何かをすれば何かが変わる

すぐに結論なんて出なくていい、でも考え続ける。流され続けていくのではなくて。
そして行動を起こし、何かを生み出す。

堀病院ばかりではない、とは思っていたけれど

2006-08-31 09:04:13 | よくわからないこと
<無資格助産>横浜市、緊急調査へ 堀病院以外にも疑惑浮上

 横浜市瀬谷区の産婦人科病院「堀病院」による無資格助産事件で、同市青葉区内にある診療所でも助産師資格のない看護師らが助産行為を行っている疑いが浮上し横浜市は30日にも医療法に基づく緊急立ち入り調査に入る方針を固めた。無資格助産を繰り返してきた医療機関は少なくないとみられ、大きな波紋を投げかけている。(毎日新聞) - 8月30日3時6分更新

 ある程度予想されたことではあるけれど、妊娠中から分娩に際し、大きな役割を持つ助産師。五体満足で、とにかく無事で生まれてきてくれ、と願う家族の思いに、もはや平気で冷や水を浴びせるような感じすらしてくる。

 産科では、医師名は表示していると思うが、助産師名も目に付く場所に表示していただろうか。家族は、内診したり分娩に立ち会う者が助産師であることを、常に確認しているだろうか。容易に確認できるだろうか。

 不在に対し、「どこでもそうだ、他でもそうだ、多くがそうだ」ということが、利用者に対して不安と同時に、ある種の諦め感を抱かせるだろう。自分自身のことは自分自身で守らなきゃと、自己防衛的に良質の産科を選ぶようになるかもしれない。しかしそういった行動で悪質な医療機関や状況が改善され淘汰されていくのならいいが、カタチばかり取り繕った、質の低い環境が出来上がるかもしれない。それでも、そういった一種の“不買運動”的な動きはもっと湧き上がってもいいと思う。まだその機運が熟していないかどうか。

 多くの?助産師不足に悩む産科は、現在、戦々恐々としていることだろう。助産師であれば誰でもいい、ということもないのだろうが、それでもまずは「資格」である。有資格者がいて、然るべき役割を果たし、機能する。それはその施設の姿勢でもあり、モラルでもある。

 毎度言っていることだが、薬局・薬剤師の問題にもピッタリ当てはまることだ 
Comment (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

やはりどこかヘンだよ、堀病院

2006-08-28 12:59:07 | よくわからないこと
問われる「日本一」:堀病院・無資格助産事件 「特殊ケース」医師に問題 /神奈川 (毎日新聞) - 8月27日15時1分更新
-----転載ここから
 産婦人科病院「堀病院」(横浜市瀬谷区、堀健一院長)の無資格助産事件を受け、安全なお産を目指す市民団体「陣痛促進剤による被害を考える会」代表の出元明美さん(53)=愛媛県今治市=が毎日新聞のインタビューに応じた。助産師不足が叫ばれる中、看護師や准看護師による無資格助産は「氷山の一角」とも言われるが、出元さんは今回の事件を「助産師がいても医師が使いたがらない特殊なケース」と指摘、医師の意識改革を求めた。【堀智行】
 ◇「助産は専門知識が必要」--出元明美・陣痛促進剤による被害を考える会代表
 出元さんは県警による堀病院の家宅捜索前から、同病院における助産の実態について関係者から相談を受けていた。これまでに聞いた話では、同病院は助産師は内診も含めた分娩にほとんど関与させず、新生児室や出産後の相談を担当させられていたという。
 一般に無資格助産は、医師や助産師の手が足りない時に看護師らが行うケースが多いが、意図的に助産師を分娩から除外したケースは「特殊」と指摘する。その理由を「助産師に比べ医学的知識が乏しい看護師や准看護師は、医師が仮に危険な医療行為を指示しても正しいか判断できず、指示通りに動くしかない。助産師に比べて使いやすかったのでは」とみる。
 県警の家宅捜索を受けた堀院長は24日、「看護師でも(助産行為は)できる」と述べた。しかし、出元さんは陣痛から始まるお産の経過は医師または助産師が見守らなければならないと反論する。
 「元気な赤ちゃんが生まれてくるかは、分娩監視装置の波形や子宮の収縮状況など分娩経過を見守っていないと分からない。助産師なら専門的な知識を要する分娩経過を確認できるが、看護師や准看護師ではできない」
 今回の事件後、各地の助産師から、看護師による助産が公然と行われている実態を危ぶむ電子メールが届いている。「開業医のいい加減な助産現場の実態に失望して辞めていく助産師が少なくない。堀院長は助産師が集まらないと言うが、しっかりした体制であれば助産師は集まる」〈後略〉
-----転載ここまで

 長くなるので、ここまでにしたが、助産師が軽視されていた、当然機能していなかった実態が改めてよくわかる。
 堀病院のホームページも見た。スタッフの紹介欄があるが、医師、看護師、薬局、受付などあるが、産婦人科なのに「助産師」の紹介はない。いないはずがないのに・・・。

 これだけ多くの分娩を行ってきたのだから、幸い何事もなく出産できたケースもあるだろう、そしてその数のほうが多いだろう。しかし、その陰で本来なら避けられたはずの、またやはりこの病院の資質を疑わざるをえない実態もあるようだ。

 周辺の産婦人科は、この際、正統な産科医療を進めてもらいたいものだ 
Comment (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

助産行為も調剤も似すぎて怒りすら湧かない

2006-08-27 12:35:19 | よくわからないこと
 助産師不足にもかかわらず、日本一の出産件数(約3000件)を誇る堀病院の院長。現状では仕方ないとか、看護師にやらせるのも必要悪などと開き直る。いないから仕方ない以前に、助産師を心の中では認めていないから、真剣に雇おう、生かそう、そういったことにはなっていないように思う。

 横浜市によると、医師数は昨年10月現在で常勤の産科医7人、助産師は6人、看護師は約70人。出産数が同じ規模の病院に比べ、堀病院の助産師の数が極端に少ない。昨年の出産数1801件の聖母病院(東京都新宿区)は常勤の産科医は4人だが、助産師56人だったという。(朝日新聞 2006.8.24)

 これを見れば経営姿勢の違いが明らかだ。助産師不足より産科経営を優先させていたにすぎない。助産師らの現有スタッフの仕事量に見合った分娩だけを請け負うことが、責任あるやりかたではないか。「他の医院でもやっているのに、なぜウチだけが・・・」と言ってもいるが、問われているんは人も含めた世の中の現状ではなく、自院の態勢であり姿勢だ。日常でも救急でも、自院にその態勢がなければ、受診を断るか、他院を紹介するなんてことは、当然ではないか。

 採用しない背景や理由を分析してみたらどうだろう。看護師はそれなりの人数を確保しているのに、なぜ助産師は不足のまま拡充しようとしないのか。看護師でこと足りるという意識が垣間見えないだろうか。助産師はある意味、専門職だ。独立性もある。しかし看護師は指示のもと、手足のように都合よく使えるという意識がある。そういった理由もないだろうか。助産師の存在を認めていないのではないか、というのはそういうところから感じる。

 薬局も同じだ。人不足より経営が大事という構造と似すぎていて、醒めた感じでこの事件を見ている薬剤師も多いのではないか。資格さえ持っていれば誰でもよく、国家試験を通ってきたのだから何でもできる、などと課題な業務をさせる経営者がいかに多いことか。薬剤師を尊重しているのではなく、法律上、仕方なく置かなければならないと思っているにすぎない。だから扱いもぞんざいだし、そういう薬局に限って、研修や教育すら平気で削減しようとする。募集も人数はおろか、心底からいいスタッフを欲しいなどと思っていない。そうではないと口先で何と言おうと、実際のアクションが全くないから、うわべだけであることはすぐわかる。

 さてこの堀病院。今後も現体制で存続するのだろうか。大幅に縮小するのだろうか。まさか公然と黙認されていくのだろうか。来春頃の様子を知りたいと思う。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

奪われる日本

2006-08-23 12:28:19 | Book Reviews
 『奪われる日本』関岡英之・著(講談社現代新書)
 著者は、『拒否できない日本』で話題になったので、覚えている人も多いだろう。出版元はもとより、アマゾンでも入手できないということで、それは異常だった。

 昨夏、衆院解散~総選挙で自民党が圧勝したが、その陰で刺客を送られて落選させられた議員すらいた。まさに恐怖政治的であったが、その時は刺客にはえげつなさを感じつつも、郵政民営化反対派の真意は適切に伝えられていなかったようだ。まるで抵抗精力=悪者的なイメージすらあったが、改めてそれは短絡的であったと反省させられる。憲法改正も強引に押し切られる心配も、今では強い。

 郵政民営化の次は、医療だという。とりわけ規制緩和(混合診療の解禁)による医療や保険分野やへの外資の参入が目的だという。これらは米国からの「年次改革要望書」にもあるという。それによって皆保険が崩壊し、果たして日本の医療はよくなるか。自由診療の導入で、医療の質が向上し、医療費の高騰も抑えられるか。米国の実態を見れば、答えはNoだ。世界一の一人当たり医療費を誇り、平均寿命、新生児死亡率などが先進国中最低なのがアメリカだ。

 そんな制度に向かおうとしているのが、今の医療制度改革の正体なのだ。少子高齢化、国民医療費の抑制、医療へのIT化などが叫ばれるが、部分的にはそれらも課題ではあるのだろうが、我々が気づかねばならない、つきつけられている刃はここにあったのだと気づかされる。医療従事者にはお勧めの一冊だと思う 

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

簡易お薬手帳はフィー算定に値せず

2006-08-23 00:11:47 | よくわからないこと
 昨今、お薬手帳が流行だが、シールを渡し、手帳に貼るよう申し伝えるだけで薬剤情報提供料を算定している薬局の実例に2回遭遇した。ひとつは中野区、もうひとつは武蔵野市、いずれも別の経営者だ。領収証がマルメで書かれており、その中身(明細)があいまいだから不明朗が幸いしているから、追求しなければそれで150円算定されているなんて気づかない。まじめに明細を記載していたらかえってそれがアダとなって、まるで150円はシール代であるかのように誤解されかねない行為だ。薬局自らが、批判のタネを蒔いているかのようである。

 お薬手帳による薬剤情報提供料は、手帳により服薬履歴を明確化し、自己管理を進める意味合いや、服薬に伴う必要な情報提供の意味とを併せ持ったものだ。シールを渡して済むものではない。シールよりもその意義や目的を果たすところにフィーが認められていると理解すべきものだろう。

 シールだけ渡すのが算定要件にそぐわない一方、お薬手帳に張ってあげれば済むというものでもない。機械的に張りつづけていても、単なりデータ蓄積となって体裁は整うかもしれないが、安全確保として機能しないので、やはりフィー算定には値しない。

 また「薬局側の手でお薬手帳に貼ってあげる」という行為にフィーが認められたものでもない。貼るだけであれば、誰でもできる。手間代というには高すぎる点数だ。算定要件的には、そのような物理的側面で表現しているが、理解すべきはその意義や目的だろう。
 ところが現実には「薬局側で手帳に張って渡す」というその外面にこだわり、機能や意義をおろそかにしている実態が多い。その一例が簡易版のお薬手帳だ。手帳というにはおこがましい、シールの手帳型台紙みたいなものだ。シールだけ渡しているんじゃない、という言い訳と、何冊も手帳を渡すムダを省く行為だ。わざわざそんなものに貼られてしまったら、本物に貼り替えるのも厄介だし、もらった側は迷惑するだけだろう。
 
 いわば薬局側が点数を取得したいだけの産物と言ってもよい。これまでお薬手帳を使うことを十分してこなかった、啓蒙しきれてこなかったツケなのかもしれない。
 シールを手帳に張って渡すだけの作業でなくて、貼った手帳を使って情報提供し、さらなる使い方を説明し・・・、持参忘れをなくし、本来の機能を取り戻すことが、薬局のすべきことだろう。体裁を繕った簡易版の拡大は、薬局の自傷行為でしかないのではないだろうか 
Comment (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

祝・早実優勝、駒苫もあっぱれ

2006-08-22 08:47:55 | 思いつくまま
 これまでより100g重い900gのバットでも筋トレの成果でホームランが量産され、大逆転ゲームが多く、ドキドキ、驚き、試合としては面白かったのかもしれないが、決勝の早稲田実業と駒大苫小牧の試合は、両校のピッチャーがしっかりしていて、けっして大味な試合にならず、さぞかし質の高い試合だったようだ。

 こういう均衡した試合に、しかも2試合続けてなるということは、この2校、図抜けていたのだと思う。打撃や前評判で目を見張るチームや選手も多かったが、決勝戦に勝ちあがるにふさわしい2校だったと思う。
 再試合の末、早稲田に軍配が上がったとはいえ、駒苫も優勝校にふさわしいチームだったと思う。その差がどこに出たかは、専門家でないと言えないかもしれないが、たとえ紙一重の差があったとしても、それは責められるようなものではなかろう。
 3連覇できなかったとはいえ、駒苫もこの早実というチームなら負けて悔いなしの相手ではなかっただろうか(そりゃ、悔しさが全くないということはないだろうが)。3連覇という偉業を達成するということも立派だが、決勝で涙をのむという経験も、長い人生から見たらいい経験になった、それを手に入れたのではないだろうか。

 斉藤投手の、優勝後のインタビューで、監督思いやチームメートを称える台詞も立派だった。出来すぎ、立派過ぎの感もしたが、これが野球が人を育てたということなのかもしれない 
Comments (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

クレーン船操業による首都圏停電

2006-08-15 13:01:48 | ISO9001奥が深いか浅いのか
大停電 3時間後復旧 千葉県警クレーン船作業員事情聴く 毎日新聞 2006.8.15
-----転載ここから
 調べでは、送電線に接触したのは「三国屋建設」千葉事務所(同県船橋市)の380トンのクレーン船で同所長(43)と操縦士(30)が乗り、しゅんせつ工事に備えて船を固定するための金属製のくいをつり上げる作業をしていた。タグボートには乗組員(23)が乗っていた。クレーンのアームのほぼ中央に黒く焦げた接触痕が確認された。

 現場付近には高圧線への注意を呼び掛ける看板が設置されており、同社の内規では「安全を確認できない場合はクレーンを下げて運航する」と定められている。調べに対して3人は「今回の現場に行ったのは初めてで、送電線があるのは知らなかった」と話している。

 同社の木股健二会長は「午前6時ごろからクレーン船を動かしていた。操縦士はベテランで、普段は高さを確認していた」と話している。
-----転載ここまで

 たまたまお盆で帰省中の出来事だったが、知った時には既にかなり復旧していた。影響を受けた人も多かっただろうだけに、復旧の早さはさすがだと思う。予め想定した手順があったのだろうか。

 一方の三国屋建設。本社は茨城にあり、ISO9001を取得している。この9月には更新時期を迎えているから、そろそろ更新審査直前の出来事だったのではないだろうか。まさか千葉営業所は、拡大審査の対象になっていなかったのだろうか?

 事故当日の天候も悪くなかったようだし、遵守すべき作業手順に違反して、航行中にクレーンを上げて作業をしていたことが原因だとすれば、効率よく作業を済ませようとして事故を起こした東海村の原子力発電所の臨海事故と同じ構図である。これまでもしばしばやっていた・・・、それまで問題は見られていなかった・・・、本来の手順じゃないと知りつつ継続して行っていた・・・、それが取り返しのつかない大事故に発展した。

 経験も十分ある作業員だったというが、教育が徹底されていなかったともいえる。油断もあったのだろうか。安全確認を怠ってしまったその原因は何か。たいした理由ではないと思うのだが、得てしてそんな時に事故は起きるものだ 
Comments (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

内部品質監査で組織の自浄能力を高める

2006-08-11 12:14:06 | ISO9001奥が深いか浅いのか
パロマ不正改造、元社員「何度もやった」

 一酸化炭素(CO)中毒事故が相次いだパロマ工業製の瞬間湯沸かし器に関し、パロマの複数の元社員が読売新聞の取材に対し、安全装置が機能しないようにする不正改造を行っていたと証言した。

 修理を行う系列の「パロマサービスショップ」の従業員が不正改造を行っていたことは裁判記録などで判明していたが、社員の関与が明らかになったのは初めて。元社員らは「部品がない時に応急措置として行った」としているが、このうちの一人は「先輩に教えられ、何度もやった」と話しており、不正改造がパロマ内部で日常的に行われていた可能性が浮上してきた。

 不正改造は、安全装置などを制御する装置(コントロールボックス)の電気配線を付け替えるもので、排気ファンが停止してもガスが供給されるようになる。このため、電源コードがコンセントから外れるなどしてファンが止まるとCOが充満して事故につながる。 (読売新聞) - 8月11日6時59分更新


 当初は、パロマの与り知らぬところで行われていた不正改造が原因だということで押し通してきたが、いよいよパロマも知っている中で現実があるとなると、事故も「事件」に変わる、まさに人災の様相を帯びてきた。

 つくづく思うのは、ISO9001を取得して、それで運用してきたのだから、その仕組みの中でなぜ防止できなかったのか、ということだ。内部品質監査が自浄作用を持たなかったのだろうか、いえ持てないのだろうか。残念でならない。

・修理依頼や実績は、製品にとって好ましくないことだから、それが繰り返されていたのは、是正処置が適切に取られていなかった(8.5.1)
・予防処置が不十分だった(8.5.2)
・必要な処置がとれないほど、内部で情報が適当な人に伝達されていなかった(5.5.3)
・必要な処置とは、何をすべきであっって、何はすべきでないか、理解できていなかった(6.2.2)

 などが考えられるが、こうもいろいろな場面が出てくるということは、「顧客重視の組織運営が出来ていなかった(5.2)」ということではないだろうか。
 誰がその文化を作るかって、トップマネジメント以外にありえない。ISO9001をトップが推進役として、陰に日向に熱心に取り組むかどうかで、組織が大きく違ってくるのだろう。

 トップに問題があったということで思い出されるのは、東横インである。トップが利益優先で不正改造を行っていたのだ。あれと似た構造だ。パロマがどこまで利益優先かどうかはわからないが、パロマ工業の社長が辞任して、パロマの社長(=息子)が辞任しないとなると、同属経営が影響しているようにも感じられる。

 内部品質監査が事件や事故を防げないのは、まさにトップにメスが及ばないということだろう。わかっていても届かないもどかしさを感じている者は、世の中にたくさんいるのだ(自分ばかりではなかった!)。
 別の言い方をすれば、それこそISO9001の限界なのだろうか。身を投げ出しても防ごうとでもしなければ、組織は守れない。事件の身代わりになって、組織が残れば、ひいては不適切な判断をするトップをも守ってしまうことにもなり、一方で原因を抱えた者によって自らの立場を奪われるといった、割りに合わないことをするのが、内部品質監査員のようでもある。それじゃ、苦しすぎないか 

 では内部品質監査員は、そういったトップをいかに顧客重視に変えるかどうか、基本姿勢の転換を図るか、それが究極の任務のようにも思える。ちょっと悲しいかな。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

囲碁界、不振の打開策

2006-08-10 09:18:20 | 思いつくまま
 囲碁界、三つの不振に挑む 朝日新聞 2006.8.7 夕刊
-----転載ここから
 「三つの不振」とは、①囲碁愛好者の半減、②プロの国際戦不振、③日本棋院財政の赤字体質である。〈中略〉三つは互いに関連し、日本囲碁界の地盤沈下をもたらしている。〈中略〉

 張栩名人が若手に喝!

 日本棋院が抱える「不振」の打開策について、張栩名人の持論が静かな共感を広げている。都内のホテルで6月に開かれた若手棋士研修会で、先輩として語った。

 若手棋士から「近年の国際戦で日本勢がふるわないのは、韓国や中国と比べて普段の実践不足や研究会の立ち遅れが原因ではないか」と質問が出た。

 名人は「弱い原因を環境のせいにしてはいけない。中身の濃い研究会が必要だと思えば、自分たちで組織するべきだ。国際戦で勝てなければトーナメントプロをやめるぐらいの気概で臨んでほしい」と応じ、会場は静まりかえった。

 また基本的な心構えとして「棋士という職業に、誇りと感謝の気持ちを持ってほしい。アマの普及でも自分に何ができるかを考え、工夫してほしい」と述べた。〈中略〉決然とした方針のかなたに、日本囲碁界の再生はありそうだ。
-----転載ここまで

 張栩名人はまだ20代だったと思う。各棋戦でそれなりの結果も出している。囲碁に対する追求は、人一倍あるのだろう。自分が今あるのも、常に自分の中に原因を求めて、乗り越えてこようとしたからではないだろうか。こういう第一人者がいることで、将来に期待がもてるようだ。

 マイペースや、これまでの慣習、やりかたを崩さず、何かを求めても限界がある。何かが欲しければ、他のものには目もくれず、そこに集中しようとすることは必要だ。誰しも、期せずして、そういう時間を経験してきたことはあるのではないか。それを忘れてしまっているのではないか。

 物資的に生活が豊かになってしまったから、わかっていても後まわしにされてきたとしたら、それを思い出させてくれるコメントだ。自分は凡人だからと、できないことをつい肯定して、かたや愚痴を繰り返すことなんて珍しくない。努力せずしてその道を究めることなどありえないことも知っていてである。いつになっても常に考え、努力をし、続けるかどうかなのだろう。もう若くないからできないなどと諦めることなく、今からでも始めるかどうかではないかと、叱咤されたようだった 
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

勝っても敗者と言われ、負けても勝者へと期待され

2006-08-09 13:25:29 | 思いつくまま
オシム監督が仰天会見!「負けたい」発言 (日刊スポーツ) - goo ニュース

 判定で勝っても、観戦した者の目には真の勝者ではない、まことに怪しい判定だと言われる亀田興毅、リング外でも、ケンカ討論お茶の間判定は470対359 僅差で「やく」&「ガッツ」勝利 と評判は芳しくない。

 一方、たとえ負けてもいい、そこから得るものがあり、それが将来の勝ちにつながる価値があるとするオシム監督。これも新たな“オシム語録”だろう。

-----転載ここから
 勝つことはスポーツとしての目的で、目指すもの。でも内容分析も大事です。勝つことと成功が同じように扱われているけれど、それでは誤った方向に進む危険性がある。勝つと大切な直すべき点が見えてこない。負けて内容がいいものもある。「敗北は最良の教師」という言葉がある。明日の試合後、学ぶために負けたとは言ってはいけないけれど、何を学んだかの一定の結論は出るでしょう。

 目の前の試合も重要だが、もっと大事なものがある。2年後から始まるW杯予選、4年後のW杯本大会だ。プレー面で選手たちに「考えるサッカー」を要求するだけではなく、実力向上のためにも、頭を使うことを要求する。勝って浮かれて実戦で犯したミスを忘れるより、負けて反省して改善していく方が、チーム強化につながるとの持論だ。
-----転載ここまで

 亀田陣営には、世界タイトルマッチである以上、勝ちがすべてなのだろう。3階級制覇等の記録やファイトマネーなども意識しているのだろうか。
 まだ19歳だ。タイトルはとれるにこしたことはないが、精一杯やること、全力を出し切るころが先決で、タイトル獲得は二の次だ、なんて発想は微塵もない。負けから学ぶこともあり、それがさらに大きな飛躍につながるだろう、なんて発想もない。さらには、負けてもいいなんて、試合前からそう言っているようでは、勝てるはずもない。勝つことしか考えるな、そういう事情もあろう。
 それでもなお、である。だからガッツ石松らと接点があろうはずもなかろう。

 勝敗は結果にすぎない。ときに運も左右する。誰の目にも試合内容に明らかな差があっても、結果が正反対のこともある。それがスポーツだ。それはある意味、仕方のないことだ。
 だからこそ大事なのはプロセスである、それがオシム監督の言わんとするところだろう。ましてや新しい世代を抱えての初戦、勝って課題が見えず、理解できないことのほうがはるかにマイナスだ。だからこそ、一生懸命やった結果、世界の壁に跳ね返されて負けたほうが、今後のことを考えれば最良なのだ。

 経営にも似たようなことがある。負けているにもかかわらず、それを誤魔化したり、下方修正して、あたかも結果が出たようなことを繰り返す。なぜうまくいかないかに目が向いていない。かろうじて首の皮一枚つながってよしとしている。薬局なら、薬価差益によって運営の誤りがマスクされて、課題を避けて通っている姿が散見される。それで将来の生き残りなど、甘い期待も甚だしい。

 オシム監督が見据えるのは目先ではなく、将来だ。サッカーで言えば4年後のワールドカップだろう。スポーツでは、いつまでもプロセスとばかり言い続けられない時も来るだろうが、会社では勝ち負けを争っているのではないのだから、プロセス重視は必須だろう。繕って、方法を誤って、少なくとも勝てば何でもいいような亀田式では済まされないのだと思う 
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

薬の情報(追加)と説明(書)

2006-08-09 12:09:57 | くすり雑感
 同じものがいくつもあれば、別段の理由がない限り、数の増加に価値がない限り、1つあれば十分というのは通常の感覚だろう。たとえば同じ本が何冊もあれば、1冊あれば残りは誰かにあげてしまおうとか、捨てようということになる。

 しかし、似ているが中身が違うものだったらどうだろう・・・。新しいものを手元に残して古いものを捨てるとか、過去のものが必要なら変遷や経過がわかるようにコレクトしておくだろう。つまり、似ていても“必要だ”と判断される。

 そこでだ、「薬の情報」はどうだろう・・・、どう思われているだろう。処方せんによって調剤を受け、その薬について説明書が付与される(いわゆる「薬剤情報提供書」)。先の例と同じだと思う、同じならいらない、違うのならもらっておく。

 慢性疾患で、同じ薬を長期間に渡って継続的に服用する。もらう薬はいつも同じ。味が変わることもなければ、当然、効き目も変わらない。
 しかし、薬の情報は、変化しているのだ! これは一般に理解されていることだろうか・・・、使用上の注意は、部分的ではあるが、新たに追加、更新されているのだ。その頻度も、世の中の約半数の薬は、1年に1回は何らかの改訂があるのだと言われている。

 更新される中身も千差万別で、安全性にかかわるものもあれば、包装やメーカーの所在地が変わった程度のものまでいろいろあるが。重要な内容であれば、とくに安全性に関わるような、患者さんにもおおいに関係する、関心の高い内容であれば、新しい情報は必要とされるだろう。
 その、いわゆる“最新情報”が薬情に反映されているかどうか、というのは薬局側の問題ではあるが・・・。
 患者さんにとっては、重要な情報なら、何がどう変わったのか、追加になったのか、知らせてほしいと思うのではないか。手元にある情報も、それが紙に活字で残されていようと、耳から聞いたものであろうと、最新のことは知っておきたいのではないだろうか。

 薬剤師は、その最新情報を患者さんに伝え、まさか既に危険な兆候が見られていないか、確認しているだろうか。 最新情報も幅広く存在するとはいえ、その最たるものは厚労省の「医薬品医療機器等安全性情報」や、最近は発行されることが少なくなった「緊急安全性情報」などだろう。それらが出されたら、薬の情報に変更(更新)があったことを伝え、その確認をとっていく・・・、それが薬剤師の基本活動に組み込まれている必要があるのではないか。よって、その大前提になるのが、薬の情報というのは、常に更新(改訂)されているのだ、ということだ。それを薬剤師側と国民との共通理解にもっていくことが先決ではないかと思う。

 現在、毎月第4木曜日に出される医薬品医療機器等安全性情報。今月は、厚労省からこういうことについて、注意喚起がありましたよ。だからわれわれ薬剤師は(薬局は)その薬を日頃服用している人に、お知らせてしますよ、前兆がないか、仮に既に怪しい症状がなくても、今後のことを考え、未然防止や早期発見に結び付けられるよう、窓口で確認していきますよ、そういった安全確保のために薬局があり、薬剤師がいるんだということをアピールしていければと思う。

 薬局って何するとこころ? 薬ももらうところさ・・・的な、単なる取扱所、処方せんによる交換場所でいてはいけないのだ。薬剤師にしてみれば別段、特別のことを言っているとは感じられないかもしれないが、患者さんとの理解との間にはかなりの幅があるように思うのだが、いかがだろうか。

 薬の情報の改訂は、けっして稀有なことではない。上市時に漏れた、時代の変化でやむなく加わった、例外的事例ではないのだ。薬の情報は何年経ってもすべてがわかっているのではなく、その時代で把握できる範囲に留まっており、年月とともに常にブラッシュアップされていくものであるということを、共通認識にしたい 
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

調剤補助とテクニシャン導入

2006-08-07 13:55:38 | くすり雑感
 街の薬局では、薬剤師と事務員から構成されるが、調剤は薬剤師でなければ行ってはいけないのは、薬剤師法19条「薬剤師でない者は、販売又は授与の目的で調剤してはならない」に依拠している。
 しかし、世間の(いわゆる)調剤薬局の中には、どうも事務員も調剤室に出入りし、棚から薬を取って“調剤して”いる姿が散見される。往々にしてこういう薬局は、名札のうえでは薬剤師か事務員かを明確に区別しているが、外見を一見しただけではわかりにくくなっていることが多い。
 棚から薬を取り揃える・・・(業界用語でピッキング)ことも、広義の調剤であり、本当はいけない・好ましくない、という意識が根底にあるのだろう。よーく見なきゃわからない名札で薬剤師と事務員とを明確に区別しているといっても、同じ白衣を着て曖昧にしているのだから、言い訳をし、矛盾を抱えて業務を行っているのが実態だ。

 だから、これまで事務員の調剤補助について、明確に「(やっても)いい」と明記されたものは見当たらなかった。もちろん良心的な薬局は、絶対、事務員の調剤補助はしなかったし、させなかった(これが正しいと思うし、人不足等の事情で事務員のピッキングに同情し、黙認するつもりもない)。

 ところがある業界紙に、調剤補助は可能であるとか、適法であるという記載があって、やや驚いた。しかも筆者は薬の業界における法律の第一人者である。

 違反しないと正式に認知されれば、堰を切ったように「堂々と」行われるだろう。いや恥ずかしげもなく、悪びれるもなく、瞬く間に定着してしまうのではないか。残されるのは良心やモラルだけだ。悲しいけど、それも風前の灯火とすら思える。

 その記事は、結局、薬剤師でなければならない行為として、疑義照会や服薬指導などの判断行為と、薬剤監査のような確認行為だけだとし、ならば今後、ますます薬剤師が進むべき道は自ずと見えてる(来ている・・・)と述べている。

 そう“割り切って”いいのなら、調剤補助是認に重きを置くのではなく本質的な業務に専念すべく舵を切り直すところだ。
 これまで私は、あえてピッキングというものを、外見上はピッキングでも中身は監査のひとつである、と考えて、だから薬剤師でなければいけないし、それによって過誤や事故も防止でき、安全性も確保される、と述べてきたが、いよいよその時代も終わりを迎えているのだろうか。

 この割り切りが、安全性軽視、効率優先、人件費削減優先の端緒となるのであれば、それはかえってたいへんな危険性を孕んでいるだろう。
 (日本版)代替調剤が開始され、次はテクニシャンの導入かと思っていた。それをも遠く視野に入れての記事とは思わないが、適法と明記されれば、日薬も明言してこなかったことだけに、テクニシャン導入に向けた第一歩がいよいよ踏み出されるのではないだろうか。また、それは6年制を経た優秀な薬剤師の誕生とも波長が合う。専門性が発揮できるかどうかで、薬局の価値が内外ともに決まってくるようだ。どうやって儲けるのだとか、利益だ売上げだなんて言って患者不在、利用者不在で財務指標ばかり眺めているのは、明らかに世間の動きから遅れをとっていることだと、ますます実感されてならない 
Comments (12)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

流水プール事故から、再発防止策の重要性を学べ

2006-08-03 09:18:14 | 思いつくまま
 先の記事で、吸水口を二重にできないのか、と思っていたと述べたが、なんとそのような通知があった。

「プール吸水口のふた二重に」国の通知、市が見落とす (読売新聞) - goo ニュース

 同市教委によると、文科省通知は「排(環)水口には堅固なふたや金網を設けてボルトなどで固定させるとともに、吸い込み防止金具などを設置すること」というもの。1999年6月、「学校水泳プールの安全管理について」と題し、体育局長名で全国都道府県知事らに出されたが、同年8月には「地域のプール」も対象に加え、翌年からは毎年5月の通知に「学校以外のプールについても」という文言が加わった。

 また、プール監視員としての対応基本がマニュアル等で示されていないのはいかがなものか、と述べたが、

プール管理の下請け会社、吸水口の事故対策なし (読売新聞) - goo ニュース

 マニュアルは、A4用紙8枚で、同プールなど5か所のプールで使っている。内容は〈1〉利用者の安全確保〈2〉施設の衛生管理〈3〉事故の際の対処――などの4項目と、具体的な「監視者の心得」などに分かれている。流水プールについては、〈1〉の項目で「小さい子供の流水プールの利用禁止」などとあるだけで、吸水口のふたが外れた場合などの緊急事態については、対応が規定されていなかった。

 マニュアルとは、どんな人にも画一的、機械的に作業をさせようというものではなくて、基本を示してその主旨を最大限に活かそうとするものになっていないようだ。

吸水口の危険、説明受けず 元アルバイトが証言 (共同通信) - goo ニュース

 昨年まで3年間監視員としてアルバイトをしていた同市の女性会社員(18)が3日までに、流水プールの仕組みや吸水口の危険性について管理業者から説明を全く受けていなかったと証言した。
 女性によると、監視員はアルバイトの高校生が主体。ほとんど泳げない人もおり、京明はアルバイト採用の際、水泳の経験を問題にしていなかったという。

 京明プランニングのずさんさ、いいかげんさはもうこれ以上言うまでもないだろう。つつけば他にもたくさんの埃が出てくることだろう。
 太陽管財を含めて、原因は複合的であって、それぞれに甘さがあったと言わざるをえないようだ。まさに人災と言ってもいいのかもしれない。

 今回の事故はかなり大々的に報道されているので、流水プールを持つ施設は戦々恐々としながら、自施設だけはそうあってはならないと“予防処置”をとっているだろう(口頭での注意で済ませるのでなく、具体的な対応を望む)。同様の事故が再発しないことを願う 
Comment (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ISO9001は無力なのか・・・

2006-08-03 00:43:38 | ISO9001奥が深いか浅いのか
 まさか、とは思った。自分の目を疑った。それは、太陽管財がISO9001を取得していただった。

 埼玉県ふじみ野市の市営プールで、小学校2年生の女児が流れるプールの吸水口に吸い込まれて死亡した、そのプールの管理運営をふじみ野市から請け負っていたのが、この太陽管財である。

 流水プール以外にも、学校のプールでも、吸水口に吸い込まれて児童、生徒が亡くなった事件って、これまでにもあった。吸水口に手を当ててみれば、大人ならまだしも、子供ならうっかりしていれば事故に遭う危険性があるのは、十分想定できるだろう。

 プール外壁に格子状の柵があるとはいえ、あの柵って10cm程度の間隔で二重にしておくことはできないのだろうか。二重にしたのでは、メンテナンスの手間が面倒だと思ったのだろうか。
 何らかの理由でさくが外れたら、自動的に吸水が止まるような構造にはできなかったのだろうか。フェイルセーフ的な構造は、そんなに難しくないと思うのだが。

 しかしこのビル管理サービス業の太陽管財、ISO9001を取得していたにもかかわらず、京明プランニングという下請け会社にプール管理を丸投げしていたという。
 ISO9001的には、アウトソースにあたると思われ、下請けさせるなら任せる力量を備えているといえる業者にさせるべきだった。太陽管財では、そういった管理ができていなかったのではないか。7.4の不適合か。

 ふじみ野市側も、まさか太陽管財がさらに下請けに出してしまうなどとは思っていなかったようで、太陽管財がそういう信用のおけない会社かどうか、よく吟味していなかったのではないか。せいぜい、入札により価格の安さだけで落札して、任せていたのではないか。ふじみ野市側にも、そういった落札相手の吟味不十分さはあるだろう。

 そして京明プランニング。マニュアルもあるのかどうかわからない会社、安全を守る業務にもかかわらず、現場の監視員に吸水口の構造や危険性を知らせず、バイトでプール管理をさせていたとは!

 まさか!、と思って、事件を起こした会社のISO9001認証取得状況を検索してみるが、それにしてもパロマしかり、シンドラーしかり、東横インしかり、みな取得している。内部監査態勢はどうなんだろうか。顧客重視はどこまで徹底できているのだろうか。唖然とするばかりだ 
Comments (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

加害者への罰と、被害者遺族との落差

2006-08-03 00:11:08 | よくわからないこと
医療過誤は9人、厚労省が医師・歯科医師32人処分 (読売新聞) - goo ニュース

-----転載ここから
 厚生労働省は2日、不正行為を行った医師と歯科医師32人に対する業務停止の行政処分を発表した。発効は今月16日。
 今回の処分では、医療過誤によるものが9人に上った。

 埼玉医大総合医療センターで2000年、抗がん剤の過剰投与により女子高生が死亡した事件で、主治医に対する指導を怠ったとして、業務上過失致死罪に問われ、有罪判決が確定した川端五十鈴・元耳鼻咽喉科科長兼教授(71)は、医業停止1年6月となった。

 処分を検討した医道審議会医道分科会は、薬剤の誤投与による医療過誤のケースでは、処分対象の医師個人だけでなく、医療機関のチェック体制にも問題があったとして、同省に医療機関への指導を求めた。
-----転載ここまで

 ニュースでも、この川端教授の部下だったS医師によって娘を失ったFさん夫妻がコメントを寄せていた。
 その疾患の治療経験を持ち合わせない医師に任せて、その管理責任は免れないだろう、というのは誰しもが思うところではないか。トカゲの尻尾斬りのように事件から逃れようとするこの教授に、医道審議会が裁いたとはいえ、到底、遺族の納得のいくものではない。そもそも用法もわからず、連日投与してしまったという、あまりにも初歩的なミスなのである。遺族が、あまりにも患者軽視だというのも、無理もないことだと思う。

 この“処分”に対し、遺族は医師免許剥奪も当然と考えていたようであり、大きな落差がある。JR西日本といい、パロマといい、埼玉医大総合医療センターの一件といい、被害者はワリに合わない世の中のようだ 
 
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする