木洩れ日通信

政治・社会・文学等への自分の想いを綴る日記です。

特殊の例を持ち出し、戦争の罪を覆い隠そうとする策動

2014年08月31日 | Weblog

マツシロ問題・典型と特殊と題して、児童文学作家の和田登氏が地元地域新聞のコラムに書いている。
私が言いたかったこと、思ったことをより鮮明にさせてくれていると思った。
「マツシロ問題」とは、長野市松代にある戦時中の防空壕施設「松代大本営地下壕」の工事が、当時日本のと植民地支配下にあった朝鮮からの労働者が多く工事に従事させられた事実を説明する「案内板」にクレームを付けた者がいて、市の担当部署が過剰反応し、しかもその部署の独断で、「強制的に働かされた」の「強制的に」の部分にテープを貼っていたことがわかったというもの。
和田氏は「キムの十字架」、「悲しみの砦」などの作品で、この地下壕工事、朝鮮人労働者を描いた作家である。
市側が「強制的に」を隠した理由は「動員された朝鮮人たちの中には、住民と交流があったり、収入を得るために来ていた朝鮮人がいたということが高校生の調査で見つかったから」というのだが、和田氏はこれに対して、だがこれは文学で言うところの典型と特殊の観点からすると間違っていると書いている。
この工事の本質はその工事主任であった吉田栄一大尉が憲兵の一員に告げた言葉「労務者は機械だ。あなたがたは人間だ。人間は口を聞く。だから話せない」と憲兵にさえ何の工事か明かさなかった言い方に表れている。人権を無視した労働だったのである。ちなみにこの地下壕建設は松代のマを取って「マ工事」と称され、今長野市が管理し公開している「象山地下壕」は「イ倉庫」と言われ、倉庫を作るということになっていたが、実際は中央官庁などの政府機関やNHKが入る防空壕であった。イロハの「ロ倉庫」は大本営と天皇御座所で、こちらは舞鶴山の麓につくられていて、現在は地震観測所になっている。そこで働く労働者、そして地元の人達にも目的を明かされない工事だった。しかし大がかりな地下壕であることは隠してもおのずと知れるところではあっただろう。
朝鮮本土で日本軍の収奪にあい、やむなく日本に渡航し、ここで働かざるを得なくなった人々を自主渡航組と呼ぶが、いったんこの工事に組み込まれると「連行組」同様、生きるか死ぬかの強制労働だった。この姿こそ伝えるべき典型なのだ。ここに到着した形が強制的か自主かにとらわれると本質を見失う。「収入を得るために来ていた」などという現代風の実態とはまるで違った。もちろんそれをかわいそうに思う土地の人々が食べ物を恵んだことなど、人間同士のことだからあったことは不思議ではない。だがこれは特殊。これが長年、松代地下壕をめぐる事実を物語化してきた作家の見解。付け加えることはない。
工事は昭和19年11月11日から始まり、寒さに向かう中、土台のない掘立小屋を宿舎としてあてがわれ、今のような大型の動力機械もない中、ダイナマイトで岩盤を崩した後、ツルハシやシャベルでひたすらがれきを運びだし、見学者も一様に驚く規模の地下壕が敗戦の二日前までには計画の7割以上掘り進められたのである。
過去に日本が犯した侵略戦争の罪を過少に見ようとする策動は事実で跳ね返していかなくてはならないが、その際、軍隊や官庁がそうした事実の証拠文書や物件をいちはやく焼却、隠滅する行動を取ったということを忘れてはならない。

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