教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

問題問題問題…

2006年09月28日 21時17分57秒 | 教育研究メモ
 今日は、比較的起床成功ぎみに起床(?)。I先輩の電話で目が覚めて、そのまま登校しました。昨日は博士候補論文の件で落ち込んでいましたが、今日は何とか立ち直りました。もちろんショックなのは変わらないのですが、いつまでも落ち込んでいてもしかたないので、今の自分ができる範囲で前へ進もうと思います。しかし、眠い。
 登校後、研究科紀要用論文の書き直し。この論文の指導はもうしてもらえそうにないようだし、〆切は29日ですが、今日中に提出可能な状態にしてしまいました。直した内容は…なんだかちょっとよくなったかな? 17時過ぎ、完成したので、Y先生に渡す(研究科紀要原稿の提出は主任指導教員を通すので)。
 晩飯を食べて気分転換。もう一度研究室に戻って宗像誠也『教育研究法』を読む。このところ「教育研究」の概念にこだわっているので、戦後の教育研究概念の出発点ともいえるこの著を、(前にも読んだことはあるのですが)読み直しているところです。この著に見られる戦前教育学批判は、極めて極端で、戦前教育学を全否定しています。もちろん、戦前の反省に基づく新しい教育学の構築を推進するための出発点を作ったという歴史的な意味はある。しかし、日本の教育学を再検討する必要がある今、この戦前教育学史観は再検討すべきだと思う。この教育学史観の下では、問題点を探すことはできても、戦前教育学の継承すべき所は継承し今に活かそうという立場は生まれてこないので。事実認識の点では、私の拙い知識でもいただけないところばかり。歴史的事実を掘り起こし、戦後直後の教育学者の戦前教育学史観を乗り越えて新しい歴史観を再評価していくことが、現代日本の教育学の再構築につながるんだろうなと思います。
 ちなみに、同著を読んでいる理由は、つい先日からもう一つ別の理由が付け加わりました。同著は、教育研究を進めるに当たって、問題設定の重要性を強調している著作です。自分のやり方では研究の問題設定がなっていないと言われ、行き詰まっている今、問題設定ってどうしたらいいの?と素朴に答えを探しています。私自身、常に問題意識は明確に持ってきたつもりなんですけど、どうやったらその問題意識を論文に反映できて、指導教員たちを納得させられるのか、がわからない。これをそのまま論文に書いても仕方ないだろうしなぁ。
 それこそ、問題は問題意識と具体的テーマ(教育会)の連結と、説得力か…
 つーか、何年も前に書いたこの問題意識、書いたことすら忘れてた… 全然勉強せず、「教育問題の解決を目指す科学的方法=教育研究法」なんてことも知らずに書いたはずなのに、意外に本質をついている(笑)昔の自分の文章を見ると、勉強しても答えが見つからず、もがき続けざるを得ない今の自分の姿が滑稽で涙と笑が同時に出てくる。ただ、何年も「全国的教育会」の部分を書いていない(書けなかった)のが、当時の限界だったのだろうし、おそらく今の苦しみもそこにあるんだろうな。
 文章がわけわからんようになってきました。
 迷い道を迷っていますネ~。
コメント
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