東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

平生町 赤子山 史跡巡りウォーキング(2/3)

2022年06月29日 | 歴史探訪他ウォーキング

 赤子山頂上に着くと昼食休憩にしました。回りの樹や草が綺麗に伐採してあるため絶景です。平生町の街並みに加えて宇佐木や伊保庄が眼下に見下ろせました。私はそばにあった長椅子に座って昼食をとりました。仲間たちは、椅子に座ったり,シートを引いて座ったり,または携帯椅子に座ったりして昼食休憩しました。40分位休憩したでしょうか。柳井市の伊保庄や平生町の宇佐木を背後に全員の写真を取りました。そして、宇佐木方面に下りました。

        柳井市伊保庄や平生町宇佐木を背後に全員写真


 頂上を出発すると、しばらく森の中をどんどん東方向に尾根を歩きました。森の中なので、尾根道は落葉が積もっています。さくさく落葉を蹴散らしながら道を進みました。1時間位でしょうか山道を下っていると、宇佐木の民家裏に出ました。なお、途中で下見時と違う道を下ったようです。下見時にはなかった田んぼ脇を歩きました。そのため、金毘羅社には行くことができませんでした。

 小川を跨ぐ家に向かう    小川を跨ぐ珍しい家    万徳寺で休憩 
  

 金毘羅社に行くことは諦めて、小川を跨いで建てられた珍しい家を見学しました。この家は、今の建築法では建てることができません。そのため、柱を直したり畳を変えたりなどしかできないそうです。かつては家の下に稲を干した後の竹竿を保管していたことがあったそうです。昔はいろいろな変わった家を建てることができたようです。

   元田んぼに置かれた早乙女塚      道に安置されたお地蔵様1
 

  次に万徳寺に向かいました。トイレ休憩をすることを下見時にお伝えしておきました。そのため、今回、快く休憩をさせていただきました。ありがとうございました。しばらく万徳寺で休憩すると、早乙女塚に向かいました。元田んぼの中にポツンと建った石柱です。文字は彫られていませんが、川の堤防に早乙女塚の由来の看板が立ててあります。お侍に切られた早乙女の悲しい言い伝えです。早乙女塚を見終わると、川傍の道に安置されたお地蔵様1に向かいました。

         平生町 赤子山史跡巡りウォーキングルート

コメント
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