国会中継がおもしろい。
こんな政治批判のブログを書きながら、私は「国会中継」というものを殆ど見てこなかった。
はなから「退屈なもの」と決め付けていた。
だが、たまたま他のことをしながら、国会中継を見ていたら、これぞ「政権交代の成果」か、けっこう面白いものだった。
50年以上の長きにわたって政権の座にいた自民党。その自民党が野党になってする政府・内閣への質問、切り込みはまさに「ためにする議論」ばかり。
「そんなに偉そうに政府を批判するけど、あんた達がちゃんとやってこなかったからじゃない」と、見ている者はまず思ってしまう。
「批判する前に反省しろ」と言いたい。まだ与党の夢からさめていない自民党の議員の方々。
そこへいくと、同じ政府与党として連立を組んでいた公明党は元々が「平和と福祉」を追求する政党で、大企業・お金持ちの代弁政党自民党と組んでいることの方が違和感があったせいか、無理なくすっと野党として、民主党の施策を批判するというより補足していくところが様になってしまっている。
しかし自民党と組んでこの間やってきた「反国民的政策」の数々を、これまた猛反省してから質問に移ってもらわなくてはいけない。
共産党の大門氏が「郵政民営化」のしわ寄せで、長年非正規社員として働いてきた職員の正社員化を求めたところ、亀井担当大臣は「大門議員のおっしゃるようにいたします」と、あっさり答弁したのには、大門氏も拍子抜けのていではあったけど、共産党議員の言い分をそのまま政府側が認めるというのもこれが「政権交代か」と思った。
また民営化された郵政で、職員が投資商品のノルマを課せられ、リスクの高い商品を顧客に勧めざるを得ない実態があり、高齢の客がよくわからないまま、「郵便局のやることだから」と信用して、職員の勧めるままに債券を買っているという現状を正すと、亀井大臣はこれまたすぐ調査して、「そのようなことのないようにする」と答弁した。
亀井氏が言葉だけでなく、それをきちんと大臣の権限を持って実行に移すならば、これまた「政権交代」の意味はあったということになる。
こんな政治批判のブログを書きながら、私は「国会中継」というものを殆ど見てこなかった。
はなから「退屈なもの」と決め付けていた。
だが、たまたま他のことをしながら、国会中継を見ていたら、これぞ「政権交代の成果」か、けっこう面白いものだった。
50年以上の長きにわたって政権の座にいた自民党。その自民党が野党になってする政府・内閣への質問、切り込みはまさに「ためにする議論」ばかり。
「そんなに偉そうに政府を批判するけど、あんた達がちゃんとやってこなかったからじゃない」と、見ている者はまず思ってしまう。
「批判する前に反省しろ」と言いたい。まだ与党の夢からさめていない自民党の議員の方々。
そこへいくと、同じ政府与党として連立を組んでいた公明党は元々が「平和と福祉」を追求する政党で、大企業・お金持ちの代弁政党自民党と組んでいることの方が違和感があったせいか、無理なくすっと野党として、民主党の施策を批判するというより補足していくところが様になってしまっている。
しかし自民党と組んでこの間やってきた「反国民的政策」の数々を、これまた猛反省してから質問に移ってもらわなくてはいけない。
共産党の大門氏が「郵政民営化」のしわ寄せで、長年非正規社員として働いてきた職員の正社員化を求めたところ、亀井担当大臣は「大門議員のおっしゃるようにいたします」と、あっさり答弁したのには、大門氏も拍子抜けのていではあったけど、共産党議員の言い分をそのまま政府側が認めるというのもこれが「政権交代か」と思った。
また民営化された郵政で、職員が投資商品のノルマを課せられ、リスクの高い商品を顧客に勧めざるを得ない実態があり、高齢の客がよくわからないまま、「郵便局のやることだから」と信用して、職員の勧めるままに債券を買っているという現状を正すと、亀井大臣はこれまたすぐ調査して、「そのようなことのないようにする」と答弁した。
亀井氏が言葉だけでなく、それをきちんと大臣の権限を持って実行に移すならば、これまた「政権交代」の意味はあったということになる。
かつて、放送業界にいた頃、生が最も重要と業界人は行っていましたが、今、改めてその言葉の意味の重さを感じています。
その議員の資質や調査能力なども見えてきますしね。