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sigh of relief

くたくたな1日を今日も生き延びて
冷たいシャンパンとチーズと生ハム、
届いた本と手紙に気持ちが緩む、
感じ。

映画:怒り

2016-11-15 | 映画


去年の→「恋人たち」くらい、いい映画。
原作もいいんだと思うけど、うまく映画になってるなぁと思う。
吉田修一原作、李相日監督。音楽坂本龍一。

とある、残忍な殺人事件があって、逃亡中の犯人に
似ているのではないかと思われる3人の男の話が、別々に展開する。
見ている方は、最後の最後まで誰が犯人なのか、犯人はそこにいるのか、
わからないままなので、サスペンス的な見方もできますが
そこは別に重要ではないような。

殺人現場の壁に、血で殴り書きされ残されていた「怒」の文字が
この「怒り」というタイトルになっているわけだけど、
映画自体は、怒りに関する映画という感じじゃないのです。
犯人の中にあったらしき「怒り」は具体的な人や物に対する怒りではなく、
漠然とした社会や世界、人生に対する怒りでさえない。
今の時代の若者の閉塞感とか、社会への憤りとかそういうことではないんです。
そうではなく、本人の中から沸き起こってくる
なにか個人的な衝動の発露のようなものだったので、
その怒りには誰でもわかる普遍性のあるようなものはないんですね。
だからこの「怒り」というタイトルはわかりにくい。
犯人を含めて3人の男の話はどれも、怒りがテーマにはなってないし、
この映画の中に描かれている共通するものって、怒りではなく、
むしろ信頼や愛と、その逆の疑心や不信の方かなと思う。

わたしはこの3つの話の中で、妻夫木聡と綾野剛のゲイカップルの話が好き。
愛し合う人の話は、いつも楽しい。
ラストは悲しいし、途中も悲しいけど、
まあこのラストは変えられなかったことだから仕方ない。
信じても信じなくても、裏切っても裏切らなくても、同じことになったので
仕方ないし、だからきれいに、悲しめる話。
調子に乗っててちゃらいエリートビジネスマンの妻夫木くんがすごくいいです。
イケメンでお金持ちでも、けっこう嫌な奴。でも本当は孤独で傷つきやすい、
きゅんとくる役ですね。

沖縄の話は、つらい。
死ぬよりつらい目にあう女の子のことを思うと、
それを助けられなかったやつは、何をやっても無駄なんだよ、
死んでも無駄なんだよ、くらいに思う。わたしは性犯罪には厳しいのです。
死刑制度反対の立場ですが、死ぬまで死ぬほど苦しみ続けろ、と呪いはする。

世の中の多くの物語の中では、信じるべき相手を疑ってしまったせいで、
何もかも失ってしまうような話が多くて、古典や昔話にもあるんじゃないかな。
でも、現実生活では疑うことがあっても、埋め合わせがされて信頼を取り戻し
やり直せることもあると思うし、そうあればいいと思う。
そういうエピソードも映画の中にひとつあります。
いい人たちだから幸せになるのがいいと思う。

映画:神聖なる一族24人の娘たち

2016-11-14 | 映画


モスクワから640kmほど東、ヴォルガ川沿いのマリ・エル共和国が舞台。
ロシア連邦内の共和国。面積2万3400km2,人口約69万人。
>ロシア連邦に属するが、独自の言語、文化、風習を持つ。宗教、世界観もまた独特で、自然崇拝に近いし、さまざまな民間伝承がいまなお残っている。
>監督は、本作を「エロティック・コメディ」というが、こういった枠をはるかに超えて、これは、民族学に裏打ちされた「人間讃歌」というべきだろう。”
>ロシア版「遠野物語」や「アイヌ民話」のような、優しくて哀しい不思議な世界が広がる。
上映期間が短く、回数も少なかったので見逃しかけたところ最終日に鑑賞。
このチラシのかわいさがツボで、何が何でもみたかったのです。
でも、少女たちの不思議かわいい映画が見たいと思ったわけではないのです。
ここに出てくるのはロシアの少数民族ということだけど、
白っぽい人もいればアジア人っぽい人もいる。
そういう辺境の国や場所の、キリスト教化されていない独自の文化というものに
いつも惹かれる。とても興味深い。

ここには24人のOで始まる名前の女性が出てきます。
なんでO?「O嬢の物語」が何か関係あるのかな?と思ったけど
監督は「だって美しいだろう」としか言ってないみたい。

一貫して流れる物語はなく、それぞれの女性のスケッチというか
人生の一場面というかエピソードというかが、ほんの数分ずつ描かれます。
基本的におおらかな性について描かれているエピソードが多いけど、
死者が蘇って一晩だけパーティをする話など、女性の性に関係ない話もあります。
いろんなキノコの大きさや形を見比べながら選び、こんな夫が欲しいと呟く女性。
痩せている姪を裸にして、太って魅力が増すようにと、布で体を拭いてやるまじない。
夫の浮気を疑っていると、股間の匂いをかぐのよ、とそそのかされる妻。
人の夫に横恋慕し、デートをさせないと呪いをかける森の怖い精霊。
男性の亡霊にそそのかされたのか、なぜか裸で恍惚と踊る女性たちのパーティ。
風と交わり、風にさらわれる女性・・・

映画自体はフィクションだろうけど、出演者はマリ・エル共和国の女性たちで、
そこの民間伝承や説話に基づいて作られたもので、
不思議なドキュメンタリーを見た気分になります。

原案・脚本のでニス・オソーキンは公式サイトで
僕は、様々な程度はあれ、全ての著書に「全人類に共通する事」と「国家と地方の問題」をはらませている。この作品でも、牧地マリ人たちの姿を通して、全人類に共通の問題を浮かび上がらせる。と書いていますが
常々、グローバルというのは新しい均一性のことではなく
独自のローカリティの中にこそあるのではと考えているので、
この女性たちの素朴でおおらかなエピソードも、そういうことのように思います。

知らない国の映画を見ると、見慣れないその風俗と同じように
聞きなれないそこの言葉も興味深いのですが、ここで話されているのは、
フィンランド語やハンガリー語と同系統のフィン・ウゴル系のマリ語だそうです。
そういわれれば「白夜のタンゴ」やトーベ・ヤンソンの映像の中のフィンランド語と
響きが似ている気がするかな。

映画:92歳のパリジェンヌ

2016-11-13 | 映画


ああ、またこのひどい邦題。
安楽死と家族の問題の、難しいフランス映画なのに、何なのこの邦題。
ほんと腹立つ。(米大統領戦結果の八つ当たりではありません)
しかもパリらしき場面はほとんど出てこない。本当ににパリなのか?
主役の老人はバリバリの活動家で、奔放に恋もしてきた人だけど、
パリジェンヌらしき部分も全くない。
お粗末すぎる邦題。
原題は、フランス語で、直訳すると「最後のレッスン」
いい訳がありそうなのにねぇ。ため息。

92歳の女性が、2ヶ月後に死ぬと宣言することで起こる家族の葛藤。
一言で言うとそういう映画です。
主に娘との関係が出てくるけど、その息子(つまり孫)が、いい子なのよね〜。
こういう映画で、親があたふたして、反発したり受け入れられなかったりの時に、
孫だけが祖父母の良き理解者になって助ける、みたいな設定は、ありがちだけど
まあ、悪くはないです。

ビジネスで成功している息子は母の決意に怒りまくり、
暴力的な態度で母親の隠していた薬を奪う。
一方娘は母親とはいい関係だったのだけど、やはりなかなか受け入れられずに悩む。

自分は死というものを、そんなに特別なもののように思えないので
こんなに騒ぐ気持ちはよくわからないんだけど、
まあ世間的には大変なことで、こういう感じなんだろうなとは想像できます。
一つ、根本的なところでわからないのは、
安楽死の決意を家族に宣言して、受け入れさせようとする母親のこと。
若い頃は助産婦をしながらも活動家だったということで、
自分の意思を貫き、戦っても相手に認めさせるような人だからでしょうけど、
どんなに年を取っても何もできなくなっても生きていてほしいと願う家族に、
それを受け入れさせるのは酷なことなのではないかと、わたしなら思う。
家族に安楽死を受け入れ認めてもらっても、散々苦しんで味方になった家族に
自殺幇助的な罪悪感を抱かせ、苦しめることになる可能性もあるし
理解してくれ、味方になって手伝ってくれと言うのは、勝手なワガママだよねぇ?
わたしなら、黙ってやる。
勝手な理解を求めないけどなぁと思って、そこはこの母親に共感できないです。
でもまあ、映画だからそこでの葛藤をドラマチックに描くしかないんだけど、
同じ安楽死のテーマでも、
このような何かを乗り越えるドラマチックさや愛と感動の物語ではない
「母の身終い」の方が、個人的には好みです。
「92歳のパリジェンヌ」は生きたいように生き、家族に恵まれ愛され
幸せな人生だった女性の話だけど
「母の身終い」はさほど幸せでない人生の終わりに脳腫瘍になり、
苦しむ前にもう終わらせたいと願う女性の話。こっちは結構辛い話だった。

屋上という場所

2016-11-12 | Weblog
友達が事務所の引越しをして、そこには自由に使える屋上があって、
誰か来たらビール飲んだりしている。
楽しそうというか、その友達にとって、いいとこに引っ越したねぇと思う。
構われたくなさそうオーラを出してるけど、さびしがりやからな。
こういう場を作るのって、案外難しいものなのよ。

お家をなんらかの形で開いちゃう「住み開き」的なやりかたもあるけど、
そういうコミュニティを意図的に作る気は全くないような人のほうが多いだろうし、
そういう人にとってこういう屋上をたまたま持つのは、
中々運のいいことなのではないかと思う。

そもそも屋上というものには、けっこうなポテンシャルを感じるしね。
中にある外みたいな、中庭のようだけどもっと広く開けてる感じのする場所。

複数の友達や知り合いと運営している船場のサロン・ドゥ・螺という場は、
ビル自体が素敵な大正建築で、螺の部屋もものすごく独特で素敵なんだけど、
屋上テラスがとても気に入って好きなのです。
芝は人工だけど、植物や木がたくさん置いてあって、
春や秋の日にベンチで長い間ぼんやりしたいような場所。
お酒もタバコも禁止の場所だけど、そうでなければごく少人数で、
静かな親密なビアガーデンをやりたくなるような、街の中の小さい屋上。

そういえば、少し前に行った大阪の、一軒家レストラン屋上のビアガーデンは、
大きなテーブルが一つだけの定員8人だったかの小さいスペースで、
これも街の中だったけど気持ち良かった。屋上って魅力あるよな。

ベランダも同様な理由で好きなんだけど、うちは大きな道路に面してて
駅も近いし、とても落ち着けない場所で、それだけは今の家で残念なところ。

自分はアウトドアは苦手で興味もないくせに、テラスや屋上やベランダは、
なんかすごく好きで、真夏と真冬以外はそういう場所で飲みたがる癖がある。
いつでも室内に戻れるというのが、安心させるのかなぁ。

きらきら

2016-11-11 | 小さいもの
貰いもののクレ・ド・ポーのサンプルの箱を開けたら、
サンプルがこんなに豪華でどうする!と驚くようなきれいできらきらで感動している。
容器なんて無駄だし、高級化粧品の値段なんて容器代と言われるけど、
でもテンションの上がる豪華さ。でも自分では買えないし買わないけど。

宝石などでも、豪華にきらびやかなものに、ずっとあまり興味がなくて、
ナチュラルな飾り気の無いシンプルさの方が好みだったけど
最近はこういうきらきらも、なんかいいなぁと思うようになった。
年をとって気難しくなった部分もあるかもしれないけど
好きなものがまだ増えていくのは、楽しいしうれしい。

写真の大きさって

2016-11-10 | 写真
先日、ここ数年出してきた、写真のグループ展があって、
毎年一人1枚くらい出すのですが、今年は出さなかった。
大きさがね、大きかったんですよ。全員A1サイズ。大きいの苦手なので。笑

テーマのないグループ展って、個展の集まり的なものになるかな。
二人展とかだと、予めの意図があってもなくても、
響き合ったり不協和音出したり、お互いに何らかの効果が起こると思うけど、
大勢でのグループ展はバラバラの小さい個展の集まりみたいなもののように思う。
壁の面積だけあてがわれて、好きにしていいなら、
その中で流れを作ったり遊んだり考えられるけど、
ひとり一枚ずつだと、自分はどうしていいかわからなくて、難しい。
大きな写真一枚で何かを表現するようなタイプの写真撮れないし。
絵も写真も内容に合ったサイズがあるしなぁ。

日本画やってたときも卒制で100号描いたあとは、
ずっと描き続けても大きくて50号までだなと思ってた。
自分はこじんまりしたものが好きだから。
でもごくたまに、なにか大きくてすごいものを見たときに、
これ200号くらいで描けたらいいなぁと思うことはあるのです。
とはいえ、画力不足だし、体力もないので、やっぱり描けないと思うけど。
絵も、10号くらいのサイズの連作で表現する方が好きだったと思うし、
絵を描いてたときから連作を組んで構成するのが好きだったのね。
文章書くときでも、やはり流れは気にするし意図的に構成するので
写真でもそういう方がラクだなぁ、わたしは。

さて、その写真展ですが
これが、展示を実際に見てみると、かなり見やすくて、疲れなくてよかったです。
サイズが揃って、きれいに並ぶとストレスなく、1枚1枚の写真を見ていける。
工夫を凝らした、様々な大きさや並べ方の展示でいいものもあるけど
テーマのない雑多なグループ写真展では、こういう風にそろってるのが
きれいでいいなと思いました。
来年は、大きく伸ばすことを怖がらずに、出せる写真があったら出そうかなぁ。

こんまる日々2:テレビを捨てる

2016-11-09 | Weblog
家をきれいにできたら、人生が変わるというはずはないんだけど
けじめや区切りのつけられないままズルズルダメな方に流れるのを
変えられるかもしれないとは思う。
その、家の片付けに関する、日々の思いつきやつぶやき的なことのメモです。

・何年も見てなかったテレビのジェイコム解約した。
元夫の口座から落ちてたので、テレビ見なくなって何年もほったらかしにしてたけど
このうつらないブラウン管のテレビデオ自体をもう捨てたいので、
ケーブルのチューナーも持ってってもらったら捨てるつもり。すっきりするだろう。
これで、見てないのにズルズル払ってたNHKも解約できる。
これはわたしが払ってたのでさらにすっきり。固定電話もやめようかなあ・・・

あんまり身辺整理しすぎると死んでしまう気がする。かな?

・ひとりなのに、家族といた時のままなんとなく4LDKを、あちこちテキトーに、
ばらばらに使って来たので、中途半端なカオスがあっちにもこっちにもなのです。
まとまりのある一人暮らしモードというものをよく考えないといけないな。
もう3年も一人暮らししてるのに、なんだかまだ初心者な気分。

・ベッドサイドのチェストの中身を空っぽにしました。
上に置いてあるパソコンや読みかけの本を置くサイドテーブルがないので、
まだチェスト動かせないけど、いつでも捨てられるぞ!
あと、CDの棚の上にごちゃごちゃに積んであったやつも整理。
CDはかさばらないので、そんなに捨てはしないけど、
引き出しがもういっぱいなので、別のところに移すか、整理を考えなくては。
でもこれはリフォーム後でいいや。

・片づけを数日したら、少し、家ががらんとしてる。少しだけ。
散らかってたけどモノは少ないはずだもんな。本と紙類以外。
床と壁と照明変えるだけでいい気がしてきたけど、
カーテンレールとクロゼットの扉とリビングのドアは変えたいかな。
床は寄せ木?組み木?の一室が欲しい。ヘリンボーンかな。高いかな。
北側の息子の部屋は畳にして夏にそのまま寝転べるようにしたいな。
結局ゴロンと寝転べるのは畳が一番な気がする。
インテリア的な問題がなければ全室畳でいいくらいだけど、
一室だけになるかな。

・カーペット結構好きなのに、カーペットの部屋がなくなるな。
リビングは、うさこさんのおしっこのシミとかあるし、
ペットのいる家にはカーペットはめんどくさいね。今は、なにもいないけど。

・元夫の部屋は西向きの小さな窓の部屋でエアコンないし、午後は暑いし、
なんかあんまりいい気持ちがしないので、
まあ物置的に使うつもりなので、床はCFシートでもいいかな。

・物事を決めるのが、すごーく苦手でストレスなんだけど、がんばらないとなー。
これからここにずっと住むんだし。

・うちのマンションの屋根の傾斜が好き。
屋根といっても瓦があるわけじゃないけど、
三角になってるその緩めの角度が、好きなんだなぁ。


・次の打ち合わせまでに一回、家の中の不用品をごそっと業者に持ってってもらおう。
軽トラ1台では済まないかなぁ。うさぎのケージ、エアコン室外機の台、
収納チェスト4つか5つ、ローチェスト3つくらい、テレビ、本棚一つ
(本棚足りなさすぎだけど、気に入ってなくて使ってない元夫の本棚なので)。
前回、息子と元夫の部屋を空っぽにした時には、2トントラックがいった。
作業員二人で半日かかった。今回はふたりなら2時間かからないと思うけど、かさは多い。
でもこれらを全部始末したら、新しい家のイメージもできやすいよねぇ。

・全部できたら猫、飼いたいかなぁ。

・やっぱりピアノの周りに作り付けの収納作るのはやめよう。
うち、そんなに収納のこと考えないでいいんだった。
ピアノを囲むように収納を作って、かっこいい面にしようと思ったけど、
ピアノの後ろからの響きがよくなくなるかなと。
あけとこ。かわいいチェストとかがあれば置くかな。

・できるだけ、何も変えないようにしようと思った。

月記:2016年10月

2016-11-08 | 月記
雨が多かったし、暑い日も多かったですね。
でも、どんなに虚勢を張っても、もう夏なんか弱ってて終わりだもんね!と思うと
気分がいい。また来年夏が来ることは、考えたくない。笑

・糖質制限2ヶ月目。ゆるゆるなのでそんなに痩せず。笑
・神戸メリケンパークオリエンタルホテルのワンフロアをを会場にした
 コウベアートマルシェ。日本酒も飲めて、海の眺めも素晴らしく楽しかった。
・スイス旅行行った友達の報告会、という名の飲み会。中華→ワイン
・仲村くんち映画祭屋上編。若い友達のマンションの屋上で映画を見る会。
 ミシェル・ゴンドリーの「恋愛睡眠のすすめ」飲みながら見る。
・タンゴグレゴリオのタンゴライブ
・維新派の最後の舞台「アマハラ」見る。平城宮跡地。屋台村も楽しむ。
・京都の友達のカフェでモンブラン食べる
・宝塚で、大人の運動会。夜に公園で。飲みながら。
・KOBE☆HEARTの写真祭見に行く。出展はせず。
・仲間と運営している本町のスペース、サロン・ドゥ・螺で「出江寛展」
 建築の展示でした。2日ほど店番。
・リフォームを頼んだ建築デザイナーの人に家を見てもらい打ち合わせ。
・デイケアセンターの絵の先生ボランティア
・映画の会の課題映画は新作「怒り」旧作「イージーライダー」
・結構がんがん編み物を始める。

・映画館で観た映画「怒り」「高慢と偏見とゾンビ」「アスファルト」「永い言い訳」
「シーモアさんと、大人のための人生入門」「みかんの丘」「とうもろこしの島」

・DVDで観た映画「イージーライダー」

人間って弱くて壊れやすい

2016-11-07 | Weblog
映画の「ジャングルブック」を見て、
アニメや本でなく、リアルに見える動物たちとジャングルと
人間の子どもを見ていると、人間の子どもの肉体の脆弱さに、はらはらした。
毛皮に守られてないむき出しの薄い皮膚、細い二本の足、細い首、重い頭。
簡単に傷つき壊れる。
人間って、なんてなんて弱っちい生き物だろうと思った。

そのかわり?他の動物たちにはないレベルの知恵があるわけだけど、
わたしはもう子どもの頃のように、どんなに肉体が脆弱でも、
さすが人間は知恵がある素晴らしい!とは、今は思わなくなった。

動物たちの体の強靭さと人間の知恵とを比べて
人間の知恵が段違いに素晴らしいとは思えなくなったのだな。
人間の知恵は人間には役立っていいことも悪いこともあるけど、
もしも狼に人間のような知恵があっても狼の役には立たないんじゃないか。
狼は狼として生きていくために狼の役に立つものを持っている。
人間の知恵のようなものは必要ないのではないか。
狼だからなのか、だから狼なのかどっちが先かわかんないけど。

同様に、うさぎは犬や猫より人間とのコミュニケーションは限られてるけど
それはうさぎが犬や猫より馬鹿なのではなく
うさぎはうさぎの知恵があって、それは犬や猫や人間とは違うし
犬や猫や人間にはわからないものなのかもな、と思う。

というようなことを→「ジャングルブック」の感想に書き忘れてたので記録。

こんまる日々1:家を見てもらう

2016-11-06 | Weblog
2015年は、長年の開かずの間、カオスの間を業者さんに一掃してもらって、
さらに、こんまり先生のお片付けにはまった友達の影響で、
多少の片付けを頑張ったんだけど、そうこうしてるうちに暑くなって
夏には生きてるだけで精一杯なので、片付けどころじゃなくなってました。
その間の日記はここ
片付け1:業者さんに
片付け2:服をこんまる(こんまりの説明)
片付け3:本
片付け4:押し入れ

うちは古い公団マンションで、間取りとか天井の高さ、場所の便利さが
とても気に入ってるし、初めての自分の名義の家なので愛着もあるんだけど、
壁や床は20年くらい前に前の入居者(弟家族)がリフォームしたままで、
クロスは剥がれかけてるとこだらけだし、床のカーペットはハゲてるし
いくらなんでもいい加減やらなきゃと、やっとリフォームに取り掛かることに。
去年、友達の紹介で、ある方に連絡を取りかけたのだけど、ついつい先延ばしにして
10ヶ月くらい経った今、やっと連絡し直して、来てもらった。

埃屋敷なので、人を家に入れたのは何年ぶりだろう。
来られる前に、少し片付けました。寝室の床の上のいくつもの紙袋や
スーツケースの中の中身を分類して整理。床が広くなった。笑
リビングのテーブルの上のごちゃごちゃを整理、新聞が広げられる!程度ですが。
どういう風にしたいか、どこを変えたいかなどざっと話して、
(まだ決めかねているところもたくさんあるんだけど、それはおいおい相談して)
家の中測ってもらって、2時間半くらいあれこれ打ち合わせ。
提案と見積もりを見てから決めるので、ここに頼むかどうかはまだわかりませんが、
ちょっと楽しくなってきた。
来られる前は、友達の紹介とはいえ初対面なので緊張はするし、
家ももう少し片付けなきゃと、気は焦るしで億劫だったんですが、もう平気。
どんどん進めるぞ!と思いました。

気さくな感じの方で、ボロボロの、うちの中を見てまわりながら、
いい家ですね〜。こういう家自分も欲しいなぁ。すごくいいな〜!と
褒めてくださって、うれしかったし緊張も解けた。
うちの家は、古民家ほどの歴史や独特の雰囲気もないし、
昭和の団地のような味も、モダンな家のような個性もない、
微妙に中途半端な古さのマンションなのですが、
そういう主張しないシンプルな作りがわたしは気に入ってて、
それをわかってもらえたような気がしました。

こまごました部屋は、昔は壁を抜いて広々としたいと思ってたけど
今はこじんまりとした部屋がいくつもあるのが好きです。
物が多くなくて綺麗に整理されてれば、小さい部屋の方が居心地いい。
リビングも横の和室とつなげて広く!と10年前には思ってたけど、
ひとりでいるのにそんな広々としてるとむしろ落ち着かないし寂しいかもと、
大きく開けられるガラスの扉などで区切ってもら右方がいいかなと思っています。
間取りを変えないし、お風呂とトイレは別々に新しくしたのでそのままだし、
あまり複雑なリフォームではないだけに、ちょっといい素材は使いたいかも。
あと小さい部屋は、壁紙は少し遊びたい。

ものすごく優柔不断で、物を決めるというのが苦手なのですが
とりあえずは、だんだん楽しくなってきました。
リフォームが終わったらパーティするぞ!とそれを楽しみに頑張ります。
こんまる日々日記も書いていこう。

上の写真は、リビングの好きな景色。
この壁を一面作りつけ収納にしたら家の中かなりすっきり片付くなぁと思ったし、
そういう提案もされたんだけど、
このゆったりした雰囲気が好きだから、やめました。

9月のつぶやき:後半

2016-11-05 | つぶやき
Of course you don't owe me anything.
You even believe that there's no "us" between us.
8年前くらいに書いたつぶやき。
「us」とかなんとか、そういうタイトルの映画見たあとだったか。


8年ぶりに出たGKBRに恐れおののきながらも退治して、疲れ果てました。
なんか全身ぞわぞわして気持ち悪いぞ。


二重国籍の人について、やっぱり政治は任せられない、
だって何かあった時に向こうの味方するかもしれない人を信じられないでしょ、
というようこなこと言う人が多いけど、
その「何か」が起こらないように死ぬ気で頑張ってくれるのは、
複数のルーツを持つ人なのではないでしょうか、と思うけどな。
「何か」を起こしたがってる純粋な?日本人(時に日本人すごい教の人たち)より、
そもそもその「何か」が起こらないように必死になってくれる人の方が、
ずっと信用できる。
何かってなんだよ、戦争かよ、ああ、確かに純粋な?愛国者って
やたら戦争したがるよなぁ。


本屋のBGM。いつもは何が流れてても聞き流してるのに、
ふと耳に止まった懐かし歌、♪おーとーこーなんてーシャボン玉〜♪・・・
どっちかというと、わたしのほうがシャボン玉ですかね。
人魚みたいにきれいになるわって歌詞が好きだったなぁ。
うまく行かへんかったなぁ。


ほんま、人の話聞くの下手だなという人と会話をしたけど、読解力の問題かな?
いや、相手と向き合わないからだな。自分の言いたいことでいっぱいで、
相手の話をきちんと聞いてない、部分的にさっと拾って
自分のいいたいことの材料にするだけだから、全然話がかみ合わない。


この人は謝ればいいのに、この人は許せばいいのに、
この人は少し甘えればいいのに、と人を見ていると思う。
自分がどれもできているかというと、また別の話なんですけどね。

事なかれ主義で、ケンカできずに、流されるだけのわたしの問題も深いけど。


スクラブしてボディクリームも塗ってすべすべ。
前に「男のためじゃない」だかなんだったかそういうハッシュタグあったけど、
これもそうだよね。
別におデートがあるわけじゃないけど、すべすべしてると自分が幸せだからする。


うさこさんのいない、中秋の名月。
お団子も月餅もなしぼーっとうさこさんの写真を見てる。

抱っこは最後まで断固拒否の孤高のうさぎだった。
人間にも最後まで関心がなくて、自分の頭を撫でる手にしか用はなかったみたい。
つれないウサギだった。
でも長生きして死ぬまで毛並みもよくかわいくて、いいうさぎさんだったなあ。

うさぎがいるからどこにもいけないと、よくぼやいてたけど、
もうちょっと生きててくれてもよかったのにな。もうちょびっと。


地下鉄に乗って出かけると、いろんな国の言葉が聞こえる。主にアジアの。
見渡すと幾つかの国から来た人たちがあちこちに見える。
インターナショナルやん!と思う。
インターナショナルって白い顔と金髪の英語を喋る人たちがたくさんいることだと
思ってる日本人は、まだ多そうだけど。
そういう白いインターナショナルが好きで、
アジア人のいろんな黒い髪だらけのインターナショナルに顔をしかめるような人は、
自分がどちらの一員なのか、日本はどこにあるのか、
よく考えてみたほうがいいんじゃないかな。


すごく編んでる。編み物ハイ物質が出てると思うなう。


頭の回転が早く、論理的思考ができて、知識の豊富な、ちょっと嫌な人と話すのと、
ものを知らなくて幼稚で自分でちゃんと考えることができてない良い人と話すのと、
どっちが楽かは、その時の自分の状態によるなぁ。どっちもエネルギーいるけど。


どこに行こうかと思ってたらお友達が通りがかってこの店いいで、って。
そこで軽く腹ごしらえして、クツワムシの声がうるさいというバーに。
そのバーに磯江毅のポスターがあって、聞くと、
磯江さんとは仲が良くてよく来てたとのこと。
なんかうれしい。いい店でした。楽しかった


暑い季節には使えない手なんだけど、熱いミルクティは、
どろどろに沈む気持ちを少し和らげてくれる。
やっとこの手が使える季節になってきた。
甘いビスケットがひとかけあると、なおいい。


何年もプロフィールに「絵を描き楽器を弾き写真を撮り、そのどれも下手。
でも美は細部に宿る、よね。10歳うさぎと同居。絵の先生とかやってます。
日本画/映画/文学/バイオリン/ピアノ/写真/ダメな酔っぱらい」と書いてたけど、
うさぎ死んだし、お店も閉めたし、うんと簡単なのにした。


好きなことだけしようと思うと、世界がどんどん狭くなる。
こじんまりした偏屈な人間なので。あんばいがむずかしいですな、


ドライブは好き。何かしながら、しゃべるというのが好きなんだなと思う。
ニットカフェとか。ドライブはでも、わたしは運転しないので、
何かしながらなのは運転してる人だけですが。
ああ、わたしは景色を見てるなぁ。景色を見るのは案外忙しい。


運転が上手い人に生まれたかったなぁ。
車って、どこでもいけると思うのって、いいよねぇ。


ザーザーザザーザザーと、全然風情のない降り方です。
太くて硬い刷毛でまっすぐに上から下へペンキを塗るような、雨の音。


大事にしてくれる人と一緒にいても、
自分で自分を大事にしてない感ばかり募るな。


昨日はたくさん彼岸花を見た。たくさんたくさん。特に好きな花ではないけど、
ちょっと田舎の景色の中にあるのはかわいい。
子供のいたずらか、歩道の柵の上にちょんちょんと彼岸花の花が乗ってて、
それもかわいかった。
いっぱい咲いてるから、そういう遊びもするんだな。


動物を飼っていたということは、その後の人生にもずっと何かが残ることなんだなぁと
ウサギが死んで3ヶ月以上経って思う。
懐かしく切なくかわいい思い出が、ずっとついてくるよね。
動物に限らないけど、いい思い出というのはお金で買えないからな。
まず体験しないといけないしな。それから思い出になる。


やさしくないなぁ、と思う人。
厳しい人と他人に興味がない人の違いを考えてる。


引くべき時に押して、押すべき時に引く男って、ダメやなぁ。


あ、そういえば、「シングストリート」には、
うさぎもちょこちょこ出てきてかわいかった。


その場しのぎの目先の楽しさは、やめるのは簡単だけど、
その場しのぎの目先のラクさ居心地の良さは、やめるのむずかしいなぁ。、


いじめというものに加担したことがあるかを考えて、全くない!と言い切れる人は、
むしろちょっと怪しいと思ってしまうけど、
自分自身を思うと学生時代はあんまりなかったようには思う。
そんな余裕なかった、いつもはみ出してたから。
でも無自覚に何かに加担した可能性はゼロではないかなぁ。


安い美容院だと、おでこまで染められる
安かろう悪かろうには、あまり文句は言えないよなあ。仕方ない。
でも、もうちょびっとだけ丁寧にやっても、
手間も時間も特に変わらないのになぁと思う。


落語は編み物の友。いつも聴きながら笑いながら編んでる。


ワンピースを買ってしまったので機嫌が直ってる。
ワンピース好きだなぁ。ミニスカートも好きだけど。

服のこんまりは難しい。ときめくものを残すと、捨てるものがない。
必要じゃないけどときめくものは、すごく多い。
必要でないもの捨てなさいと断捨離の人に言われる方が楽は楽。
でも必要じゃないもので、生活は楽しくなるんだもんなー

何年も着てなくても捨てられない服もある。
この先着なくても、まだしばらく持ってると思う。
だって好きだもん、というようなもの。
無駄だし必要でないものだけどさ。
ものに愛着を持ちやすいので、そもそも物を増やさないようには気をつけてる。
写真もRAWで撮らない(意味違うか?w

データにしろ、リアルのものにしろ、ストレージをあんまり多く持ちたくないんだよ。


家さえきれいになったら人生がうまくいくようになると思ってる。


見えなくなるマントも、着ると超人になるスーツもいらないから、
たまに、体のでかい男になりたいときはある。
それだけで、世の中で小さいおばさんとして受ける不快が
なくなったりすることが結構ありそうだもんな。


自由は寂しくない。はず。自由って、何にも支配されていないことだと思うけど、
寂しいと思うならそれは寂しさに支配されているからで、そもそも自由じゃない。
何にも支配されていなかったら、それはそれは軽やかで楽しいことだろう。

そう思うと、自分には自由な瞬間だけは時々ある。瞬間だけ。


昼から蒸してたけど、降り出した。急にすーっと涼しくなった。
どんどん秋になるね。夏服の好きなのを、早くもう一度ずつ着なくては。


習慣も一つの才能かなと思うけど。習慣の力は大きい。


いつ死んでもいいと言いながら、じゃあ今は?と自分に問うと、
あれ片付けてあれ捨ててあれやってからにしてほしいなぁとか思うことが多いけど
(人生恥ずかしいことしかない)、たまに今の瞬間でもいいな。
ぽくっと。ほれ、いちにのさん、ぽくっと。
と今死んでも平気で大丈夫な気持ちの時は本当にある。


自分が関係なくても、友達や知り合いがもめているのを見てるだけで、
かなりストレスな小心者。
なかよくしよーよーと心の中で小さく呟くけど、
許せないものは許せない、ダメなものはダメ!と
怒る人の方が健全なのはわかってます。


気取らない人がいいと昔思ってたけど、元夫が気取らなすぎて、考えを変えた。
無理してもいいカッコすべきときにしないのは、あかん。
やせ我慢を全然しない人って、結局こっちが我慢して甘えさせることになるから。
実際より偉く賢く見せるために虚勢を張るのはみっともないけど、
人のためだったり、我慢してすむことなら、少し我慢できる人がいい。
なんでもない顔でやせ我慢しても、わたしはちゃんと気づいてあげるのに。
弱いとこ、ダメなとこ、全開で、開示されるのは、困る。


どんなに無為に思える単純作業でも、編んでると何かが出来上がるからねぇ。
手にとって見ることのできる、かわいい何かが。


コーヒーというのは、コーヒー自体というよりも、
コーヒーを飲む、と思ったところからいれて飲みおわるまで、
あるいはその後片付けるまでの一連の時間が、休息なんだろうなぁ〜。
豆を挽く時の匂いが一番好きで、ものすごくいっぱい、すーはーすーはー吸い込む。
あとは飲み終わったカップの中が少し乾いて、
そうすると濃厚な甘い香りに変わる、その匂いも好き。
もちろん、ダメな豆では、どれもだめです。


今日は、紺色のカットソーのぶかぶかで丈の短いTシャツと、
グレイの、これもぶかぶかのデニムで、
上下ぶかぶかという格好はますますデブに見えるから人と会う時にはあまりしないけど、
自分では好き。気持ちがリラックスする。


最近、何かの記憶が10年前か30年前か、どうしても思い出せないことが多い・・・。
やばい。どっちも日本にいて、10年前は子供が小さくて、30年前は家が厳しくて、
あまり出歩けず人とも付き合いがなく、いつもひとりだったので、
なんか朦朧としてる。。。
記憶で頼りになるのは、誰といたかとかどこで食べたかとか。
それで大体の時期が推定できるんだけど、
ひとりでとじこもっているときの記憶は前後も場所もよくわからないからな。


レース編みは、細かいし進まないしめんどくさいけど、小さいので、
何色かの糸を全部カバンに入れて持って歩くのも楽。
久しぶりに毛糸編むと、でかいなーと思う。
若い頃にはできなかった、こつこつ時間をかけて何か作るというのが、
できるようになってきたのは40歳をすぎてからです。
年取ってよくなったことって、それくらいしかないかも。
他には、諦めが良くなった・・・なりすぎてダメだし。
もっと温厚になった・・・なりすぎてダメだし。あう。


スロベニアに行ってきた友達のブログがよくて、
彼女のブログはいつもいいんだけど、
写真も言葉も、まっすぐで濁りがなく、気持ちが清々しくなる。
でも同時に、なんで自分はこんな風に生きられなかったのか生きられないのかと、
落ち込みもする。素直な人には、絶対勝てない。

9月のつぶやき:前半

2016-11-04 | つぶやき
わたしがオリンピックに興味がなくても、
オリンピック好きの人を否定しているわけでは全然ないように、
映画に興味のない人が映画好きを否定しているわけでもないってわかってる。
でもそれのわかんない人って多いんだねぇ。


ゴーストバスターズは単体で見ると、ちょいダメな部類のB級映画だと思うけど
ゴーストバスターズのあのテーマ曲で、まあいいかと思ってあげられる。


1年半くらい読んでた新聞小説が昨日終わったのでちょっと寂しい。
沢木耕太郎のボクシング小説で、ボクシングに興味がないし何も知らないんだけど
かなり楽しく読みました。今日からは金原ひとみ。
高校生と大学生の姉妹の話。面白かったらいいなぁ。

新聞小説のことを呟いたら、自分も読んでたと言う人と話ができてなんかうれしい。
ラストはもう少しこうであって欲しかったからちょっと悲しいねえとか、
具体的な感想を話せて、インターネットって楽しいなぁとこういう時思う。
見たり読んだりしたものの話を、ちょびっとできるだけで、なんかうれしいよねぇ。


弱音と秋の組み合わせはいいなぁと思い、わたしも作ってみた。
ほろほろと弱音こぼるる夜長かな
虫の音につぶやきしまいただ歩く


就活中にあるT大の学生が、食事の時間無駄、食事について考えるの無駄、と
みんなが食べるビュッフェに来ずに、
途中で買ったコンビニおにぎりやウィダーで済ませてたという話を聞いて、
ザ・意識高い学生!
まあ何が大事かどうかはひとそれぞれだな。


糖質ゼロの発泡酒って、食器用洗剤みたいな味がするものが多い。
糖質50パーセントオフなら、まだ飲めるものもある気が。
今日は、その洗剤の味を飲みました。匂いも洗剤。
変なフローラルというか石鹸というか、洗剤。洗剤飲んだことないけど。


老眼は、他の体の不調ほど苦しくはないけど、不便さはけっこうなもので、
わたしのように近眼もあるとメガネが2ついるし(遠近両用はまだ試してない)
本読んだり絵を描いたり編んだりという手仕事が難しくなるし、あー不便。


ケルテスの、本を読む人の写真ばかりの写真集があったなぁ。
人が本を読む姿って、かなりいい。
紙の本の方がヴィジュアルはいいけど、KindleまではOKかな。
スマホになると本読んでるのかゲームしてるのかわかんないけど。
待ち合わせの相手が、Kindleより紙の本読んでるのを見た方がきゅんとくる。


ブログを書き始めて丸11年。ほぼ毎日書いてるので3800エントリくらいある。
多すぎて読めない。映画の感想は400くらい。映画の感想だけのブログを作って、
週に1回ずつくらい丁寧に書いて更新した方が読者は増えそうに思うけど、
まあずっと雑多なブログのまま行こ。


露天風呂の温泉で3歳くらいの男の子が「おかーさんこのお風呂、お味噌汁の色やね〜」
「薄いお味噌汁やね」「だいちゃん(自分のことらしい)がこんにゃくで、
おかあさんは大根や。おねえちゃんもこんにゃく」って言ってて、
ちょうかわいかった。ほのぼの〜。

女湯は、小さい子どもがいることが多くて、かわいいんだよなー。


自転車漕ぎながら、オシロイバナで一句と考えてたのだった。
フォーオクロックフラワーと呼ばれ、午後に香ると聞くけど、
日本の夏の午後はまだ昼間みたいな暑さで、
暗くなった頃にやっと強く香り出すんだよな。
結構強く甘い香りなんだけど、
角がなくどこまでも優しく柔らかい香りなのでうるさくない。
オシロイバナという名の通りに、パウダリーな香りで、
でも女性の白粉よりシッカロールというか、天花粉の匂いを思い出す。
ちょっと粉っぽい香り。


暑い。エアコンは素晴らしい。結婚したいくらいすばらしい。
冷蔵庫も洗濯機も素晴らしい働きをしてくれるけど、
ベタベタよれよれへろへろ不快の一気の
解消というこのカタルシス的快楽を与えてくれるのはエアコンだけ。
エアコン素敵。


眠れない夜は自分で自分に、自分の小さい時から今までのことを話してやるといい。
って昔聞いてそれやったら、つらくて涙が止まらなくなってておいおい泣き始めて、
全く眠れなかった。眠れない夜は、今は、自分のツイートのまとめを読む。
数年前の自分と話をするくらいならなんともない。というかおもしろい。



図書館はネットより有効という説の記事を読んだんだけど 、
・・・ネットより有効というか、まあ別モノですね。
散漫に生きてると、複数の無関係なことを家で座ったまま
ある程度情報を得られるネットはやっぱりすごいなぁといつも思うし。
植物と俳句と布団と石けんと未知の外国語について動かずに1時間くらいで
知りたいことが一応わかるのは便利としか言いようがない。
図書館でこういう複数のバラバラなことを調べるのには、
あっちの棚こっちの棚と結構大変です。
ただ、時間があるときは、その方が面白いのは確か。
いらんことまで目に入るし、いらんことって、だいたい面白いからね。
というか、そもそもわたしの調べたいこと自体がだいたい、いらんことというか、
どうでもいいことばっかりだったりするんだけど。笑


プランターの中、苗は去年捨てたのに、
去年のこぼれダネが残ってたのか勝手に生えてきて咲いた、マツバボタンの花、
暑いのに元気。可憐なのにたくましいな。朝の光がきれい。


8月の鴨川遊びに次いで暑い日だった、今日の神戸。
日陰がない、街路樹がほとんどない。コンクリートの照り返し。
整備されてる人工的な町の圧倒的な暑さに、朦朧とする。
木くらい植えろよ全く。


>ふとポピュリズムという言葉を見て思ったけど、
>ポピュリズムの対象というのは「一般大衆」じゃなくて
>「マジョリティの集合体」なんだなと。


写真ほんとむずかしい。時々、うまくなりたいような気分になるけど、
きっと気のせい。
この人物いない方がいいから(Photoshopで)消しちゃおうというタイプの写真も
いいと思うけど、自分はそういうタイプの写真を作りたいわけじゃないみたい。
絵描きだったから、絵はそういう風にコントロールして描くわけだけど、
写真は絵とは違ってコントロールできないのが、自分のものとしては好きな気がする。
何かよくない要素があって、これがなければいい写真なんだよなぁ、と思う写真は、
自分の写真ならボツにするかな。
でもこれさえなければなぁ、と言いつつもその写真が気になり続けたら、
それはそれで、そのままでいいやと思う。


イベントなどで企画から入るようなやや長期のボランティアスタッフって、
無理して頑張っても何かと不手際があったりしてお叱りを受けることも多いけど、
お客さんだと気ままに少し手伝っただけでも、頭を下げられ感謝される。
この辺、なんか、もやもやするところがあるんだよなぁ。


雨降るっていうから、昨日は洗濯せずに出かけたのに、すごい晴れで、
今日はたまった洗濯物を洗ったら今にも降りそう。空のばかー。

あ、空じゃなく、天気予報を責めるべきか。お空、ごめん。
帰り道で、傘持ってきたのに雨降らへんかったやん、とボヤいた瞬間に
ザーザー降ってきて、あー、すみませんでしたと空に謝る。
家着くまで降らんでいいってば。


夏も終わるという今頃になって、レース編みをしはじめている。
糸細いと毛糸の何倍も時間かかるし、レース編みはほとんどやらずに来たんだけど。
もうちょっと涼しくなったら毛糸も編む。
今年は久しぶりにブランケットプロジェクトの続きやるぞ。
自分でオリジナルで編むときは、色や形や素材や、迷うことが多いんだけど、
頭を使いたくなかったので出来合いのキットのものを編んでいます。
これだと、頭使わず手を使える。そして、そういう作業って、頭が休まる。
気持ちも休まるし。


自分が今80歳だと想像すると、今のままの自分でもそんなにいやじゃない。
今の自分も今の生活もそんなにダメじゃない気がする。
80歳ならいいのに。今からあと30年、ずっと80歳をやるわけにはいかんかな。
一応の健康のままで。


御舟の木蓮を見においでと、東京の友達からお誘い。
東京3年くらい行ってないし、うさぎもいなくなっちゃったし、行こうかなぁ。
御舟は京都などでちょこちょことは見てるけどまとまった展示は見たことないかも。
木蓮を見た記憶はない。もうひとつくらい何か面白い展示があるときに行こう。

もっとしばしば古典に帰ろう。


息子が就活で某大手外資ででマーケティング戦略のプレゼンさせられた時、
東大生も早慶の学生も、笑っちゃうような初歩的な間違いの英語を
話したり書いたりしてたという。
でもこの子らはひと月もそこにいたら、かなり問題ないとこまで行ける。
文法と語彙は忘れててもすぐ思い出せるだろうし、使い慣れてないだけの問題。
これとは反対に、滑らかに英語で日常会話をしている子が、
テーマのある話になった途端何も話せないというのをよく見た。
そのテーマについて知らないわけじゃなく、ようは、文法と語彙がないから。
小学生の文法と語彙で、日経新聞の中身についてディスカッションするようなの。
文法と語彙がしっかりしてれば、本当に必要になれば数ヶ月で問題なく使えるようになると、
やっぱり思う。
いやまあでも、挨拶や、日常会話がなめらかにできればいいだけ、というていどの目標なら、
確かにそんなに文法はいらんかも(笑)
低学年の子どもでも、日本語の日常会話は問題なくできてるし。


朝から楽しく会話した後なのにいらいらするこれは、なんだろう。
どこがどういやなんだろう。よく考えよう。

だいたい毎日起きてる時間の半分は、いろんなことを
「これなんだろう」と考えている時間だけど。
自分のこの気持ちの動きはなんだろうとか。
自分自身にあまり興味は、もうないんだけど、なんでこうなるのかは、
わかってないと落ち着かない。

何かを好いたり嫌ったりするときに、その理由がちゃんとわかってないと、
もやもやするやん?
わかんないけど、ま、いいや、と思えるものはそれでいいけどさー。


ストレスは美容の大敵。美容は大体の男の人より大事です。当たり前やん。
男の人が自分の全てになることなんかないけど、
自分の肌や体はいつも自分の全てやん。


うっかり、相談しかけた。うっかり。
相談や愚痴に関して言えば、男の人はみんなツイッターの下くらいで丁度いい。


夢で、わたしには息子が二人いた。二人とも何処かに行ってしまった夢。


国籍なんて、その時の国や国際状況によって変えられちゃうことだってあったわけだし、
別に永遠不滅で強固なものじゃないよねぇ。
そういえば「ジニのパズル」でジニは言ってた。国境なんてただの誰かの落書き。
そのせいでなんでこんなめにあわなきゃいけない?


しみるしいみる秋のグラッペリここはパリ


うさぎ
うさぎ、とつぶやくだけでも、一瞬、1㎜くらいだけ、気分が浮上する気がする。
うさぎ。
うさこさん。(めそめそ)


熱烈なカープファンの友達は、カープの話をしていいよと言うと、
1時間でも話し続け、勝手に涙ぐむので、
あーあー、と思いながら、ぼんやり話を聞いてたなぁ。
カープのいろんな選手の話をしてもらって、いい話もたくさんあったけど、
もう忘れちゃったなぁ。でも優勝してよかったね。


弱ってるときにはやさしい人にやさしくされたいけど、
元気なときはやさしくなくても面白い人が好きになるから、
やさしい人に時々ひどいことをしてしまう。
これ思い起こせばハタチのときからこうだわ。すみません。


ミニシアターは、床も傾斜が少なくて、前に大きな人が来ると字幕見えなくて、
2時間首を左右に動かし続けないといけないようなとこもあるので、
できるだけ一番前に座るけど、
一番前だとスクリーンが大きすぎる劇場はいつもとても悩む。


お酒というか、人と飲んでる時には、なんとなくずっと飲んでるだけで、
目の前にあるのが水なら、それをおとなしく飲むんだけど、
お店に悪いしとか、お酒おいしいしとか、
まあ様々な事情で目の前にはお酒があるので、
結局ほぼずーっとグラスを手に持って飲んでる。
昼間に、お茶してる時も、わたしだけ何杯も水をお代わりしている。
水飲みなんだな。
酒飲みじゃなく、水飲みなだけかわたし。でも美味しい水の方がいいしなぁ。
甘い飲み物好きじゃないしなぁ。となるとお酒になってしまう。
コーヒーは何杯も飲むとすぐ胃が痛くなるし、紅茶もお腹がふくれるし、
お酒はなんであんなに何杯でも飲めるんだろうなぁ。翌日その分しんどいけど。


「パラッパラッの炒飯を炊飯器で作る方法」というのを見て
糖質的には結局半分は米なのでやっぱりあれですけど、
ぱらぱらのふわふわにできるというのが気になって、今度やってみる。
米とおからを同量くらい一緒にスープで炊いてから、具を混ぜ込んで蒸らす。


外国の映画見てて、面白い時と嬉しいときしか笑わない、
愛想笑いをしないらしい人たちが多い村など見てると、
それはそれで正直で欺瞞のないやり方のひとつだし、
笑顔を作るのがストレスになるよりいいと思うけど、
なんでもない時もニッコリしたりされたりする方がラクだなぁと思う。自分はね。

無駄ににこにこするので、軽く見られるし、なめられるけど。

小心で、おろおろしてにこにこするのは、ちょとやめたい。
怖い顔するべき時に怖い顔できるようになりたい。
朗らかで機嫌のいい、いじわるばあさんになりたい。

月記:2016年9月

2016-11-03 | 月記
糖質制限を始めたので、少し外食を減らしました。
編み物も久しぶりに始めたし、家にいる時間が長かった気がする。
でもそれなりに出かけてますね。
・・・・・・・・・・・・・・

・岡崎京子展。伊丹市美術館で。
・長井健太郎ピアノコンサート。これも毎夏行ってるかな。
 バルセロナ在住の、うちの地元出身の子で、友達の教え子。
 今年はバッハとショパンとラヴェル。
 ラヴェルの「クープランの墓」っていいタイトル。
・森山大道展@兵庫県立美術館
・藤田嗣治展@兵庫県立美術館
・伊丹の鳴く虫とシニアソムリエのワインの会。そのあとついつい飲んで夜中。
・同じく鳴く虫と郷町のイベントで虫の音で会話ができないというバー。
・ボローニャ国際絵本原画展。恒例。何十年も。
・おいしい葛食べる。葛は冷やすとだめなんだって。人肌のできたて葛切りと葛餅。
・朝8時に飲む会。糖質制限的に飲む。笑
・映画「FAKE」森監督トーク
・毎年やってる日本画同期展のDM用写真撮る
・本当に一瞬だけどワルツが、軽くなった瞬間


映画館で観た映画「ゴーストバスターズ」「イレブンミニッツ」「トランボ」
「アンナとアントワーヌ」「グッバイ・サマー」「ニュースの真相」
「シング・ストリート」「すれ違いのダイアリー」「FAKE」

DVDで見た映画「スティング」

息子の旅:長い旅のお土産

2016-11-02 | こども
今年初めから半年ほどアメリカに交換留学したあと早めの夏休みに7週間ほど
南米からヨーロッパを数日毎に移動する旅をして帰ってきた息子。
そのお土産。
こまごました、何かのおまけみたいなものばかりだけど、
まあバックパック旅行だから荷物増やせないし、こんなもんか。無事帰ってきたし。

・黒っぽい瓶は、グリオットというさくらんぼのジャム。試食して美味しかったと。
 食べてみたら、ダークチェリーより繊細でさくらんぼより濃い、絶妙のおいしさ。
 息子はなぜかジャム好きで、外国行くとジャムを買う。笑
・その左の緑はドロイド君。アメリカ土産かな。
 グーグルのキャラなの?前に、これの小型の、ねじまきで歩くやつを
 ゼミのアメリカ研修のお土産にくれた。とぼけてるよねぇ。
・手前のは切手。ヨーロッパや南米の切手はたくさんほしいと伝えたけど
 息子は郵便局や切手博物館によらないので、なかなか買えない。
 フランスで小さい郵便局に入った時に、記念切手あるかと聞いたら
 出てきたのが蜂の絵の切手シートだそうで。色はきれいだけど、虫は苦手〜。笑
 小さい、使用切手パックは蚤の市で買ったと言って気が。
・ギリシャやトルコの、魔よけ?の目玉ガラス。
・トルコのゲストハウスのエスプレッソカップ、もらいものらしい。
・トルコのオリーブオイルの小瓶

息子の旅を、無理やり送らせた写メで勝手にまとめたシリーズ最終回です。
ああ、おもしろかった。
自分は行ってないくせに、なんかすごくおもしろかったので
旅行に行くけど、ブログ書くほどマメじゃない人は、
わたしにメールやLINEで写真とひとこと送ってくれるといいですよ。
わたしのブログに勝手にまとめますよ。笑

→ゼロとお土産編を足すと10個になった全部の息子の旅シリーズ

息子の旅8:ギリシャとトルコ

2016-11-01 | こども
ワルシャワ、ミュンヘンやローマのあとギリシャ、そしてトルコと行った息子、
アテネの坂道を歩いている時にデジャビュがあって、
これは母(わたし)の育った宝塚の家のあたりとまるでそっくりじゃないか〜!と
びっくり驚いたらしい。

確かに、宝塚の何もない、ぼんやりした住宅地の雰囲気に似てます。笑
わたしの育った家(今は弟家族が住んでる)に雰囲気そっくりで、
ギリシャに宝塚があったとは!笑

うちから見える宝塚の丘にそっくりすぎる・・・。


最後はイスタンブールから帰国したのですが
イスタンブールでは息子がいるあいだにテロが起こり、はらはらしました。
でも本人は、トルコが気に入って、帰国後もトルコまた行きたいと言っています。

昔読んだ、五木寛之の小説に出てきて印象深かったボスフォラス海峡の写真です。

小説「四季 奈津子」は1980年に東陽一監督で映画化されてそれも映画館で見ました。
烏丸せつこと阿木燿子がとても印象的だった。
今調べたら、田村隆一が詩人役で出てたのね。もう一度見たいなぁ。
この中でエセーニンというロシアの詩人の詩がでてくるのです。
ボスホラスには行ったことがない
ボスホラスのことは 君 きいてくれるな
でも ぼくは海をみたんだ 君の目に
碧の火の燃える海なのだ

エセーニンはロシアのランボーと呼ばれただけあって、
お酒に溺れなんども恋に落ち5回くらい結婚して、30歳で死んでいます。
言葉の通じない18歳上のイザベラ・ダンカンや、トルストイの孫とも結婚してた。

トルコの宿では、何ヶ月も旅をしている人たちと仲良くなったらしく、
彼らの長い長い旅を、いいなぁとちょっと羨ましそうだったけど、
二ヶ月くらい旅をしてた息子もそろそろ疲れて
一旦帰国したくもなってたんじゃないかな、と推測。推測ですが。笑

アメリカに行く時に成田からの便が何かの事情でアップグレードされて
ビジネスクラスで楽々行った息子ですが、
イスタンブールからの帰りも、テロがあった影響で随分予約が乱れて、
なんとまたアップグレード。関空までビジネスで快適に帰ってきたらしい。
運いいな〜。じゃんけんにも勝てないわたしに似なくてよかった。

ワルシャワやミュンヘンの写真も送って!と何度か言ったんだけど
返事なしのまま、息子は日本に帰ってきちゃった。笑