Straphangers’ Room2022

旧Straphangers' Eyeや習志野原の掲示板の管理人の書きなぐりです

東京五輪の「レガシー」

2021-08-09 21:21:00 | 時事
東京五輪が閉幕しました。
開催中に選手団にクラスタ発生、蔓延という事態にはならず、日程を全うできたのは幸いでしたが、感染者が選手から出たのも事実です。ただ、感染が判明した選手は競技に参加できなかったわけで、その落胆は想像するに余りある事態であり、逆にそれを考えると組織委側の「ザル体制」を踏まえた感染対策を実施していたから、全体としては平穏に終了できたのでしょう。それとワクチン接種を済ませていた選手も多かったことが大きく、結局は接種が最大の対策というのがここでも実証された格好です。

評価が難しいのが札幌市内や閉会式での外苑での「密」ですが、ワクチン接種が完了している、あるいは1回は接種している、というという「自己防衛」の上での行動の可能性も高いです。
その意味では「ワクチンパスメ[ト」の国内展開による行動の容認は、今回の「密」がクラスタを生まなければ十分考えられるわけです。閉会式で流れたパリの様子を見て、あんなにいっぱいの人が、という感想が飛び交っていましたが、ワクチン接種や陰性証明が参加に必須だったんですよ。結局は「グリーンゾーン」の確立が必要なのです。ワクチンが普及するまでは検査による陰性証明であり、ワクチンが普及すればワクチンパスメ[ト。検査否定派が見ようとしない現実です。

五輪期間中、メディアが「日本メダルラッシュです!」と浮足立って報じた直後に「今日の感染者数は過去最多の・・・」とシリアスに報じる状態に、節操がないと批判する向きが多かったわけですが、メディアを批判する前に国民の「移り気」というか節操なしの行動こそが批判の対象でしょう。
それこそ沿道での観戦は自粛を、と言われているのに押しかけるのはメディアが誘発したわけでもなく、ただただ国民の意思であり行動でしょう。なんだかんだと言って五輪が始まって日本選手が活躍すれば、と目論んだ為政者を批判できませんよ。まさにその通りになったのですから。

幸か不幸か政権側はそこで自爆気味の施策しか取れなかったので、五輪ムードで政権批判も消える、という目論見は見事に外れましたが、もしやるべきことはやっていた、ワクチン接種も順調に進んでいたのであれば、多少の感染拡大はあったとしても、五輪は成功、Covid19対応もあと一息で今の感染拡大も間もなく収束、ということで政権への追い風になっていたでしょう。まあ古代ローマの昔から「パンと見せ物」が愚民政策の基本であり、2000年の歳月が経っても、洋の東西を問わず基本は一緒のようです。

となると五輪はやはり実施して正解だった、という評価になるのか。
これは難しいところで、最大の成果ともいえる五輪対応を錦の御旗にしたmRNAワクチンの確保は五輪を開催する、という条件が無ければ難しかったでしょう。足元でも確保したはずのワクチンがなかなか接種できないという問題を抱えているわけで、いわんや五輪という大義名分が無かったらどうなっていたか。

一方で「負のレガシー」は壮絶なものになります。
無観客での開催による収入減に、Covid19対応という特殊要因での支出増。既にインフラ整備は飽和状態の我が国にとっては前回東京大会のようなインフラ整備(新幹線、首都高など)によるレガシーもなく、「思い出」の代償として潰しの効かない競技会場の建設費負担に加え、今後の維持管理費用がのしかかります。

また感染拡大で緊急事態宣言を実施するどころか拡大する中での開催という意思決定の中で、「アスリートの思い」を前面に押し出したことで、国民が無邪気にスメ[ツ選手を尊敬しない、スメ[ツそのものを評価しない、という分断を確実に生みました。震災の時のように、国民はスメ[ツをする余裕がまだないけど、まずは我々から始めて皆を勇気づける、という「先行実施」は共感を得ましたが、今回は五輪をするくらいなら出来たはずの一般国民レベルのスメ[ツイベント、特に児童生徒レベルの運動会が軒並み中止する中での開催は、先行実施ではなくトレードオフになってしまったため、「あんた何様」の感情を生みました。

そして国民総てと言っていいレベルで浸透したのが、「五輪のドロドロ」です。
IOCの「貴族連中」に食い物にされた、という話から、真夏日、猛暑日が続く盛夏のこの時期に開催せざるをえない放映権の問題。日本国内でも開会式、閉会式を巡るトラブルと広告代理店の問題など、もうこりごり、という感情を植え付けたことは間違いないでしょう。

ただ、そうした感情が、もしまた日本国内開催になれば、今度は観戦できる、と言った盛り上がりを伴うことですっかり忘れ去られるであろうことも事実で、それこそ今回噴出した数多くの問題点もCovid19における特殊事情ということで誤魔化され、そして騙されるんでしょうね。

ちなみに純粋に五輪の結果としてみた場合、開催国の地の利は今回防疫規制もあって強固に働いたとはいえ、日本選手団は想定外の活躍でした。特に金メダルの量産は想定外もいいところで、各競技団体がここをターゲットにしてきたとはいえ、ここまではまるか、という感じです。

そのなかで、「想定外」というと、下馬評の高かったメダル候補の失速と、ダークホースの活躍。また新種目での着実なメダル獲得でしょう。それだけに「目が離せない」状態になったわけですから。
また「歴史的」なメダル獲得や入賞も目を惹いたわけで、女子バスケの銀はその代表。また女子中距離ではそれこそ伝説の人見絹江以来の入賞とか、馬術のバロン西以来の入賞とか、歴史を感じる大会でした。

あとは開会式で露骨過ぎた?サブカル路線ですが、各国ともこっちが恥ずかしくなるくらいに楽しんでいましたね。男子400mリレーの入場はその象徴的なシーンで、中国がドラゴンボールで攻めてきたのは、「平和の祭典」という死文化したお題目がまだ少しは生きていることを再認識しました。日本の作品を使うことはケシカラン、というような野暮は言わなかったわけで、とやかく問題は起こしますが、中国はまだ「大人(おとな/ターレン)なんでしょうね。



政権にすり寄る維新のプロパガンダ番組

2021-08-09 21:18:00 | 時事
日曜朝のCX系の報道番組で維新の黒幕が政府の入院基準見直しを評価していました。
現状ではやむを得ない、という現実は確かにありますが、その現状が明らかに失政なだけに首相は正しい、と言い切るのはマッチャ塔v的な評価ですよ。正しい対策をしていれば必要のない対応ですから。

自宅療養の問題点もすでに多くの人が、しかも実体験に基づいて指摘しているわけですが、それをカバーできているのか。それが出来ていなければ自宅「療養」ではなく病院や宿泊施設への収容をしない自宅「放置」ですからね。

基本的に自宅療養が可能なのは対症療法も含めて治療薬が存在し、それが支給されている状態です。
現状はどうなのか。Covid19には治療薬がなく、解熱剤や咳止めなどによる対症療法に限定されますが、それすら不十分でしょう。肺炎ですから呼吸機能に支障が生じて酸素が取り込めなくなるのでオキシパルスメーターによる把握が必須ですが、その支給すらできていない。いや、体温計を持っていない人も想定できますが、それすら怪しいです。

そもそも容体が悪化した場合の対応をどうするのか。最悪でも1日1回定期的にフォローしていないと把握できませんよ。まさか「唐黷スら連絡してください」と原始的不能なことを要求してませんか?固定電話が故障したら電話で連絡してください、というNTTといい勝負ですが、それとてそもそも電話がつながらないという絶望的状況ですが。

一人暮らしや一家全滅状態でも自宅療養というのであれば、食料品はどうするのかという問題もありますが、レトルトやインスタント、缶詰の配給があるけど5日くらいたってようやく届いたというのが実態です。確かに数日間は自宅療養や待機に備えた備蓄をすべきという「正論」はありますが、その準備をしたら「買い溜めはケシカラン」と言われるわけですし、実際にスーパー等の在庫はあっけなく尽きます。それと、災害対応と疾病対応では備蓄の中身が異なりますからね。高熱で食欲がない、のどの痛みで嚥下が辛い、消化器をやられて消化に悪いものは食べられない、とか、普段と違うメニューが必要ですから。病院食だって違うでしょ。自宅療養だけカップ麺とかで十分、という考え方はおかしいのです。

AIだIOTだと言いながら、自宅療養者のフォローも満足にできていないわけです。諸外国が軽症者対応をホテルや野戦病院で対応しているのは、配給や医療資源の問題があるからです。自宅療養は放置と一緒であり、酸素がない、薬がない、と病院に押しかけている途上国の状況と本質は一緒です。自宅療養中に死亡というケースが今後増加してくるでしょうが、生命がかかってきたらおとなしく自宅にいるとは限りません。それこそ途上国のように病院に押しかける事態にならない保証はないのです。

医療崩壊の中で医療資源をどうするのか、という論点で維新の黒幕がしきりに主張していたのが「かかりつけ医」ですが、これもいろいろな人が主張していますが、はっきり言えば現実を見ていない、画餅そのものです。

そもそも「かかりつけ医」がいる人ってどのくらいいますか、って話です。総合病院の負担軽減の問題でも「かかりつけ医」ガー、と言われてきましたが、国民は須らく「かかりつけ医」を持つべし、という「国民皆かかりつけ医制度」がない限り成立しませんから。

地方であれば集落をカバーする医者はそれこそ限られますから、県庁所在地や拠点都市の大病院と「地域のお医者さん」で役割分担する、というのは簡単ですし、お互いに「ウチとこのお医者さん(患者さん)はここ」という認識が持てます。

ところが都市部はどうか。確かに開業医は多いですが、それだけに地域で医者と患者(住民)が1対1対応になっておらず、必要な時に患者の側が選択する、という体制です。それこそ熱を出したけど今日診察をしているのはここ、という選択です。他の診療科でも同じです。あるいはネット情報で評判を、あるいは混み具合を調べて選択します。それでは「かかりつけ医」など存在しません。

そもそも患者(住民)の側に医者に行くという事情がない限り医者にはいきません。それでも眼科、皮膚科など個人側の事情で定期的に、あるいは特定の医者を決めうちでかかるケースは少なくないですし、そういうケースであれば年単位で久しぶりに行っても覚えてくれています。
ただそういうスタイルと言うしかないわけで、一般的な内科がそこまで覚えているか。そしてCovid19の対応を求められるのはまさに内科ですよね。

そして「かかりつけ医」論の最大の問題は、毎日のように来る老人から年に1回来るかどうかの現役世代まで総てを「かかりつけ」としたら、1軒の医院がカバーする患者(住民)がどれくらいになるかということ。
日常は適宜散らばっているから対応できていますが、今回のようなケースでは同時に一斉に押し寄せる可能性があります。わかりやすい例として、インフルエンザのシーズンになるとどこの医院でも患者が溢れかえりますよね。それがさらに深度化するのです。
医師1人に看護師がせいぜい1人か2人という医院で何が出来るか。保健所から開業医に責任を押し付け、国民(患者)の側は放置で変わらない、という最悪の事態です。

維新の黒幕の論理の卑劣なところは、足元のCovid19の対応を語るべきところで、2017年頃の入院期間の国際比較を持ち出して、日本は入院させて稼ぐ構造だ、だから入院基準を見直すのは正しい、と誤魔化していることです。Covid19での入院期間の国際比較ではないですからね。さらに言えば各国は死亡による「退院」も多数出ているわけです。日本のようにECMOなどで懸命に治療して命だけは救う、というケースは入院期間が長くなりますが、じゃあ通り一遍の治療で死亡するに任せます、とまで言うのか。詭弁を用いての展開は、まさに蔑称の「三百代言」がしっくりきますね。

そして自宅療養の最大の問題は、同居人を巻き込むということ。感染した時点で濃厚接触者で自宅待機すべきではありますが、早期に入院させて隔離させれば感染に至らない可能性が出てきます。感染者本人は若者で重症化リスクは低くとも、同居人が40~50代の親世代でまだワクチン接種も出来ていない、というありがちなケースだと、同居人の感染のみならず重症化リスクも高いのです。

これは都知事が一人暮らしは自宅療養で、と言ったのは実は理に適っているわけで、当時は都知事への批判が集中しましたが、フォローがしっかりしているという前提で一人暮らしを自宅療養にする、同居人がいる場合は宿泊施設に収容する、というのは防疫体制として正論です。収容施設が足りないから自宅で、という理念も何もない政府の方針とは質が違うわけで、政府の提灯持ちしかできない維新の黒幕は、結局マキャベリズムというか、「いつかは与党」という目論見で秋波を送っているようにしか見えません。

まあこういう「特定の意見」を垂れ流すような自称報道番組は、他局のような「偏向放送」よりもタチが悪いわけです。そこに閣僚や知事が出席しているというのも考え直すべきですよね。頷いているだけで反論もしないのであれば、こうした「特定の意見」に与しているという評価ですが、そう取られていいのか。よく考えるべきですし、有権者もそうした対応を判断材料とすべきです。