横浜のほほん

横浜のはずれで、のほほんと暮らす男の見聞、考察、感想をつれづれに記す

佃・月島

2008-09-14 07:55:58 | あれこれ

木曜日に友人たちと一緒に御徒町から湯島、お茶の水と佃島・月島を歩いてきた。

大阪市西淀川区の神崎川と左門殿川に囲まれる島のような形をした地域が佃と呼ばれる。
元は田蓑と呼ばれる漁業の盛んなところであったが、
徳川家康が漁業も大事だが人は先ず田で働けとして田にニンベンを付けて佃に改称した。
その後、佃村の漁民が家康に招かれ隅田川河口の埋立て地に住むにあたって佃島と呼んだ。


今も船溜まりは残っているが、昔ながらの家並みは少なくなって高層マンションが立ち並ぶ。


漁民たちが移り住んだ時に佃村ゆかりの神社をこちらにも創建したのが
いま朝のドラマでもおなじみの住吉神社だ。


隅田川べりに出ると壁にレリーフが3点かけられている。
これは三代安藤広重「東京明細図会 佃島灯明台下 汐干」という版画が元になっている。
版画(画像が小さいけれどカラー) 参照


一部を拡大してみると親子らしい二人が潮干狩りをしているようだ。

上の全体図の右上には灯台らしいものが見える。


これは最近建てられたモニュメントだが、元はこのあたりに灯台があったそうだ。
佃島の隣の石川島には無宿人対策のための人足寄場が置かれていて油絞を行っていた。
慶応2年その益金で隅田河口・品川沖航行の船舶のために、この灯台が築かれたという。



佃島小学校の近くにはこんなモニュメントもあった。
石川島の造船所の名残のようだ。


月島のほうへ進んで、西仲通りを歩く。
通称もんじゃ通り、朝のドラマの舞台だが洋品店も「あにおとうと」もなかった。


今はもんじゃ屋さんが目立つが、2階部分に目をやるとその昔がうかがえる。