『原爆63年目の真実』。
テレビ朝日の特集番組だったが、ちょっと観点に独自なものがあった。
「爆心地で微笑む少女」は、長崎の爆心地付近で、アメリカのミッションにより、マグガバンという人が撮影したもので、赤ん坊を背負った日本人離れした美しい少女が映し出されていた。
撮影隊が配るお菓子を受け取って、少女は「ありがとう」というようなしぐさを見せ、微笑んでいる。
原爆が投下された長崎の、しかも爆心地で、その残酷な事実の3ヵ月後とは思えない映像である。
マグガバン氏はこの映像が大変気に入っていて、大切に保存していたと、息子が語っていた。
アメリカ人、というか欧米人にとっては、同等とも思っていなかった日本人の少女の美しく上品な微笑みに、マグガバン氏は心を打たれたのだ。
長崎は江戸時代はオランダ人、その後も港町として、外国人が出入りする街だったので、おそらく少女の血には欧米系の部分がいくらか混じっていたのではないだろうか。
少女の前にはよく似た弟も映っている。
女優の石原さとみが、少女の行方を追う。まず弟の消息がわかる。
年齢は重ねたが、少年時代の面影を色濃く残す人だった。
そして、美しく微笑んだ少女も健在だった。腰は曲がってしまっていたが、この姉も大きく容貌を変えることなく、63年を生き抜いていた。
アメリカ人は、広島・長崎で、人類最大の罪を犯した。そのことをマグガバン氏は、現地に入って痛感したはずだ。だからこの「美しく微笑む少女」にすがるというか、いくらかの慰めを求めたような気がした。
そして、日本にも原爆製造計画があった。
もし完成していれば、日本軍は間違いなくこれを使うことになっただろう。
しかしそれは完成には到底至らず、日本は、中国で、東南アジアで侵略による殺戮の罪を犯したが、それ以上の「原爆使用」という最大の罪を犯すことからは免れた。
米国民は、何かと言うと「原爆投下は戦争を終結させるためのやむをえない方法だった」と強弁する。
しかしそれは原爆投下の悲惨、残酷から目を背け、思考停止し、それ以上は考えまいとする方便、逃避である。
原爆投下の結果、どのようなことが起きたかを知れば、「戦争終結のための手段としてやむをえなかった、当然だった」とは、とても言えない状況だったかを知ることになるので、考えたくないのである。
ちょうど日本人が、「南京大虐殺の中国側の言う死者数はは過大だ」、「従軍慰安婦は軍の命令ではない」といい続けるのと同じだ。
原爆投下のパイロット、クロード・エザリーは、戦時中は功名心に燃えるパイロットで、「皇居に原爆を落としてやる」と、行動を起こすが失敗。不発に終わったという経歴の持ち主。
その彼が、戦後日本の新聞社に「原爆投下は誤りだった」の手記を寄せる。
エザリーも実は被爆していた。1946年、ビキニ環礁の実験で、その上空を飛行し、放射能を浴びたのだ。
アメリカでは、原爆による放射能の影響を調べるために、兵士等がキノコ雲の下に突入する実験に参加させられ、被爆したという。
アメリカの一般国民も「原爆の恐ろしさ」には無知なのだ。
今、核兵器を保有している全ての国の国民も同じだ。国民だけでなく国のリーダーたちもそうではないだろうか。
「唯一の被爆国日本」でもその恐ろしさを本当にを知っているのは、広島・長崎で被爆した人、その惨状を目撃した人だけかもしれない。
自身の被爆を知り、妻の流産が、自分の被爆のせいではないかと、思った時から、エザリーは奇妙な行動を取るようになり、強盗事件を起こしたりして、結果、喉頭ガンでこの世を去った。
他国からの脅威のけん制のために「核を保有する」という理屈は、自国民を被爆させているという実態からして、破綻している。
「核の存在」にさらされている今の世界は「われわれもまた広島・長崎の犠牲者である」という状態と言えようか。