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昨日記140614土(府立弥生博物館・東北の縄文文化 ジム・ランニング 3km)

2014年06月16日 16時57分27秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
晴  26.9/18.5℃  63/44%
14日は、午後から大阪府立弥生博物館に行った。
2時から始まる講演会「縄文時代後期の遺跡と社会」に参加するためだ。
講師は、盛岡大学教授の熊谷常正氏だった。
1時前に家を出た。
講演会の開始時刻には間に合った。
会場は満席で、ロビーでのディスプレイの聴講となったが、この事態は予想していたので驚かなかった。
講演会は、宮城県や岩手県を中心とした縄文遺跡の遺物を中心に、特に石棒、土偶。土製品を中心に話が進められた。
2012年12月22日に同博物館の「縄文の世界像」を見て長野県の縄文中期の土器の豊かな表現を知った。
学術書や、美術の本では知っていたが、実物はもっと迫力があった。
その時、石棒も出品されていた。

最近まで、石棒の用途に関し、武器を含め様々な説が出されていたが、「縄文の世界像」の展覧会で、大きな石棒と女性器がセットで発掘された状況が実物で復元展示されていたのを見ると、石棒が男性器であることは明らかなようだ。
即ち、石棒や女性器や女性の土偶が、学術的根拠云々は別にして、豊穣や安産の宗教的目的で使用されたというような可能性は、だれでも想像できるだろう。
それに、今までのところ、縄文時代は集団的な戦闘の遺物がほとんどなく、この時代は平和な時代だったと想像されている。
ただ縄文時代は、1万年以上続いたようだが、気候変動により人口が極端に増減していて、中期のころが最も人口が多かったと推定されている。(芸術的土器が出た時代。)
今まで読んだ文献によると、縄文から弥生時代の過渡期は、人口がかなり減少していたようだ。

今回の講演会ではその他東北地方の縄文文化の特徴的な遺物の解説があった。
盛岡市しだない遺跡出土の22cm(高さx幅)の人面土偶は、屈折像土偶の頭部だという。
屈折像土偶は縄文時代後期から晩期に東北ではよく見られるという。
縄文中期後半から土器も増え、社会も高度化するという。
後期から晩期にかけて精霊と思われるものや動物の土製品も増えるという。
縄文時代に関しての、新しい学説というようなものはなかったが、東北の縄文文化や日本の縄文文化の一端を知ることが出来たし、信州の縄文土器ほどではないが美術的に見ても面白いと感じた。
帰宅後は、体を整えるために夜ジムに行って、20分ほど時速9.6kmでその間2分程休憩のため歩き、トータル約3km走った。
疲れを残さないよう気を配りながら少しでも運動をしておかないと、落ちた体力はなかなか回復しない。
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