木洩れ日通信

政治・社会・文学等への自分の想いを綴る日記です。

関わり合いをやめないことで悲劇が起きてしまった?

2014年07月30日 | Weblog

女子高生が同級生の女子生徒を自宅マンションで殺害するという衝撃に事件が起きた。
誰もが10年前に起きた長崎県佐世保市の小学生女子児童による同級生女子殺害事件を思い起こしたことだろう。
佐世保の教育界ではあの事件を受けて、「命の大切さ」を考える授業を意識的に行ってきたということであるが、そんな薄っぺらな取り組みを踏み潰して最悪な事件は再び佐世保で起こった。
私はたまたま本屋で、10年前の事件について書かれた『謝りたければ、いつでもおいで』というタイトルの最近出版された本を立ち読みした。
新聞社の佐世保支局長だった被害少女の父のもと、支局の部下だった記者が書いたものである。
支局が住居を兼ねていたその家庭で、独身の記者もよく一緒に夕食を共にしていた。
父子家庭だが、支局長の作った武骨な料理を囲んでよく語り合う家族だったという。
記者は加害少女も見知っていた。目立たないやや影の薄い印象だった。しかし加害少女は文章を作る能力に優れていた。
その彼女の能力は10年ほど前から一般的になった無料のブログで発揮された。彼女は同世代の先駆者だった。
見る者をひきつけるタイトルやデザイン、しかしそれらは不特定多数に拡散されていくというネットの性質上、あっという間に模倣され、それはオリジナルよりセンスアップしたものになった。
これが彼女の怒りを呼び起こし、その言葉をネット上で使うのは禁止!と彼女は宣言した。その言葉は彼女の固有の言葉というより、例えば「NEXT!」といったようなものである。
同級生達は彼女の剣幕に恐れをなし、さっと引いた態度を示したが、被害少女のさとみさんは「NEXTという言葉は一般的なものなのだし、禁止まで言うのはおかしい」と、疑問を示した。
日頃、支局の食堂のテーブルで父や兄や、若手の記者らと話をかわしていたさとみさんは、よく考え、それはおかしいのではというような意見を言える少女に育っていた。
さとみさんだけが、変わらず加害少女と関わっていた。それが悲劇を呼んだとも言える。
今回の女子高生殺人の場合も複雑な家庭環境で、友人もいない加害女子生徒と交流していた唯一といっていい相手が殺害された愛和さんだった。
10年前の事件では加害少女の家は山奥の一軒家のようなところで、学校からも距離があり、そのために楽しみだったバスケットボール部の活動を、冬の暗くなった通学路を心配した親によって止められてしまったという。
2年ほど前、「それでも生きていく」という、幼女を殺害するという重大犯罪を犯した少年の家族と、被害にあった方の家族が共に苦しみ、崩壊するさまを描いたドラマがあったが、そのドラマの中で、加害一家が山奥の家に移り住み、夜になって食料を買いに車で出かけるというシーンがあったが、加害少女の一家もそのような暮らし方をしているらしい。
10年前の小学生だった女子は「発達障害」という診断を下され、更正の道を歩んでいるようなのだが、今回の事件でもそのように結論づけるしかないのだろうか。

コメント
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