散歩者goo 

タイトルのgooは、同名のHPやブログと区別の為付けてます。HPの「散歩者」はこのブログ筆者の私とは全く無関係です。

昨日記140614土(府立弥生博物館・東北の縄文文化 ジム・ランニング 3km)

2014年06月16日 16時57分27秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
晴  26.9/18.5℃  63/44%
14日は、午後から大阪府立弥生博物館に行った。
2時から始まる講演会「縄文時代後期の遺跡と社会」に参加するためだ。
講師は、盛岡大学教授の熊谷常正氏だった。
1時前に家を出た。
講演会の開始時刻には間に合った。
会場は満席で、ロビーでのディスプレイの聴講となったが、この事態は予想していたので驚かなかった。
講演会は、宮城県や岩手県を中心とした縄文遺跡の遺物を中心に、特に石棒、土偶。土製品を中心に話が進められた。
2012年12月22日に同博物館の「縄文の世界像」を見て長野県の縄文中期の土器の豊かな表現を知った。
学術書や、美術の本では知っていたが、実物はもっと迫力があった。
その時、石棒も出品されていた。

最近まで、石棒の用途に関し、武器を含め様々な説が出されていたが、「縄文の世界像」の展覧会で、大きな石棒と女性器がセットで発掘された状況が実物で復元展示されていたのを見ると、石棒が男性器であることは明らかなようだ。
即ち、石棒や女性器や女性の土偶が、学術的根拠云々は別にして、豊穣や安産の宗教的目的で使用されたというような可能性は、だれでも想像できるだろう。
それに、今までのところ、縄文時代は集団的な戦闘の遺物がほとんどなく、この時代は平和な時代だったと想像されている。
ただ縄文時代は、1万年以上続いたようだが、気候変動により人口が極端に増減していて、中期のころが最も人口が多かったと推定されている。(芸術的土器が出た時代。)
今まで読んだ文献によると、縄文から弥生時代の過渡期は、人口がかなり減少していたようだ。

今回の講演会ではその他東北地方の縄文文化の特徴的な遺物の解説があった。
盛岡市しだない遺跡出土の22cm(高さx幅)の人面土偶は、屈折像土偶の頭部だという。
屈折像土偶は縄文時代後期から晩期に東北ではよく見られるという。
縄文中期後半から土器も増え、社会も高度化するという。
後期から晩期にかけて精霊と思われるものや動物の土製品も増えるという。
縄文時代に関しての、新しい学説というようなものはなかったが、東北の縄文文化や日本の縄文文化の一端を知ることが出来たし、信州の縄文土器ほどではないが美術的に見ても面白いと感じた。
帰宅後は、体を整えるために夜ジムに行って、20分ほど時速9.6kmでその間2分程休憩のため歩き、トータル約3km走った。
疲れを残さないよう気を配りながら少しでも運動をしておかないと、落ちた体力はなかなか回復しない。
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昨日記140613金(腰痛対策 西天満)

2014年06月14日 11時51分10秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
曇・雨  25.5/18.8℃  69/52%
昨日は、腰や背中の筋疲労はさらに回復した。
背筋を伸ばしての歩行も問題ないが、まだ腰や背中に違和感が残る。
更に昨日からは、大きく息を吸い込んだ時に胸の下のほうが少し痛くなる。
これは、以前か運動後に発生する現象で、一昨日の夜に激しいはげしい運動をしたため、呼吸するための胸の筋肉が疲労していると思った。
多分数日でよくなるだろう。

ごごは、温野菜が切れたので、缶詰で昼食を済まし、昼から9食分の野菜を切り分けた。
夕方から、西天満に出かけ画廊を回った。
帰り天満橋に向かう途中雨が降り出した。
何とか、天満橋の商業ビルに逃げ込んだ。
ファストフードで、コーヒーを飲みながら本を読んでいると、目の前の大川が雨で煙りだした。
大雨で、大川べりの散策路にたまった水たまりに、大きな雨粒が水たまりにあたり、泡が出来ていた。
滝のような土砂降りの豪雨だった。
しかし、不思議なことに、北の空を見上げると、わずかな雲間から青空が見えていた。
最近よく指摘される、局地的豪雨に違いない。

その後、本屋により本を購入、百均で穴あき眼鏡を購入して帰宅した。
帰り道の大阪城公園では、きれいな雨上がりの満月を見た。
公園を走るランナーのシルエットの風景は、まるで明治の木版画を連想させた。
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昨日記140612木 (腰痛対策 予定日報表のグラフの色 ジム・筋トレ・ランニング)

2014年06月13日 11時33分23秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
曇・雨  27.2/20.8℃  75/59%
昨日は、朝から自家製のエクセルで設計した予定日報表の、時間軸の棒グラフの色分けがすっきりしないので、長い時間調整した。
原則的には、エクセルのセルを右クリックすると表示されるアイコンの塗りつぶしの色をクリックすると表示される、塗りつぶしの色の図の中では、テーマの色と標準の色を使うことにした。
しかしテーマの色は、デザイン的な観点から背景や文字等に使用するオシャレな色の系列を決めているので、グラフにとって必要な区別しやすい色分けになっておらず、ミニマル傾向の渋い寒色系が多い。
目立ちやすいのは、暖色系である。
以前は自分で好みの色を作り使っていたが、いろいろ不便なことが多いので、今回からできる限りテーマの色と標準の色を使うことにし、それ以外の塗りつぶしの色は、カラーチャートの標準色を使うことにした。
標準色は指定するまで、何度かクリックを繰り返さないといけないので(セル選択右クリック― 塗りつぶしの色アイコン― その他の色― 標準― 色選択)日報表の上部の時間表示のところに使用する標準色で4セル1時間分を色分けした。
そうした標準色使用の色分けの用途(ネットチェック 画廊廻り 調査 買い物・・・)が6種類できた。
予定日報表は、時間があればそれまでの行動を色分けして記入しているが、数日分記載を怠ると、その日いつごろ何をしたのか思い出せなくなるので、その日の出来事・行動はその日に記載するようにしている。
そのおかげで、以前にも繰り返し書いているように、怠けだしたとか、体調不良になったとか、今やっていることの以前からの流れとか、生活習慣の乱れとか、反省点が見える化でき、今後の自分の行動をどうすべきか、非常に参考になる。
そうした意味で、予定日報表のグラフの色分けの標準化・単純化は作業の効率化のため必要だった。

腰痛?はかなり良くなり、背筋をピンと伸ばし直立しての歩行も、違和感は前日よりかなり少なくなり順調な回復を確信した。

昨日記の記載は夕方にずれ込んだ。

夜になって、とりあえずジムで体を動かして体調を整えることにした。
1週間ぶりのジムである。
腰を痛めた?おかげで運動をセーブしていたので体が鈍って、激しい運動には耐えられないことは、目にみえていた。
筋力の低下は覚悟していた。
とりあえず、普段より重りを数キログラム落とした状態で、筋トレを一通り行った。
感覚的には、上半身の筋肉はそれほど落ちていない感じだった。
その後ランニングを行った。
時速9―9.5kmで10分余り走った。
息切れがして、足の筋肉も疲労を感じた。
やはり持久力と、あしの筋肉が落ちていたようだ。
腰は、腹筋の時に痛む部位があったので腹筋も途中でやめ、背筋のトレーニングはやめた。
また走っているときには、腰の違和感があった。
とりあえず軽く走れる状態まで順調に回復したので、1週間程度は無理せず休養を多くとり、筋疲労回復の様子を見守りたい。
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昨日記140611水 (腰痛対策 通信料決済手続 キャシュバック)

2014年06月12日 18時07分35秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
曇・雨  26.9/21.2℃  75/62%
昨日も、朝食後腰痛予防のため伏寝を行う。
予想通り、背中や腰の筋肉疲労は最悪の期間を過ぎ回復しているようで、一昨日は背筋を伸ばして
立てなかったが、昨日は朝からまっすぐ立つことができた。
しかし油断は禁物で、無理をすると慢性筋肉疲労の腰痛になりかねない。
過去に同じ状況を何度も経験した。
今回は、腰痛ではなく、園芸作業時に加わった、腰や背中への回転負荷(モーメント)に対する、背骨の起立筋や腰の周囲の筋肉の酷いオーバーワークと捉えていて、ことによると部分的に肉離れや断裂をしているかもしれないと思って対処した。
今回の、腰痛初期症状の経過を見て、上記の想定が正しかったことを確信した。
筋肉疲労の回復過程と全く同じである。
普段使っていない筋肉を酷使すると30歳以降になると、筋肉を酷使した日から3-5日目に筋肉痛のピークが来ることはよく経験する。
筋肉痛がひどいと、その筋肉を動かせなくなる。
しかし、普段からトレーニングしている筋肉は酷使した日は筋肉の疲労感や痛みが現れるが、翌日または数日には回復する。
昨日は、普段あまり使っていない筋肉が、一昨日に筋肉痛のピークを迎え、その時休養等それなりの対処をしたため、昨日は背筋をまっすぐ伸ばして歩けるようになったようだ。
とはいえ、痛みは残るし、特定の姿勢ではかなり痛むので、一昨日同様問題なければ休養するのが望ましいことは言うまでもない。
サラリーマン時代は、背筋をまっすぐ伸ばせなくても、中腰になりビッコを引きながらも仕事に精出したことは何度もあったことを思い出す。
そして、昨日も、ブログを書いたり家事をしながら、時間を見つけてはゴロゴロと積極的に伏せ寝をした。

午後になって、PC購入時に、通信会社を乗り換えるとキャシュバックされるというキャンペーンがあって、その支払い開始日が昨日だったので関係書類を調べた。
このキャンペーンは、大手家電量販店と通信会社が共同でやっているらしい。
PC購入時に、通信回線の乗り換えが条件でキャシュバックの話があった。
話がうますぎると思いつつ、もともと通信回線は1Gに変更する予定だったので、話半分でも本当にキャシュバックが入るならと思い通信会社乗り換えの話に乗った。

5月には、通信回線の工事も終わり、古い光回線も撤去したので、残る事務手続きはキャシュバックの話だけだった。
キャッシュバックは、余りにうまい話なので、先月もそのことを確認しに、家電量販店に書類を持って行ったが、話に間違いはないという話だった。
今使用しているPCは、春モデルの展示品のため格安で購入できた。(シーズン中の価格を見ていた。)
そのポイントも特典がついていて、1万円以上するソフトAccessも入手でき、残りのポイントでウイルス対策ソフトへの出費もわずかで済んだ。
アウトルック、ワード、エクセル、アクセスが使え、TVも視聴録画ができ、メモリも1Tあり、更に現金のキャッシュバックまでついてくる。
無論、通信会社の乗り換えにより、撤去費用や設置工事費が発生するが、多くの部分を自分でやったので、残された工事明細からすると、多分撤去工事と設置工事費を引いても1万円以上おつりが来そうだ。

そうしたことを調べているときに、新規加入の通信会社への支払い手続きがまだなのに気づいた。
そのまま放置すると、毎月請求書と領収書の封筒が届くようになる。
新しい通信会社は、以前電話とPCにその会社を使っていたが、その時も毎月使用料金の請求書と領収書の書類がよく届いていた。
役所体質が今も残っているのかもしれない。
とにかく請求書や領収書が毎月届くのは煩わしいので、ネットで銀行引き落としの手続きをした。
その際、カード決済も申し込んだが、約6年前に自己破産しているので自己破産の制限期間は7年間だったので、カードは無理かもしれない。(7年経過すると自己破産の縛りが解かれるようだ。)
(20代から取引のある大手銀行がカードを作ってくれと宣伝してきたので、申請をするとクレジットカードが入手できた。もうクレジットカードで買い物や借金はするつもりはないが、月々の利用代金500円の決済に使ったり、チケットの決済には使用している。)

とりあえず、通信会社への決済の手続きを済ませ、改めてキャッシュバックの関係書類を整理し証拠書類をそろえた。
夕方になっていたので家電量販店に行くか明日にするか迷ったが、なんでも機会のある時は、早く済ませておいた方が良いと考え、ナンバの巨大家電量販店に行くことにした。
心配しながら家電量販店に行くと、丁寧に対応してくれキャシュバックの現金をもらうまで少し待たされたが、全額現金でもらうことができた。
ポイントによる割引は普通に経験しているが、現金でのキャシュバックは初めてだ。
今後工事代金等の支払いが予想されるが、それでも多分1万円程度は余りが出るものと思っているので、年金暮らしで、細々と生活している独居老人にとっては嬉しいことだ。
これでPC購入と通信高速化に関連しての作業はほぼ終了した。
高額の買い物で、焦らず下見調査を繰り返し、世間の情勢も見ながら(消費税、ウインドウズXP廃止、PCの動向、通信会社の戦略)の購入のタイミングは、悪くはなかったようだ。

今回家電量販店に行くまで、地下鉄の階段を上り降りし、なんばパークスを歩かなければならないので、腰のことが気になったが、腰や背中に多少違和感があったものの、背筋を伸ばしてますぐに、すたすたと歩くことができたが、姿勢により瞬間的に筋肉に痛み感じることもあり、完治にはまだ時間がかかりそうだと感じた。
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昨日記140610火 (腰痛予防対策 夏用靴下購入)

2014年06月12日 00時10分20秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
曇  28.1/20.9℃  76/53%
10日は、朝から7日の園芸作業による腰から背筋の酷使による筋肉疲労が始まって3日目なので、そろそろ痛みがピークに達し、その後の治療で本格的腰痛になる危険性を感じていた。
予想通り、痛みは酷くなり直立できないが、動かなければ痛みはない。
過去の経験から、筋肉疲労と断定し、これ以上悪化させないために徹底した筋肉疲労の対策を取ることにした。
まず筋肉痛の部分に湿布薬を張る。
栄養とビタミンを十分とる。
そして疲労を蓄積せず、筋肉疲労している部分に負担をかけないようにした。
そのため、机に座って1-2時間作業をしたり、食後の片付が終わると、すぐに横になって15分から30分休んだ。
寝るときは、背中を伸ばすストレッチをしてから、うつ伏せに寝た。
背筋を圧迫せず、背筋への血行を良くするためである。
こんな調子で、ほぼ1日中ごろごろ伏せて寝ることが多かった。
そのため、夜には筋肉痛も随分改善された。

夕方になって、夏用の靴下がすべてぼろぼろになったので、仕方なく京橋のスーパーまで買いに出かけた。
父の日が近いことを知り、父の日が過ぎてから買いに来た方が安くなっているかもしれないと思ったが、せっかく行ったので、3足だけ購入して帰った。

京橋までは、JRで行ったが、階段の上り下りが多くあり、腰痛予備軍としては非常に厳しかった。
外出中、一度も背筋を伸ばした直立姿勢をとることができなかった。
直立姿勢に近づくと、背筋や腰の疲労した筋肉がキリリと痛み直立姿勢が取れないのだ。
このまま本格的腰痛になるのではないかとの不安も感じたが、日中は伏せ寝するたびによくなっていたので、何とか悪化せずに行けるのではないかと思った。
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昨日記140609月 (食事・運動・健康 ツバメ調査報告)

2014年06月11日 11時50分39秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
晴・曇  31.8/22.5℃  68/43%
9日は、食事の作り置と食材が無くなりすべての食事関連の作業をすることになった。
即ち、9食分8種類の野菜と6食分の肉を求めて、遠近3つのスーパーへ食材の買い出しに出かけた。
当然のことながら、その後いつものように、まずキャベツやカボチャの下処理(4つ切り、芯取、種取)大根やニンジンの根菜類の洗浄と各野菜の簡単な水洗いをしてから、8種類(キャベツは別)の野菜9食分を切り分け袋に小分けし、丼鉢6個にやはりキャベツの千切りや鰹節や昆布と肉を切り分けて入れて、そのうち切り分けた野菜の6袋6個の丼蜂に入れ温野菜セットを完成させ冷蔵した。
後は、食事の前に温野菜セットに醤油と味醂の自家製出汁(化学調味料なし)を希釈して入れ、約15分余り電子レンジで加熱し、その後卵をトッピングしたりする。
卵や納豆は、どちらも毎日1-2個以上食べている。(納豆以前は、豆腐が好物で毎日食べた。)
最後に冷凍してある冷凍ご飯を温めれば、栄養バランスが取れ、量も十分本格的出汁のおいしい食事の準備の完了である。

朝は、パン食+純粋蜂蜜にこの温野菜を食べる。
食事中は、水代わりに牛乳を飲む。
以前は野菜ジュースも飲んでいたが、糖分の過剰摂取を防ぐためやめた。
朝は食後にコーヒーも飲む。
以前はドリップコーヒーを淹れていたが、手間なのとコスト高なので今はインスタントコーヒーを飲んでいる。
数か月に一度あちこちのスーパーで超特価の特売(500円台)があるので、そのたびに購入していたら、未開封のインスタントの瓶が食器棚に5本ある。

3食ほぼこの食事をしていて飽きないが、たまにカレーのルーを入れてカレーにして食べることもある。
季節により旬の野菜が加わるが、カボチャ・ニンジン・ブロッコリ・マイタケ・タマネギ・ダイコン・キャベツは必須食品で、それ以外ピーマン・パブリカやシシトウやアスパラやモヤシやゴボウが加わることも多い。(以前は必須食品の中にニンニクも入れ常用していたが、ひどい口臭を指摘されたのでやめたが、健康維持には効果が認められているので体調不良時には使おうと思い用意してある。)
その他、旬のものとして、ゴーヤ・茄子・キュウリ・冬瓜等・菜花も加え、特にゴーヤや茄子は初夏から秋にかけて常用食品となる。
実際、先週からはゴーヤと茄子の特価品(期限切れ)があったのでそれを使っている。
こうした食品は適当に選んだわけではない。
以前学校警備のアルバイトをしていた時に、府立中央図書館で見た食品関連の論文集で、アメリカで発表されていた、有用食品(免疫活性化作用?)のピラミッドが参考になっていて、それ以外にマスコミで報道された情報も参考にしている。(この時別の論文で、ヨーグルトやキノコの免疫活性化作用を知りそれ以来、ヨーグルトやキノコも馴染みの食品になった。)
同じ時期に、本を読んで、適正な運動が免疫力を高めることも知ったと思う。
こうして食事とジムでの運動のおかげで、健康状態は非常に良く、70歳前でも健康診断はすべて異常なしである。

そんなわけで、9日は食事関連の家事に多くの時間が割かれた。
夕方から駅前のファストフーズで読書をした。
帰宅後、PCでメールチェックをしていると日本野鳥の会で、ツバメの調査の登録が済んでいないことに気付き、登録を完了した。(日本野鳥の会 ツバメ全国調査2014 http://tsubame.torimikke.net/ )
そのついでに、森ノ宮近くのスーパーでツバメが3羽巣立ったことを報告した。
ついでに市内の状況を見ていると、私のよく知る地域に、ツバメ観察者がいることが分かった。
この地図は、全国どこでも見ることができ、拡大縮小も自在なので、見ていて面白い。
それぞれの報告者の観察記録も読むことができる。
そんなことをして時間をつぶしたために、昨日記を書いて、昨日記の日付と書いた日の差を縮めることはできなかった。

9日の腰や背中の筋肉疲労は、ややひどくなったような状態で、背筋をピンと伸ばして歩くことができない状態だ。
当日も、筋肉疲労を緩和する対策をとったが、発生日の土曜日から数えて2日目なので3-4日までは酷い筋肉疲労が続くものと覚悟していた。
ただそれをこじらせると、本格的な腰痛になるので、そうならぬよ見守るしかない。
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昨日記140608日 (図書館 大阪府立近つ飛鳥博物館・シンポジウム:葛城氏)

2014年06月10日 23時41分27秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
晴・曇  29.2/21.2℃  68/48%
8日は、午後1時から始まる大阪府立近つ飛鳥博物館の「ヤマト王権と葛城氏」の展覧会のシンポジウム「出土品から見た葛城の古墳とヤマト王権」に参加するために、10時前からばたばたした。
博物館に出かける前に、図書館で借りている本をいったん返却し、新しい本を借りようと考えていた。

10時半過ぎに家を出、図書館に行き急いで本を返却し、新しい本を借りた。
図書館を出てまっすぐ博物館に向かった。
JR環状線で天王寺まで出て、近鉄の河内長野線の喜志まで行き、バスに乗り換え終点で降りて、10分近く山道を上り下りしてほぼ1時ごろ、博物館に着いた。

前日に、園芸作業で酷使した腰と背中の筋肉疲労が激しく、普通に歩くと強烈な筋肉痛に見舞われるので、腰痛の時と同じような姿勢で、背筋はまっすぐ伸ばすことができずやや中腰気味で、ゆっくりと歩く羽目になった。
普段なら、すたすたと勢いよく歩き、階段や坂もすいすいと上り下りするが、手すりを頼る始末だった。
ただ、救いは腰痛状態になっていないので、十分休養すれば、通常の激しい筋肉痛同様3-4日すれば回復するものと見込んでいた。
それでも終日憂鬱だった。

さて、博物館では、基調講演として、森下章司氏の「銅鏡から見た葛城の古墳」と和田一之輔氏の「埴輪からみた葛城の古墳」が各1時間ずつあり、その後、森本徹副館長を司会として討論が行われた。
葛城氏は大王家と深いかかわりを持ち、皇后も出している有力氏族で、大和の葛城山麓一帯を支配地域としていて、その地域の馬見古墳群には巨大前方後円墳がいくつも存在する。
記紀に登場する葛城襲津彦(かつらぎのそつひこ)は朝鮮の歴史書にも登場する人物であり、5世紀に倭と朝鮮南部一帯でも活躍した有力人物とみられている。
シンポジウムを聞いたが、葛城氏そのものの実態も、葛城一帯の豪族連合が一体化して葛城氏になっていったのではないかという話も興味深く、実際古墳の分布もわかれている。
ただ、埴輪の流れからすると、古市古墳群とか佐紀古墳群の埴輪の影響を受けているところを見る限り、葛城氏は大王クラスまでには到達していなかったのではないかという考えも理解できる。
葛城氏は物部氏同様に謎の多い氏族だが、今後の研究の進展が楽しみだ。

結局、この日の昼食といえるものは、6時過ぎに玉造に戻って食べたハンバーグ1個のみだった。
食べる時間が全くなかったのだ。
帰宅後は、夕食後腰から背中の状況も更に悪化しそうなので、早い目に床に就いた。
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昨日記140607土 (園芸作業で腰痛の危機 西天満 ポートギャラリーT:榎忠作家トーク

2014年06月10日 13時34分09秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
曇・晴  26.1/20.6℃ 80/56%
7日は朝、まだ不十分と思われた巨峰の摘果と殺虫を行った。
午後からやり残していた、表のとりあえず一時的に鉢植えにした方のゴーヤの植え替えに挑戦した。
初めはとりあえず、ブラックベリーとゴーヤに予定しているプランターの位置の入れ替えをして、後日鉢植えのゴーヤをプランターに移植する予定であった。
プランターの位置の入れ替えの前に、ゴーヤを植える予定のプランターに植わっていた、枯れたブルーベリーの灌木の撤去から始まった。
ブルーベリーは、生け垣のように支柱に張り巡らせていたので、なかなか動かない。
仕方なく力づくで根元を抜き、幹を折った。
しゃがんで作業する位置からブルーベリーの灌木まで、手をいっぱい伸ばしての無理な姿勢での力仕事だった。手を伸ばしてする力仕事には、体に大きなモーメント(物理学・回転力)が掛かり、支点となる腰から背骨への負担が気になったが、それをやらなければその作業は完了しないので、無理を承知で力をふるった。
その後も重いプランターを、手を伸ばした状態で持ち上げ移動させたりと、無理な力仕事の連続であった。
一つのプランターは20kgを超えているだろう。
ジムでは50kg弱の重しをトレーニングのため10回以上押したり引いたりしているが、それにはモーメントはかからない。
単に下から胸まで持ち上げるだけなら50kg近いものでも持ち上げられるが、手を前に伸ばした状態で持ち上げるのは、回転力(モーメント)になるので力の作用する場所が全く違い、腕力ではなく支点である腰や背骨に大きな負担がかかる。
その後、ブルーベリーを植えていたプランターの土をすべて出し土を選り分け、油粕を入れ、他の土も入れて丁寧に混ぜた。
ブルーベリーは根腐れを起こしていたようだが、古い用土は赤玉土と園芸用土を私がブレンドしたものだった。
新しい用土に入れ替えたブランターに、鉢植えのゴーヤを植え替えた。
鉢植えゴーヤ植え替えたプランターを、先に大きなプランターに植えてあるゴーヤの右横に置き、その右横にブラックベリーのプランターを置いて作業は終了した。
作業終了前から、腰や背中に強い疲労かんや痛みを覚えた。
ひょっとすると、今後激しい腰痛になるのではないかと思った。
予防のために、湿布薬を腰から背中に貼った。

夕方から、自転車で西天満に向かい現代系の画廊を見て回った。
天野画廊では、久しぶりに出展作家のS氏と会ったが、彼は私が芦屋市美術館で行われていた堀尾さん松谷さんのパーフォーマンスでTVに映っていたという。
確かにその日は、TVクルー(MBS?)が来ていた。
初耳なので驚いた。
西天満からの帰りに天満橋のカフェでアイスコーヒーを飲み、読書をしながら一休みした。

天満橋を出て大阪城公園を通り抜け、森ノ宮駅前の駐輪場に自転車を預けた。
地下鉄で本町まで行き、靭公園北側にあるポートギャラリーT(http://www.portgalleryt.com/home.html)に行った。
榎忠氏の作家トークがあるためだ。
会は、予約制であったが、会場は多くの人でいっぱいになった。
作家トークが始まる前に、隣り合わせになった男性と話した。
彼は、哲学や現代詩を作っているといっていた。
なんとその前日私が行くかどうか迷っていた、此花のギャラリーのオープニングにも行っていたという。
その彼から、現代詩の現状について、話を聞くことができた。

作家トークは、社団法人ワールド アート ダイアローグの鈴木大輔氏との対談形式で進められた。
榎さんとはギャラリー時代からの知り合いで、年代が同じということもあり馴染みのある作家さんで、
私も気軽に質問することができた。

会の終了時に、ギャラリーの手伝いをしているSさんからはなしかけられ名刺交換した。
彼は、昔私が経営していたギャラリークルセをよく知っていて、その時代から絵本作家の岡田慶隆氏やGSカビール氏や小川氏をよく知っているというので驚いた。

榎忠さんに関しては、超ロングインタビュー「榎忠オーラル・ヒストリー 2012年2月10日」が面白い。(http://www.oralarthistory.org/archives/enoki_chu/interview_01.php)
(インタビューは3篇あり、冒頭の榎忠さんの紹介文の後の、interview:2012.02.10/2012.04.10/2012.04.23
の日付部分をクリックすれば見ることができる。)
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昨日記の遅延

2014年06月10日 00時07分19秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
今朝、昨日記が遅れているので、今日は、昨日記を3本書く予定と言っておりましたが、食事関連の作業や、買い物、更には緊急性のない登録事項への対応等で、遅延状態を解消することはできませんでした。

明日も、気の向くまま動く可能性があるので昨日記の遅れが解消するかどうか分かりません。
今後、読者ランクを気にしないようにするため、ランキングをもっと落としてもいいかなと思ったりしていますが、ランクは別にして、日々の出来事を書くことを目的にしているので、記憶の新鮮なうちに書くということからも、ここ数日中に遅延状態を解消できれば、とも思っています。

昨日今日と、体調は万全ではありませんが、原因は土曜日の行動にあり、それが作業の遅延にも僅かですが関係しているとみています。
詳細は明日の昨日記に書く予定です。
いつ昨日記も読んでいただいている皆様には、申し訳ありません。
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昨日記140606金 (ブログ・地図と山歩き 園芸作業 梅酒の仕込み)

2014年06月09日 11時31分02秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
曇/雨  28.3/20.0℃ 80/57%
今日(6/9月)は、昨日記を3本書かなければならないので大変だ。
そのうえ、これからの6食分と9食分の温野菜セットや温野菜の野菜セットをゼロから作らないと昼食にもありつけないので、どうなることやら先が思いやられる。
まあ、出来なかったらしようがないと諦め延ばしして、適当にストレスをためないようにしようと思う。
こうでなければならない、という生き方はないのだから。

でも、なんでもだらだらも私の性に合わないので、やることだけは、全力を尽くしてやりたいし、のんびりするならすべてを忘れて(ほったらかして)のんびりしたい。
土曜日曜は外に出て、忙しかったのでブログが書けなかった。

金曜日は朝に、FBを見ていてニュース記事で富士山のことで地図上の表記の話題になっていたので、国土地理院の地図について調べた。
そのことに関して、ブログを書いた。

20代から30代前半は、よく山を歩き回った。
ハイキング地図に記載されている多くのコースを踏破した。
その中には、あまり人が通った形跡のないコースもあった。
道に迷ったりもした。
20代のころは、ハイキング地図もなく、本の図の山の尾根や谷に引かれたルートを辿っていくのだが、それでは不十分なので、5万分の1の地図は、必携だった。
よく道に迷った。
その後2万5千分の1の地図が普及するようになって、それを使うようになり、さらに出版社か山歩き・ハイキング専用マップが出るようになってからは、それを使うようになった。
そんな訳で、国土地理院の地図にはひときわ愛着が深い。
それがネット上に公開され自由に見ることができるので飛びついたのだ。
ネット上で、航空地図や地図が出回っているが等高線がないので詳細に起伏はわからない。
やはり山歩きには、等高線入りの地図が欠かせないし、国土地理院の地図で、地図記号により特徴のある施設や建造物や環境も読み取ることができる。

午後からは、前から気になっていた巨峰の摘果作業と剪定を行った。
去年は巨峰の手入れをせず全く実がならなかったが、今年は土も含めかなり熱心に手入れをしてやったが、さてどうなることやら。

夕方から、梅酒を仕込んだ。
全く初体験である。
瓶の取説に従って梅を洗ったりヘタを取ったりした。
氷砂糖の分量を別の説明書では500gから800gとあったので750gまで入れたが、甘すぎるようだ。
仕方ない。
出来上がってから飲むときに水で薄めよう。
お酒は、ホワイトリカーより250円だけ高いブランデーを使ったので、どんな味になるか楽しみだ。

金曜日の夜は、当日になってFBの招待がきていた面白そうな作家トークとパーティーに、最初行く予定をしたが、土曜日も同じような催し物への参加を予約していたので、2日続けての深酒と夜9時以降の帰宅はきついかなと思い、行くことをあきらめた。
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昨日記140605木 (ごみ処理 ジム・筋トレ)

2014年06月06日 16時50分28秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
曇/雨  26.2/18.5℃ 71/54%
昨日は午前中部屋の整理を行った。
余りにも散らかっていて手の付けようがないが、出来るところから始めた。
かと言って、よくTVで出てくる片付けや掃除をしないタレントのようなことはない。
使ったものは必ず元に戻すし、食事の片付はよほどの急用でもない限り、きれいに洗って食器を所定の場所に置いている。

したがって床にゴミが大量に散乱していることはないし床や畳がほとんどゴミに覆われているというようなことはない。
ただ、本とか衣装ケースの山が、タンスや本箱の前にいくつもできているのは事実である。
特に問題は大量の本と、画廊廻りの時に持ち帰る展覧会の案内はがきであろう。
そうしたものをチェックして、古いものは廃棄した。

夕方になっておそくなった昨日記を書き始めた。
書くことがないので、一昨夜放送された卑弥呼のことに関したことを書いたので長い時間かかった。
夜になって、ジムに行き筋トレを行った。
最後に10分弱ランニングを行ったが、時速10.2kmで4分走るのが精一杯で、あとは10.2kmで走れるところまで走り1分間歩くインタバルを行った。
たった10分のインタバルだが、それでも少し疲れた。
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山歩きにも必要な国土地理院の地図で活断層チェック

2014年06月06日 12時25分46秒 | エッセイ &余談 ・短感・片言雑事
新聞で富士山頂の住所が消えたことが話題になっていた
今まで国土地理院の地図富士山頂が静岡県富士宮市としていたものを廃止したという。
山梨県との県境問題があるためだ。

そこで国土地理院の地図に興味を持った。
若いころは初めのころは5万分の1を使いその後は2万5千分の1の地図を購入してハイキングに出かけたので、結構地図には親しんでいる。
ハイキングがブームになりだして詳しいハイキング地図が出版されるようになってからは、出版社の山歩き用の地図を利用するようになった。
今まで地図は、書店の地図売り場で買うものと思っていた。

今この記事を見て、さらに過去のニュース報道を思い出すと、国土地理院の地図が記号追加や、災害の地形変化で何度か変更になったり、防災マップのことが出ていたことを思い出した。
ということは、日本全土の地図がネット上で国土地理院から公開されているかもしれないと思い検索すると、実際に公開されていた。

地理空間情報ライブラリー(http://geolib.gsi.go.jp/)
電子国土基本図(http://portal.cyberjapan.jp/site/mapuse4/index.html#zoom=13&lat=35.1495&lon=135.72657&layers=BTTT)
を開くと地図があった。
縮尺も自由に使え2500分の1まである。
自宅の周辺や市内の地図を見、さらに若いころ幾度となく通った北山の雲ケ畑・桟敷岳や比良山や二ノ瀬のハイキングコースをチェック、そして、暇つぶしに歩いた六甲山、50回以上登っている金剛山・紀見峠や軽く足慣らしで登る葛城山のハイキングコースも見た。
懐かしかった。

地図の左には様々な機能も付いているようなので、都市圏活断層図にチェックを入れると、10万分の一のような大きな縮尺では表示されなかったが、2万5千分の1にすると表示された。
大阪にある、上町断層もはっきりと表示されている。
明治前期の低湿地で表示してみると、両親が言っていたように、昭和10年ごろ、両親が今の長屋に引っ越してきた時は、周囲がまだ田圃だったという言葉を裏付けるように、その地図の表示では大今里の奈良街道は高くなっていて、その北に数か所ある古くから存続する集落の周辺以外は湿地となっている。

奈良街道に近い熊野神社やその隣の妙法寺については、妙法寺が国学の発展に寄与した契沖ゆかりの寺であることから、江戸時代も妙法寺が存在し、奈良街道周辺の熊野神社や妙法寺周辺が湿地でなかったことがわかる。

今回閲覧した国土地理院の電子国土基本図は、かなり利用価値がありそうだ。
スマートフォンに、関係先の地図をコピーしておけば、電波の届かないところでもコピーした地図を頼りに歩くことができる。(スマートフォンは持っていないが。)


余談
契沖に関しては、中学校の時に歴史の先生が、「東成には何もないと思っていたが、妙法寺が契沖と関係があることが分かった」と言っていたのが頭に残っていた。
古代史考古学を学ぶまでは、契沖の業績の意味について全く無知であった。
しかし、多少歴史的なことに詳しくなった今、契沖の業績もウイキの解説を読んでやっと理解できた。
また、円珠庵(大阪市天王寺区空清町)と源氏物語のつながりも理解できる。
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昨日記140604水 (ブログランキング 卑弥呼と平原遺跡)

2014年06月05日 18時28分55秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
曇/雨  26.7/19.3℃ 65/44%
昨日は午後から本格的な雨になった。
終日家にいてTVを見たり、片付けをしたりしていた。
したがって、昨日記に書く内容もあまりない。
昨日、朝の日常のことを書き、その中でブログランキングのチェックも朝の作業の中に入れた。
このように書くとかなり気にしているように見える。
多少気にしているが、ランキングが悪くても、一生懸命上げようとも思わない。
落ちればそれでも良いし、読者が減ってもよいと思っている。
読者が多いに越したことはないし、多くの人に読まれると悪い気はしない。
しかし今書いているようなことや、日常茶飯の事しか書かないと読者離れやランキングが悪くなるのは目に見えている。
このブログは、半分は自分のためであり、そのついでにほかの人に自分のことを知ってもらえたらいいというつもりで書いているので、あまりランキングを気にしないようにしようと思っているが、いつも見てしまう。

昨日は特記事項もなかったが、少し前から気にしていたTV番組があった。
昨日夜放送された、NHKの歴史秘話ヒストリアの卑弥呼である。
纏向遺跡のことは、現地説明会にも行ったし、ある程度理解している。
しかし伊都国の平原遺跡に関しての、最新の詳細は知らなかった。

そもそも私が考古学に興味を持ったのは、30歳前後に勤めていた農事用温暖機の会社が倒産しそうになり会社を辞めてたが、その失業期間中に、アルバイトの時給が良かった遺跡発掘調査の作業員として、東大阪の近鉄石切駅を下ったところにある中学校グラウンドの芝が丘遺跡?に発掘作業員として行ったことがきっかけだった。
アルバイト先の発掘現場では、若い考古学研究者やマニアが多くいて、彼らから刺激を受けて、原田大六氏の「邪馬台国論争」を読んだことがきっかけだった。
私にとっては、「邪馬台国論争」は超難しい本で、何か月もかかって読んだ。
当時は考古学や古代史に関しては全く無知で、難解な考古学の用語や古代史の人名を覚えるのに非常に苦労した。
それ以降何冊か原田氏の本を読んだり、大阪市主催の考古学講座に参加したり古代をしのぶ会の初期会員として参加したりした。
原田大六氏の著作の中に、伊都国や平原遺跡等北九州の話もよく出てきたので、強い印象があった。

当時と比べ、今では私の考古学古代史の知識も格段に増えたが、それ以上に日本の考古学は、高度成長に伴う遺跡の発掘数の飛躍的な増加に比例して、高度な発展を遂げた。
古代日本の考古学的見方も、考古学やそれと関連する学問の進展により、古代史像は一変している。
吉野ヶ里や三内丸山遺跡のような、弥生や縄文の社会状況は当時誰も想像していなかった。
当時は、卑弥呼が現れる直前に倭国で起きていたと中国の歴史書に記されている、弥生末期の倭国の乱に絡むのではないかとして、大阪湾と摂津・河内・和泉を中心とする高地性集落が、古墳時代前夜の状況として考古学的注目を浴びていて、そのことを論文で初めて指摘した都出氏の論文のコピーを、アルバイト先の遺跡調査会でもらって読み、古代のロマンに思いをはせたことを覚えている。

その当時から、原田氏は九州の魏志倭人伝に出てくる、伊都国や奴国といった国の王墓に注目していた。
昨日の番組では、その伊都国の王墓とされる平原遺跡が、卑弥呼と関連する可能性があるかもしれないという話を取り上げていたのだ。

無論、記紀(古事記 日本書紀)に書かれた、神武以来少なくとも10代の天皇は創作されたものであろうということは、多くの学者の指摘するところであるし、記紀そのものが、中国の史書のように事実を記載したものでないというのは、学問的常識である。
だが、同時に稲荷山の鉄剣等を通じ、考古学的事実と照合して、ある程度の事実も記載されている可能性も注目されている。
しかし、あくまで考古学的事実をベースにして、記紀の記述との整合性を確認するということであろう。
記紀は、作成時に、歴代の権力者により都合よく歪曲変更されていることは、文献批判から明らかにされている。

それにしても、もし卑弥呼が北九州出身だと仮定すれば、そこに神武東征の物語を象徴的に組み込んだという可能性も面白いように思う。(学問的根拠のないフィクション・神話の世界だが。)
卑弥呼は、3世紀に亡くなり、箸墓との関連も指摘されているが、2世紀から3世紀は、朝鮮半島からの鉄の需要が活発になる時期でもあるし、中国、朝鮮も動乱の時期である。
中国の後漢が滅亡し、その後成立した魏に卑弥呼が使節を送ったのは、魏志倭人伝でも明らかである。
当時北九州は、朝鮮中国への窓口であっであろう。
鉄は当時日本にはなく、朝鮮からの輸入品であり、倭の諸国にとっては、強力な武器や農業に有効な最先端技術の鉄や鉄製品は、戦国時代の鉄砲以上に重要な戦略物資であったに違いない。(楽浪郡帯方郡は漢の支配下にあったので、多くの中国の技術・文化が朝鮮には伝わった 鉄生産と関係の深い燕も位置的に近い。)
鉄を使用した農業(農器具の刃先に鉄の刃を被せて使用)は、生産力を大きく増やした可能性があるし、鉄製の鏃や刀や甲冑は倭国の乱といった戦闘で威力を発揮したに違いない。
また、中国の銅鏡は宗教的な道具であったろう。
鉄製品や銅鏡は主に北九州諸国を通して輸入した可能性が強い。

そうしたことを考えた場合、大陸の最先端の文化や技術に触れ、取り入れることができる、北九州の伊都国や奴国が繁栄したであろうことは理解でき、当時の倭でも強国であった可能性も考えられる。
当時の伊都国や奴国は、今の東京のような先進地域で、通商で最先端の文化技術を取り入れ、経済力を持ち力をつけた国だったのかもしれない。
上記の話は、私の空想だが、卑弥呼のTV番組から様々な想像が出来て面白い。
今後、考古学が学問的に弥生末期から古墳時代にかけての、北九州と大和の関係がどうなのか、解明してくれることを楽しみに待ちたい。

参考
弥生時代の祭祀に関係する銅鐸や銅剣が弥生末期に一斉に埋められたりして姿を消し、その後、前方後円墳を頂点にした古墳時代が出現する。
宗教儀式も弥生時代から古墳時代になて変わったかもしれない。
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昨日記1406003火 (朝の日常の波 共同幻想論 ジム・ラン・インタバル)

2014年06月04日 12時11分04秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
晴 28.3/21.4℃ 64/44%
毎朝、PCを開けるといつもチェックするのは、FBかブログのランキングかニュースである。
ニュースに関しては、必ず朝7時のNHKニュースを見るし、朝日新聞も目を通すので、ネットニュースは見ないことも多い。
朝食を食べた後は、8時から9時ごろまでは、朝の連ドラを見たり、民放のワイドショーを見ていて、健康等興味のある話題があるときはNHKのあさイチを見ることもある。
前日ジムで頑張りすぎて筋肉がだるかったり、なんとなく体がだるいと、その間15分から30分間ほどごろ寝する。

9時ごろから、昨日記を書くなど、自分で決めた活動を行う予定だが、これが守られずだらだらとTVを見たり新聞を読んで過ごすことがほとんどで、10時過ぎぐらいから日課としている昨日記を書く場合が多い。

こうした朝の日常生活の流れは波があって、予定日報表に15分単位でおおよその行動を記録しているので、過去の色分けを見れば、明らかに8時台から10時台の線の色分けが波を打っている。
即ち、9時-10時までTVを見ている時間がい日が続くと、悔い改め極端な場合8時台から、自分の決めた仕事をするようになるが、しばらくすると、仕事開始時間はずるずると後退し、再び9-10時台まで後退する。
これの繰り返しであり、予定日報表がなければ、そのことすら記録に残らないので、もっとひどいぐうたらな生活を送っているに違いないと思う。

幸い最近は、できるだけ9時台に自分の仕事を始めようという意識が働き、波の周期が短くなり、9-10時ごろまでTVを見ることは少なくなった。
ただ自分の仕事をどうするのか、なんとなくその兆しはあるが、明確に目標設定できていないことが問題でもある。
それに独居生活でほぼ完全自炊なので、家事全般と買い物や入浴(銭湯)等の関連事項にかなり時間がとられているし、それ以外に健康・体力維持のためジムに通う時間もあり、それ以外にガーデニング(と言っても表路地のプランターや鉢植えの世話だけ)をしているので、時期が来れば植物の都合で否応なしに発生する作業に、多くの時間と労力が費やされ、自由時間は思うほど多くない。
しかし、客観的に見る限り、その自由時間を無駄に浪費していることがほとんどである。
過去同じことを無数に反省したが、治らないので、誤りに気付きそのたびに修正することが大事と自分でいいように解釈している。
それだけ人間というより、私は弱く意志の力は強くないということだ。

さて、昨日はFBで友人が「いいね」と紹介していたコラムを読んで、なんとなく詩的な散文調の言葉に影響され世論が動くという話に触発されて連想したことがあった。
この傾向は、小泉時代のワンフレーズにも共通することである。
言語を短くし詩的に情感に訴えれば、そこで論理が止まり思考停止するのだ。
これはCMにも言え、そこには事実の裏付けのない思考停止された意思決定が存在する。
(余談:作品の評価で大御所が、いいといえば無批判に信用を与え信じるのもよく似た構造を持つようにもみえるが、芸術の場合は個人の感性の良し悪しの問題があり、これは経験と生まれ持った感性大きく影響するので、一概に大御所の言ったことを受け入れることに対して同じ構造かどうかというのはすべて同じと捉えるには無理があるかもしれない。)

このことに関連して、古代史考古学の分野で、尊敬する研究者が古墳等の祭祀の問題で、盛んに共同幻想という言葉を使っていて、なき首長が、村落を守ってくれるという共同幻想のもとに巨大な墳墓を作ったり、神祭りをするという説を唱えていて、この考えは多くの研究者に支持されている。
この共同幻想と詩的でなんとなく漂う雰囲気の言葉の羅列とそれに流される大衆の心情の構造が、共同幻想と同じものを感じたので改めて共同幻想論について調べてみた。
すると吉本隆明の共同幻想論に行きついた。
私は、今までこのことを知らなかった。
それまで、吉本隆明に関しては、Eテレ等のドキュメントを何本か見て、すごい思想家と思っていた。
今回その概要を読んで、それに関連する思想もそれなりに理解していたので、かなりの部分理解することができ、考古学の先生の主張もより深く理解できるように感じた。
今まで、様々な哲学思想関係の本を批判的に読んできたのと同様に「共同幻想論」批判的に読んでみたいともうと思う。
(私が大きく影響されたのは、マックスウエーバーや実存や記号論・構造主義が中心でマルクス系も少しは影響されているが、実態との矛盾点も多く余り支持していない。ユングやフロイトも理解しているが、それぞれベクトルが違うので、社会・文化的なものを考える時には参考にしている。)

夕方からジムに行った。
無理を承知で時速10kmでインタバルをすることにした。
出来るだけ長く走り1分間歩くという条件で30分間走った。
1回目は4分間で息切れし、それ以降は3-2分間走るのがやっとだった。
それでも30分間インタバルを続け、4.5km走った。
かなり疲れ、その疲れは寝る前まで続いた。
走っていて、足の筋や持久力がインタバルについて行っていないことが分かった。
しかし、このことは織り込み済みだ。
今後、時速10.2kmのインタバルを続け、走る時間を少しづつ長くするトレーニングをして時速10kmで、休むことなく30分間走れるようになりたい。
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昨日記1406002月 (ブログ書き 読書 新しい商業施設)

2014年06月03日 11時19分41秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
晴 31.3/21.9℃ 62/36%
昨日は、土曜日日曜日の昨日記書きに追われた。
特に昨日記140531には、プロパガンダのことを少し触れたために、考えをまとめえたり調べたりしてかなり時間をかけてしまった。
もともと芸術と表現やプロパガンダに関しては、美術史的・哲学的な関心を持っていて、それは現代美術の見方の一つにも関連するもので、非常に興味がある。
プロパガンダは政治、思想を中心としたものだが、実は宗教や商業も含め、構造的には同じ要素を含んでいると考えていて、たまたまその分野が、政治・経済・思想・宗教に属しているだけで、自分の考えや所属団体(会社 店 政治団体 宗教団体 市民運動・・・・・)の考えを、宣伝する行為に他ならない。
実際に商業宣伝には、プロパガンダと共通の手法が多く用いられている。

単に前日の行動と、ちょっとした日常生活やニュースの皮相的感想を書くだけなら、1時間も必要ない。
しかし思想的なものや、ある意味独創的に近い見方考えや、中身の濃い本なり芸術作品や知識の紹介となると一気に時間を取られるし、それ以前にほとんどの場合、ブログに書くこと自体、短すぎるのだ。
それでもそうした断片を書いておくと、後日考えを深めるのに多少役立つことが多い。
本格的に、そうしたことのエッセイなり考察を書こうとすると、正確な材料や参考資料を集めたり、酔いこんだりするので、数時間でできるものではなく、いくらでも時間が必要になる。
これから、そのようなテーマを決めて考察したり、断片的にエッセイを書くのも面白いかもしれない。

昨日は久しぶりに、駅中のMcでコーヒーを飲みながら読書した。
その帰り、ちょっと気になっていて、一時ニュースでも報道されたJRの新しい商業施設を見に行った。
環状線の電車の形をしている。
たくさんの商業施設が入っているのかなと思ったら、一階には百均と軽食店とフィットネスが入っていて、二階には保育施設が入っている。
ちょっと思っていたものと違った。
ヤングママやOLををターゲットにしている感じだった。
勤めに出ている母親達にとって、保育施設があり、すぐ近くにスーパーもある立地は大いに助かるのかもしれない。(この地域は、ほかにも近くにスーパーが数軒ある。)
百均に関しては、向かいにスーパーがあるので、客層を補完しあう形を狙っているのかもしれないが、スーパーの客が、買い物ついでに百均に流れるという流れにはまだなっていない。
ダイソーのような先発企業は、長年の品ぞろえのノウハウを蓄積していて、どこでも人は良く入っている。
そのようになるには、かなりのマーケッティングの試行錯誤が必要かもしれない。
それ以前に、客を呼び込む工夫が必要だろう。
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