何かをすれば何かが変わる

すぐに結論なんて出なくていい、でも考え続ける。流され続けていくのではなくて。
そして行動を起こし、何かを生み出す。

100人の村に生まれたあなたへ

2011-04-30 23:27:50 | Book Reviews
「100人の村に生まれたあなたへ」 中野裕弓・著、角川文庫、2002年6月25日

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ゆるく考えよう

2011-04-29 17:14:17 | Book Reviews
「ゆるく考えよう 人生を100倍ラクにする思考法 ちきりん・著、イースト・プレス、2011年2月7日

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運のつぼ77

2011-04-28 22:51:00 | Book Reviews
『運のつぼ77 人生に「大人勝ち」する術 小林玖仁男・著、ワニブックス【PLUS】新書、2011年2月25日

p.39 『勇気』とは何かが分かりました。『恥知らず』と同義語でした。

p.101 『ナンバーワンを放棄したオンリーワン』は、勝つ型を考えません。
 「ナンバーワンを否定」×「オンリーワンは肯定」=運から遠のく!

p.223 迎え三歩で、見送り七歩。

p.248 あなたの仕事で、むやみやたらに無自覚で『ごくフツウ』を提供していませんか。

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人生逆戻りツアー

2011-04-27 21:35:13 | Book Reviews
「人生逆戻りツアー」 泉ウタマロ・著、プレジデント社、2010年6月24日

p.130-1 「永遠に与えられているエネルギーとは何ですか?」
 「それは君の真の存在に近いものだ、自分を否定することはその力を否定することになる。従ってその力が表に出てくることが最後までできない。中にはその力の存在に無意識ながら気づいている者もいる。彼らはとりえず地震を持って行動するように努める。たとえ初めての挑戦だとしても『根拠のない自信』と称してやり始める。かれらの中のその永遠の力は認められたことを知り、その効果を実世界に発揮し始める。そして結果的には目的を達成する。『根拠』とは自分自身の中の永遠の力を、すでに確信していることだったのだ。その確信こそが鍵なのだ。まさに宇宙を動かすものだ」

p.147 どんなに自分を情けないと思っても、あなた自身を卑下しては駄目よ。

p.165-6 予定内のことも、予定外のこともその両方が必要なの。それに望んでいるんじゃなくて、それを経験しているのよ。

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津波災害

2011-04-26 22:13:56 | Book Reviews
「津波災害――減災社会を築く 河田恵昭・著、岩波新書1286、2010年12月17日

p.156 1993年北海道南西沖地震時に奥尻島青苗五区では、地震直後に住民避難が始まった(ここでは地震5分後に高さ10メートルの津波第一波が来襲した)。徒歩で避難した人の中で、途中どこにも立ち寄らなかった人だけが助かった。祖父や祖母の家に立ち寄って一緒に逃げようとした人(彼らはいち早く非難していたので、留守だった家が多かった)、忘れ物をしたことに気がついて家に戻った人らが犠牲になった。このように、一目散に避難した人が生き残ることができたのである。
 1946年12月21日午前4時19分に起こった昭和南海地震による死者のデータを整理していて気がついたことがある。30歳代の女性に死亡率のピークがあり、40歳代や50歳代の女性より死亡率が大きいのである。何かの間違い、と考えてデータを見直しても変わらなかった。30歳代の女性の多くは乳幼児がいたため、避難が遅れた。冬の寒い季節だったから、ねんねこにくるんだりしている間に、あるいは一家の主婦として仏壇の位牌などを持ち出そうとして逃げ遅れたのである。夫や若者は一人でいち早く逃げたので助かった。


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経営方針の誤りを正す礎にしたい

2011-04-25 23:14:10 | JR西に学べ
鉄道の安全「広く国民に」=遺族とJR西、合同で報告書―福知山線事故
時事通信 4月25日(月)15時18分配信

 JR福知山線脱線事故から6年を迎え、遺族らでつくる4・25ネットワークとJR西日本が25日、共同で1年半にわたり進めてきた事故検証の場「課題検討会」の報告書を公表した。被害者と加害企業の異例の合同作業は、事故の組織的要因をめぐって一定の理解に達し、今後の評価を「広く鉄道の利用者である国民に委ねたい」と結んだ。

 報告書は、乗務員への懲罰的な再教育(日勤教育)、過密ダイヤ、自動列車停止装置(ATS)の未設置といったテーマで、同ネットの問題提起にJR西側が回答する形式でまとめられた。

 再教育の項目では、ネットが問題点の具体化を求めると、JR西は「机上教育」に陥りがちで実践的でなく、監督者と社員間のコミュニケーション不足を認め、改善点として専門知識が豊富な監督者の指導やシミュレーターの活用などへの訓練の転換を挙げた。

 ダイヤについては、運行本数優先で余裕のない編成が、結果的に運転士に焦りや動揺を与えたとの指摘に、西川直輝JR西副社長が「全く新しい視点」と同意。過密運行になった場合は速やかに修正できるシステムを構築したと説明した。

 ATS未設置で、JR西はカーブでの大幅な速度超過による脱線を想定できなかったとしながら、「ATSがあれば事故を防げた」と回答。事故後、国の指示を超えるペースと範囲で設置を進めたと答えた。

 報告書のまとめとなるJR西の組織的問題に関する見解で、ネットは民営化後の利益追求型経営、安全への組織的取り組みの希薄化、信賞必罰が招いた「物言えぬ社内風土」を挙げ激しく批判。JR西は、社内の風通しの悪さや安全対策が停滞していたことを率直に認めた。

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 あれからもう6年経った。東日本大震災で、記事の取扱いは小さくなっているが、決して忘れてはいけない「事件」だ。日勤教育も、過密ダイヤも、ATS未設置も、すべて社員をコマのように扱い、利益を優先するという経営側の論理によるものだ。その文化が大事故を招いたのだ。
 いかに社員をないがしろに扱ってきたか。その圧力が危険な行動を誘発したのだ。

 JR西日本でなくても、同様の文化を有する企業はたくさんある。業種上、多くの人命を失うようなことには至っていないかもしれないが、その経営姿勢はけっして正しいとはいえないことを知るべきだ。顧客に多大な迷惑をかけていながらそれを認めず、地位にしがみつく経営者もいる。そういう組織には明るい将来などけっして訪れないだろう。


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大好きなことをしてお金持ちになる

2011-04-25 22:11:10 | Book Reviews
「大好きなことをしてお金持ちになる あなたの才能をお金に変える6つのステップ 本田健・著、フォレスト出版、2009年12月12日

p.8 「自分が、人や社会と何も分かち合っていないから不幸なんだ」

p.49 成功していく人は、このままいくとどういう人生が待っているのかを感じる感性を持っています。

p.57 幸せに成功する人は、この五つの領域(経験があること、得意なこと、お金になること、好きなこと、ライフワーク)が重なる真ん中の部分で仕事やビジネスをやっています。だから、彼らは、あっという間に成功するのです。

p.60 ワクワクして情熱的にあなたが毎日生きていると、それを応援してくれる人が集まるようになります。あなたの売る商品やサービスを買いたいという人がやってくるのです。

p.65 (現代の世の中でお金持ちになるのに)一番大切なことは、どのお金の得方をすると、あなたにとって気持がいいのかです。自分にぴったり合う方法でお金を得ないと、幸せに金持ちになることができません。

p.77 従業員が会社のために働いているとすれば、自営業はお客さんのために働きます。

p.117 幸せの源泉が、それをやるだけで幸せがあふれてくるものなのに対して、豊かさの源泉とは、それをやるだけで経済的に豊かになってしまうものです。大好きなことでお金持ちになるには、「幸せの源泉」と「豊かさの源泉」の二つを掘り当てることが必要なのです。

p.123 時代の流れや世の中の関心が向かうものには、お金が集まりやすいといえます。

p.136 大好きなことで成功している人にとって、「稼ぐ」ことは、自分らしいことを大切にし、それを周囲とも分かち合い、喜びを共有するという姿勢です。ですから極端に効率だけを重視したり、お金のために自分らしくないことをしたり、競争相手を蹴落とすようなこともしません。
 彼らの収入としてのお金は、周囲の人と喜びを分かち合った結果、お客さんからの感謝の表現として得られるものなのです。

p.137 彼らにとって賢いお金の使い方とは、「自分らしさ」や「自分の幸せ」を基準にして、自分らしいことにお金を遣い、自分らしくないことにはお金を遣わないという姿勢なのです。大切なお金を自分の幸せと関係ないものに使わないため、結果的に無駄遣いをすることがありません。

p.139 幸せに成功した人がお金の面で応援するかどうかの判断基準は、自分が儲かるかどうかではなく、その活動が自分の考え方に一致しているかどうかです。また、その活動をやっている人を心から応援したいかどうかも大切なポイントです。

p.142 あなたの人生に開かれた可能性やチャンス、自分の才能などを信頼することができれば、たとえ今お金の流れが十分ではなくても、豊かな心を保つことができるでしょう。

p.149 起業家の中には、「会社が大きい=成功している」と二十世紀的な考え方を持っている人がまだまだたくさんいます。私は、これからの会社は、いかにお客さんを心から満足させて、その対価としてお金をもらい、利益を上げたかで評価されると思います。

p.175 「社長のあなただから、私は買うんだよ」といわれて、喜んでいるようでは、優秀な経営者とはいえないのです。「しまった! 俺じゃないとダメな仕組みになっているぞ」と気付けないようでは安定した成功を臨めません。

p.191 成功している人は、面倒くさいことが気にならなくなるぐらい、大好きなことをやっています。イヤなことがあったとしても、「えいっ」とやってしまうほどパワフルなのです。

p.193 「自分らしさを大切に表現すること」と「自分の独りよがりを押し付けること」は似ているようで違います。前者には謙遜がありますが、後者は傲慢な行動です。

p.195-6 私は学生時代に、普段は夜行バスでも、ごくたまに新幹線のグリーン車に乗るようにしていました。すると、将来成功した時のイメージが広がって、とてもワクワクしたのを覚えています。将来成功したら、こういうことをするだろうなというのを少しだけ先取りしてみるのです。

p.213 自分らしく生きようとすると、一時的な摩擦を引き起こします。しかし、時間がたつと、風邪はいつのまにか逆風から追い風になり、あなたのファンの人たちが周りを固めてくれるようになります。

p.217 お客さんのクレームは、本来ならあなたの会社のマイナスの部分を指摘してくれているのだから、感謝してもしきれないはずです。しかし、凡庸な経営者は、それを見逃してしまい、面倒な客が来たくらいにしか考えないのです。

p.221 できれば、最初の試みで成功したい、それも、最小の努力で最大の効果を得たいと考えます。そういう考え方が、いちばん失敗を招くと彼はいうのです。要は最終的に成功すればいいのだから、何回失敗しようとかまわない、むしろ失敗を恐れて挑戦しないことの方が大失敗だというのです。

p.224-5 私は、成功することを忘れて、自分の大好きなことをやるのが成功への近道だと、ここであえていいたいと思います。
 なぜなら、それによりあなたは、「自分の中に眠る資産」の存在に意識が向かうようになるからです。そして、周りの人にあなたができる奉仕を考えることです。さらに、その奉仕する能力に磨きをかけていくことです。気がつけば、想像以上のものを手に入れている自分がいることでしょう。

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三陸海岸大津波

2011-04-24 12:36:47 | Book Reviews
「三陸海岸大津波」 吉村昭・著、文春文庫、2004年3月10日

p.171 津波は、自然現象である。ということは、今後も果てしなく反復されることを意味している。

p.178 「津波は、時世が変ってもなくならない。必ず今後も襲ってくる。しかし、今の人たちは色々な方法で十分警戒しているから、死ぬ人はめったにいないと思う」
 この言葉は、すざまじい幾つかの津波を体験してきた人のものだけに重みがある。

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捨てれば入る福ふくそうじ

2011-04-20 21:30:28 | Book Reviews
「捨てれば入る福ふくそうじ」 千代里・著、SDP、2009年3月18日

p.45 人が人を尊敬するのは、その人の地位や名誉、財産とは全く関係ありません。
 「スタンドプレーをしなくても、周りに自分を認めさせる唯一の方法は、日々の小さな努力をコツコツと積み上げ、足腰を鍛えることだ」

p.61 もし、会社や学校で、自分が快く思っていない人に対しての感想を求められたら、今まで自分がその人にされて腹立たしかったことや、嫌だと思っていることについて話したい氣持ちをぐっとこらえ、いいところだけを見つけて、それを心をこめて話しましょう。
 そのことによって、その人に対するマイナスイメージが変わるだけでなく、それを聞いている相手の人が、あなたに対する印象を変えるはずです。

p.111 人や物を批評している時、私はいつも自分のことを棚に上げて、それを作った人がいどんな氣持ちでどんなに手間暇かけてそれに取り組んだかに想いを馳せることができていません。
 自分が代わりにやってみたとして、その百分の一もできないのに、まるで自分のほうが立派にできるかのように考えてしまう。

p.174 怒ったり恨んだりしている時は、自分がすべきことがきちんとできず、価値ある有意義な時間の過ごし方ができません。だから、怒ったり、恨んだりして一番大きな被害をこうむるのは自分です。自分に与えられた時間や命を、いたずらに無駄にしているのです。

p.175 一つ悲しいことを思い出せば、次から次へと悲しいことを思い出し、時間はすっかりタイムスリップして、心は一躍悲劇のヒロインです。その間にも、現実の人生は刻々と過ぎていってしまいます。
 妬みの心も何ら建設的な発展に結びつきません。ほめられている人の前に出て、自分のよさを見せつけようとすればするほど、その心の浅はかさがにじみ出て、滑稽に見えるだけです。

p.187 ここ数年私が取り組んでいるのは、「腹が立ったら、何か一つ、どこか一カ所、片付けたりそうじしたりする」ということです。

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とにかく、やってみなはれ

2011-04-19 22:10:26 | Book Reviews
「とにかく、やってみなはれ 西堀栄三郎語録 西堀岳夫・編、PHP研究所、2009年9月11日

p.21 目的なり理想というものは、遠大で、しかもなかなかかなえられない、いわば夢みたいなほうがよいのではないかと、私はつねづね考えている。
 なぜなら、その理想が遠大であればあるほど、人類の福祉の向上に貢献するとか人類愛のために役立つというような崇高なものであればあるほど、人間はそれを実現しようとして向上心を駆り立てられるわけだから。

p.24 仕事を楽しませようというか、仕事というもの自体に、意欲を持たせようとするのなら、どうしても考える余地を与えておかなければいけないわけです。

p.25 片一方はやらされていると思うから疲れるので、もう一方は自分でやっていると思うから、ちっとも疲れない。それどころか疲れがなおる。つまり自発的にやるというところに、非常な意義があるわけです。

p.27 生産に対するやる気、そのような「やる気」は、いったいどこから出てくるものだろうか。それは「考える」という行為を通して出てくるものだと思う。その人に「創意工夫」の余地、すなわち「自由度」が与えられていることが肝要である。そうすれば自分が創意工夫を働かした分だけ責任を感ずることになり、それだけ意欲は高まることになる。

p.28 作業標準を守ることは成績の後退することを防ぎ、これを維持することに役立つが、向上のほうには何にも役立たない。

p.37 困難であることがただちに失敗に結びつくとは限らない。それに立ち向かう必要が生じたとき、喜び勇んで事柄にぶつかってみることが大切なのである。とくに、他の人々がやりそびれ、尻込みするような問題に対して、率先して挑戦することが大事だと思う。

p.38 「研究」とは、「知的分野の探検である」と言いたい。
 成功するだろうか、失敗したらどうしよう・・・・・という不安は必ずつきものだが、やってもみないうちから取り越し苦労などしないことである。またまわりの口出しを気にしていたら何もできない。とにかく「やる」と決心することである。そして決心したら、いかなる困難も乗り越えていくという強い気構えで臨まなければならない。

p.39 革新というものは、きわめて創造的な行為を必要とする。創造的であるとは、ひとつの飛躍であって、まわりから見ると、一見、非常識なことをしているように思われがちである。ほかの人々の同意を得ることも非常に難しい。その上、自分自身との闘いを迫られる。つまり、自己の中の保守的な心と闘い続けなければならないのである。

p.61 (独創性を発揮する場合の)切迫感というものは「現在のもの」であるよりも、「このままでいくと将来大変なことになるぞ。何とかせねばならぬ」という「未来での切迫感」であることが望ましい。
 責任感というものには、このような負けてはならぬという気持ちのほかに使命感とか義理人情まで含まれているようである。

p.75-6 まず本当に理想的なものを考えて、だんだん現実に近づけていく。本当に雑音のないものが完全にできたときに、今度はどうしたらコストを下げられるのかと二段構えで考える。
 私は、いかに高くついてもよいから「品物はやじゃりこうあるべきだ」というように持っていくべきだと思います。それからあとにコストを下げる工夫をすればよいのであって、いくらでもコストを下げる工夫はあるはずです。

p.83 従来から、良品を出荷するためには、選別検査で不良品を選り分ける方法が手っ取り早いとされてきた。しかし、選別に頼るということは、工程中のどこかにあるはずの不良の原因を見つけることをあきらめることでもあり、それは作業員の技術能力を否定することになるのである。 #RM

p.85 否定が先にあって、それから新しいものを創るのではなくて、新しいものが出てきたから、従来のものが捨てられたんだ、ということです。
 新しい従来のものと代わり得るものを持ってきて、前のものが自然とすたれていくという行き方をとらなければならないんです。

p.93 知っていて実行しないのは卑怯千万だと私は思います。それには必ずといってよいほど言い逃れがどこかにできています。

p.95 (なかなか実行につながらないことも)現場の人たち自身が考えついたことなら、すぐ実行ということになる。

p.102 「先駆者精神」を標語にし、人のやったことは真似しない、というのが基本方針だったから、何でも自分たちで考えてやった。

p.108 個を殺して和を、というのは一見もっともらしいのですが、それではチームとしての個の力を発揮させ、結集させることはできません。
 異質の個性を持った人間が寄り集まってチームをつくるのでづから、お互いに個と個を認め合いながら、「これがあいつの特色なんだ、持ち味なんだ」と思うことに努力し、相手の個を活かし合いながら共同の目的に向かって協力する、それが積極的な「異質の協力」になるわけです。

p.115 同じ性格の人たちが一致団結しても、せいぜいその力は「和」の形でしか増やさないけれども、それぞれ異なる性格の人たちが団結した場合には、それは「積」の形でその力が大きくなるのではなかろうかと考える。

p.117 古くから日本の社会、あるいは日本の組織において「人の和」というときは、往々にして「滅私奉公」的な意味合いが強い。
 異質の協力ということは、組織の中に個人がトロトロに溶け込んでしまうことを意味してはいない。個人は個人で、各自の個性をしっかりと保持しながら、お互いが組み合ってゆくことなのである。

p.119 「みんないっしょ」が強調される社会、組織からは、創造的活動は出にくい。また、出てきてもつぶされてしまう。私の言おうとしている一体感というものは、いわゆる一家意識とは本質的に違うものである。目的における一体感とでもいうべきものだろう。

p.122 共同の目的に向かって、それぞれが自分の持ち場で、「やっているんだ」という気持ちで与えられた役割に取り組み、全員が一致協力するところに、真のチームワークがあると思うのだ。

p.132 失敗のほうが俺が引き受けてやるから、オマエたちはうんと「成功の味」をしめてみろという態度でやれば、その人たちは未知に対する挑戦の仕方を自分自身でだんだん編み出してくるものです。自信も持つだろうし、自信を持つから意欲も高まるという具合で、ついには仕事への執念というものにまで発展していくのじゃないか。

p.134 育てるということは「成功」の味をしめさせ、「失敗」に学ばせることです。育てる、ということは「調子に乗らせて」いやが上にも、意欲を高め、それによって能力を増大することです。

p.143 経営者にとっていちばん大切なことは、人が人を使うという思想を捨てることである。

p.145 とかくこういうご時世になると、合理化というと、すぐ人を切るということに直結しがちです。また節約というと、すぐそれじゃ教育の予算を削ろうとなりがちです。しかし、これは考え直すべきことです。こういうときこそ、人間を大事にし、かつ徹底的に教育訓練すべきときです。教育訓練こそ、他日大きく伸びるための有効な投資です。 #EDU

p.153 目的は絶対であるが、それを達成する手段は自由である。

p.156 「法の上に良心を置く」
 たとえば仮に、当初は有用物と思って提供した品物なりサービスがあとになって人類に害を与えることがわかったら、すみやかに販売および製造を止めるべきである。これが良心に従って行動することになるのだと考える。

p.166 いわゆる取り越し苦労ばかりしていたら、決して新しいことはできるものではありません。だから新しいことをする人は、天佑(天のたすけ)というものも作戦の中に十分入れてよろしいのです。
 そんな難しいものなら、新しいことなんてしないでおこうか、などと思わないでもらいたいのです。

p.169 やるかやらないかを決心する前に、こまごまと調査すればするほど、やめておいたほうがいいんじゃないかということになる。石橋を完全にたたいてから、渡るか渡らんか決心しようなんて思っていたら、おそらく永久に石橋は渡らんことになるのだろうと思います。

p.171 「やる」ということを決心してからの調査というものは、やる決心をする前の調査とは全然違います。これは、やるという前提のもとにする調査です。もうすでにやると決めているのですから、どうすればリスクが減らせるかということに集中した調査になって、これは非常に大事です。

p.174 (親切に心配してくれる人に)いったいどんな心配をしているのかと問うてみると、「まったく何が起こるかわからないから」という。わかっていれば、そのときの処置を想像して準備すればよいし、想像もつかないことが起こるというなら、それは臨機応変の処置ができるような自信を養っておくほかないのである。

p.181 すべての問題は「災い転じて福となす」ということが大事なんじゃないか。それは全部、自分の気持ちの持ち方ひとつであって、必ず次から次へと、そういうチャンスいがめぐってくる。先のことをあまり取り越し苦労して、悲観的にものを考えるのはよくないですね。

p.182 世の中には、次から次へと不運なことが起こって悲しみにうちひしがれてしまう人があるけれども、そういうときに最も大切なことは、たとえどのような不幸が目の前に現われ、精神的な苦痛を強いられても、それに耐えて、もうひとふんばりするという気持ちがなければだめである。

p.185 次に、きっと望みがかなえられ成功するに違いない、と信じなければなりません。いかに困難で不可能に見えても、勇気を持ち続け、ねばり強く望みを捨てないことです。すると突然パッと目の前が明るくなって、成功の見通しがつくものです。

p.186 慎重ということは、やらないということを意味するものではなく、やると決めて、危険や失敗をなくするように準備することを意味するのです。

p.188 自分として最善をつくすということは、成功の確率の高い方法を選ぶのではあるが、しかしその一方において、成功の確率が低かろうが高かろうが、やらねばならないことはやる。そしてそれが成功するかしないかは、なるようにしかならないものだと思うしか仕方がないのではないだろうか。

p.199 「キノコは千人の股をくぐる」
 未知の世界を何とか知ろうとして、一生懸命になって探す。ほかの人が探しているから、もうないだろうと決めてかかるのではなくて、みなさんが毎日しておられる仕事の中から、一生懸命に探していくことが大切なのです。

p.201 ことに日本人は基礎的な知識をたくさん持っています。誰もが知識のもとは持っているのですから、あとはその持てる知識を、使うか使わないかという意志の問題です。

p.204 南極の生活で、何がいちばん苦しいかと聞かれたならば、私は、それは未知から来る不安だと答える。しかし、その未知が、刻々の経験によって、すぐに既知に変わってくる。そしてそのとき、非常な喜びをともなうのである。

p.207 幅の広さというものは、経験をどれだけ努力して積むかということに尽きます。経験を積むことが、人間としての最大の義務であるとさえ思ってしまうのです。経験を積むチャンスがあれば、どんな努力をしててもチャンスをつかもうとするわけです。

p.209 知識を「応用する才能」というものは、教えられるものではなく、失敗を恐れずに修行させて、育てるものなのです。育てるとは、失敗の責任を授業料だと思って、引き受けてやることです。「学」は教えることができるが、「術」は育てることでのみ得られるものです。

p.217 学者は、非常に狭いことをキリで穴をあけるように掘り下げていくことで足ります。ところが、技術者というのは、学者よりもはるかに知識の幅が広くなければいけません。つまり、私は片っぱしから何でもやって経験の幅、知識の幅を広げるのに努力してきたわけです。

p.218 学者としてなら狭くてもよいかもしれませんが、そういう狭い専門家よりも、もっと広い専門家、技術的にも人間的にも「豊かな専門家」であってほしいと思うんですよね。周辺領域をうんと広げて、それがついに人間そのものの追求にいたるというか、そのへんまで向かう専門家であってほしい。

p.230 テーラーシステムには、監督者が睨みをきかせしっかり管理監督をするからこそ作業員は働くのであり、ちょっとでも目を離すと途端に怠けるのではないか、という疑いの思想が充満しているように思えたのであった。
 このような分業体制の下では、能率を上げることはできても働く人の意識を向上させることはできない。まして「よいものをつくろう」とか「不良品をなくそう」という生産者みずからが持つ生産意欲の向上など望めはしないのである。労働意欲というものは、自分の働きが認められて、喜ばれて、そこに自分なりの創意工夫が加えられて、はじめて湧いてくるものなのだから。

p.241 (技術を)正しい目的に応用すれば、功となるが、よこしまな目的に応用すれば、罪となるのです。
 世間一般でいう「科学の罪」は、実は「技術の罪」でなのであり、「技術の罪」はその「目的」を与えるものの良心や人間性の問題です。

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I met a boy. 父の日に、バンビ公園で。

2011-04-17 12:17:47 | Book Reviews
「I met a boy. 父の日に、バンビ公園で。」 松尾健史・著、でぃすかヴぁー・トゥエンティワン、2008年12月20日

p.32 「世の中に『怖い』と決まっていることなんてないんだよ。怖さはいつだって人の心でつくられるんだ。それを知っておけば、この世の中の怖いものの九割は消えてなくなるさ」

p.42-3 (自分が不幸だと思わなかったのは)「ええ、誇りです。お金なんてあんまり関係ないんですよ。僕にとって喜びの基準は、音楽を通じてだれかの幸せの役に立っているかどうかなんです。その『役に立てている』というのが僕の誇りなんです」

p.72 変わることは悪いことではない。ただ、変わることによって、大切なものが見えなくなってしまうこともある。

p.99 「正しいことを正しい、間違っていることを間違っているって言うのは、勇気がいることだ。それでも、たとえ一人だとしても、声を上げなきゃいけないときがある」

p.145 自分の人生の満足度は、どれだけ自分に対して自分を誇ることができるかにかかっている。売れてないときも、今も変わらず、僕は自分に対して誇りを持っている。それが大事なんです。

p.173-4 僕の人生は他のどこかにあるのではなく、「今、ここ」にある。
 変わることを望んだ僕には、二つの選択肢があった。一つは、今いる場所、この会社、この机、この人間関係の中で、僕自身が変わること。もう一つは、別の場所、別の会社、別の机、別の人間関係の中へ移動して、僕自身が変わること。

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【ジェネリック】 添加物が違うと治療効果も異なる?

2011-04-16 22:47:18 | ジェネリック de リ・スタート!
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┃ ★ ジェネリック de リ・スタート!
┃  -治療レベルを下げずに、支払いはリーズナブルに-
┠────────────────────────────
┃       2010.10.31  Sun.   通巻71号
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 みたキタ企画、薬剤師のsukeです。

 このメールマガジンは、ジェネリック医薬品(後発医薬品)が
適切に使用されることを目的として、話題を提供しています。

◆ジェネリックの使用をためらっている一般のかた
◆ジェネリックの適切な使用促進に悩んでいる薬剤師
◆ジェネリックについて興味や関心のあるあなた

 といった皆さんにお読みいただきたいと思います。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
☆ 「添加物」が違うと治療効果も異なる?
──────────────────────────────

 今回はジェネリックにおける「添加物」についてです。

 ジェネリックが製剤的に先発品と違うという、代表的な観点が「添加物」に
ついてです。

 「ジェネリックと先発品は同じものか?」と言われれば、違うと言わざるを
えないのは「製剤として」であり、用いられている“材料”が違うからです。
その違いの矛先が、用いられている「添加物」に向けられています。

 主成分(薬効成分)は同じ、その含量も同じ、ただし添加物は異なる・・・

 果たして、それが治療効果にどの程度の影響を及ぼすのでしょうか。

──────────────────────────────

 例えば、錠剤がどのようなものから出来ているかを考えてみます。

 主成分である物質だけを、ある一定の量を用いて、錠剤の形に固めて
いるのしょうか・・・。

 1錠中に含まれる主成分はmg単位と、ごく微量です。
 たとえば、10mgと言われて、どのくらいの「かさ」だと想像がつきますか?
 ほとんど、ゴミみたいな量で、吹けば飛んでしまうような程度です。

 だから主成分だけで、ある一定の大きさの錠剤を作ることはできません。
 ある大きさにするための材料(=この場合、賦形剤)を加え、
ようやく指でつまめる程度の大きさの錠剤を作ることができます。

 他にも、結合剤、崩壊剤、安定剤、着色剤、滑沢剤、矯味剤、香料などが
必要に応じて用いられます(すべての錠剤に、これらの添加物が含まれて
いるわけではありません)。
 添加物はすべての製剤に含まれているといってもよく、ジェネリックだけで
はなく、先発品にもそれなりに添加物が用いられています。

 ただ、その種類や量が、先発品とジェネリックでは異なるのです。

 1錠に含まれる添加物の種類(数)は、3~4種類程度の薬剤もあれば、
10種類を超える製剤も珍しくありません。
 ジェネリックと先発品で、どちらが多いか少ないかは製剤によって異なり、
ジェネリックのほうが少ないこともあります。
 
──────────────────────────────

 「新薬」とは、薬における主成分(薬効成分)が過去には存在しなかった
ものです。

 既存薬とどう違うのか、作用や副作用について論じるにあたり、
その違いは主成分(薬効成分)によるものとして扱われます。

 作用や副作用の違いが、主成分ではなく、「添加物」に由来する部分が
あるかもしれないとはいえ、良くも悪くも、違いがあれば主成分に由来する
と考えるわけです。

 それはなぜでしょうか。

 「添加物」は、製剤を作るうえで必要とはいえ、「医薬品の作用に
直接影響を与えないと既に確認されたもの」であるからです。

 製剤化にあたり、「添加物」に何を用いてもよいのではありません。

 「医薬品の作用に直接影響を与えないと既に確認されたもの」について、
あらかじめリスト(医薬品添加物事典)に収載されており、その中から
使用することになっています。

──────────────────────────────

 医薬品に用いられる「添加物」は

 「医薬品の作用に直接影響を与えないと既に確認されたもの」

------------------------------------------------------------

 これを思考の根底に据えることで、「添加物」が治療効果にどの程度の
影響を及ぼす可能性があるかについて、考えることができます。

 主成分(薬効成分)の作用には影響を及ぼさないのが「添加物」です。

 基本的に、「添加物」は人体に何らかの作用を及ぼすことはない、
と考えることができます。

 ただし、その「添加物」にも人によって体質に合う・合わないがあります
ので、アレルギーなどの影響が全くないとはいえません。
 
 体質に合う・合わないですから、相性みたいなものといえます。

 ジェネリックに用いられている添加物に合わない人もいれば、
先発品に用いられている添加物に合わない人がいることでしょう。

------------------------------------------------------------

 あるジェネリックに含まれている「X」という添加物が合わないかもしれない
と考えて、そのジェネリックを使わないことにしていても、「X」は他の薬剤に
使用されている可能性は十分あります。
 
 その「他の薬剤」が、先発品かもしれないし、ジェネリックかもしれない。
もし含まれていれば、「X」が合わないと考えていたことが違っていたのかも
しれません。

 薬剤に含まれるある添加物が、体質に合わないかどうかを調べるのは、
容易ではありません。

 これまで、アレルギーを起こす可能性が高い物質として知られている
色素等が含まれていると、薬剤師であれば“怪しい”と睨むことはあります。

 ジェネリックを採用するうえで、そのような色素等が含まれているものは
極力採用しないという判断もできます。

------------------------------------------------------------

 さて、医薬品における「添加物」とはどのようなものなのか、
基本的事項はご理解いただけましたでしょうか。

 「添加物」がもたらす影響とは、これまで使用したことのない「添加物」に
遭遇し、よほど体質に合わなかった場合を除けば、アレルギー等が生じる
心配はないと考えてよさそうです。

 確率としてゼロとは言えませんが、かなりゼロに近いものと考えてよい
のではないでしょうか。

 次回は、実際に使用後に寄せられる患者さんからの声も含めて、
ジェネリックにおける製剤としての違いの意味を考えてみたいと思います。

============================================================

 薬剤師のかたで、ジェネリックを勧めた患者さんから、
添加物が違うことで安全性が懸念されるといった意見をお聞になった
ご経験はありませんでしょうか。

 もしあれば、その時のエピソードを添えてお知らせください。

 また取り上げてほしい話題、感想等、些細なことでも構いません。

 お送り先は、 tamsuke@gmail.com です。
(@は小文字の「@」に変えてお送りください)

 お待ちしています! それではまた次回! (^^)/

============================================================
☆☆☆【みたキタ企画よりお知らせ】

 みたキタ企画では、ジェネリックについてご相談をお受けしています。

●個人的な疑問がある、相談したいという要望(一般のかた)
●ある集まりで、話をして欲しいという要望(一般のかた)
●どうやってジェネリックを進めていくとよいか悩んでいる(薬剤師)

 ご要望があれば相談に応じますので、ご遠慮なくお知らせください。 
 現状から一歩前進できるよう、そのお手伝いができればと思います。

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■発行 : みたキタ企画
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ひと言のちがい

2011-04-15 22:07:27 | Book Reviews
ひと言のちがい 忘れていた“大切なもの”に再会する100の話 金平敬之助・著、PHP文庫、2003年5月21日

p.73 「お客さんをごまかさない精神」は、従業員に、この会社で働く「喜びと誇り」を与えていると思うのだが、どうだろう。

p.89 「私は金曜日が嫌い」という。「客が多すぎる。楽に仕事ができる。いつのまにか悪い習慣がつくから・・・・・」という話だった。

 この気概だ。門前やマンツーマンのように、努力せずに集客しようとしていることがアイデアを生む力を失わせ、努力することを忘れさせ、困難に打ち克つ力量が身につかないことになってしまう。少しくらい不便な立地のほうが、健全に育つことが出来るのではないだろうか。

p.105 部下の行動を、命令や強制で囲めば囲むほど部下はやる気を失っていく。職場のなかに「囚人(とらえびと)」をつくるだけだ。

p.132-3 「で、(社員に)辞められた反省は?」
 ――居場所を与えてなかったことに尽きる。「キミはこの会社にとって必要な人間だ」と思わせてなかったことだ。

p.135 『腐っても鯛』という言葉があります。でも、鯛はほんとうは海のなかで元気に泳ぎ回っているときにほめてもらいたいのではないでしょうか。ですから、みなさんも友達のしたことで感心することがあたtら、すぐにほめてあげてくださいね。

p.139 セールスレディは独立した事業家といってよい。だから上におもねる必要はない。それだけに、彼女らは率直な苦情、不満を激しくぶつけてくることがあり。

 チェーン薬局の管理薬剤師も同様ではないか。薬局実務の責任者なのだから、上に気を遣いすぎることはない。むしろ開設者が耳を傾けるべきだ。そのために薬局業務運営ガイドラインでも規程がある。そこでの折衝が薬局をブラッシュアップもすれば向上させるのだ。全く意見を聞かないことはないとはいえ、ほとんどを上からの指示で動かすのはあり方として違うのではないか。

p.148 われわれの仲間では、いまのほうがずっと面白いと言っていますよ。
 理由は「だれでも稼げる」時代から「工夫するものだけが勝つ」時代に変わったからだという。

p.153 「商売はもうけようとしてもダメ。会った人を大切にすればよい。私の成功の秘訣はただそれだけ・・・・・」

p.178 臨界期とは「生体の張ったうの比較的初期に、正常な刺激を与えないと、生体のその部分は未発達になるという時期」を指す。

 新人薬剤師の配属先は、新人の希望を考慮しつつも、既存薬局の都合が元になっている。人手が足りなくて困っているところに行くわけで、新人の育成よりも手伝う中で多大な時間が過ぎてしまう可能性も高い。薬局業務の本質を理解できないまま、そこそこの慣れた薬剤師になってしまうことがないようにと案ずる。


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行為の意味

2011-04-14 23:12:54 | Book Reviews
「行為の意味 青春前期のきみたちに 宮澤章二・著、ごま書房新社、2010年7月6日

p.22 かおりをこめてやっても造花はやっぱり造花 みつばちがみつを吸うことはできない。
 いのちがいのちを呼ぶのであろう いのちがいのちを求めるのであろう
 いのち持つ花に孤独はない

p.25 ぼくらは常にその原点に立とう

p.32-3 自分が生きることは相手を生かすこと
 相手を生かすことは相手に生かされること

p.71 出発点には〈人生〉などまだない
 到着点にこそわが〈人生〉はあるのだ
 あるきつづけ生きぬいた尊い証明として

p.97 生きて全身し続けるためには自分という車をまじめに運転するしかない

p.123 〈勇気〉や〈勤勉〉が意気高く歩くと〈意欲〉も〈幸福感〉も誘われてつづき
 みんな一塊になって真夏の汗を流すのだ

p.142-3 〈おんなじだな・・・・・〉と何気なく歩く道がほんとうはおんなじ道などではない
 〈今日も新しい道を歩いているんだ〉と自分の新しい力を信じ始めるとき
 全身する青春への覚悟が足取りを軽くする

p.145 人もまた意欲的に出発する行為によって
 それぞれが本当の〈希望〉に出合える

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一流の条件

2011-04-13 23:41:10 | Book Reviews
「一流の条件 ビジネススタイルを固める43章 山崎武也・著、PHP文庫、1992年10月15日

p.27 このようなプロセスの繰り返しによって人は仲よくなっていく。しかし、その出発点には相手にはすきを見つけること、自分にすきをつくることがある点を忘れてはならない。相手を自分に引きつけようと思ったら弱みを見せなくてはならない。人に自分の弱みを見せられない人は、文字どおりすきのない人であり、すなわち余裕のない人である。

p.31-2 一つの考え方があって、それに対するもう一つの別の考え方が出てきて、初めて大きな進歩が期待できる。

p.59 自分だけを築きあげるのでは十分とは言えない。自分の周辺も築きあげながら成長していくという姿勢が肝要である。

p.65 チャンスが多いのは前に進むときだ。犬も歩けば棒に当たる。棒に当たったことを不幸なことと思うか、その機を利用して何かができるかもしれないと積極的に考えるかによって、その人の向かっていく方向が決まってくる。

p.91 アフターサービスこそ最高のマーケティングなのだ。特に、素人には扱うのが難しい製品の場合はそうである。

p.91 同じ企業の中で製造部門と販売部門の社員の間に不均衡があってはならない。また、販売部門の中ではアフターサービス担当に最優秀な社員を配置し、最高級を払ってみるとよい。必ず業績が上がる。

p.101 部下に意思決定をさせないで、常に自分の指示を求めるようにしていたのでは、いつまでたっても部下は一人立ちできない。また、部下に意思決定させたにもかかわらず、常にそれに対して難癖をつけていたのでは、萎縮してしまって、前向きに考えるよりも自分を守る意識のほうが先に働くようになる。

p.101 自分の部下をけなすのは、自分の無能さをさらけ出しているのと同じである。自分が優秀で部下との差が目立ったり、部下がついていけないのではなく、自分が一人よがりの考え方をしていて、部下の教育がきちんとできない余裕のなさを恥じるべきなのだ。

p.113 自分たちの頭にある既成概念に従って考えていけば、可能性はすべて否定されてしまう。知識があるということは、時にはマイナスに作用するものだ。将来の可能性という点から考えると、専門家よりも素人のほうが優れていることが多いのは、このような事情による。

p.114-5 ファッションのコピーライティングには、ある程度まではファッション用語を遣わなくてはならないが、強調しようとする重要なポイントには、料理、建築、経済などほかの分野の用語を使うという点である。
 この考え方は、ビジネス一般にもおおいに役立つ。ビジネスの場で新しいことをしようとするとき、ほかの分野の観点からながめてみるとよい。

p.116 最近は、ビジネスの場では効率が重視されるあまり、試行錯誤は許されない傾向がある。失敗しても何かは学ぶから月謝を払ったと思えばよいとか、失敗は成功のもとといった考え方は通用しないらしい。しかし、大きなビジネスの発展を図ろうと思ったら、試行錯誤のできる余裕をもたなくてはならない。

p.117 新しいアイデアを生み出すためには、もちろん創造のテクニックだけでは不十分だ。常日頃から頭を軟らかくするように心がけなくてはならない。異なった年代の人たちとの会話や、異文化の背景をもった人たちとの交流はきわめて効果的である。

p.118 (社訓には)しごく当たり前のことばかり書いてあるが、それが実行されていないからこそ、社訓にして社員に実行させようとしているのだ。守られていれば、わざわざ言う必要はない。外部の者からみれば、その会社の恥を額に入れて見せているようにも思える。

p.135 「企業戦士」などと言われて働かされているが、仕事は戦争ではない。戦争には打ち倒さなくてはならない敵がいるが、ビジネス社会に的はいない。
 お互いに競い合う仲間だ。中まで楽しくやっていくという前提で、すべてを考えていく必要がある。

p.136-7 人生は短く、繰り返しはできない。死ぬまでの間は、束の間の夢にすぎない。そこで同じ生きるのなら後悔のない、人にも喜ばれる人生を送るべきだ。

p.137 仕事でも遊びでも、現在の瞬間の一つずつを大切にしていくという考え方である。そうすると、何一つ中途半端なやり方はできなくなると同時に、すべてを精一杯やって、できるだけ楽しもうとする態度が生まれる。将来の目的を目指して努力するのであるが、その過程を楽しもうとするのである。

p.182 企業は人間社会の維持発展のために尽くし、そのために働いた人に報いるものであるというマクロの観点からの目的が忘れられてしまった。
 そのような観点から見ると、利益の追求は企業の目的ではなく、単なる一つの手段にすぎない。

p.191 利ばかりを追い求め、人間の生き方を忘れている。だから、自分の分を見つけて、それに安んじて生きている人間が意外に光ってくる。

p.193 物質的なものや虚名を求めている上に、そのようにしている自分に気付いてもいないので、なおさら惨めに見える。精神的な余裕が全くないのである。そういう人は「一流」といわれる地位についているかもしれないが、「一流の人間」ではない。

p.193 恥ずかしいと思わなくてはいけないときに、恥ずかしいと感じるかどうかで、その人の価値が決まってくる。

p.194 ビジネスの世界も、モノの質をよくするのを止めて、ヒトの質の向上へと頭を切り換えてみる必要がある。モノの質をよくするためにヒトの面が犠牲にされている点が多々ある。どんな意味でもヒトが犠牲になるようなことはするべきではない。
 ヒトにモノを与えて喜ばせるような次元の低いことは止め、精神的に満足させるような方向に持っていき、ヒトの質自体を高めるのである。

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