教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

資料調査最終日

2006年09月22日 22時43分16秒 | Weblog
 今日は資料調査最終日です。今日はチェックアウトをしないといけないので、時間通り起きる。荷物が重くなってしまったので、段ボールに詰めて郵送。
 今日の予定は、中央区京橋図書館と東京江戸博物館へいってこようと思っていましたが、ご存知の通り昨日、行きそびれたところがあるので、そちらを優先しました。今日予定していた調査先は、目当ての資料があることがわかっているわけではないので。
 ということで、東京学芸大学へ行って来ました。同大学は東京府(都)立の師範学校(青山・豊島・大泉・東京青年)を包括して創立された大学です。東京府青山師範学校と東京府豊島師範学校の関係者が、帝国教育会役員にしばしばなっていましたし、そもそも東京府師範学校(青山師範)の教員4名が大日本教育会・帝国教育会の前身団体・東京教育会の基礎を作ったので、私の研究にもかなり縁ある学校なのです。何か資料ないかな~と軽い気持ちで行ったのですが、思っていた以上に興味深い資料がありました。が、今直接関係ある資料ではないのですけどね…(笑)。附属図書館の特殊文庫である望月(軍四郎)文庫と松浦(鎮次郎)文庫には非常に興味をひかれました(ちなみに二人とも帝国教育会にも関係が深い。直接の資料はなかったですが)。なお、師範時代の資料はいちおう図書館にあるそうですが、図書館の管轄ではないらしく、扱えないそうで。閲覧すらできないんじゃ仕方ないよなあ。12時直前、大学を出ました。
 昨日までの予定はこれで消化。今日予定していた残りの2つの調査先へ行く元気は、疲れ果ててもうすでにないし、とくにさしせまった資料情報もないので、もう広島へ帰ることにしました。ただ、ちょっとあまりに早すぎるので、もう1つ寄っていく。武蔵小金井駅からそのまま神田まで行き、JR神田駅から少し中央区側へ歩く。そこには常磐小学校があります。この小学校は、上述の東京教育会結成の最初の発端を作った、教育に関する演説討論会(明治12年1月)の会場になったところなのです。移転しているかもしれないので、本当の開催場所とは違うのかもしれませんが、機関は同じなはず。さすがに中には入れないので外から見ただけですが、伝統を感じさせる雰囲気を醸し出していました。拙稿(「東京教育会の活動実態~東京府学務課・府師範学校との関係」全国地方教育史学会編『地方教育史研究』25号、2004年)でもほんのちょっと書いたことがある学校なので、「この学校で開かれた集会から大日本教育会・帝国教育会につながったんだ~」とイメージできて満足しました(^^)。ちなみに、常磐小学で最初の集会が開かれた次の月には、東京府立第一中学(現・日比谷高等学校←資料調査2日目に校門前を通り過ぎたのを忘れてた(笑))に会場が移り、さらに数ヶ月後には上野公園にあった教育博物館へ移りました。その後は、学習院や東京大学などなど。ホントに最初の一回しか会場になってはいませんが、出発点が小学校だったなんて、大日本教育会・帝国教育会の本質をついているようで興味深いです。
 そのまま東京駅まで歩いていく。14時50分の新幹線に乗って帰りました。
 広島経由で西条駅(東広島)に帰り着くと、なんだかやたら寒いぞ。
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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
お疲れさま。 (wozaijia)
2006-09-22 23:23:37
14:50の新幹線・・・月曜日に僕が乗ったのと同じ時刻のだわ。
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帰りました。 (白石)
2006-09-23 03:11:00
その前後の便は、大阪か岡山でとまってしまうので、この便にしたわけです。
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