(前回からの続き)
前述のように、インターネットが経済社会に広く普及したいま、わたしたちは必要なニュースを直接、政府、日銀、企業などのHPから入手できますし、この瞬間の国内外の各種マーケットの動きも容易にゲットできます。もちろんスポーツやエンタメ関係だって。となれば、これまでこれらの伝達を担ってきたメディアの役割は低下せざるを得ないでしょう・・・
そのあたりが窺える一例が新聞の発行部数の減少です。日本新聞協会のHPによると(って、これもまたHPで分かりますね)、新聞(一般紙)の発行部数は、2000年には約5370万部(朝夕刊セット)だったのが、2019年には3510万部と、19年間で35%近く減ってしまいました。一世帯当たりの同部数も1.12から0.61へと半分近くへと落ち込んでいます。これ、上記のとおり、ネット化・デジタル化の進展で多くの人々がニュースを各ウェブサイトから直接得るようになったことで、紙としての新聞に必要性を感じなくなったことが数字に表れているのでしょう。そのへんは、朝の通勤電車内で新聞を読む人がめっきり減ったことなどからも推測できるところです。このように新聞業界は苦しい局面にあるわけです。もはや紙媒体への回帰は望めないこの先、どうやって収益をあげていけばいいのか・・・
・・・って、月並みですが、やはり魅力ある紙面づくりしかないでしょう。とはいっても政府などの各情報ソースが伝えることをそのまま載せているだけの新聞に人々はおカネを払わないはず。同じことを、場合によっては新聞よりも早く詳細にスマホ等で確認できるわけですから。となると、新聞としては、これら情報に何らかの価値をプラスする必要に迫られます。それこそが、報道機関のそもそもの使命といえる、権力のチェック、つまり政府の政策等の情報に対する多様な意見を知らしめることでしょう。これ、とりわけ、わが国においては大切なこと。というのも、上述のとおり、日本政府は(中国共産党政府などと同様に?)行政権だけではなく実質的な立法権をも掌握しているために、その権力は他の民主主義国政府よりもずっと強大で他者のチェックが利きにくいからです。よって、その権力の乱用を抑止するためにも、新聞をはじめとする本邦報道機関は、他国のそれら以上に、政府に対して厳しめの論調スタンスに立つべき。本来その役割を果たすべき国会(立法府)が機能していない(与党は政府立法に賛成するだけ、野党は反対するだけで、自身らは立法権を行使できない)のですから、なおさらです・・・
・・・が、その実態は・・・真逆であるのは、何もわたしが指摘するまでもないでしょう。この国の新聞、TV、国営放送・・・のいずれも、新華社(中国の国営放送)とか労働新聞(北朝鮮労働党機関紙)よろしく?財政再建(消費増税と100%イコール?)、コロナワクチン、マイナンバーカード・・・などなどについて、政府の言い分をバラ色的に?伝えるばかり。逆に、その陰の部分(消費増税で言えば、消費・景気を冷やす、逆進性で格差を拡大させる、等)への論評や意見はほとんど掲載していない、といっていいでしょう。どうしてそうなってしまったのか―――本邦メディアが政府寄りになってしまったのか―――は、上記の厳しい経営環境に置かれた各社が政府政策(消費税軽減税率の新聞への適用等)への依存度を強めたため、等が考えられるところですが、真相は・・・
・・・って、そのあたりはともかく、これでは新聞もTVニュースも魅力あるもの―――読者や視聴者がおカネを出してでも見ようという気にさせられるもの―――になるわけもないでしょう。結果、本邦メディアはジリ貧状態を食い止められずに・・・?