庵KM

技術屋OBの環境問題独り言

経済問題。交通問題。健康問題。そして、日本の国創り問題。快適社会問題。

加工貿易立国の理想に執着したままの旧時代経営者。

2011-10-21 | 国創り政治問題
我々の世代は、中学、高校では、日本は資源に恵まれない国だから、原材料を輸入して、知恵を使って製品開発して加工生産した製品を海外に輸出する。
この『加工貿易立国を目指す』と言う、大目標の国造りが基本であった。
そのために、技術の基礎になる理工学を勉強して、国内には蓄積のない「新技術の開発」は、先進国「アメリカ、ヨーロッパ」の技術導入をして、早期に国内技術のレベルを上げて、将来は自力で開発する能力を蓄積する。

この国造りの大目標は、1980年代の半ばには、ほぼ達成して「日本の経済力は世界一流」とまで言われる様になった。
この技術習得と生産拡大を通じて、円レートは、1ドル360円から180円程度まで、価値が上がったのである。
この期間に日本人の生活も豊かになり、海外の製品も半分で買える様になった。
だが、そこから先の国造りの進路を誤ったのが、日本の迷走の始まりであり、20年以上に渡る長期の経済低迷である。

モノつくり一辺倒から、高付加価値の商品・サービスへの移行が提言されてから、いろいろな施策が打ち出されたが、ことごとく、失敗に終わったと言える。
そこで、やはり日本はモノつくりが基本だとして、旧時代の『重高長大産業』が「モノつくりの重要性を再認識」と声高に打ち出して、発言力を回復した。
しかし1990年代からは、新興国のモノつくり技術は、日本や欧米からの技術移転の影響もあって、急速に進歩して、低価格商品はすべてと言ってよいくらいに、海外に生産は移転していった。
つまり『高付加価値商品のモノつくり』は、日本にとっての重要課題であったが、「低価格の月並みの商品」は、海外の人件費の安い、為替レートの有利な国に移転するのが、経済原則どうりなのである。

「化学工業」という業界は、海外から原油や精製された石油系原料を日本に輸入し、工業用の材料となるプラスチックや特殊原料に加工している。
これが1980年代までは、180円のレートで充分に収益が上がる事業であった。
しかし、1ドル90円を超える円高のレートでは、価格競争力は大幅に落ち込む。
この様な事業は、日本国内での生産には不適格な製品を作っているのであり、高付加価値化ができないならば、海外への移転を早期に実施すべきであった。

だが、化学工業企業の経営者は、今さらの様に、海外移転を脅しに使っている。
なんのことはない、1950年~1980年代の加工貿易立国に留まったままである。