックのみならず、先発品も使いやすくなって、薬そのものが洗練される。喜ばしいことだ。たかが1錠だが、さまざまな工夫の盛り込まれた超高機能製剤と化しているかもしれない。
Comments (3)
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