「最悪」を生んでいる背景にあるのは、わが国の民主主義の根本的・制度的な不備といえるでしょう・・・
昨年末、現在の日本を代表する小説家の村上春樹氏が、週刊ダイヤモンド誌のネット版「ダイヤモンド・オンライン」のインタビューで、日本の政治家が最悪、等と語り、これがネットを中心に多くの反響を呼びました。この発言があったのは、インタビューの中で同誌の記者が、コロナ禍であらわになったことは何だと思うか、と聞かれたとき。氏は、大きいのは政治の質が問われているということで、コロナ禍ははじめての事態だから間違ったり失敗したりするのは避けられないが、そうした失敗を各国政治家がどのように処理したかを見比べたとき、「日本の政治家が最悪だった」と述べています。そして、どこが最悪なのか?と問われると、「自分の言葉で語ることができなかった。政治家自身のメッセージを発することができなかった。それが最悪だったと思います」と答え、欧米政治家らと比べていまの日本の政治家の多くは自分の言葉で語ることが下手で、総理大臣ですら紙に書いたことを読んでいるだけではないだろうか、と嘆いてみせました。
この村上氏の意見に対しては様々な意見が飛び交っています。けれど、少なくとも、これに真っ向反論する見方―――日本の政治家だって自分の思いを自分の言葉でちゃんと語っているよ!というもの―――は、ほとんどないように思います。それはそうでしょう、誰もが村上氏の指摘のとおりだと感じているでしょうし、本当に(政党等の違いによらず)どの政治家も紙に書かれたことを「読んでいるだけ」ですからね・・・
では、日本の政治家はどうしてそうなのか、って、その根源的な理由から先に書くと、政治家(≒国民)には主権がないからだと考えています。具体的には、上記の紙に書かれる政策・・・のみならず、予算やら法案やらを編成・作成等する権限は事実上、すべて政府・・・を構成する官僚機構の手中にあり、そのいっぽう、憲法上は国権の最高機関とされている国会は、実態としては政府よりも下位にあって、その構成員たる国会議員(政治家≒国民)は政府から下賜される(?)それらに従うばかり、といったところでしょうか。
もっとも、それでは、誰の目にも国民(≒選挙)によるチェックの利かない官僚機構による独裁であることが分かって(国内外からの非難でこの枠組みが解体させられるリスクが生じて)しまうので(?)、内閣とか各省庁のトップ(首相とか大臣)には、いわば国民主権を装う看板(?)として国民の代表(政治家)になってはもらいます。けれど実際の諸権力は官僚機構がふるうので、センセイ方には自分たちのシナリオの通りに演じてもらって余計なコトは言わせない、といった具合。この枠にはまらない人もいる?・・・って、まずいないでしょう(?)そんな方。なぜなら、上記のように、政治家(国会議員)の多くは国会の目上の組織に当たる政府の何らかの長(首相・大臣)になることを夢見ているからです。であれば、政府の言うことに素直に従ったほうが、大臣ポストに近づけるわけで・・・
これらの結果、政治家、とくに与党政治家(政党の如何によらず、首相、大臣等のポストにあるセンセイ各位)は、村上氏が指摘するように(官僚が)「紙に書いたことを読んでいるだけ」になるという次第・・・だと思っています。