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木洩れ日通信

政治・社会・文学等への自分の想いを綴る日記です。

男女共に家事は平等に

2025年08月19日 | Weblog
BSで映画『日の名残り』を見る。
アンソニー・ホプキンズ主演のイギリス映画。
貴族の執事として忠実に働く。日本だと会社のために忠実に働くサラリーマンのイメージ。これが一番楽なのだ。洋の東西を問わない。男はこれで生きている。「好きにしていい」と言われると困ってしまう。その点女は違う。好きに生きられる。建前や見栄にとらわれない。但し服装や化粧にはこだわる。しかしこれも高齢になり無名だとどうでもいい。

避難所基準約半数が基準満たさず(信毎トップ記事)。
これも男が主導権を握っている弊害。
家事をしない男が幹部についているとこうなる。最近はそれでも少しづつ変わってきてはいるが。家庭でも家事は平等に。女も外で働いているし、最近は家事がしやすい道具がそろっている。仕様書をちゃんと読んで男女ともに家事をしましょう。
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今に続く日本の無責任体制

2025年08月16日 | Weblog
送り盆である。近所にお寺と墓地があるので村の人たちが先祖を送っている。わが村ではこうした行事が脈々と続いているように見えるが、少子化でこうした行事が30年後には続いているのか危うい。

戦後80年。戦時体験者は90歳近くで、もうすぐ絶える。体験だけに頼っていては戦争のリアルは遠ざかる。どうすればいいか。「記憶を記録に」それもできるだけリアルに。コンピューターシステムの発達はこれを助けてくれる。NHKの番組を見ていると最近とみにそれを感じる。情緒的な戦争体験が後景にさがりつつあるような・・・。
統計的にも敗戦までの一年間に犠牲者が集中しているという。原爆の犠牲者もそうだが、沖縄戦、東南アジアやフイリピンでもそうだ。これは何を意味しているか。戦争遂行の責任者達の無責任体制がその原因。その真因は日本の体制が「天皇制軍国主義」だったからである。天皇にすべての責任があるとしながら実は天皇は肝心なことは何も知らされていなかった。「天皇を隠れ蓑にした無責任体制」これこそが日本の戦前までの体制であり、今に続く無責任体制でもある。天皇の政治的権限はなくなったが、無責任体制の体質は色濃く残っている。
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核廃絶運動の転換点

2025年08月15日 | Weblog
今日は敗戦の日。
広島の湯崎知事、テレビ朝日の番組に出演。核抑止力の欺瞞を訴えていた。官僚出身の知事であったはずだが、通り一遍の「核廃絶」を超える訴えであった。広島市長の通り一遍の談話とは一線を画す内容だった。広島市長の松井氏は「はだしのゲン」の内容の些末な表現にいちゃもんを付けたりして全くふさわしくない。交代すべきである。
「徹子の部屋」では当時16歳、現在96歳の被ばく女性が娘の助けを借りながら当時の状態を証言した。広島・長崎の被爆で生き残った人たちは、生き残った幸運を責められているような気持ちを抱いていて惨状の証言になかなか踏み出せない人も多くいたのだけれど、ここへ来て最後の勇気を振り絞って後世に伝えたいと証言する人が増えた。ビデオや記録でこれらが残ることが重要だ。「あったことをなかったことにはできない」それが歴史の真実だ。

お盆の時期であるが、「墓じまい」が増えているという。問題点として家族間の関係の希薄、檀家であることの負担感、例えばお布施が高い、草刈りや行事への参加が高齢や少子化でこれまた負担、わずらわしい。
私も墓地が離れているので年2回ぐらいしか行かない。年一回檀家回りをしてくるのでその時はお布施を出しますが。兄が当主なので寄付はしているようです。

甲子園高校野球の名門広島の広陵高校が出場中にも関わらず辞退。何があったのか。軍隊式で鍛えるのが学校の運動部の実態。それしか知らない指導者が大半。自分もそうして耐え抜いてきた。しかしこれも限界。運動部も変わる時ですね。
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戦争は経済的にまるで割に合わない

2025年08月11日 | Weblog
NHKBSで映画「杉原千畝」を見る。
チェリン・グラック監督。
ナチスに迫害されていたユダヤ人のため、ラトビアの総領事館に押し寄せた人々にビザを発給し続けた外交官。ドイツと同盟を結んでいた日本はユダヤ人迫害に加担していたが、千畝はそれに抗う。有名なエピソードで当時の役人、いや今でもこうできる役人は少ないだろう。外務省は今でも害に励む「害務省」だ。

戦後80年。「松代大本営から考える戦争と平和」の講演会を聞く。講師は明大教授の山田朗氏。大学で教えているので学生にきちんと伝えるべくメリハリよく話す。最近は大画面の写真や動画も取り入れてわかりやすく工夫している先生が多い。
日本の戦争は日清・日露からして資源を敵国に頼るものだった。相手国は当然反発する。治安維持に労力と金がかかり、結局すべてを失う結果となった。その間に相手国と自国の人命を大量に失い惨めに敗戦する。こうした戦争に動員するイデオロギーが「天皇制」である。天皇にありもしない権威を持たせ、鼓舞するのだが、資源なく武器なく食料なく「天皇のため」は成り立たない。対等な交易しかないのだ。
「天皇制」は象徴として日本とアメリカの合作によって残されたが、最終的には民主社会とは相いれない特権を残すことになり矛盾である。消滅していく運命を感じる。皇族の方々も静かにそれを受け入れているように思う。
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核と人類は共存できない

2025年08月08日 | Weblog
今日は風が吹いて涼しい。
NHKBSで1980年制作のアメリカ映画「最前線物語」を見る。アメリカが勢いがあった時代に作られたハリウッド映画。身体が大きくて、大らかな良きアメリカ人が第2次世界大戦で「正義の味方」よろしく活躍する。アメリカ人が見て気持ち良くなる映画だ。ジョン・ウエイン、バートランカスターと言った体格の良い、裏表のない性格を感じさせるヒーロー。一方モンゴメリー・クリフトは身体はさほど大きくないが、ハンサムで知的な雰囲気を感じさせ女性ファンを引き付ける。この後ジェームス・ディーンが登場してアメリカ映画が変わっていく。またダスティン・ホフマン、アル・パチーノと言った特にかっこよくもない性格俳優が人々のこころをとらえるようになる。
トム・クルーズやクリント・イーストウッドは両方の要素を備え、アメリカ映画は相変わらず健在?

8月6日、9日、そして敗戦の15日と8月は日本の過去それも昭和時代の戦争を振り返る番組が続く。その先頭を行くのがNHKだが、その内容は情緒的な物からより精緻で科学的な物に変わっていっているように思う。例えば広島の場合、原爆ドームとそのすぐ近くの小学校の上で原爆は炸裂したのだが、校庭にいた小学生は全員死亡。たまたま校舎の陰にいた生徒、あるいは具合が悪くて学校を休んだ生徒数名が生き残った。生き残った責任を一生引き受けていく運命がそこにある。そして爆心地から半径1キロ、2キロ、5キロ圏内で放射能を浴びた人たちのその後の健康状態はデータ作成の性能が格段に上がってきたためにわかってきたことが浮き彫りになる。放射能はその人の一生について回り、子孫にもということがわかっている。核と人類は共存できないのだ。これは原発も同じこと。

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『放浪記』を見る

2025年08月06日 | Weblog
ようやく人心地がつく温度になった。
NHKBSで『放浪記』を見た。成瀬巳喜男監督・高峰秀子主演。以前にもテレビで見ている。子供の頃から映画に出ている高峰は大人になっても達者に役をこなす。行商をして歩く両親の元、文字通り放浪生活を送った林芙美子は尾道にいたころ女学校に通う幸運を得た。両親の仕事が多少うまくいったようだ。しかしその後文字通り放浪生活が続く。昭和初期の話か。しかし文才のあった芙美子は作家として見いだされる。戦後も活躍する。理想的な住まいを得て、理解ある夫にも恵まれこれからというときに倒れる。彼女の作品はよく映画化された。『浮雲』というのも見た。

石商北信支部に排除命令(信毎トップ記事)
連絡を取り合ってガソリン価格を決めていたらしい。自由競争を旨としている社会ではカルテルを結んで価格を決めるのは商法違反だが、世の中はとかくこういうことが横行する。人は安きに流れるもの。
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地球温暖化を防ぐために男中心社会を見直そう

2025年08月05日 | Weblog
いくらか涼しくなってきたのじゃないか。少し雨も降った。
「羽鳥慎一モーニングショー」も医療の偏在をとりあげていた。都市に偏り、地方やむつかしい医療を敬遠。一人の医師を養成するには国公立はもちろん私立も税金が入っているのだから学生の自由にまかせていてはいけない。必ず地方やへき地の病院や診療所に勤務することを義務付けなくてはいけない。

熱によりガラスが割れる現象があるという。知らなかった。鉄道も予想を超えた暑さのために線路が異常をきたし事故に。
それにつけてもテレビに登場する男性陣の服装には違和感を感じる。女性が涼しそうなブラウスなのに男性は素材は薄いのかもしれないがスーツを着てネクタイ締めている。室内の温度設定はどうなっているんだ。男性に合わせているのじゃないか。スーツを着てネクタイを締めるのはイギリスなどの北ヨーロッパの習慣だ。大体ヨーロッパは湿度が低く日陰に入ると涼しい。日本やその他アジア諸国は湿度が高いのだからそれに合わせたシャツ姿でいいのではないか。冷房設定温度を適切に。20度ぐらいでいいのじゃないか。除湿機能を設定しておけばもう少し高くてもいいかもしれない。男中心の社会は地球温暖化の観点からもよくない。

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アメリカ様脱却=自民党離れ

2025年08月02日 | Weblog
風はあるが暑くて外仕事はできない。
ベッドルームで読書。「福翁100話」。福沢諭吉のいわば処世訓。ごく常識的なことばかりで面白くもなんともない。世間が評価するほどの人物ではないと思う。
午後はNHKBSで映画「赤毛のアン」を見る。以前にも見ているが。アンは教師だった両親がはやり病いで亡くなり孤児院にいたところをマシューとマリラの独身兄妹に引き取られる。農業を営む兄妹は労働力になる男の子を望んでいたが手違いでアンがやって来る。マシューは利発なアンにすぐ魅了されるが、マリラは気に入らない。でも自分が失ってしまった女性の魅力を持ったアンにこちらもすぐ魅了される。利発だが赤毛でそばかすだらけのアンは容姿にコンプレックスを持っている。だが女友達のダイアナもクラスで成績を競うギルバートもアンに魅了される。「そばかすと赤毛」という容姿の弱点を逆手に取った物語は多くの読者に支持される。「あしながおじさん」も同じ。
日本ではこういう物語少ないように思うがすぐには思い浮かばない。最近のドラマにはよく登場するようには思うが。高畑充希とかいわゆる美女ではない。


米、新相互関税7日発動。対日15パーセント(信毎トップ)。
アメリカにとって日本は特別な国ではない。米軍基地でこれだけ特権を差し出している国は他にないと思うが、アメリカはそう思っていない。日本も「アメリカ様」を脱却する時が来ている。その意味で普通の国になる時が来た。それが自民党離れと連動している。
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これからの医療と自民党退場

2025年08月02日 | Weblog
サンジャポ、ラサール石井の参院初登院を中継。社民党の要請を受けて立候補した。ぎりぎりだが知名度ですべりこんだ。タレント候補は自民党の要請を受けて政界入りする人が多いが、鈴木大地とか三原じゅん子とか。谷亮子もそうだったか?しかしラサール石井は東大を目指していたぐらいだからほかのタレントとはやや違う。社民党をもりあげてほしい。教育問題、特に受験の改善をめざすよう。
日本の大学受験の問題点といえば、受験料や授業料の高さ。こんなに高い料金をこれから学ぼうとする者からふんだくるのは日本だけ。人的投資なのだからこんなことをしていてはだめ。東大ですら今は高収入の子弟が多いという。恵まれた家庭環境で勉強に励めば結果そうなる。ここでも金持ち優遇の自民党を下野させなくてはいけない理由がある。
私が大学受験したころはこのブログでも触れているように立命館大学は私立大学の中で最も授業料の安い大学だった。それで選んだ人もいっぱいいた。そういう人たちがだめだったかというとそんなことはなく、みな立派に社会人になった。東大卒で汚職などする連中よりよほどまし。

病院倒産時代。(関口宏のこれからどうする)
これも自民党政治の失敗。選挙で応援してもらう見返りに医師会の要求のまま病院、特に開業医を増やし続けた結果。開業するのが医師として一番もうかるらしい。開業医はむつかしい手術などは地域の基幹病院に送り込み、寛解すると日常の診療を引き受け、薬局と手を組んで地域の医療体制を回す。患者にとっては便利だがそれも程度問題である。これからは少子高齢化により開業医もそれほどいらなくなる。へき地医療などは必要とされ、ドラマにもよく登場するが町医者はそれほど必要ない。
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キリスト教が社会の中心である西欧社会

2025年08月01日 | Weblog
外国の俳優の区別がつかなくなってきた。NHKBSで「真昼の死闘」を見ていた。男優のクリント・イーストウッドはすぐわかるが、相手役の女優を私はオードリー・ヘップバーンだとばかり思って見ていた。尼僧役=オードリーという刷り込みがあった。シャーリー・マクレーンだったのだ。このように加齢とともに勘違いが増えていく。
アメリカ映画にはよく尼僧が出てくる。確かに西欧社会を支配しているのはキリスト教会だ。日本ではお寺や神社が社会の中心ということはない。だからか統一教会などがはびこる素地があるのかもしれない。
尼僧姿で極限状態に置かれると無法者と手を組んで活躍するというパターンが結構あるように思う。
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