「リーダーシップの本質 真のリーダーシップとは何か」 堀紘一・著、ダイヤモンド社、2003年6月26日
p.10-11 まったく資質に欠けた人がリーダーシップを持つことはきわめてむずかしいといえる。だが、それでは彼らの資質が初めから誰にでも(自分にも)見えるものかといえば必ずしもそうではない。かれらはその資質が他人にも自分にもはっきり見えるようになるまでに、物凄い、大変な努力をしているのである。
p.28 企業組織の社会的責任とともに、リーダーは組織の成員たる社員とその家族に対する責任を負っている。責任の一つは収入の安定、待遇の向上である。もう一つは、社員が仕事で自己実現する条件を整えることである。
p.35 できることはすべて部下に任せていったとき、最後に、リーダーにしかできないいくつかのことが残る。そのリーダーにしかできないことを一所懸命考えて実行するのが真のリーダーである。
p.43 人間をうまく使おうという発想は、人間を人間として扱わないゆえに人間に対する冒涜である。その言葉自体がリーダーシップの否定であると思う。
リーダーシップとは、部下をうまく使う術ではなく、自然な状態にあっていかに人がなびいてくるかということを含むリーダーの在り方である。優れたリーダーのもとにはいろいろな人が集まり、いろいろな人が意見を聞きにくる。あるいは自分の意見を述べに来る。本当のリーダーシップがあれば、人々のほうからなびいてくるのである。
p.63-4 企業目的は「生きがい(やりがい)」「成長」「収益」のトライアングルからなる。収益はトライアングルの一角を占めてはいても、第一の目的にはなり得ない。利益とは影のようなものである。
真価を認めてくれる人がいれば、売上は必ず立ち、そういう人がたくさんいれば、要らないと言ってもできる影のように、必ず利益が上がるのである。金儲けということに極意があるとすれば、それは意味のある、価値のある商品・サービスを提供することであり、それに尽きると私は思っている。
また、企業は収益を上げることによって成長への足がかりを得るが、その一方で、成長は売上高を大きくする。それが収益構造を改善することになって、利益をどんどん増やすことになるのである。
p.65 生きがい・やりがいは成長の原動力になる。そして成長は収益をもたらす。そういうとき、上がった収益をそのまま置いておけば半分は税金に持っていかれてしまうので、その何割かを新たな生きがい・やりがい、成長のために投資しようという考えが自然に生まれてくる。たとえば、社員の研修に使おうではないかということになる。
p.66 企業の成長が止まる。成長が止まれば売上も伸びず、収益構造は悪化して減益になる。収益があまり出ないから、社員が新しいことに挑戦したいと申し出ても、積極的に勉強したいと考えても、新たな投資には消極的になり、コストを切り詰めようとする傾向が強くなる。
若い社員がせっかくアイデアを出して、それまでになかったような商品の開発を提案しても、研究開発費を惜しんで、「それは絶対成功すると保証できるか」などと相手を責め立てる。どんな事業でも絶対成功する保証などできようはずがない。まして今までに新しい商品である。結局保証は得られないことになり、リスクが大きいからやめようということになる。
p.68-9 利益は商売の結果であって、上がることもあれば上がらないこともある。したがって、ビジネスの基本は利益そのものを追いかけることではない。ビジネスの基本はいかに「付加価値」を産み出すかというところにある。それは同じ業界でのライバル企業同士の競争の焦点でもある。そして付加価値生産に成功すれば、それこそ太陽が照るがごとくお客さんが認めてくれるようになるだろう。
p.87 (起業の)二番目の条件は、自分が始めようとするビジネスに、何か差別化の要因があることだ。
p.106 大事なのは、総理大臣であれ、社長であれ、リーダーの立場にある人間は、国民なり、社員なりの構成メンバーに向かって、我慢してほしいという「お願い」をしなくてはいけないときがあるということだ。
そしてもちろん、そのお願い、つまり協力を願うためには、リーダーは明日を語れなければならない。それも漠然と語るのではなく、具体的な施策を示す必要がある。そうでなければ国民も社員も納得はしない。
p.122 リーダーは血液で継承するものではない。哲学で継承すべきものだ。
p.140-1 ユダヤ人社会では、評決に際して全員一致という結果が出た場合、議案は否決される。
全員賛成は、採用しようとしている案の長所の裏にある短所を誰も考えていない。他の案の持つよさを誰も考えていない。そうした危うさをはらみ、道を間違える可能性が大きいことで全員一致を否決にしたのがユダヤ人の知恵である。
p.163 私はビジネスパーソンをやっていく上で、とても大事な資質は「かわいげ」だと思う。たまにはとても優秀だが、かわいくない人がいる。こういう人はその優秀さにもかかわらず年を重ねるごとに仕事がうまくできなくなる。一方、そんなに優秀でなくても徐々に成績を上げていくタイプに共通しているのは「かわいげ」だ。
この「かわいげ」を構成する中核要素は「素直さ」だと見抜いた。素直な人間には吸収力がある。こだわりなく人からの教えを吸収し、知識を吸収し、センスが磨かれる。
p.184 真のリーダーは、何か障害があるとき、すぐに無理だと決めつけずに、その障害を迂回できないか、突破できないかととことん深く考えるものだ。名案とはそうして初めて生まれるものである。
p.186 部下に命令をするとき、社長は、自分本位に考えた内容がそのまま部下に伝わると信じて疑わないが、部下は部下で自分本位に受け止め、微妙に違う意味に理解して命令を実行する。そうした勘違い、聞き違いは、お互いが相手の身になって考えない以上避けられない、日常茶飯事である。
リーダーも会社も、つねに相手の立場に立って考える視点を持たなければならない。相手、つまり部下から考えたらどうなのか、この会社に部品を供給する会社からみたらどうなのか、ユーザーから考えたらどうなのか、と。
p.189 野球のピッチャーと女子のプロテニス選手と企業経営者には共通点がある。みな、耐えて耐えて耐え抜きながら攻め続けなければならないのである。
p.191 経営者が守りに回ったら、会社は終わりになってしまう。耐えている時間は9割あっても、つねに攻める姿勢を忘れず、十割攻撃だと思っていなければいけない。
p.191 企業にとって、経営者にとって、一番怖いのは何か。デフレでも価格破壊でもない、自分たちの心が壊れることである。
p.192 腹の立つ話というのは、改善すべき問題を示しているのだ。それは改善することによって、よりよい結果がもたらされることを意味する。腹の立つ問題こそ宝の山である。
そして、それだけの問題があってもなお会社が存立しているという事実は、今日この問題を片づければもっといい会社になるのだということも意味している。
p.208 公の肩書きがなくてもみんなオーナーシップを持ち、リーダーシップを発揮できる会社は強い。本田技研やソニーが飛び抜けて強いのは、若い人たちに至るまで、「これがホンダイズムなんだ」「これがソニー流なんだ」と言って、上の人の命令に応えるだけでなく、自分で考え、自分で実行する習慣が根づいているからだ。
p.10-11 まったく資質に欠けた人がリーダーシップを持つことはきわめてむずかしいといえる。だが、それでは彼らの資質が初めから誰にでも(自分にも)見えるものかといえば必ずしもそうではない。かれらはその資質が他人にも自分にもはっきり見えるようになるまでに、物凄い、大変な努力をしているのである。
p.28 企業組織の社会的責任とともに、リーダーは組織の成員たる社員とその家族に対する責任を負っている。責任の一つは収入の安定、待遇の向上である。もう一つは、社員が仕事で自己実現する条件を整えることである。
p.35 できることはすべて部下に任せていったとき、最後に、リーダーにしかできないいくつかのことが残る。そのリーダーにしかできないことを一所懸命考えて実行するのが真のリーダーである。
p.43 人間をうまく使おうという発想は、人間を人間として扱わないゆえに人間に対する冒涜である。その言葉自体がリーダーシップの否定であると思う。
リーダーシップとは、部下をうまく使う術ではなく、自然な状態にあっていかに人がなびいてくるかということを含むリーダーの在り方である。優れたリーダーのもとにはいろいろな人が集まり、いろいろな人が意見を聞きにくる。あるいは自分の意見を述べに来る。本当のリーダーシップがあれば、人々のほうからなびいてくるのである。
p.63-4 企業目的は「生きがい(やりがい)」「成長」「収益」のトライアングルからなる。収益はトライアングルの一角を占めてはいても、第一の目的にはなり得ない。利益とは影のようなものである。
真価を認めてくれる人がいれば、売上は必ず立ち、そういう人がたくさんいれば、要らないと言ってもできる影のように、必ず利益が上がるのである。金儲けということに極意があるとすれば、それは意味のある、価値のある商品・サービスを提供することであり、それに尽きると私は思っている。
また、企業は収益を上げることによって成長への足がかりを得るが、その一方で、成長は売上高を大きくする。それが収益構造を改善することになって、利益をどんどん増やすことになるのである。
p.65 生きがい・やりがいは成長の原動力になる。そして成長は収益をもたらす。そういうとき、上がった収益をそのまま置いておけば半分は税金に持っていかれてしまうので、その何割かを新たな生きがい・やりがい、成長のために投資しようという考えが自然に生まれてくる。たとえば、社員の研修に使おうではないかということになる。
p.66 企業の成長が止まる。成長が止まれば売上も伸びず、収益構造は悪化して減益になる。収益があまり出ないから、社員が新しいことに挑戦したいと申し出ても、積極的に勉強したいと考えても、新たな投資には消極的になり、コストを切り詰めようとする傾向が強くなる。
若い社員がせっかくアイデアを出して、それまでになかったような商品の開発を提案しても、研究開発費を惜しんで、「それは絶対成功すると保証できるか」などと相手を責め立てる。どんな事業でも絶対成功する保証などできようはずがない。まして今までに新しい商品である。結局保証は得られないことになり、リスクが大きいからやめようということになる。
p.68-9 利益は商売の結果であって、上がることもあれば上がらないこともある。したがって、ビジネスの基本は利益そのものを追いかけることではない。ビジネスの基本はいかに「付加価値」を産み出すかというところにある。それは同じ業界でのライバル企業同士の競争の焦点でもある。そして付加価値生産に成功すれば、それこそ太陽が照るがごとくお客さんが認めてくれるようになるだろう。
p.87 (起業の)二番目の条件は、自分が始めようとするビジネスに、何か差別化の要因があることだ。
p.106 大事なのは、総理大臣であれ、社長であれ、リーダーの立場にある人間は、国民なり、社員なりの構成メンバーに向かって、我慢してほしいという「お願い」をしなくてはいけないときがあるということだ。
そしてもちろん、そのお願い、つまり協力を願うためには、リーダーは明日を語れなければならない。それも漠然と語るのではなく、具体的な施策を示す必要がある。そうでなければ国民も社員も納得はしない。
p.122 リーダーは血液で継承するものではない。哲学で継承すべきものだ。
p.140-1 ユダヤ人社会では、評決に際して全員一致という結果が出た場合、議案は否決される。
全員賛成は、採用しようとしている案の長所の裏にある短所を誰も考えていない。他の案の持つよさを誰も考えていない。そうした危うさをはらみ、道を間違える可能性が大きいことで全員一致を否決にしたのがユダヤ人の知恵である。
p.163 私はビジネスパーソンをやっていく上で、とても大事な資質は「かわいげ」だと思う。たまにはとても優秀だが、かわいくない人がいる。こういう人はその優秀さにもかかわらず年を重ねるごとに仕事がうまくできなくなる。一方、そんなに優秀でなくても徐々に成績を上げていくタイプに共通しているのは「かわいげ」だ。
この「かわいげ」を構成する中核要素は「素直さ」だと見抜いた。素直な人間には吸収力がある。こだわりなく人からの教えを吸収し、知識を吸収し、センスが磨かれる。
p.184 真のリーダーは、何か障害があるとき、すぐに無理だと決めつけずに、その障害を迂回できないか、突破できないかととことん深く考えるものだ。名案とはそうして初めて生まれるものである。
p.186 部下に命令をするとき、社長は、自分本位に考えた内容がそのまま部下に伝わると信じて疑わないが、部下は部下で自分本位に受け止め、微妙に違う意味に理解して命令を実行する。そうした勘違い、聞き違いは、お互いが相手の身になって考えない以上避けられない、日常茶飯事である。
リーダーも会社も、つねに相手の立場に立って考える視点を持たなければならない。相手、つまり部下から考えたらどうなのか、この会社に部品を供給する会社からみたらどうなのか、ユーザーから考えたらどうなのか、と。
p.189 野球のピッチャーと女子のプロテニス選手と企業経営者には共通点がある。みな、耐えて耐えて耐え抜きながら攻め続けなければならないのである。
p.191 経営者が守りに回ったら、会社は終わりになってしまう。耐えている時間は9割あっても、つねに攻める姿勢を忘れず、十割攻撃だと思っていなければいけない。
p.191 企業にとって、経営者にとって、一番怖いのは何か。デフレでも価格破壊でもない、自分たちの心が壊れることである。
p.192 腹の立つ話というのは、改善すべき問題を示しているのだ。それは改善することによって、よりよい結果がもたらされることを意味する。腹の立つ問題こそ宝の山である。
そして、それだけの問題があってもなお会社が存立しているという事実は、今日この問題を片づければもっといい会社になるのだということも意味している。
p.208 公の肩書きがなくてもみんなオーナーシップを持ち、リーダーシップを発揮できる会社は強い。本田技研やソニーが飛び抜けて強いのは、若い人たちに至るまで、「これがホンダイズムなんだ」「これがソニー流なんだ」と言って、上の人の命令に応えるだけでなく、自分で考え、自分で実行する習慣が根づいているからだ。