木洩れ日通信

政治・社会・文学等への自分の想いを綴る日記です。

憎悪の対象が間違っている

2016年09月02日 | Weblog
財源を食いつぶしているのは障碍者や生活保護受給者ではない。
それはズバリ、リオオリンピックの閉会式にスーパマリオとやらのキャラクターで登場するために12億も使った安倍晋三であり、株高を演出するために年金資金を株式に突っ込み、10兆円以上の損失を出して平然としている年金機構である。
そして省庁の天下り確保や、これら役所と結託して自社に利益を誘導する業者、その仲介をする議員族。
相模原障碍者殺傷事件に対して「私の視点」と題して、哲学者の萱野稔人は「日本が経済の低迷と少子高齢化で社会全体のパイが縮小し、財政の効率化をしようという時勢の中、生活保護受給者や障碍者が財源を食いつぶし、全体の足を引っ張っているという憎悪が広がっている。そうした背景の中で起きた事件」と分析しているが、憎悪、批判の向くべき先はこうした弱者ではなく、特権をいいことに公金を好き放題に使っている連中に向かわなければならないのにそうはならず、日経の世論調査によれば安倍政権の支持率は60パーセント以上に上がっているという。
支持率を上げていい気にさせていいことは一つもないが、地獄への坂道を転げ落ちていく時というものはこういうものなのか。

敗戦と終戦。
田中三二良という俳人が、地域新聞の連載で、「敗戦には戦争に負けたという口惜しさがある。従って復讐を誓う。しかし終戦は戦争が終わったということで、戦争はもうたくさんという気持ちがこもっている」と書いている。
俳人らしい考え方だが、なるほどとも思う。敗戦によって終戦、もう二度と戦争はしないし、巻き込まれてもならないとう意味で「終戦」=「不戦」を改めて日本の誓いにするのがいい。


 

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