教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

明治中期の教育学史を研究するために

2006年12月16日 22時31分28秒 | Weblog
 今日は軽く風邪をひいたみたい。遅くに登校。運動はなし。
 研究にもなかなか手が着かなかったのですが、夕方頃からノってくる。自然科学の制度化については、とりあえずできあがりました! これで課題も一段落。すぐ次(人文社会科学の制度化)に取りかからないといけないけど。
 ちなみに、どういう方向性で課題にあたっているかというと、明治中期における各学問の制度化状況を、前後の時期を含めて位置づけています。科学や各学問の通史を書いてもしかたないので、私が問題としたい明治中期にしぼって書いているわけです。これは、日本教育学史研究をするにあたって、なぜ明治中期なのか、ということを明確にするための基礎研究だと思っています。しかも、明治中期の教育学史をクローズアップすると、どうしても大日本教育会・帝国教育会における教育研究活動に注目せざるをえない、ということまで言いたいと思っています。
 来月前半にはY先生に提出したいなぁ。ただ、自然科学の歴史のほうはダイブ前から勉強していたので、比較的楽でしたが、人文社会科学の歴史のほうは、最近勉強を始めたばかりなので、まだ十分理解できていないのです。今のペースから考えると、予定通りに進めるのはちょっと無理かもしれん。
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中途半端、不十分

2006年12月15日 20時26分49秒 | Weblog
 寝起き最悪。十分に時間をとって寝たのに疲れがとれない、という典型的な症状。おかげで昼過ぎに目が覚めました。まず今日は、無呼吸の件で出頭するように言われていた(笑)、大学の保健管理センターへ。その後、運動。順調とはいえませんが、確実に体重は減っています。
 こんな感じだったので、研究室に現れたのは外が薄暗くなってきた夕方。例の課題をこなすため、読書しながら論文を書く。かなりノってきたところで、宅急便の店頭へ荷物を引き取りにいかなくてはならないことを思い出す。21時に店が閉まってしまうので、急いでとりにいかないと!
 中途半端、不十分ではありましたが、研究は意外と進みました。
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明治期の科学史の通史書は?

2006年12月14日 23時55分55秒 | Weblog
 昨晩はほとんど眠れず、午前4時ごろ見切りをつけて登校。まー、昨日起きたの遅かったからね(苦笑)。
 登校後、事務仕事。その後、国会図書館の近代デジタルアーカイブからデータをダウンロードして、史料をプリントアウトする。ただ、データがPDFなので、まずすべての作業がおっそろしく遅く、イライラするなぁ。あまりに動作が遅すぎるので、杉山滋郎『日本の近代科学史』(朝倉書店、1994年)を読みながら、作業をする。
 杉山著を読む限り、科学の制度化への視点を有する科学史の通史は、日本科学史学会編『日本科学技術史大系』や広重徹『科学の社会史』のものを大きく離れていないように思いました。杉山著はすでに10年前出版の通史ですから、もっと新しいのはないのか、と探してみましたが、見あたりません。広島大学中央図書館にあった杉山著は、奥付をみると第7刷・2000年発行とあります。どうやら売れてるようですね。最近出版された日本科学史の通史書をご存知の方は、ぜひ教えていただけたら幸いです。
 10時半、中央図書館へ行って『教育』10月号を読みました。特集は「フィンランドの子どもの学力とその社会的土壌」、小特集は「保護者とのトラブルは防げるか?」でした。今、国家を挙げて真似しようとしているフィンランドの教育ですから、ちゃんと読まなくちゃ、とかまえてみたものの、寝不足で頭が回らないためか、いまいち内容に興味が湧きませんでした。外国の教育情報は、自分の国の教育を相対化して問題を明らかにするために必要ですが、所詮どうあがいても国民性も歴史も社会状況もまったく違うので、内容をただ真似するためのものであっては意味はありません。執筆者の方々はそんなつもりで各論文を書いたのではないのでしょうが、私がそんなつもりで読んでしまったので(^_^;)、得るものがなかったのかもしれません。読書の時は、読む心構えが大事なのですね。
 運動後、再び登校。パソコンの電源を入れるもなかなかやる気が起こらない。その上、事務仕事が舞い込んできてしまい、どうにもならない。早朝やり始めた史料のプリントアウトも、遅々として進まないのでストレス源になってるし。全体的に中途半端な状態になってしまいました。必要な文具を買いに行ったついでに専門書を物色したのですが、立ってるだけだったのに気がついたら疲れ切ってしまっており(睡眠不足が効いたらしい)、「やれやれ、何やってんだか…」という感じです。結局、机の周りの整理を始めてしまいました(笑)。若干模様替えをしたので、心機一転研究もできそうです。
 いやしかし、今日は疲れた… 睡眠不足は、体を疲れやすくするので困りますね。
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牛歩ですが進んでおります

2006年12月13日 20時35分05秒 | Weblog
 本日は昨日の反動のためか、起きられませんでした。睡眠時無呼吸症には最悪の、鼻風邪をひいてしまったのがよくなかったようです。
 起床時にはいつも運動へ行く時間を大きく遅れていたので、今日はやめようかとも思いましたが、やっぱり行くことにしました。それは、このところ週2・3しか運動へ行ってなかったので、リバウンドはないものの目的の減量ができないからです。減量するには毎日運動するしかないのです。
 運動後、登校。Y先生の課題「明治中期における教育学の制度化」(驚きのテーマ!)を進める。「明治中期」と限定しているのは、教育学にとって明治前期と明治後期があり、その間がある、という意味でして、自分で時期設定してみました。当然、大日本教育会・帝国教育会における教育研究活動を分析するための時期設定でありテーマです。今のところ教育学以外の学問の制度化状況をまとめようとしており、今日は科学の制度化の部分を少し進めました。もうしばらく科学(自然科学)の制度化について書かなくてはならないので、続きを書くのに必要な本を図書館から借りて今日は終了。宅急便が来ているので、営業所まで取りに行かなくてはいけないのです。
 今日は消化不良な一日でした。ただし、いちおう前には進んでおります。
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学校教育の評価と人間の数値化

2006年12月12日 20時28分14秒 | Weblog
 三日も休んだので、今日はがんばる。
 午前6時頃、目が覚め、眠気で動けないということもなかったので起床。すき屋で朝食を摂ってから登校。まずメールを確認すると、150通も来ている。しかし、ホントに要件があるのは1通のみ(苦笑)。迷惑メール多すぎ!
 午前8時半、図書館が開いたので『教育』を読みに行く。今日は、教育科学研究会編『教育』第56巻第11号、国土社、2006年11月を読む。特集は「教育課程はどう変わろうとしているのか」、小特集は「自由で個性的な私学のいま」。まず、巻頭にある「扉のことば」の言葉の端々に対して多少違和感を感じながら、教育基本法と学習指導要領改訂の問題を国家による国民の思想と学力の統制の問題として捉えていることを確認。今度の法改正審議の目玉の一つは、学校における関心・意欲・態度形成を国家の管理の下に推進しようとする動きのようですが、まあ、国民国家の義務教育下では出てくるのもいたしかないように思う(それ自体を問題にすべきだ、という考えは出てこないのかい)。しかし、いくつかの論文も述べているけど、関心・意欲・態度の評価方法については心配が残る。少なくとも、数値評価には反対したい。というのも、そもそも関心・意欲・態度を数値で評価するのは無理があるし、ましてや数値化できるものだけ評価するならば、評価視点を数値化できるものに限る上に、実践内容をその限られた枠の中に押し込んでしまうことにつながり、学校教育の質そのものを低下させかねない。合理的・科学的な評価を追求すればするほど、非合理的・非科学的にしか評価できないものは学校教育から脱落していくのではないか。しかも、脱落していくものの中には、人間にとって大事なものがあるように思う。それはなにかって? 今は勉強不足なので、「人間らしさ」としかいいようがないけど。教育の評価を数値化することは、人間を数値化することと同じ事。数字で表せる人間って、気持ち悪いなぁ。数値化できないなら、いかなる評価方法をとるのか。なるほど大問題だ。
 10時半から運動へ。戻ってきてからは、読書しながらY先生の課題。かなり手こずり、ほとんど進まずちょっと不満。
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休日3

2006年12月11日 23時55分55秒 | Weblog
 土日を休日にしてしまったので、今日は動くかどうか迷いました。しかし、毎週月曜日は休日にしているので、中途半端にがんばると、その後火曜以降まで中途半端になりそうな気がしました。そのため、思い切って今日も休み。
 今日は藤沢周平原作・山田洋次監督の映画『隠し剣鬼の爪』を見ました。おもしろかった。おすすめです。ちなみに、最後に披露される「隠し剣鬼の爪」が非常に気に入り、何度もDVDを見直してしまいました(笑)。
 さて、十分休んだことだし、明日からがんばるぞ!
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休日2

2006年12月10日 23時55分55秒 | Weblog
 午前3時に帰宅。
 今日はどうも動く気がせず、ずっとDVDをボーッと見ていました。
 結局何もせず。
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休日1

2006年12月09日 23時55分55秒 | Weblog
 本日は、結果的に休日に。
 以前から誘われていたので、友人Yと映画『硫黄島からの手紙』を見に行く。映画館でHと遭遇。友人たちは不満だったようだけど、アメリカ人が日本側の視点から描いたことを考えると、非常に出来はよかったと思う。その前提でテーマは何だったか考えると、この映画が発するメッセージは、戦争する相手(敵)にも人格・人生・家族・信念があるんだ、ということに気づくべきだ、ということかな?
 これまた以前から予定が入っていたので、夕方、マスター時代の同級生たちと忘年会。ちなみに、昼間一緒だったYとHもそのメンバー(笑)。
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現代的課題としての国民国家形成の研究

2006年12月08日 20時05分41秒 | Weblog
 昨晩は、早めに眠気がきたので早寝をしたところ、2時間後ぐらいに突然目が覚め、眠れなくなりました。頑張って眠ろうとするものの、3時間ほど変に意識がありました。しかたないのであきらめて、午前3時ごろに起床、登校。
 で、眠りながら考えていたY先生の課題にとりかかる。明治10年代~20年代の教育学者のリストを作ろうという課題(Y先生には、この時期に誰が教育学を担っていたのかはっきりさせなさい、と言われていた)。ちょうどよさそうな基準があったので、その基準に沿って調べようとしたのだけど、思った以上に史料上の制約が厳しく、明るくなるまでやったわりには、ほとんど研究は進まずじまいに終わる。残念。まぁ、地道に史料を探していこう。
 夜が明けて、博士課程前期論文(修士論文)構想発表会の時間が近づいてきたので、その準備にとりかかる。というのも、昨年度まで同じ研究室に所属していて、今でもかわいがっている(つもりの)後輩が発表するのです。発表の前に少しでも理解しておいてやりたかったので、発表会のレジュメと卒論を読み直していました。少し自分のことをしてから、9時半ごろから発表会に顔を出す。質問したいこともあったけど、フロアの先生方が熱心な質問・意見・感想を述べられていたので自粛。ま、またの機会もあるでしょう。その後輩ともう一人の発表を聴くと休憩になったので、そこで席をはずす。他の人、聴いてあげられなくてゴメンね。
   
 運動後、再び登校。今日読む予定の論文をコピーした後、読書。今日は、西川長夫「日本型国民国家の形成」(西川長夫・松宮秀治編『幕末・明治期の国民国家形成と文化変容』序、新曜社、1995年、3~42頁)と、西川長夫「帝国の形成と国民化」(西川長夫・渡辺公三編『世紀転換期の国際秩序と国民文化の形成』序、柏書房、1999年、3~48頁)を読みました。これらの論文を読んだのは、明治期の「学」や「知」をテーマにした論文がある両編著の編集方針が、強烈に示されているからです。これらを読んで、「国民国家」のテーマの大きさ・重要さを痛感しました。旧来の国民統合のための制度(教育もこれ)や社会秩序の崩壊、グローバル化による国家を越える国際交流、国家間戦争・民族紛争の頻発などの問題が深みにはまっていく今、国民国家の歴史研究は重要な現代的課題なのです。実は私は今まで「国民国家って古くさいテーマだなぁ」と思ってあまり興味をもっていなかったのですが(別に世界主義みたいな考え方をしてるわけではないですけどね)、この数ヶ月間、日本史や諸学史の勉強を重ねるにつれて「こりゃこのテーマやるからにゃ無視できないテーマだなぁ」と感じ始め、この両論文を読んで「こりゃこれ抜きでは語っちゃいけんわな」と確信しました。ただ、このテーマを全面に押し出すと、研究が私の問題意識からズレてしまうのが悩みどころ。どう折り合いをつけ、より意味ある研究を進めていくか、注意して研究しないといけない。
 睡眠不足+長い論文だったので途中集中力が何度か切れましたが、読書しながらY先生の課題にちょろちょろと手をつける。完全に中途半端なやり方でお勧めできませんが、中途半端な今日の私にはちょうどよかったみたい(笑)。課題の論文構成もしっかりしてきました。
 結果的になんか充実した一日だったな(笑)。
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明日はがんばろう

2006年12月07日 18時19分43秒 | Weblog
 今日は二度寝…。昨日の反動だとは思いたくないなぁ。
 さらに、今日雨が降るのを知らずに干していたジャージが、雨で濡れていたので、運動する心も折れる。今日の運動はパス。
 でも全休の決断をしてしまうには早すぎる時間だったので、重い腰をあげて登校。まず、Y先生にだいぶ前から言われている課題に少しとりかかる。主な目的は、読むべき本が山積みなので、「このために読むんだ」という意識を明確につくり、読書の動機づけのため。明快な章立てができたので、ちょっとうれしい。
 集中力が切れたので、ふとメールを見ると、驚愕の内容が。しばらくそれに対応。
 昨日はしっかりしてたのに、今日はぐだぐだです(苦笑)。
 明日はM1生の修論構想発表に顔を出さないと…うまく計画立てて自分のこともがんばろう。
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問題:教員における教職の専門職意識

2006年12月06日 20時07分38秒 | 教育研究メモ
 今日は久しぶりに早朝に起床。
 午前中は中央図書館へ行き、現代的教育問題に関する「感覚」をつけるため、教育雑誌を読む。読む雑誌は何でも良かったのですが、長い歴史を持つ教育科学研究会編『教育』を読むことにしました。最新刊から古いものへ移行しながら1日1号読み、2~3年前くらいまで遡ってみようと思います。こんなことを考えたのは、私は大日本教育会・帝国教育会研究のために年表を作ろうと考え、『大日本教育会雑誌』『教育公報』『帝国教育』にひたすら目を通してきたところ、明治10年代後半から昭和戦時期あたりまで、当時の教育会の中央で何が問題とされてきたかを何となく感覚的に掴んでいたからです。同じ団体発行の雑誌を読み、ひいてはもう2・3種類の雑誌を読めば、現代的感覚はかなりつかめるのではないか、という程度の思いつきです。その上に教育科学研究会編『現代教育のキーワード』などの概説書も読めば、もっとよいのではないかと。…なんか大学院の入試の時みたいだな(笑)。
 今日のタイトルにもあるように、午前中に『教育』を読んで、教員における教職の専門職意識は、私の目的とする教員のサポートシステムの構築において問題だなぁと思いました。が、それについては下に書くことにして、日記を続けましょう。『教育』読書後、運動へ。また体重が元に戻りかけていて(戻ってはいないが)ショック(T_T)。リバウンドは簡単なのです。気をつけなければ。運動後、再び登校。朝読んだ『教育』の内容が私の問題意識を刺激したので、メモ書きを書いていると、予定以上に時間を食ってしまう。雑誌は一日しか借りれない+最新刊は貸出不可なので、早くやっておきたかったのです。
 その後、西川長夫・松宮秀治編『幕末・明治期の国民国家形成と文化変容』(新曜社、1995年)の中の、川上勉「幕末・明治期における近代的知識人の生成」と櫻井進「儒学と近代化」を読む。あと、西川長夫「日本型国民国家の形成」も読み始めるも、分量が多くて今日中に全部読むのは断念。「国民国家形成のイデオロギー装置として作られた学問」という問題設定を強調している点には、直接関係ありそうな章を読んだ限りでは、同書での消化は不十分に終わったように思えますが、興味がひかれます。続編の西川長夫・渡辺公三編『世紀転換期の国際秩序と国民文化の形成』(柏書房、1999年)も読むべきか… 少し時期がズレるんだよなぁ。
   
 午前中、教育科学研究会編『教育』第56巻第12号(国土社、2006年12月)を読む。その上で思ったことを、つらつらと書き連ねます。
 特集は「貧困・格差・社会的排除と教育」ですが、私の関心からはむしろ小特集の「教師を孤立に追い込む構造」の方が興味深く読めました。とくに、八木英二氏の論文にて、保護者は教職を尊敬される職業と見ているのに対し、教員自身は尊敬されていないと感じている、という指摘に興味がひかれました。教員・保護者ともに教職の専門性を尊重していますが、保護者や行政は教員の活動に介入しようとする。しかも、教員は専門性を重視するがゆえに、実践における失敗に対して無力感と自責の念にさいなまれ、バーンアウトするのだといいます。八木氏が「専門職アイデンティティ」と呼ぶものが、本来は教員の教育活動の自律のためにあるはずなのに、別の面で教員を追いつめるものになっている様が見えます。
 八木論文の後に掲載されている石城氏、本橋氏、城島氏の論文は、彼等が体験した教員の問題解決の過程としての苦闘が描かれています。その苦労に共感し、応援したい気持ちになりました。ただ、無意識に書いたか『教育』の編集方針かはわかりませんが、彼等の記述内容を読むかぎり、私には、疲労や熱心さのゆえに、彼等の視野が一つの教室内に限られてしまい、かえって問題解決を難しくしていたのではないかとも思えました。彼等は実際のところ、同じ学校のスタッフの協力でこの問題解決過程上の問題を解消したようです。教育問題には学校だけで解決できない問題もあります。教科指導ならいざしらず、学級における子どもたちの人間関係や性格上の問題は、家庭や社会の問題でもあります。家庭や社会ではどうにもならんから学校でなんとかしろ、というのは暴論でしょう。そのような問題は、学校外とも連携をとって問題解決にあたらない限り、真の問題解決は望めないはずです。では、彼等がそれをできなかったのはなぜか。私は、自分の担当内の問題だから自分一人で解決しなくてはならない、という凝り固まった専門意識が、根深いところで邪魔をしているように思います。しかも、その意識が、教員同士の協力関係の構築までも邪魔しているように思えるのです。もちろん、教員が自らの職業に誇りを持つことは大事です。しかし、教育問題には、ある教員一人だけ、または教員という同一職業内の問題ではないものがたくさんあるので、普段から話し合い有事には協力して問題解決にあたる体制が必要なのだと思います。
 私は、何度も言うように「教員の問題解決をサポートするための、教員・教育学者・教育行政官の共同による教育問題の解決システム」をつくりたいわけですが、そのためには、教員の専門職意識の問題も解決すべき問題として現れそうです。
 雑駁な考察ですが(説明不足の点があるんですよね~)、読後の感想なので以上。
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変わらないようだけど変わるのです

2006年12月05日 20時58分16秒 | Weblog
 予定の時間に目が覚めたのに、身動きがとれないくらい眠くて二度寝しました
 おかげで予定が全部狂う。
 今日もまず運動へ。11月の減量の成果は結局、2㎏減がカタいところのようです。まぁ、何度もリバウンドの危機があったので、それを乗り越えて減量に成功したのは誉めるべきかな(笑)。それに、一ヶ月ダイエットを続けて、何となくコツがつかめてきました。やはり、適度な運動と適度な食事が大事みたいです。これは当たり前のことですが、自分にとっての「適度」というのを知るのが一番大変なんですよね。この一ヶ月で、自分の「適度」がわかってきたつもりです。目指せ減量30㎏!
 運動後、登校。紀要の初校を提出し、某先生から頼まれていたデータも納品。これで11月以前から残っていた仕事はすべて終了。ただ、すでに時間は何をするにも中途半端な時間に。そのため、長時間集中しなくちゃいけないことは思い切って今日はやめて、本をひたすらコピることにしました。新しい研究活動の準備は着々と進んでおります。
   
 なお、この数日「新しい」「新しい」と繰り返し述べていますが、私が教育会研究を辞めることはない、と思ってください。先日の記事にも何となく書きましたが、私の問題意識は、教員による問題解決に資するサポートシステムを、いかに構築するか、というところにあります。私は、教育問題の解決を目指す教育研究システムを構築するにあたって、教育会研究は不可欠だと考えていますので、研究をやめるわけがありません。その意味では、この問題が解け、社会に貢献できればいいわけで、就職に結びつかなくてもどうでもいいのです。就職しなきゃ生きていけないし、研究も十分できませんがね(苦笑)。
 私が「新しく」しようとしているのは、教育会研究の視点・方法、および研究の道具としての知識を得る方向性です。今までは「教育会、教育会、教育会、ときどき教育学・教育研究」という感じで研究を進めてきましたが、これからは「教育学、教育研究、教育会」という感じで進めようと考えています。教育会に偏りすぎた従来のやりかたを、教育学の方向へ向けることで、バランスよく拡げようと考えているわけです。それから、現代的問題意識ももっと深めようと思います。今までは「歴史、歴史、歴史、なんとなく現代」でしたが、これからは「歴史、現代」で進めたいと思います。私が歴史研究者であることは自負を持っていますし、これからもそうであるつもりです。ただ、今の時代、現代に「直結」する研究をしないと生きていけないようですし(ちょっと皮肉(笑))、今までのように現代の教育問題を素人的にしか料理できないのでは情けないので、現代的な問題意識と知識を深めようと思っている次第です。
 博士論文の方は、私の博士課程後期の期限が来年3月で切れてしまう以上、すぐには書けないと思いますが、あきらめません。晴れてD4になることができて来年度書ければ最高ですけど、それも様々な状況を鑑みるに難しいようですから、あまり期待はしません。ですが、決してあきらめたわけではありません。不利な状況なんぞに負けるものか!
 どれだけ時間がかかろうとも、絶対やり遂げてやるんでぃ!
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全休

2006年12月04日 21時52分28秒 | Weblog
 今日は久しぶりに全休です。
 廣重徹『科学の社会史』岩波現代文庫、岩波書店、2002年(旧版は中央公論社、1973年)を少し読みました。非常に読みやすい。
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新曲リリース!(笑)

2006年12月03日 18時21分43秒 | Weblog
 広島大学邦楽部定期演奏会の感想は2日の記事に書きました。
 勉強スタートする予定ですが、なかなかスタートが切れません。
 さて、昨夜深夜の飲酒のため、二日酔いというほどではないものの、微妙な朝を迎えました(笑)。起床が少し遅くなってしまい、運動は行くか迷ったのですが、「まぁ…今日はやめとくか…」と妥協で中止。
 いまいちやることも決まらず、何となく登校してしまう。こういう日にたいしたことはできないことは、今までの経験が語る。そして、予想通りになる(笑)。読書しようとしても乗り気にならず集中できず、なんとか明後日〆切の研究科紀要の初校は直すことには成功。つーか、9月末に必死に書いた紀要の「はじめに」が、非常に崩れているのに少し凹みながら、直す。それ以降の本編と結論はまだマシなんだけど… ま、過ぎたことはしかたない。初校で大幅変更はできないし、変更のしようもないし。この崩れを見抜けるようになった自分の成長に慶びを感じるしかあるまい。しかし、うーん、いろんな意味で凹むなぁ。
 その後、ホームページを更新。ついに新曲リリース(笑)。といっても去年の作ですが。題名は「萌青(ほうせい)」。冬へ突入せんとするこの時期に、なんで初夏向けの曲じゃい(笑)。しかも去年の作だし(笑)。ちなみに、先日のH大演奏会で初演した「竹々」は、先方を尊重してすぐには公開しないつもり。
 昨日の演奏会の影響を受け、趣味の三味線を再びいじろうかなぁと考える一日でした。箏の曲も作りたいしなぁ。もちろん、教育学史の研究にも身を入れないとね!
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今日は自分でないひとのために

2006年12月02日 23時55分55秒 | Weblog
 今日は運動へ行ってから登校。学部3年生の卒業論文構想発表会があったので、いくつか顔をのぞかせる。参加の理由は、行事に参加しないといけないという義務感と、後輩達は何を研究するのかなという単純な興味による。なお、いくつか構想を聴いた上で思ったことは、次の通り。自分のやってきた歴史研究の方法って、意外と応用できそうだなぁ。バリバリ現代のことを研究する際、社会学や心理学や哲学などの特別な方法を使わずに、堅実に事実を解明しようとする場合、歴史研究の方法っていくらでも応用できそう。あることを明らかにしたい時、資料がない!、ということもないし。現代の研究は大事。でも、私のやろうとしていることは今だけ見ていてはできないこと。
  
 17時半になったので、広島大学邦楽部定期演奏会へ。参加の理由は、宣伝依頼とはいえ私を頼ってくれたことがうれしかったのと、これまた後輩達はどれくらいうまくなったかなぁという単純な興味による。演奏を聴いて思ったことは、次の通り。みんなうまくなってる!!!! 私が彼等の演奏をちゃんと聴いたのは1年ぶりくらいなのですが、当たり前とはいえども、思っていた以上にうまくなっていて驚きました。みんな頼りがいのある顔つきになってるし、出す音もしっかりしていて、練習しっかりしたんだなぁ、技術だけでなく内面も成長しているんだなぁ、と思いました。もっとたくさんの人に聴いてもらいたかったなぁと思うけど、このレベルを何年も維持できれば、きっと聴きに行こうと思う人が増えるのは間違いないでしょう。みんな、きれいだった+かっこよかったよ! 最後に、お客の見送りに出ていた部員の数に圧倒されました(笑)。
 あと、部長さま、挨拶の際ずっと笑っててすみませんでしたm(_ _)m。だって、あなたのマイクの持ち方がツボにはまってしまったのです(笑)。よく考えると、他のお客さんには悪かったか… 挨拶の内容はとてもしっかりしたすばらしい内容でした。部を代表するという部長の役割を、見事勤め上げていましたよ!
   
 演奏会後、少し遅い晩飯を食べながら、友人から悩み相談を受けておりました。その後一旦家に帰るも、再び同一人物に呼び出され、翌日午前3時近くまで一杯飲んでおりました。今度は私も好きなことを適当にべらべらしゃべっておりましたが(笑)。
 不思議なことに、今日は自分以外のひとのためにあちこち動いた一日になりました。まぁ、いつも自分のために生きているので、めったにない一日でした。頼られるということは自分の言動に責任が発生する大変なことですが、正直うれしいものですね。
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