散歩者goo 

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昨日記140621土(TV録画事始め 西天満 古代学研究会<日中壁画墓の比較研究>)

2014年06月23日 14時46分23秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
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21日午前中今まで余り使っていなかった、新しく購入したPCのTVの録画機能について調べた。
以前使っていたPCもTV機能や録画機能もついていた。
古いPCは2006年に購入したが、TVは旧式のTVでアンテナ使用していたため、PCでTVを見ることはなかった。
その後、周囲の民家がすべて2階になっが、我が家では室内アンテナを使用していたため、TVの電波が弱くなり、音声はよく聞こえるが、映像が見えにくくなった。
これでは具合が悪いと思いながらも、経済的に余裕がないため、仕方なく問題を先延ばしにしていた。

ところが、TVの地デジ化が決定され2010年になるとその期限が迫り、否応なく地デジ用TVを購入しなくてはいけなくなった。
この問題を調べると、地デジ用TVだけでなく、地デジ専用アンテナと工事が必要であることが分かった。
以前、7我が家もTVアンテナが立っていたが、アンテナが壊れ、室内アンテナを使っていた。
築80年を超えるこの長屋で新たにアンテナを立てるのは、至難の業だと思った。
アンテナを立てると、強度上の問題であちらこちらに影響が出る可能性がある。
それに、経済的にもとてもアンテナを新しく立てる余裕はなかった。

そこで、様々な調査をして、電話とネットとTVをセットの通信回線を売り物にしている「eo光」を導入し、デジタルTVを購入した。
新しく購入したTVと通信回線で、TV画像も驚くほど鮮明に見ることが出来るようになった。
その後、ルーターに接続して、PCでアナログTVを見ることが出来るか試したところ、アナログ方式でも見ることが出来た。
PCの方には、アナログ変換したTV信号を期限付きで送信していると出ていた。
(PCのチューナーはアナログ方式だった。)
PCにTVを録画することもできた。
だが、使い勝手が悪く、必要性も感じていなかったので録画機能は、ほとんど使わなかった。
もともと我が家には、ビデオレコーダーがなかったので、録画して見る必要性もあまり感じず、録画機器を持っていなかったので、録画の操作や利便性について全く知らなかった。

こんな状況で、今年の5月まで来たのだが、ウインドウズXPサポート廃止に伴うPCの買い替えを機に、新しいPCはTV機能付きを購入し、通信会社もNTTに変更し通信速度を1GhzにUPした。
PC購以来、ずっと様々なPCの各種機能の設定やソフトやネットの設定・調整に多くの時間を取られた。
最近になって、やっと多少の余裕ができ、TV機能のことが気になり始めた。

録画機能に関しては、前述の状況の通りほとんどといってよいぐらい知識がなかった。
最近、TVを見ていて録画しておきたい教養・情報系の番組がいくつもあった。
そこで21日の午前中TVの録画機能について集中的に調べ、予約録画も出来るようになった。
画質と録画と時間の関係も、この日初めて知った。
この日も昨日も、めぼしい番組を調べて予約録画したが、昨夜調べると問題なく録画されていた。
その意味で、私にとっての世間からずいぶん遅れての、VTRの本格活用元年となった。


午後からは、いつものように西天満に行き現代系の画廊を見て回った。
夜には聞いておきたいギャラリートークもあったが、私にとってそれ以上に聞きたい話があった。
西天満の帰りに、いつもの天満橋の行きつけのファストフードで、コーヒーを飲みながら読書に励んだ。


その後、時間を見計らって、毎月第三土曜に行われ、だれでも自由に参加できる古代学研究会(http://www.mediajoy.ne.jp/~kodaiken/main2.html)に行った。
会場のアネックスパル法円坂までは、天満橋から自転車で10分足らずだ。

今回のテーマと講演者は次の通りだ。
「中日壁画墓の比較研究~唐代壁画墓と高松塚・キトラ古墳を中心に~」
関西大学考古学研究室 周 吟 氏

周氏は博士課程前期2年次の若い女性研究者だ。
発表内容は、母国の中国の研究成果も駆使して、高松塚やキトラ古墳を比較研究したもので、非常に興味ある内容だった。
ただ、中国との比較研究はよかったが、高句麗や百済・新羅との関連も研究し比較してほしいと思った。

話の中で、高松塚の人物像の衣装は、唐にはなく日本独自のものではないか、という指摘が印象に残った。

唐代では、四神セットで表現されるのは、680年代に太原地域で現れたのが最初で、高松塚の年代に近いことが示された。
当然のことだが、四神の思想は中国の道教思想が伝わったもので、高松塚やキトラ古墳がその影響を受けたことおもわれる。
キトラ古墳の四神と十二支がセットで現れるのは、唐代では720年代であるという。(表あり)
十二支と四神の組み合わせは、唐や高句麗より古い可能性があるとのこと。
キトラや高松塚の図は唐や魏から原本を持ち込んで作ったものではないという。
天文図では、北魏は宿青を描くが唐は点で表現し、唐代では銀河も描くことから高松塚とキトラ古墳の前後関係が推測できるという。

中国の葬制思想の変化は、漢代が「神仙思想」中心であったが、唐代になるにつれ「家宅環境本位」となり、「現実主義的」になるということを強く指摘されていた。
図から見る限り、キトラ古墳の方が、神仙思想が強く、高松塚の方が現実主義的であるという。
その他、中国の壁画古墳との違いも様々な面から指摘され、多くのスライド映像とともに、興味深かった。
参加者には研究所・大学関係者、研究者も多く、発表後に多くの質問があった。
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