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sigh of relief

くたくたな1日を今日も生き延びて
冷たいシャンパンとチーズと生ハム、
届いた本と手紙に気持ちが緩む、
感じ。

同調と同情

2016-11-19 | Weblog
たとえばこんな酷い奴がいてと話されても、
限られた情報の中で判断しかねることにはわたしは慎重で、簡単には同調しない。
その情報だけでは相手側の意図が正確にはわからないし、
わたしにはその相手が本当にひどいのかどうか今の時点では判断できないから。

判断できないと判断し、保留にしておく物事がわたしにはすごく多くて、
自分ではそれがせいいっぱいの誠実さのつもりなんだけど、
人として優柔不断で割り切れない上に、情の薄い人みたいな気がすることはある。
そんな風に見えてるんだろうなと思ったりもする。

自分の場合を考えても、嫌いな人のことを友達が一緒に嫌ってくれると、
嬉しい反面、違うなぁとも思うのです。
自分が誰かにひどい目にあって嫌いになった時は、
その嫌いな気持ちに同調して欲しいんじゃないんだよな。
その相手をわたしと一緒になって憎んだりしないでほしい。
同情してほしいから、人に話すかもしれないけど、一緒に憎まないでいい、と思う。

逆もそう。自分が直接実際に嫌な思いした相手でなければ、そんなに嫌えない。
友達を苦しめた相手として、やなとこのある人なんだろうとは思うし、
一つ一つの問題には呆れたり怒ったりできるし友達には同情するけど。

つまり、同情はするけど同調には気をつけたいと思うのです。

あと、同情に関しても、なんか同情欲しがるのって
ひどく情けないこと、弱いこと、ダメなことのように考えられがちな気がするけど、
わたしはわりと同情されたい時も多いです。
「同情なんかほしくない」と思うこともあるけど、
同情してして!かわいそうかわいそうって慰めて!って気分のこともある。

だって、同情って、いつもいつも悪いものってわけじゃないよね?

結局、同調はいらない、わたしの感情は私のものだから。
でも同情はありがたい、誰かが私の感情を思いやってくれるのはうれしいから。
ということが多いかなー。

もっと個人的な難しい問題では、本当に同情もいらない、迷惑、
同情されると傷つく、ということもあるけど。