何かをすれば何かが変わる

すぐに結論なんて出なくていい、でも考え続ける。流され続けていくのではなくて。
そして行動を起こし、何かを生み出す。

安心できるジェネリック

2007-05-30 19:27:06 | くすり雑感
 ジェネリック医薬品の使用促進に関連し、しばしば品質面での不安が持ち出される。承認基準のクリアに加えて、五感に関する部分でも意識的に差別化を図ることを除いて、差異をなくすようもっと配慮してはどうかと述べたが、それを容易に解決?できる方法として、次のようなことはどうか。

 それは、先発医薬品メーカーの系列になっている後発医薬品メーカーでは、先発品をそっくりそのまま、パッケージだけを変えた状態で包装し、後発品として上市することである。製剤は当然、先発品と完璧に同じである。違うのは包装的な外観や商品名、薬価である。製剤上の違いについて、一切の違いはありえない。心理的に効果の違いを訴える患者さんはいるかもしれないが。

 どうせ後発品として他社にシェアをとられるくらいなら、子会社的系列メーカーがその会社関係を活かしてみる手はないのだろうか。自由競争として、アンフェアか?
 二重に生産ラインを設けるくらいなら、先発品の薬価を自主的に下げたほうが得策か。はたまた先発品メーカーは、そういった関係のジェネリックメーカーを抱える方向に動くか・・・。

 後発品自体、人類全体では二重に同一薬剤を生産していることになる。重複して製造しているのである。二重生産が、一社の独占状態と比べて、安定供給のリスクマネジメントになっているような向きもあるかもしれないが。

 外資・国内の製薬会社を問わず、そういうことについて、どのようなデメリット、危惧される点、考えておかねばならぬ点などがあるのだろう・・・ 
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新薬シフトでジェネリック使用は後退する

2007-05-28 19:32:13 | くすり雑感
 今年度からジェネリック医薬品の薬価収載は7月と11月の2回になるようだが、品目が多くなるのはいいとして、薬局での管理はたいへんになることには、少々気が重い。

 それよりも新薬の薬価収載(年4回)があるたびに、後発品の使用は減る可能性が増えるわけで、新薬の薬価収載が後発品の使用促進に待ったをかけることになりかねない。そもそも製薬メーカーは後発品への移行による売上げ減少を新薬でカバーしようとする。

 新規性のある新薬や、待ち望まれていた新薬ならよい。いわゆるゾロ新と呼ばれる新規性に乏しいものはマイナスに作用しかねない。重箱の隅をつつく程度の新規性であれば、その臨床的意義はいかほどであろうか。単に使用医薬品のメニューを増やす程度のものであれば、後発医薬品の使用促進にとっては、ないほうがいいくらいだ。

 新薬が出たら、他の薬剤に比して最も恩恵をもたらすことができるケースはどのようなケースなのか、これまでの薬剤では十分な治療効果を得ることができなかった事例はどのようなものがあるか、ぜひ確認していきたいものだ。そこを明確にしておくことで、むやみな新薬シフトを避けることができるのではないだろうか。

 使用促進と新薬シフトの相反する力が市場に働くことは、あまり注目されていなかったと思うが、使用促進に躍起になっている昨今、改めて議論されてもいいのではないだろうか 
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承認条件とは離れた部分での同等性を

2007-05-27 22:13:36 | くすり雑感
 昨日、第一回日本ジェネリック医薬品学会が笹川記念会館で催された。使用促進に向けて目を引く発表はなかったが、医師、薬剤師を中心とした積極的な説明が必要だと繰り返し述べられていた。

 後発医薬品は、先発品とあらゆる面で同一ではないが、臨床使用上同等と考えてよいというレベルのコンセンサスを得るにはもう少し時間がかかるような気がした。医療従事者の中に、抵抗感を示す者がいるのだ。その最たるものが、昨年の日本医師会によるアンケートである。

 後発品の承認条件は、生物学的同等性や溶出試験で十分品質が担保されているとされるが、承認条件とは少し離れた部分で違いを感じざるをえない側面がないだろうか。それは、OD錠や点眼液、湿布薬などでの使用性に関する部分だ。味、刺激性、粘着性といったものは、臨床効果の同等性を確保するという意味での品質上の承認条件とは、直接関係しない。しかし、臨床ではけっしてないがしろにできない部分である。気にするな、ガマンしろとは言えない。

 そういった違いを感じさせる原因を残したまま、承認上同等性が確保されていることを繰り返し強調していても、使ってみれば違いを感じざるをえないのだから、ジェネリックに対する不信感や信頼性は改善されていかないように思われる。

 かといって、それらまで承認条件で同等性を求めていれば、開発費に跳ね返ってくる。最大のメリットである価格差が得にくくなる。製薬メーカーも、そういった部分に、いい意味であれば違いを持たせ、差別化する余地があるとはいえ、気遣いを欠くと、結果としてジェネリック全体の信頼を損ねることになることに気づくべきではないかと思った。いや、気づいているメーカーもあるかもしれない。

 承認条件部分さえ整えれば、残された部分は自由で、どうでもいいのではない。承認上求められていなくても、先発品と遜色ない状態を主体的かつ自主的に確保しておくことが大切ではないか。近いうちに「先発品とは違う」段階から「同等と考えてよい」段階へと信頼を得ないと、使用実態は遅々として進まないばかりか、使用促進を図ろうとしても、しばらくの間、両者の主張がかみ合わないままさらに時間を費やしてしまうのではないか、と思った。

 使用感の違いは、飲んだり点眼したり、“味見”をしてみるわけにはいかない部分である。メーカーが主体的に改善する部分ではないだろうか 
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取り組みを考える際のキーワード

2007-05-27 13:14:19 | 薬局経営
入門の入門「対話で学ぶ経営品質」寺沢俊哉・著、生産性出版、2003年。 p.55~56

 自分勝手な価値判断ではなく、お客様の価値観で自らの品質を振り返る。その事によって、もっともっとよい仕事ができるはず。「顧客本意に基づく卓越した業績を生み出す仕組み」経営品質では、この考え方を大切にしているのです。

 あなたの仕事に対してお給料を払ってくれるのは、直接的には上司、あるいは経営者かもしれません。ただ、もともと会社にお金をもたらしてくれるのは、お客様以外にいません。どんな協力者であっても、ふつうは、あなたがお金を払う方だからです。

 次の呪文を問いかけてみましょう。
「その仕事は、本要にお客様のためですか」「なぜそうと言えるのですか」
「その改善は、本要にお客様のためですか」「なぜそうと言えるのですか」


 自分たちの仕事を振り返る、また今後の号構成や取り組みを決断するのあたり、自問自答するような、まさに“呪文”である。本当にこれでいいかな、当たらなくても、少なくとも間違った方向に行ってはいないよな、一瞬立ち止まってみるときに有効だ。

 これと同じようなことが、『トヨタの口ぐせ』(中経出版)p.56~59 にもあった。

 「給料はお客様からもらっている」で仕事を見ると・・・
 給料はお客様からもらっている。これが仕事の基本だ。だから、堤は顧客企業の指導を行なうとき、最初にこの基本を徹底させる。
 そのうえで、トヨタで「仕事における五大任務」とされている①安全(安全・衛生・環境)、②品質、③生産、④原価、⑤人事、について説明する。「給料はお客様からもらっている」から出発すると、五大任務についての理解が表面的なもので終わらず、より深いものとなる。

 たとえば「品質」の話をするときはこうなる。
「給料はお客様からもらっている。だから、お菓子メーカーなら、お客様がまずいと感じるものはつくってはいけない。品質が大切です」
 たとえば「生産」の話をする場合はこうなる。
「給料はお客様からもらっている。だから、お客様が欲しいと思ったときに品物ができていないといけない。それに応えられる生産体制が大切です」

 「給料はお客様からもらっている。だから・・・」どうすればいいんだ?、そう考えて見ることでどういった取り組みをどのようにすればよいかが見えてくるというのだ。これもまさしく呪文だろう。

 言い方は違うが、物事を考える出発点、軸足の置く位置は共通している。ここを迷っていては、やりかたや取り組みの程度が大きくことなってくる。結果として業績にも差がついてくるだろう。

 困ったときや未知を切り開くときには、ぜひこの呪文をおもいだすことにしよう。あらゆる場面をマニュアル化できるものではないし、各々の異なる事例に対して、どうしてよいか迷ったときにこのおまじないを唱えてみることで、自信を持って物事を進めていきたい 
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充填しなくてもよい小包装を

2007-05-22 11:20:26 | 薬害は人災だ
 医療安全管理体制の整備、徹底、向上が求められる中、充填ミスをなくそう、という項目がある。充填時には、複数の者で必ず立ち会って行うということもあるが、そもそも充填しなくてもよい小包装を購入しよう、という方法もある。

 成分名ジゴキシン、商品名ジゴシン散、500g包装しかない。以前からずっとそうなのだが、100g包装ができないものだろうか。容器もドライシロップのようになっていれば、調剤も容易だ。

 きっと、以前から他の薬局からも同様の要望は中外製薬に届いているだろう。安全管理が注目される時勢も考慮して、またタミフルで話題になってメーカー名も知られるようになったことでもあるし、この際、前向きに踏み切ってはどうか。

 ジゴシン散は、薬局であれば在庫上、必需品だ。しかし500gでは、小規模薬局では期限内に使いきることができないだろう。
 メーカーとしては薬価が安くて採算を心配するのだろうが、メーカーも安全確保に協力する姿勢を示す一貫として、そろそろ検討してはどうだろうか。
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次からはもう少しうまくやろうの繰り返し

2007-05-18 08:57:26 | 思いつくまま
 自分の力量をあげることがカンタンに出来れば誰も苦労はしない。一夜漬けに限界があるのは、誰しもが経験済みだろうし、知識をお金で買えないこともわかりきった話だと思う。

 たとえば薬局窓口における患者さんとの対応能力を高めるには、専門的知識や接遇の知識に加えて、経験が重要だ。机上の知識だけでうまくなれるわけじゃない。1例目より2例目、2例目より3例目・・・、といった具合に、うまくできないことがあっても次からはもう少し上手にやろう・なりたい、という心がけで事例を積み重ねていくことが大切かと思う。

 ところが、コツやエッセンスを説明し、教えればスグに役立つ、明日から段違いに上手くできるようになると思っている者もいる。少数例の試行は必要だから、シュミレーションかロールプレイをすればよく、レベルアップが図られるというようだ。「そんなウマい話があればいいけど、カンタンにできるようになるとは考えていないよ」と言いつつも、出来なければ教育の中身が悪い、とすぐ言うのだから、始末が悪い。そう言う意見は、既に教育を受ける立場になく、また教えることすらできないところから湧いてくる。

 教育とは、まるで出来合いの惣菜を買ってきて与えたり、ソフトウェアを見つけてきてインストールすれば解決するようなとらえかただ。短期間で効果の出るもの、一粒飲めばすぐに立ち直れるようなもの、・・・そういうのは“付け焼き刃”というのではないかと思う。

 新しい技術導入であっても、自分のものにするには一定の時間も例数も必要だし、導入すれば済むのではなく、それをさらに練ってこそ自分のものとして身につけることができたといえるのだろう。

 短期間で、ちょっと見せて教えれば出来るようになる技術なんて、他の同業者だって導入すれば即、一般的な技術になってしまうのであり、技術としての価値は低い。それではまたすぐに新しい服が欲しくなるようなものだ。

 ちょっとやそっとでは真似のできない技術、価値を生み出す技術、差別化できる技術、それらは教わっては試し、工夫しては試し、修正しては試し、・・・そんな繰り返しがあってこそ熟成されるのではないだろうか。

 教育の大切さを説いていても、その根底がこのような価値観から発生しているようだと、表面的に、建前的に、口先で言っているにすぎないことがわかってしまうというものだ。その組織の文化の程度がわかろうというものだ 
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プロ意識で安全倫理を保つ

2007-05-12 23:51:15 | 心に残ること
 今朝の朝日新聞「けいざいノート」に、企業不祥事なぜ相次ぐ、日本型のシステムが変質、プロ意識育て倫理再生をと題して、小林慶一郎・朝日新聞客員論説委員の記事がある。

 要旨は、企業にとって利益を追求する前提となる安全や品質にまつわる昨今の事故や不祥事は、利益のためには何でもありとする企業行動によって引き起こされている、これまでは高度成長期の終身雇用制による企業への忠誠心や帰属意識によって安全倫理が保たれていたが、経済の成熟による低成長時代ではそれに変わる安全倫理を保つための動機づけのメカニズムが必要であり、それは安全に携わる技術者のプロ意識や誇りといった職能人の自覚に委ねられているのではないか、という主張である。

 利益優先の思想が安全や品質をないがしろにしていることや、終身雇用制を評価している点(マイナス面も指摘している)はビル・トッテン氏の主張にも通ずるところがあり、これからの安全倫理を保つためにはプロフェッショナリズムが重要とするのは、先の「プロフェッショナル原論」を思い起こさせる。

 これまで部分的にではあったが感銘を受けてきたものが、あらためてここで有機的に結びついたようで、この記事には感服させられた。

 どこで我々は安全倫理を見失ってきたのか、ということに関連し、どこでそれを保ってきたのかという考察が自分にはなかった。企業を守ろうとする動機に終身雇用制があったとは卓見かと思われた。今ふうにいえば、さらに職員満足(ES)や社会的責任(SR)の文化も加えておきたい感じがする。

 プロ意識も安全倫理維持のためだけではなく、むしろ顧客満足(CS)を果たすうえで欠かせない。安全管理、リスクマネジメントを支える動機付けに、プロ意識の醸成が重要だという主張には、なるほどど思わされた 
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薬の不足を訴えられたとき

2007-05-09 13:17:37 | くすり雑感
 先に紹介した書籍『ビジネスマンのためのCS入門  顧客満足の徹底的研究』の中に、次のようなセンテンスがある。

 このように一方通行ではなく、相談と助言の応答システムが顧客満足を高めるものなのです。ここで決定的なのは相談・助言・相談・助言という相互作用のありようです。自分の相談に対して共感的に耳を傾けてくれるかどうかで、顧客の気持ちは変わってしまいます。顧客は真剣に悩んでいるのに、売り手の側が「そんなことはつまらない」という感じの反応をしてしまえば、そこで彼の気持ちは傷つけられてしまいます。

 たとえばお客様相談センターはまさに問題解決の場なわけですが、顧客が「お宅の電器釜買ったばかりなのに、もうこわれちゃったのよ!」と電話がかかってきました。それを電話に出た相談員が即座に「どこが壊れたんですか」と聞き返すとします。この場合、顧客はまずすぐに壊れてしまったことについての怒りの感情を表明しているわけです。それなのに相談員はその感情を無視し、冷たく事実を確認してしまっています。これでは顧客の怒りの感情は無視されたことになってしまいます。ここでは「えっ、すぐ壊れちゃったんですか。それはお困りですよね・・・」というような相手の気持ちに共感する対応が求められます。こうすれば顧客にとって満足できる相互作用が生まれてくるのです。 p.54~5

 薬局としては、調剤において、処方された分量の薬を渡したつもりなのだが、薬が不足していると患者さんから申し出を受けることがときどきある。
 その時、まず「えっ、そんなはずはないのだが・・・」と思ってしまう。鑑査だっていているのだから。さらに、数が不足しているというのは、飲み間違えとか紛失じゃないのか、と原因は患者さん側にあるのではないかと考えてしまう。

 確かに1回量を多く飲んだとか、1日の服用回数を多く飲んだ、ということが明らかになることはある。しかし、明らかな飲み間違えを除けば、紛失したかどうかということや、無意識に多く飲んでしまったことを追求してどうなるのだろう。

 その前に、「お飲みのお薬が足りなくなって、さぞかしお困りですね、体調のほうはいかがですか」という気持ちが先に出てこなければいけないのではないかと、改めて思う。

 患者さんも、自分は飲み間違えをしない、失くすこともない、と言いつつも、絶対そうだと言い切れる自信はないはずだ。あっても99.9%の確信ではないかと思う。だから薬局が共感すべき相手は、「俺は誤投薬していない」という同僚のほうではなくて、「足りないんだけどどうしたらいいだろう」という患者さんではないかと思う。

 これまで豆腐を落としてしまった客の例棚卸しの状況の例その他、で述べた。これを患者さん側の勘違いだの、誤りだのと言わず、たとえそう思えても、そういうことは顔に出さず、対応してあげたいものだ。

 こう言うと、じゃあ、患者さんがほしいといったら、何でもホイホイ渡すのか?、という反論がきそうだ。交付の段階で数量確認がきちんとなされていない以上、渡した・もらっていない、は水掛け論になるから、不本意でも渡し、今後投薬の段階で数量を確認する過程を組み入れることで、このような“クレーム”を減らしていってはどうかと思う。

 その前に、困っている患者さんの気持ちに沿った共感的対応をしていきましょう、ということである 
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誰の安全を確保するための体制か

2007-05-08 13:39:13 | 薬害は人災だ
 大阪府吹田市の遊園地「エキスポランド」でジェットコースター「風神雷神2」の脱線事故が起こったが、

コースター「探傷試験」を義務化、検査基準規則に明記へ 5月8日11時1分配信 読売新聞

 建築基準法は、遊戯施設やエレベーターについて、6か月~1年ごとに定期検査の実施を義務付けている。実際には、財団法人「日本建築設備・昇降機センター」の「業務基準書」や、日本工業規格(JIS)の検査基準などに基づき実施。JIS基準の場合、車軸については年1回以上の探傷試験を行い、亀裂や甚だしい摩耗がないことを確認するよう求められている。しかし、現行の建築基準法施行規則には具体的な検査基準はなく、JIS基準の運用についても、「業界の努力目標に過ぎない」のが実情だった。

コースター事故、法令に「探傷試験」を明記…国交相 5月8日11時54分配信 読売新聞

 同園は、15年間一度も車軸を交換せず、今年1月の定期検査で、超音波などで車軸の亀裂などを探す「探傷試験」を実施しないまま、「A(不適合の指摘なし)」と吹田市に報告していた。

 この問題では、日本工業規格の検査基準で、1年に1回探傷試験を実施するよう明記されていたものの、建築基準法などでの位置づけがあいまいだった。このため、冬柴国交相は、「今回の定期検査が、虚偽とか、偽装とかは言えない」とした上で、「(定期検査内容の)法的位置付けがわかりにくい。法令上にはっきりわかるようにして、探傷試験をしていただくことになると思う」と述べ、探傷試験など具体的な検査方法を建築基準法施行規則などに明記していく方針を明らかにした。

 検査基準が具体的ではないうえ、努力目標にすぎない位置づけだったので、いいかげんな管理体制であっても問えないようだ。今回の事故をきっかけに、急遽、点検を強化した遊園地がたくさんあるだろうが、非常に危うい状態でアトラクションが動いていると思っていたほうがよさそうだ 

 昨今、焼肉屋ではBSEに関連して牛肉が安全である旨を表示するようになったが、遊戯施設でも前回の点検はいつ行ったか、どのような検査を行い、どのような結果であったかを表示でもするようになるのだろうか。

 何でもそうだが、そこまでしなきゃ、利用者にとっては安心できない世の中だ。自己管理、自主基準に任せていたのでは、安心できない。第三者認証が意味を持ってくるのはこういうことだろう。しかしISO9001を取得していても、その運用が顧客の視点を基準にした体制でないと、さまざまなトラブルが起こる。

 経営者の姿勢や考え方が体制に反映されるので、安全管理や教育といったところをどのくらい重視し、実施しているかどうかで、その組織の実力がわかるといえるだろう。

 薬局における医療安全管理指針や業務手順書も同様だ。当初は現行の体制でスタートするのもうやむをえないが、時間の経過とともにその中身をどこまで改善していけるか、質的向上を図れるかで、実態に差がつく。マニュアルの有無ではなく、運営体制に込められた思想が安全確保に根ざしているかどうかで、中身が天と地ほどの差ができる。運用実績を見れば、その薬局の実力がわかってしまうだろう 
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後発品の何を推奨するのか

2007-05-07 22:21:49 | くすり雑感
『ビジネスマンのためのCS入門  顧客満足の徹底的研究』 岡本正耿・著、ブレインキャスト・発行、1999年12月20日、p.248~249。

 サターンの壮大なプロジェクトは会社の行うすべてを品質至上主義という点で一貫性を持たせようと意図していました。販売店にはうるさい売り込みセールスマンはいません。洗練されたセールス・コンサルタントがいて、顧客の質問にはていねいに答えてくれます。さらに彼は質問に答えるだけではなく、スペックを説明し、車や会社の設計思想についても詳細に説明できるように訓練されているのです。

 広告もそのような品質至上主義の一貫です。サターンの広告は車ではなく会社を、性能ではなく考え方を、完成した車ではなくつくり方を、従来にはなかったようなアプローチで語りかけるのです。品質至上主義の結果ではなく、そのプロセスを語りかけることによって、サターンの哲学がわかり、そしてその広告そのものが高いクオリティのものに仕上がっています。

 車は、いわば後発品的ではないか。先発品があるとしたら、この世で最初の車だけで、座って歩くことなく長距離を移動する乗物として、どのメーカーの車も後発品的ではないかと思う。デザインや乗り心地、エンジンの性能など違いがあっても、薬でいうところの成分、含量、剤形にあたる部分は同じと考えてよい。

 消費者は、単に価格の安いものを選ぶという選択もあるだろう。それよりも消費者は、その製品がどのような観点を重視して製造されているのか、薬局はどのような観点で決定的な差がないいくつかの後発品の中からある特定の後発品を選択し、推奨しようとしているのか、その考え方こそ、薬局利用者が一番聞きたい、専門家に価値判断を求めたい部分ではないか。

 そこに薬局あるいは薬剤師の専門性を感じたいのではないかと思う。それは薬局が堂々と説明できる部分であり、それによって後発医薬品を絞り込むことがよりしやすくなるのではないかと思った。

 とかく後発医薬品も先発品と同じような発想で品揃えを考えるから、いたずらに在庫を増やしてしまう。扱いかたが違うことに気づくべきではないだろうか 
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人を育てるトヨタの口ぐせ

2007-05-06 16:07:38 | くすり雑感
『人を育てるトヨタの口ぐせ』 (株)OJTソリューションズ・編著、中経出版・発行、2006年10月。

 早めに手を打てば「一策」でOK。事が起きてからは「百策」が必要。

 自動車の生産現場においては、さまざまな悪条件下で作業を行わざるを得ないことも出てくる。
 たとえばすべりやすい機械の上に立って作業することもある。高いところにのぼって作業することもある。非常に条件の悪いところで作業せざるを得ないことがしばしば起きる。

 「早め早めに手を打てば、問題が大きくならないですみます。事が起きてからやると対処すべきことは多くなりますが、事が起きる前にやれば、一策で済むということです」

 トヨタでは、前準備を大切にしている。前準備をきちんとやっておかないと、何か事が起きたときにバタバタすることになる。ムダな時間とコストもかかる。だから、事前に手を打っておかなくてはならない。「事前の一策、事後の百策」は、前準備の大切さを表した言葉だ。

 言われてみれば当たり前のことだが、何も事前準備を十分にせずになったときにそれなりに済ませているのではないか。
 調剤では、混雑する時間帯、ピーク、曜日などがある。昼が近づくにつれて次第に混んできて、忙しいを連発する。そんな時、調剤ミスが起こりやすい。調剤ミスを起こすと、混雑していて待ち時間を気にしただの、焦ってしまっただの、疑義照会もあって余計に急いでいたためについうっかり思い込みで・・・などと調剤事故報告を挙げたりする。

 そうなることはいくらでも予測できたはずだ。事前にそうなるであろうことが、十分予見できていたはずである。なのに調剤事故原因として、決まり文句のように、焦り、急ぎ、慌てる、思い込み、うっかり、集中力低下、などを挙げる。そういうふうに言えば、仕方ない、やむをえない、避けがたい、といった感じで許されるか、情状酌量されるとでも思っているのだろうか。

 では、どうしたら「前準備」ができるようにんるのだろう。「事前の一策」を適切にとれるようになるのだろう。
 井手雄は、そのためには「過去の経験があれば、それを生かしてみるといい」と語る。

 薬局であれば、そんな経験は無数にしているはずだ。その都度、やりくりして済ませてきただけのことで、何か特別な事前準備をしていただろうか。せいぜい、その時間帯だけパート職員を増やすとか、そんな程度ではなかろうか。
 もう少し具体的に焦らない、慌てない、思い込みで物事を進めないやりかたを設けて、ただただ待ち時間短縮に迫られてひたすら全力疾走するようなやりかたを見直してはどうかと思う 
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見上げた根性、ワールドクラス?

2007-05-02 13:04:01 | 思いつくまま
6時間イタ電110番667回 スポーツ報知 2007.5.2

 6時間で667回にわたって110番通報したとして警視庁深川署は1日までに、業務妨害の疑いでタクシー運転手・堺幸雄容疑者(63)を逮捕した。同容疑者は多い時で1時間に160回以上のペースで電話をかけまくり、しまいには「サカイで~す」「逮捕できるならやってみろ」と挑発。だが、その都度、自分の携帯番号が通知されていたため逮捕へつながったという。

 お疲れさまです。6時間もよくぞ、続けられたものです 

 最初の電話は午後零時半ごろ。相手先の警官も話を聞きこんでいたため、通報頻度も30分に6回の割合だったが、その後はペースアップ。2~3時台はそれぞれ120回以上になり、同4時台にはMAX161回を記録。相談ごとがつじつまの合わない話だったり、また同容疑者自身が泥酔状態だったため「『堺です』『冷静になってからかけ直して下さい』『ガチャ』という短いやり取りになったのだろう」と捜査関係者も推測する。

 1時間に120回、1分間に20回、3秒に1回、さぞかし指が疲れたことでしょう。160回となると、1分間に26~7回、2秒強で1回です。練習の成果があったようですね。しかも泥酔状態のうえに会話が入っているのだから、実際はもっと・・・。ワン切りも含まれているでしょう。ギネスブックに申請してみてはどうでしょうか。そのモチベーションと持続力には脱帽です 

 「サカイで~す」 最初は相談を持ちかけていたはずの同容疑者もだんだんヤケに。「サカイで~す」「うるせー」という言葉が目立ち、中には「逮捕できるならやってみろ」という挑発文句もあったという。

 「サカイで~す」>「ケーサツで~す」
 「うるせー」>「タイホー」

 といったやりとりはないと思いますが、受けた深川署もスゴイですね。中にはマジ110番もあるかもしれないから、放っておくこともできなかったのでしょう。もちろん留守電にもできない 
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追い風でなくて良かった

2007-05-02 09:24:49 | 思いつくまま
突風で「フジヤマ」停止 富士急ハイランド(朝日新聞) - goo ニュース 2007.4.28

 28日午後2時10分ごろ、山梨県富士吉田市の富士急ハイランドでジェットコースター「フジヤマ」の車両が突風のため、途中で停止するトラブルがあった。乗客26人にけがはなかった。

 同社によると、車両は高さ70メートルの頂上付近で停止。いったん後ろに下がり、行きつ戻りつした後、高さ約70センチの最も低い位置で停止した。乗客は約10分後、コース脇の作業用通路から避難した。

 当時、現地では最大瞬間風速30メートルの風を観測。96年7月の営業開始以来、突風による停止は初めてという。この日は点検のため運転を取りやめた。

 ジェットコースターは、もともとスリルを味わうための装置だから、ひとつ間違えばとてつもない事態に陥るのであり、そこには万全の危機回避システムが働いているとは思うのだが・・・。

 突風のタイミングがたまたま上昇しているときだから、また方向が逆風だから良かったものの、急カーブしているときであるとか、追い風だったら大惨事になっていたかもしれない。コースターが飛び出ることなど絶対ない(構造になっている)と言うだろうが、逆風で坂を上りきれないことだって想定外だったはずだ。

 まさにヒヤリハットといってよいのでしょう、へぇー思わぬことがあるもんだ、などと妙に感心している場合ではないと思う。平均的な風速で運行の可否は決められているのだろうが、瞬間最大風速を予測した検討が甘かったのか・・・。

 まさかジェットコースターという流線型に近い乗り物の、しかも走行時に、高速で走っている最中で、ピンポイントで風が真正面から吹き当たるということなど計算されていなかったのではないか。あまりにも確率が低い、架空に近い話だと思っていたことはないか。
 さらには、GWでたくさんの客がいてかき入れ時だというのに、営業停止などしていられないといった事情もあったのではないか。

 大惨事なら、コースターどころか遊園地全体が営業停止だろう。各地の遊園地は今回の件を運が悪かったように軽く受け止めず、シュミレーションを繰り返して、改めて万全の体制をとってもらいたいと思う 
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