ETV特集「ルポ・原発作業員」
福島第一原発の事故現場で事故処理作業にあたる末端作業員は当然ながら福島の人達が殆どだ。
東電の2次下請け以下は福島の浜通りと言われる太平洋側の地域にある中小企業が事故前も事故後もになっている。
通常運転でも定期点検に入れば、原子炉の中に入って放射能汚染物質をふき取る手作業などで被曝労働をさせられてきたのが現場作業員だが、事故後は更なる被曝に不安を抱えながら、日々を生きるためにはこの仕事をするしかない現実。
目に見えないから不安、という一面と、見えないからこそ作業がやれる、という一面と。
全く不条理を生きなければならないのは戦場の兵士と一緒だ。
目の前で人が倒れ、あるいは肉体を引き裂かれるというわけではないからか、作業員の男達は淡々としているように見えた。
五年後、十年後の彼らに身体の異変が起こっているか否かは、今断定できないが、もし異変が起こっても、東電も国もそれを補償しないだろうし、そういう事態から逃げようとするであろうことが彼らにも見ている私達にも予想できる。
いずれにしても「廃炉」に向けての公共事業はこれからも続く。「原発事故」によって、故郷も人生も奪われた福島の人達が、その事故作業をこれからもになっていく。
地元の土木建設業は、地域の広範な放射能汚染によって、仕事が減り、その分、原発の仕事に活路を見出していくしかない状況だ。
東電の幾重もの下請け構造は傘下に600社を抱えるという。
外部被曝と内部被曝の線量を気にしながら作業はこれからも続く。続けるしかない。
東京あたりで、「原発再稼働」を決めたり、原発の必要性を説く者は、何よりもまず福島の現場へ行って作業参加すべきだろう。被曝限度を考えると作業員はいくらでも必要とのこと。
その苛酷作業をしてなおかつ「原発ないと困る。経済が、産業が」と言えるのか。
NHKスペシャル「終戦、なぜ早く決められなかったのか」
日本が引き起こした「中国侵略戦争」と「太平洋戦争」の犠牲者は昭和20年に入っての半年に集中しているという。
軍や政府のトップにはすでに「どのように終戦に持って行くのか」が緊急の課題になっていたのに、なかなかそれを決められなかったのはなぜかを追った番組。
結局「無責任体制」でありながら天皇制を維持し、今まで通りの支配体制を続けることにこだわったということは知っていたけれど、今回、日本と中立条約を結んでいたソ連が参戦する可能性を、ヨーロッパ駐在の武官が情報として頻繁に陸・海軍に送っていたという事実が明らかにされていた。
これは知る人は歴史的事実として把握していたかもしれないが、一般的には殆ど知られてこなかったのではと思う。
陸・海軍のトップはこの情報を政府(外務省や内閣」に知らせていなかった可能性が高いということだった。
情報が共有されずにそれぞれの組織のメンツを背負って、トップは「無条件降伏」を受け入れられないで、ずるずると日が過ぎていった。
現代の日本国民には中国嫌いが多いが、戦後まもなくからソ連崩壊頃までは「ソ連嫌い」の方が多かったように思う。
その一番の理由が「中立条約を破って、いきなりソ連が参戦し、満州在住の開拓団などがひどい目にあった」という定説だったが、日本軍部は「ソ連参戦があり得る」という情報は知っていたわけだ。
海軍少将で終戦工作に関わった高木惣吉という人物が残した記録によると、高木は海軍大臣の米内光正に「ソ連に終戦の仲介を頼むのでなく、アメリカと直接交渉すべきでは」と進言したが、「ソ連参戦の情報には謀略の疑いがあるではないか。もしそうだとしたら海軍がその責めを負わなくてはならなくなる」というのが米内の答えだった。日本国民の苦難より海軍のメンツの方が米内にとっては重要だったわけだ。
外務省にはこの情報は伝わっていなかったようだが、たとえ伝わったとしても外務省は自省の情報しか取り入れなかっただろうという。
外務省は自省こそ情報収集のプロというわけで、その傲慢さと怠慢は今にそのまま受け継がれている。
この番組ではこのトップ会議に臨席していた天皇がどのような意志を持っていたかは今一つ明らかではなかったが、大臣達が情報を共有できなかったのだから、天皇も別の情報源がない限り独自の動きはできなかったのではと思うが。
天皇が政治的動きをするのは「終戦宣言」以後か。
「沖縄」に忠実な皇国の民を求めた果てに捨てる行動をした昭和天皇。江戸時代までは「琉球国」であって、日本ではない沖縄が永久に米軍に占領されようとも「ヤマトの王」の心は痛まない。