東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

柳井市 柳北方面の史跡散策(3/3)

2021年03月30日 | 歴史探訪他ウォーキング

 行けなかった祠と地蔵3を崖の上から確認すると、次に柳井中学校沿いに歩きました。そして、柳井川に出ると左岸側の堤防を歩きました。しばらく歩いて柳井中学入口バス滞留所に着くと、柳井小学校方面に行く道に進みました。200m位進んで山に入る小さな舗装されていない道に分け入りました。その道を登りきると稲荷社がありました。こじんまりとした神社でした。この稲荷社前で立ったまま休憩しました。

        柳北小学校前の柳井川対岸に安置されたお地蔵様


 稲荷社を確認すると、着た道を下り柳井中学前バス停留所まで戻りました。続いて、柳井川左岸の小道をどんどん上流に向けて歩き続けました。20分位柳井川に沿って歩くと門前橋まで来ました。橋の名前から推測するに、かつてはお寺に続く道があり栄えたのでしょう。しかし、門前の由来を近所の方に聞いてみましたが知らないとのこと。だいぶ昔にお寺は錆びれ、橋の名前にかつての繁栄を留めたのではないでしょうか。門前橋から東へどんどん歩きました。15分位坂道を登ると、牛供養の石碑がありました。

じんまりとした稲荷社     牛供養の石碑      柳北小学校
  

 牛供養の石碑から坂道を戻り、再び柳井川左岸を上流に向けて歩きました。下馬皿公民館横を通り過ぎて、柳井川左岸の道が途切れた場所に着きました。そこには四体のお地蔵様4,5,6,7が安置されていました。四体ともに赤い帽子に赤いべべを着ていました。同じ柄でしたので同じ方が作ったようです。柳井川が最も狭まっている場所ですので、昔は水害が多かったのではなかったかと思います。もしかして水害を弔うため安置されたのではないでしょうか。

    山の中腹にある大師堂        岩政次郎右衛門の水路跡
 

 四体のお地蔵様の場所で柳井川を渡り、柳北小学校前に出ました。小学校から山に向ける道にはいり、大師堂に向かって山を登りました。大師堂横の崖が段々に掘ってありました。その段々に数十体のお地蔵様が並んでいました。それぞれのお地蔵様は何を表しているのでしょうか。その大師堂前を、江戸時代に岩政次郎右衛門が掘った水路跡が通っていました。整備すれで、今でも使うことができそうな水路でした。大師堂でしばらく休憩後、元来た道を延々と歩き、出発したJR柳井駅まで戻りました。

            柳井市柳北地区の史跡散策コース

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