日本の将来に向けての革新を実行しなければならない時期なのに、自民党政権の独善を許している状況は、情けない事態である。
第一に必要なのは、国民が望む将来の安心社会を築ける「政治力の結集」である。
自民党政権は昔から、官僚に依存した政策立案で、社会の変化に柔軟に対応する特徴に徹してきた。
その特徴は、欧米社会の模範や成功事例を後追いすることで、日本社会が適合する政策の実現であった。
これらの政策は革新ではなく、官僚的な修正路線の継続で対応できたのである。
弊害は、日本が先進国のトップに躍り出てしまってからは、欧米諸国に続いていく成功事例の模範もなくなり、方向を見失ってから停滞したことである。
官僚機構は、革新をするにはもっとも不向きな組織である。
この官僚に依存する自民党が、旧産業や既得権構造に依存するしか、生き残るすべがなくなって、迷走ばかりを続けてしまった。
これを批判する勢力を結集して、対抗軸を掲げて「大型野党の民主党」を作り、自民党政権の失政に乗じて、政権交代を果たした。
この時期までは、野党の民主党には対抗軸を掲げる能力があり、政権交代可能な勢力として、国民にアピール出来た。
自民党はこの勢力との競い合いに敗れて、与党時代の奢りと怠慢姿勢の反省を3年半の間、強いられる境遇に置かれてきた。
この反省もあって、怠慢な政治姿勢は改善されたが、圧倒的多数を占めてしまったために、【国民の要望に応える姿勢を失って奢りが噴出】し出している。
これを許してしまっているのは、一向に対抗軸と打ち出せない「弱小野党の無能力」に最大の原因がある。
10~50人の野党ばかりが乱立しているから、総選挙も参議院選挙も、3割程度の得票しかない自民党を、過半数以上の圧勝に浮かびあがらせている。
7割の国民の批判票を、無視する様な奢りが生まれるのは、この乱立する無能力野党の責任が重大である。
日本の将来に向けての革新政策を実現するためには、この将来像とそれに向けての基本政策を競い合う「危機感を生みだす拮抗状態」が、必須なのである。
民間企業においても寡占的な状況になると、大企業病による停滞と奢りが、必ず起きて、社会からは見放される時期が起きるのだ。(続)