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8日は、午後1時から始まる大阪府立近つ飛鳥博物館の「ヤマト王権と葛城氏」の展覧会のシンポジウム「出土品から見た葛城の古墳とヤマト王権」に参加するために、10時前からばたばたした。
博物館に出かける前に、図書館で借りている本をいったん返却し、新しい本を借りようと考えていた。
10時半過ぎに家を出、図書館に行き急いで本を返却し、新しい本を借りた。
図書館を出てまっすぐ博物館に向かった。
JR環状線で天王寺まで出て、近鉄の河内長野線の喜志まで行き、バスに乗り換え終点で降りて、10分近く山道を上り下りしてほぼ1時ごろ、博物館に着いた。
前日に、園芸作業で酷使した腰と背中の筋肉疲労が激しく、普通に歩くと強烈な筋肉痛に見舞われるので、腰痛の時と同じような姿勢で、背筋はまっすぐ伸ばすことができずやや中腰気味で、ゆっくりと歩く羽目になった。
普段なら、すたすたと勢いよく歩き、階段や坂もすいすいと上り下りするが、手すりを頼る始末だった。
ただ、救いは腰痛状態になっていないので、十分休養すれば、通常の激しい筋肉痛同様3-4日すれば回復するものと見込んでいた。
それでも終日憂鬱だった。
さて、博物館では、基調講演として、森下章司氏の「銅鏡から見た葛城の古墳」と和田一之輔氏の「埴輪からみた葛城の古墳」が各1時間ずつあり、その後、森本徹副館長を司会として討論が行われた。
葛城氏は大王家と深いかかわりを持ち、皇后も出している有力氏族で、大和の葛城山麓一帯を支配地域としていて、その地域の馬見古墳群には巨大前方後円墳がいくつも存在する。
記紀に登場する葛城襲津彦(かつらぎのそつひこ)は朝鮮の歴史書にも登場する人物であり、5世紀に倭と朝鮮南部一帯でも活躍した有力人物とみられている。
シンポジウムを聞いたが、葛城氏そのものの実態も、葛城一帯の豪族連合が一体化して葛城氏になっていったのではないかという話も興味深く、実際古墳の分布もわかれている。
ただ、埴輪の流れからすると、古市古墳群とか佐紀古墳群の埴輪の影響を受けているところを見る限り、葛城氏は大王クラスまでには到達していなかったのではないかという考えも理解できる。
葛城氏は物部氏同様に謎の多い氏族だが、今後の研究の進展が楽しみだ。
結局、この日の昼食といえるものは、6時過ぎに玉造に戻って食べたハンバーグ1個のみだった。
食べる時間が全くなかったのだ。
帰宅後は、夕食後腰から背中の状況も更に悪化しそうなので、早い目に床に就いた。
8日は、午後1時から始まる大阪府立近つ飛鳥博物館の「ヤマト王権と葛城氏」の展覧会のシンポジウム「出土品から見た葛城の古墳とヤマト王権」に参加するために、10時前からばたばたした。
博物館に出かける前に、図書館で借りている本をいったん返却し、新しい本を借りようと考えていた。
10時半過ぎに家を出、図書館に行き急いで本を返却し、新しい本を借りた。
図書館を出てまっすぐ博物館に向かった。
JR環状線で天王寺まで出て、近鉄の河内長野線の喜志まで行き、バスに乗り換え終点で降りて、10分近く山道を上り下りしてほぼ1時ごろ、博物館に着いた。
前日に、園芸作業で酷使した腰と背中の筋肉疲労が激しく、普通に歩くと強烈な筋肉痛に見舞われるので、腰痛の時と同じような姿勢で、背筋はまっすぐ伸ばすことができずやや中腰気味で、ゆっくりと歩く羽目になった。
普段なら、すたすたと勢いよく歩き、階段や坂もすいすいと上り下りするが、手すりを頼る始末だった。
ただ、救いは腰痛状態になっていないので、十分休養すれば、通常の激しい筋肉痛同様3-4日すれば回復するものと見込んでいた。
それでも終日憂鬱だった。
さて、博物館では、基調講演として、森下章司氏の「銅鏡から見た葛城の古墳」と和田一之輔氏の「埴輪からみた葛城の古墳」が各1時間ずつあり、その後、森本徹副館長を司会として討論が行われた。
葛城氏は大王家と深いかかわりを持ち、皇后も出している有力氏族で、大和の葛城山麓一帯を支配地域としていて、その地域の馬見古墳群には巨大前方後円墳がいくつも存在する。
記紀に登場する葛城襲津彦(かつらぎのそつひこ)は朝鮮の歴史書にも登場する人物であり、5世紀に倭と朝鮮南部一帯でも活躍した有力人物とみられている。
シンポジウムを聞いたが、葛城氏そのものの実態も、葛城一帯の豪族連合が一体化して葛城氏になっていったのではないかという話も興味深く、実際古墳の分布もわかれている。
ただ、埴輪の流れからすると、古市古墳群とか佐紀古墳群の埴輪の影響を受けているところを見る限り、葛城氏は大王クラスまでには到達していなかったのではないかという考えも理解できる。
葛城氏は物部氏同様に謎の多い氏族だが、今後の研究の進展が楽しみだ。
結局、この日の昼食といえるものは、6時過ぎに玉造に戻って食べたハンバーグ1個のみだった。
食べる時間が全くなかったのだ。
帰宅後は、夕食後腰から背中の状況も更に悪化しそうなので、早い目に床に就いた。