東京五輪が閉幕しました。
開催中に選手団にクラスタ発生、蔓延という事態にはならず、日程を全うできたのは幸いでしたが、感染者が選手から出たのも事実です。ただ、感染が判明した選手は競技に参加できなかったわけで、その落胆は想像するに余りある事態であり、逆にそれを考えると組織委側の「ザル体制」を踏まえた感染対策を実施していたから、全体としては平穏に終了できたのでしょう。それとワクチン接種を済ませていた選手も多かったことが大きく、結局は接種が最大の対策というのがここでも実証された格好です。
評価が難しいのが札幌市内や閉会式での外苑での「密」ですが、ワクチン接種が完了している、あるいは1回は接種している、というという「自己防衛」の上での行動の可能性も高いです。
その意味では「ワクチンパスメ[ト」の国内展開による行動の容認は、今回の「密」がクラスタを生まなければ十分考えられるわけです。閉会式で流れたパリの様子を見て、あんなにいっぱいの人が、という感想が飛び交っていましたが、ワクチン接種や陰性証明が参加に必須だったんですよ。結局は「グリーンゾーン」の確立が必要なのです。ワクチンが普及するまでは検査による陰性証明であり、ワクチンが普及すればワクチンパスメ[ト。検査否定派が見ようとしない現実です。
五輪期間中、メディアが「日本メダルラッシュです!」と浮足立って報じた直後に「今日の感染者数は過去最多の・・・」とシリアスに報じる状態に、節操がないと批判する向きが多かったわけですが、メディアを批判する前に国民の「移り気」というか節操なしの行動こそが批判の対象でしょう。
それこそ沿道での観戦は自粛を、と言われているのに押しかけるのはメディアが誘発したわけでもなく、ただただ国民の意思であり行動でしょう。なんだかんだと言って五輪が始まって日本選手が活躍すれば、と目論んだ為政者を批判できませんよ。まさにその通りになったのですから。
幸か不幸か政権側はそこで自爆気味の施策しか取れなかったので、五輪ムードで政権批判も消える、という目論見は見事に外れましたが、もしやるべきことはやっていた、ワクチン接種も順調に進んでいたのであれば、多少の感染拡大はあったとしても、五輪は成功、Covid19対応もあと一息で今の感染拡大も間もなく収束、ということで政権への追い風になっていたでしょう。まあ古代ローマの昔から「パンと見せ物」が愚民政策の基本であり、2000年の歳月が経っても、洋の東西を問わず基本は一緒のようです。
となると五輪はやはり実施して正解だった、という評価になるのか。
これは難しいところで、最大の成果ともいえる五輪対応を錦の御旗にしたmRNAワクチンの確保は五輪を開催する、という条件が無ければ難しかったでしょう。足元でも確保したはずのワクチンがなかなか接種できないという問題を抱えているわけで、いわんや五輪という大義名分が無かったらどうなっていたか。
一方で「負のレガシー」は壮絶なものになります。
無観客での開催による収入減に、Covid19対応という特殊要因での支出増。既にインフラ整備は飽和状態の我が国にとっては前回東京大会のようなインフラ整備(新幹線、首都高など)によるレガシーもなく、「思い出」の代償として潰しの効かない競技会場の建設費負担に加え、今後の維持管理費用がのしかかります。
また感染拡大で緊急事態宣言を実施するどころか拡大する中での開催という意思決定の中で、「アスリートの思い」を前面に押し出したことで、国民が無邪気にスメ[ツ選手を尊敬しない、スメ[ツそのものを評価しない、という分断を確実に生みました。震災の時のように、国民はスメ[ツをする余裕がまだないけど、まずは我々から始めて皆を勇気づける、という「先行実施」は共感を得ましたが、今回は五輪をするくらいなら出来たはずの一般国民レベルのスメ[ツイベント、特に児童生徒レベルの運動会が軒並み中止する中での開催は、先行実施ではなくトレードオフになってしまったため、「あんた何様」の感情を生みました。
そして国民総てと言っていいレベルで浸透したのが、「五輪のドロドロ」です。
IOCの「貴族連中」に食い物にされた、という話から、真夏日、猛暑日が続く盛夏のこの時期に開催せざるをえない放映権の問題。日本国内でも開会式、閉会式を巡るトラブルと広告代理店の問題など、もうこりごり、という感情を植え付けたことは間違いないでしょう。
ただ、そうした感情が、もしまた日本国内開催になれば、今度は観戦できる、と言った盛り上がりを伴うことですっかり忘れ去られるであろうことも事実で、それこそ今回噴出した数多くの問題点もCovid19における特殊事情ということで誤魔化され、そして騙されるんでしょうね。
ちなみに純粋に五輪の結果としてみた場合、開催国の地の利は今回防疫規制もあって強固に働いたとはいえ、日本選手団は想定外の活躍でした。特に金メダルの量産は想定外もいいところで、各競技団体がここをターゲットにしてきたとはいえ、ここまではまるか、という感じです。
そのなかで、「想定外」というと、下馬評の高かったメダル候補の失速と、ダークホースの活躍。また新種目での着実なメダル獲得でしょう。それだけに「目が離せない」状態になったわけですから。
また「歴史的」なメダル獲得や入賞も目を惹いたわけで、女子バスケの銀はその代表。また女子中距離ではそれこそ伝説の人見絹江以来の入賞とか、馬術のバロン西以来の入賞とか、歴史を感じる大会でした。
あとは開会式で露骨過ぎた?サブカル路線ですが、各国ともこっちが恥ずかしくなるくらいに楽しんでいましたね。男子400mリレーの入場はその象徴的なシーンで、中国がドラゴンボールで攻めてきたのは、「平和の祭典」という死文化したお題目がまだ少しは生きていることを再認識しました。日本の作品を使うことはケシカラン、というような野暮は言わなかったわけで、とやかく問題は起こしますが、中国はまだ「大人(おとな/ターレン)なんでしょうね。
開催中に選手団にクラスタ発生、蔓延という事態にはならず、日程を全うできたのは幸いでしたが、感染者が選手から出たのも事実です。ただ、感染が判明した選手は競技に参加できなかったわけで、その落胆は想像するに余りある事態であり、逆にそれを考えると組織委側の「ザル体制」を踏まえた感染対策を実施していたから、全体としては平穏に終了できたのでしょう。それとワクチン接種を済ませていた選手も多かったことが大きく、結局は接種が最大の対策というのがここでも実証された格好です。
評価が難しいのが札幌市内や閉会式での外苑での「密」ですが、ワクチン接種が完了している、あるいは1回は接種している、というという「自己防衛」の上での行動の可能性も高いです。
その意味では「ワクチンパスメ[ト」の国内展開による行動の容認は、今回の「密」がクラスタを生まなければ十分考えられるわけです。閉会式で流れたパリの様子を見て、あんなにいっぱいの人が、という感想が飛び交っていましたが、ワクチン接種や陰性証明が参加に必須だったんですよ。結局は「グリーンゾーン」の確立が必要なのです。ワクチンが普及するまでは検査による陰性証明であり、ワクチンが普及すればワクチンパスメ[ト。検査否定派が見ようとしない現実です。
五輪期間中、メディアが「日本メダルラッシュです!」と浮足立って報じた直後に「今日の感染者数は過去最多の・・・」とシリアスに報じる状態に、節操がないと批判する向きが多かったわけですが、メディアを批判する前に国民の「移り気」というか節操なしの行動こそが批判の対象でしょう。
それこそ沿道での観戦は自粛を、と言われているのに押しかけるのはメディアが誘発したわけでもなく、ただただ国民の意思であり行動でしょう。なんだかんだと言って五輪が始まって日本選手が活躍すれば、と目論んだ為政者を批判できませんよ。まさにその通りになったのですから。
幸か不幸か政権側はそこで自爆気味の施策しか取れなかったので、五輪ムードで政権批判も消える、という目論見は見事に外れましたが、もしやるべきことはやっていた、ワクチン接種も順調に進んでいたのであれば、多少の感染拡大はあったとしても、五輪は成功、Covid19対応もあと一息で今の感染拡大も間もなく収束、ということで政権への追い風になっていたでしょう。まあ古代ローマの昔から「パンと見せ物」が愚民政策の基本であり、2000年の歳月が経っても、洋の東西を問わず基本は一緒のようです。
となると五輪はやはり実施して正解だった、という評価になるのか。
これは難しいところで、最大の成果ともいえる五輪対応を錦の御旗にしたmRNAワクチンの確保は五輪を開催する、という条件が無ければ難しかったでしょう。足元でも確保したはずのワクチンがなかなか接種できないという問題を抱えているわけで、いわんや五輪という大義名分が無かったらどうなっていたか。
一方で「負のレガシー」は壮絶なものになります。
無観客での開催による収入減に、Covid19対応という特殊要因での支出増。既にインフラ整備は飽和状態の我が国にとっては前回東京大会のようなインフラ整備(新幹線、首都高など)によるレガシーもなく、「思い出」の代償として潰しの効かない競技会場の建設費負担に加え、今後の維持管理費用がのしかかります。
また感染拡大で緊急事態宣言を実施するどころか拡大する中での開催という意思決定の中で、「アスリートの思い」を前面に押し出したことで、国民が無邪気にスメ[ツ選手を尊敬しない、スメ[ツそのものを評価しない、という分断を確実に生みました。震災の時のように、国民はスメ[ツをする余裕がまだないけど、まずは我々から始めて皆を勇気づける、という「先行実施」は共感を得ましたが、今回は五輪をするくらいなら出来たはずの一般国民レベルのスメ[ツイベント、特に児童生徒レベルの運動会が軒並み中止する中での開催は、先行実施ではなくトレードオフになってしまったため、「あんた何様」の感情を生みました。
そして国民総てと言っていいレベルで浸透したのが、「五輪のドロドロ」です。
IOCの「貴族連中」に食い物にされた、という話から、真夏日、猛暑日が続く盛夏のこの時期に開催せざるをえない放映権の問題。日本国内でも開会式、閉会式を巡るトラブルと広告代理店の問題など、もうこりごり、という感情を植え付けたことは間違いないでしょう。
ただ、そうした感情が、もしまた日本国内開催になれば、今度は観戦できる、と言った盛り上がりを伴うことですっかり忘れ去られるであろうことも事実で、それこそ今回噴出した数多くの問題点もCovid19における特殊事情ということで誤魔化され、そして騙されるんでしょうね。
ちなみに純粋に五輪の結果としてみた場合、開催国の地の利は今回防疫規制もあって強固に働いたとはいえ、日本選手団は想定外の活躍でした。特に金メダルの量産は想定外もいいところで、各競技団体がここをターゲットにしてきたとはいえ、ここまではまるか、という感じです。
そのなかで、「想定外」というと、下馬評の高かったメダル候補の失速と、ダークホースの活躍。また新種目での着実なメダル獲得でしょう。それだけに「目が離せない」状態になったわけですから。
また「歴史的」なメダル獲得や入賞も目を惹いたわけで、女子バスケの銀はその代表。また女子中距離ではそれこそ伝説の人見絹江以来の入賞とか、馬術のバロン西以来の入賞とか、歴史を感じる大会でした。
あとは開会式で露骨過ぎた?サブカル路線ですが、各国ともこっちが恥ずかしくなるくらいに楽しんでいましたね。男子400mリレーの入場はその象徴的なシーンで、中国がドラゴンボールで攻めてきたのは、「平和の祭典」という死文化したお題目がまだ少しは生きていることを再認識しました。日本の作品を使うことはケシカラン、というような野暮は言わなかったわけで、とやかく問題は起こしますが、中国はまだ「大人(おとな/ターレン)なんでしょうね。