東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

光市 峨眉山(南側)の調査ウォーキング

2013年04月21日 | 歴史探訪他ウォーキング

 来年のウォーキング候補の一つである、光市室積半島の峨眉山を実踏してみました。バイクを普賢寺裏にある駐車場に停めて出発しました。地図上ではそれほどの距離はないので、のんびりと歩くことにしました。まずは、長い石階段を歩いて杵崎神社に向かいました。杵崎神社前は広場になっており、北方面のフィッシングパークに向かう道、南方面の峨眉山に向かう道に分かれていました。今回は峨眉山に向かう南方向の道に行きました。なお、クサフグ産卵地がある海岸に下りる道は、山の崩壊のため立ち入り禁止となっていました。

    杵崎神社に向かう入口の鳥居       杵崎神社と広場、ここから峨眉山へ
 

 この峨眉山周辺に生えている木々は、私が住む家の近くの木々と種類が少し違うような気がします。第1に、過去に伐採されたことが無いようで大木が多いことです。第2に広葉樹が多いことです。松や杉などの針葉樹がありません。つまり、これまで人の手が入らず植樹がされなかったようです。第3に常緑広葉樹ばかりのようです。ナラやクヌギなどの落葉広葉樹があまり見当たりません。

     大木に囲まれた遊歩道              三角点がある峨眉山頂上
 

 しばらく歩いて峨眉山の頂上に着きましたが、標識がありません。石の三角点がありましたので、峨眉山に違いありません。ここで少し景色を眺めながら休憩しました。海の向こうに光市の町並みが見えました。木が茂っているため、見通しが良くありません。

               峨眉山頂上から、海の向こうに光市の町並みを遠望


 頂上からはゆったりとした明るい下り道を歩きました。全て舗装されているため、足を取られたり滑ったりすることもなくとても歩きやすい遊歩道です。所々で木々の切れ間があり、崖下に海が見えます。とても急な崖のようです。危ない個所には鎖が張ってありました。

      舗装された明るい遊歩道            所々で崖下に海が見える
 

 歩いていると所々で、南の方向に海が見えました。本州の梶取岬,馬島が右半分,佐合島,長島,牛島,尾島,そして祝島が見えました。牛島は近いのか、港や家が小さく見えました。その向こうには上関の長島が見えました。しかしながら、霞が少しかかっていたため、九州や四国は見えませんでした。

                  左の牛島、中間に尾島、その右に祝島を見て


 木漏れ日を浴びながらのんびり歩いていると、日和田山跡と書かれた場所に着きました。休憩用のテーブルがあったので、少し休憩しました。この付近に来ると、子供達の賑やかな声が響いてきました。山の麓に山口大学付属小中学校があるので、その子供たちの声のようです。体育の時間だったようです。

   小中学校生徒の声が響く休憩所        歩いて来た峨眉山を振り返って
 

 休憩所からしばらく下りながら歩いていると、峨眉山神社に着きました。ここは、先日慰霊祭があった我家近くの麻郷護国神社と同様に、明治維新で亡くなった方々を祀る神社です。もともとは峨眉山招魂社と呼ばれ、今は光峨眉山護国神社と呼ばれているようです。
 並んだ石柱4列を見ると、左右外側2列が明治維新など、内側2列が太平洋戦争で亡くなった方の碑です。外側2列は一石柱に一名の方の名前が刻んであり、亡くなった年号や出身地なども丁寧に刻んでありました。しかし、内側2列は一石柱に八人位のたくさんの方のしかも名前だけしか刻んでありませんでした。これは、太平洋戦争がいかに犠牲が多かったかを暗示しているように思えます。

            4列のうち左右外側2列は主に明治維新で亡くなった方々の、
            そして
内側2列は太平洋戦争で亡くなった方々の碑


 明治維新で亡くなった方々の年号を見ると、元治元年(1864)の方が圧倒的に多いことです。この年、当時の長州藩は未曾有の危機にありました。7月池田屋事件,8月蛤御門の変での大敗,9月四国艦隊下関砲撃事件での敗北,第一次長州征伐と、長州藩にとっては散々の年でした。この光峨眉山護国神社で祀られている方々のほとんどが元治元年で亡くなっている事実は、この時期の長州藩の苦難を物語っています。

      光峨眉山護国神社から太鼓橋          半島に残るお台場跡
 

 光峨眉山護国神社を見終わると、去年の6月に来たことがある象鼻ヶ崎を歩いてみました。ほとんど同じルートをのんびりと歩いてみました。最初に、山口県の民謡にもなったお台場跡を見学しました。象鼻ヶ崎の突端に行った後に湾の内側を歩いて、さっきまで歩いていた峨眉山を見ました。

   湾の向こう側、1番高い山が峨眉山       峨眉山の北側、少し低い山が続く
 

 象鼻ヶ崎の内側は砂浜になっています。外側と比べて波が穏やかで、何艘もの小舟が休んでいました。日が当たっていたため温かな砂浜でした。その砂浜に座ると、お尻がポカポカしてきます。座って休憩しながら、湾の向こうに見える小山を見ました。この小山の中腹に光峨眉山護国神社があります。

     中央の小山中腹に光峨眉山護国神社、右の建物は山口大学付属小中学校

 象鼻ヶ崎から駐車場に戻る途中、山口大学付属小中学校の脇を通りました。小学校の低学年生でしょうか、たくさんの生徒が下校していました。そして、光駅方面へ行くバス停留所に生徒たちが並んでいました。この学校には光市各地から生徒が通学しているようです。

   山口大学付属小中学校の正門から、光峨眉山護国神社方面の山を振り返って


 普賢寺裏にある駐車場に戻ると、室積から千坊山方面へ向かいました。今年の初め、逆コースで千坊山から室積へ向かいました。田布施町との境から一旦コバルト台地に行って、広場で休憩しました。広場からの木々の間に、先日藪こぎしながら苦労して登った呉麓山が見えました。

  コバルト台地から見下ろした象鼻ヶ崎          木々の間から見えた呉麓山
 

 長椅子に座って遠望すると、柳井市の三ヶ岳や琴石山平生町の赤子山そして、山の向こうに柳井市沖にある火力発電所に煙突が白く目立つように見えました。そして、平生町、田布施町、柳井市の余田新庄を見渡すことができました。霞んでいましたが、銭壷山も見ることができました。視界を右に向けると、平生湾や大星山の風力発電所が小さく見えました。

      左丸:三ヶ岳,中上丸:琴石山,中下丸:赤子山,左丸火力発電所の白い煙突


           左丸:火力発電所,右長丸:平生湾,右丸:風力発電所


 コバルトラインの、岩屋と竹尾を結ぶ十字路から竹尾に下りました。薄暗い林道をしばらく進むと、竹尾のお地蔵様がある場所に着きました。次に、竹尾から麻里府に舗装道路をどんどん下りました。そして、里山カフェBerryBerryに寄ってホットコーヒーとロールケーキを注文しました。ご馳走さまでした。この時に里山カフェのご主人と、高校時代に亡くなったI君の話,昔の子供の遊び,城山の話などで談笑しました。この里山カフェがある場所は、私が中学高校の頃によく来た所です。同級生など友達も多いので、とてもなごむ懐かしい場所です。

 林道から竹尾のお地蔵様の場所に到着   途中寄った、里山カフェBerryBerry
 

 GPSを持ってバイクで走り、峨眉山などを歩きました。しかし、峨眉山内の遊歩道は大木が茂っているためか正確な歩跡を計測できませんでした。空が見える場所を歩いたり、バイクが走るコースは行跡をきれいに計測できました。

               今回、バイクで走ったり遊歩道を歩いたコースの行跡


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