私が大切にしている時間は、何も考えないでいる時間。考えていることが多い仕事柄だけに、考えない時間を大切にしている。例えば、散歩の時間・気功をしている時間・食事の時間・読経の時間・休憩の時間などがこの大切な時間になる。要するに、自分の損得に関係するというか生産的な作業以外の時間が、何も考えない「無」の時間になる。
しかし、多くの人間は、この「無」になる可能性を持つ時間にも、何か他のことをしている。食べながら新聞を読んだり、休憩中もひたすら仕事をしたりといった具合だ。大きな力を蓄えるためには、「無」の時間が絶対に必要なのだが。
(写真は散歩コースの風景)
しかし、多くの人間は、この「無」になる可能性を持つ時間にも、何か他のことをしている。食べながら新聞を読んだり、休憩中もひたすら仕事をしたりといった具合だ。大きな力を蓄えるためには、「無」の時間が絶対に必要なのだが。
(写真は散歩コースの風景)
昔は、10年ひと昔、近年では、3,4年でひと昔、今では、1年でひと昔という風に思えます。
それだけ、時代のスピードがどんどん早くなってきていると思うのです。
でも、人は、そのスピードに流されずに、静止することも大事ではないかと思います。
今日の東矢先生のブログの中の、「無の時間」ですね。
何事も、走り続けてはどこかで息切れします。
休憩ではないですが、「無の時間、私でいう静止の時間」を作ることは本当に大事ではないかと思います。
最近、人生の師匠に会って、本を頂きました。
その中の一冊に、「禅の本」がありました。
無、静止、それを考えながら読むと、心が洗われました。
人間にとって、大事な時間だと思います。