東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

銭壺山周辺の史跡巡りウォーキングの下見(1/3)

2022年09月23日 | 歴史探訪他ウォーキング

 9月の史跡巡りウォーキングが台風で延期になりました。その9月の史跡巡りウォーキングをする前に、10月の史跡巡りウォーキングの下見に行ってきました。銭壺山を登り降りする間にある史跡を巡るウォーキングです。まずは、JR田布施駅で電車に乗って、JR神代駅で下車しました。JR神代駅に降りたのは初めてです。駅構内に何かの歌碑がありましたが、草に覆われてよく見えませんでした。駅の外に出て国道188号線に出ると小さなお地蔵様がありました。また、道脇にオリンピックカンナが群生していました。60年前の東京オリンピック時に植えたのに違いありません。次にバスに乗りました。そして、由宇歴史民俗資料館前でバスを降りました。

          船の形をした由宇歴史民俗資料館を見学


 由宇歴史民俗資料館に来たのは10年ぶりのことです。10年前とは変わっていました。まず受付ですが、以前は館内の奥にありました。それが今は入口にありました。展示位置は大幅に変わっていましたが、展示物はあまり変わっていませんでした。重量物のジャガー織物機は元の位置にそのまま展示してありました。重くて移動できなかったのでしょう。見覚えがある展示物がたくさんありました。何年か前に再オーブンしたのでしょう。絨毯や階段などが綺麗になっていました。

 初めて降りたJR神代駅    駅近くのお地蔵様    オリンピックカンナ
  

 JR神代駅は初めてでしたが、神代付近の海岸は子供の頃に時々来たことがあります。一番よく覚えているのは船の進水式を見たことです。新造船が海に向かって砂浜を降りていく光景を、今でも覚えています。ちなみに、我家の牛舎は神代にあった造船所の建物を移築したものです。牛舎の中で船が作られていたことを思うと不思議です。柱の根元は今でも塩をふいており白くなっています。

     造船に関係する展示物       織物などに関係する展示物
 

 かつて造船所があった海岸を久しぶりに訪れて嬉しくなりました。私が子供の頃、神代の海岸は延々と砂浜が続いていました。そして、造船所の建物が海岸に接するように所々並んでいました。船は、今のような鉄工船ではなく木造船でした。今は木造船を見ることはなくなりました。木造船を作る技術は失われてしまったのでしょうね。神代の造船所は私の貴重な思い出です。その思い出の造船所の建物が、今でも我家に残っているなんて奇跡かも知れません。

        銭壺山に至る史跡巡りウォーキングの下見コース

コメント
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