Straphangers’ Room2022

旧Straphangers' Eyeや習志野原の掲示板の管理人の書きなぐりです

「鉄」向きの野戦病院

2021-08-18 23:05:00 | 時事
医療崩壊状態のタイ・バンコクで、バンスー新駅隣接の車両基地で非冷房二等寝台車を連ねた「病院列車」がスタートすることを紹介しましたが、感染者の更なる増加に対し、車両も足りないようで、追加施策が始まったことを英字紙が報じています。

「病院列車」は屋内の整備スペースへの留置なので非冷房でもなんとか、ということでしたが、ピットのある線路に留置されています。その横には作業の実施や車両が入れるだけのスペースがあり、まだマッカサン工場などから移転前なので十分きれいなので、なんとそこに段ボールベッドを並べたのです。

苦笑するのが、ソーシャルディスタンスを確保した状態で線路に直角にセットできるスペースが足りないようで、中央に通路を確保して、片側は線路に直角、片側は線路に並行にセットしていること。
ピット線のすぐ脇で「鉄」には味わい深いアングルですが、さすがに感染してここはちょっと、ですね。それでも自宅よりは医者もいるからマシですが。

一番の問題はやはり空調で、車両に網戸をつけた「病院列車」は1人1台の扇風機をあてがいましたが、車外スペース組も1台の扇風機はありますが、網戸は無理なので、なんと蚊帳です。しかも吊り方式は出来ないので、食卓の虫よけネットの巨大版のような蚊帳がちょうどベッドにかぶさるようになっていますが、そこで14日間の待機というのは嫌ですね。




側杖ではあるがやむを得ない

2021-08-18 23:02:00 | 時事
「人流」の話をすると、「ぼっち」のリスクは低い、と自分たちの行動を正当化する向きが無数に湧いてきます。
確かに個々の行動を評価すれば、「ぼっち」の行動はリスクが低いわけで、その意味では行動を規制しなくてもいいのではないか、という批判も分からなくはありません。

一方で同じジャンルの行動であっても「ぼっち」ではなく2人以上の複数人となるとたちまちハイリスクの行動になるわけで、さらに「ぼっち」がたまたま意気投合しただけ、という低レベルの言い訳も実際に出てくるのを見ていれば、安全側に舵を切るという意味でも「ぼっち」も規制に含むしかないのです。

個人に着目した行動規制もそうですし、施設に着目した営業規制もそう。正しく行動、運営すれば感染につながるリスクを極小化できるのですが、どうしてもそうでない人、施設が出てくるわけです。民放の報道バラエティ系の常連と化した感のある赤羽の焼肉屋なんかは「そうでない施設」の典型で、「自分たちだって生活がかかっている」とうそぶいて堂々と横紙破りをしているわけです。

こうしたケースを個別に摘発するのは残念ながら非現実的です。飲食店で騒ぐのも同じです。そうなってしまうと「全部」を規制するしかないわけです。ある意味自分で自分の首を絞めていますし、「私の行動は大丈夫」「私の店は大丈夫」と反発するまえに、目の前に氾濫する横紙破りをどうするかであり、声を上げていくべきではないか。

結局一定数の横紙破りは不可避なうえに、感染拡大はそれが少数であってもそこを起点に拡散するのです。ですから「ウイズコロナ」は実際にはありえない選択肢であり、逆に極力収束に近づける、感染者を区分してグリーンゾーンを確立することで、横紙破りだろうが何だろうが感染拡大にはつながらない、規制が不要になる、という方向にすべきでしょう。

何度も言いますが、昨年タイがほぼ収束させた時には、欧米人がパブで密集して騒ぎまくっても、そこを起点とした感染拡大は無かったわけです。そして足元の欧米でのノーマスクで密になってのイベント参加も、実際には接種証明や陰性証明で囲い込んだ集団であり、それを「ウイズコロナ」と勘違いしているというか、意図的に混同を狙っている規制反対派の卑劣なやり方は、感染拡大を狙うものと言えます。



一つの国が滅ぶとき

2021-08-18 22:52:00 | 時事
アフガンの「避難民」による空港の混乱ですが、これもベトナム戦争最末期と一緒ですね。
サイゴン陥落直前までタンソンニャット空港が確保されて(今もホーチミン市の国際空港で、行ったことがある人はご存じでしょうが、大都市圏の国際空港としては市街地に極めて近い)、米軍輸送機による国外脱出が実施されていて、同じような混乱がありました。さすがに輸送機にしがみついて、離陸して振り落とされて、というのは無かったはずですが。一方でこれは最前線からの撤退ですが、避難用の飛行機に敗走する軍隊が強引に乗り込み、避難民が取り残されたケースもありました。さすがにサイゴン到着時点で全員憲兵に逮捕されたそうですが。

特殊な例としては戦災孤児を国外に移送していたケース。北ベトナムや解放戦線側が人さらいと非難していましたが、現在50歳前後のベトナム系米国人はここに出自があるケースが多く、またベトナム統一後のボートピープルの悲劇を思うと、米国で養子に迎えられた子供たちは幸せでした。ただ、子供たちを満載した輸送機が離陸に失敗して墜落して多数の死者を出した事故もあり、光と影の面があります。

一つの国が滅ぶ瞬間というのは、無力感を強く感じる出来事が連続します。
その意味では日本が第二次大戦末期の敗退を繰り返した時期に、軍民が自決していったのも同様の悲劇でしょう。日本も高級将校は戦地に行かず、終戦の詔勅を聞いても自決せず、戦後も要職についたケースが多く、最前線の悲劇があったわけです。先日の東京五輪で1932年ロス五輪以来の馬術競技の入賞がでましたが、その前回の入賞者は障害で金メダルを獲得した「バロン西」こと西中佐で、1945年に硫黄島で戦車連隊の連隊長として戦死しています。中佐で連隊長と言えば高級将校ですが、戦地に散っています。

そして日本は敗戦で例外的な「厚遇」だったから気づきにくいですが、敗戦、占領と言ったら何が起きるのか。アジアにおける欧米列強の進出を目の当たりにして「富国強兵」の道を邁進した日本の根底には、滅亡した国の悲劇というものを強く意識していたからでしょう。
欧米列強に併呑された各国もそうですし、中国の歴史における国家の盛衰が身近なものとしてあったはずです。国家と見做すかどうか微妙ですが、太平天国が南京(天京)の陥落で滅亡したのは1864年、明治維新の直前です。そこで虐殺、略奪の悲劇があったことは言うまでもなく、アジアにおいては敗戦、滅亡は須らく虐殺、略奪だったのです。そう考えたら、死を賭してでも逃げようとするというのも分かります。