四代八幡宮の石階段を降りると、四代の街並みの東側の道を登りました。初めて通る上り坂の道です。登っていると、東側に四代の街並みが見下ろせるように広がりました。その向こうを見ると、室津へと続く道が見え、その向こう側に皇座山が見えました。地図上では室津と四代は8km離れています。田布施と柳井の距離に相当します。
四代小学校跡地近くから見下ろした四代の街並みに
上り坂をどんどん登ると、四代小学校跡地に着きました。草が生えた階段上ると、校門とおぼしき石柱がありました。その石柱のそばに、四代小学校開校百周年の記念碑が立っていました。広いとは言えない校庭跡を歩いてみました。しかし、びっしりと生い茂った草が、歩く足の邪魔をしました。ここから下を見ると、四代の街並みがよく見えました。
四代小学校跡の校門 四代小学校校庭跡 勘場代官の墓地
四代に来た理由に二つ目は、上関勘場跡を見つけることでした。当初、四代八幡宮の近くにあるのではないかと思っていました。四代小学校跡からの下り道を通っていると、草むらに建つ上関勘場跡石碑を見つけました。四代中学校跡地が勘場跡だと分かりました。四代中学校跡地は今、浄水場となっています。
上関勘場跡石碑 四代中学校跡、今は浄水場 不思議な〇〇様の石柱裏
上関勘場跡を確認すると港に下りました。立話をしているお年寄りから、不思議な石柱の話を聞きました。四代では〇〇(〇〇が何だったか聞き漏らす)さまと呼ばれているようです。300年以上前に流れ着いた人を弔う石碑とのことです。石碑を建てるぐらいですので、高貴な方に違いありません。その石碑を間近に見ましたが、なかなか立派な石碑です、墓石のようにも見える石碑です。数年前に室津方面の方が拓本を取りに来たそうです。拓本を取ったのは、史談会か教育委員会ではないかと思われます。その後、その拓本の調査結果を四代の方々は聞いていないとのことです。何が刻まれていたのでしょうか。
四代の方々が、〇〇様と呼んでいる墓石に見える不思議な石碑
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