人間は年老いたからといって、落胆の必要はないし、なにも気にすることはない。老いては子に従うことも必要だろうが、亀の甲より年の功だ。今若くとも人間誰でも老いを迎えるのだから、老いたることを自ら卑下しても仕方がない。これから困難な事に直面しても、ますます元気で積極的な人生を送りたいものだ。
したがって、私の飲み会の数は、老いて減るどころかますます増えている。仕事量は少し減らしたものの、新しい仕事を創り出しているから、こちらも衰えは見られない。ただ、記憶力や集中力が落ちているので、臨機応変の応用力や折衝術を活用して、マイナス面を乗り切っている。
老いてますます遊び心は大きくなり、仕事には遊び感覚を持ち込み、遊びそのものにはスケールを求めて工夫している。さてさて、省エネが求められる現代、私の満ち溢れたエネルギーをどこに収めるべきか?
したがって、私の飲み会の数は、老いて減るどころかますます増えている。仕事量は少し減らしたものの、新しい仕事を創り出しているから、こちらも衰えは見られない。ただ、記憶力や集中力が落ちているので、臨機応変の応用力や折衝術を活用して、マイナス面を乗り切っている。
老いてますます遊び心は大きくなり、仕事には遊び感覚を持ち込み、遊びそのものにはスケールを求めて工夫している。さてさて、省エネが求められる現代、私の満ち溢れたエネルギーをどこに収めるべきか?
でも逆に考えると、それよりも大事な経験というものを積み重ねているのだと思います。
人は、若い時には、心よりも体の方が重視されます。
逆に年齢を重ねるごとに、心の方が大きい度合いになってくると思うのです。
人間を100%と考えると、若い時は、体80%、心20%くらいですが、たぶん40歳を過ぎるころから逆転し、心を積み重ねることによって、心80%、体20%くらいになってくるのではないかと思うのです。
心の温かさ、やさしさとは、辛さ、悲しさの経験でしか芽生えてこないものです。
それは、年を重ねるごとに自分の乗り越えてきた壁だと思うのです。
その壁を乗り越えれば、乗り越えるほど、人にやさしくなれ、心の度合いが増えてくるのだと思います。
年齢とともに積み重ねる心、それこそが年を重ねるごとに大事になってくるのだと思います。
今日の東矢先生のブログから「やさしさを積み重ねる」という言葉を連想しました。
人にやさしくないと自分自身で思ったら、乗り越える壁の量が少ないのだと思います。
乗り越えていく壁という名の経験の途中での、辛さや悲しさの数だけ人にやさしくなれるのだと思います。
まさに、今日私が書いたブログと同じようなことですが、東矢先生の今日のブログを読んでも、それを感じます。
今日も勉強になりました。
ありがとうございます。