教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

教育史学会二日目

2006年09月17日 23時55分55秒 | Weblog
 今日は7時起床。眠い… 大東文化大学へ向かう。
 9時から個人発表。昨晩酔いに任せて失礼な質問をしてしまった某先輩を見つけたので、あやまる。「何かあった?」とおっしゃられていたので、ああ優しい先輩だなあ(^.^;)と思い、安心しました。
 午後、13時半からも個人発表。16時10分からコロキウム。コロキウムというのは、討論会という意味で、研究発表やシンポジウムよりも意見交換の形式としては親密な形式。今回の学会では、教育会、ジェンダー・セクシュアリティ、自叙伝、西洋教育史、教育メディア史の5種類のコロキウムがありました。私は当然教育会のコロキウムへ。このコロキウムの目的は、明治21年秋に森有礼文部大臣が提案した教育会の役割に関する意見の影響を、各地方教育会の実際の反応の中に見てみようということ。事前に設定されていた報告者3人からテーマに沿った報告があり、それについて何か意見を出すという形で進行。報告は福島・埼玉・岐阜の教育会について。知らないことがたくさんつまった内容だったので、報告そのものは興味深かったです。このテーマに沿ってやらなければならない次の作業は、やはり森有礼文相の教育会改革意見の整理、それに対する中央教育会(大日本教育会)の反応、中央教育会の反応と地方教育会の反応の相関関係、さらにある地方教育会の反応と別の地方教育会の反応の相関関係、の解明でしょう。
 18時少しすぎに、コロキウム終了。これで学会日程はすべて終了。帰ろうと外へ出ると、細かい雨が降っている。傘を持っていなかったのでちょっと難儀する。研究室のS先輩と一緒に池袋まで行き、晩飯を兼ねて一杯飲む。

 今回の教育史学会は、個人的には次のようなことを考えさせられました。すなわち、教育史研究の活動における、事実の積み重ねによる歴史の実証と、研究の枠組みの開発による歴史の大きな流れの認識との兼ね合いのあり方について。後者はシンポジウムで指摘されていましたし、今までもしばしば行われてきたように思いますが、まず個人発表では見られなかったように思います。今回私は後者の作業を(無謀にも)個人発表で行い、賛否両論を受けましたが、私は個人発表(またはシンポジウム)でもどんどん枠組みの議論をやるべきだと思います。事実を積み重ねていくのは大事だし、今後もどんどんやっていく必要はあります。ただ、枠組みを設定することによって、初めて認識可能になる事実もあるわけで、より本質を認識可能な枠組みを追求することも大事だと思います。それによって教育史そのものが深い知識になっていくのではないでしょうか。もちろん、枠組みの提案もまた事実に基づくべきなので、事実の積み重ねも大事です。学会は研究発表と意見交換の場であり、どちらか片方だけでは機能不全を起こす気がします。事実解明と枠組開発が相互関連しながら、学会の日程が消化されていくといいのになぁと思いました。
コメント
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