東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

平生町 大野 長谷~日向平方面史跡巡り下見ウォーキング(1/2)

2021年03月13日 | 歴史探訪他ウォーキング

 3月は平生町大野~日向平山麓周辺の史跡を巡ることにしました。そのための下見ウォーキングに行ってきました。数年前に調査した時、山麓の一ヵ所は藪や竹林がひどくて通れませんでした。そのため今回、山鎌やノコギリを持って行きました。そして、30分位暗い竹林を切り開きながら通ることを想定していました。しかし、どなたかが切り開いたようでした。足場は悪かったものの、山鎌やノコギリを使わずに通ることができました。本番ウォーキングをこのコースに決めることができてほっとしました。

       山鎌やノコギリで伐採する必要がなかった暗い竹林

 平生町を10:00にスタートして少しすると、大野の横幹道路俊成記念碑が見えてきました。この石碑前をしばらく進むと長谷地区に入りました。長谷地区に入ってすぐ、並んだお地蔵様が迎えてくれました。その昔、この長谷地区の往還道は伊保庄に通じる県道でした。しかし、今や誰も通らなくなったため道は草木に覆われてしました。その県道が草木で消えた所で道を右に曲がりました。

 横幹道路俊成記念碑      並んだお地蔵様     吹越遺跡に向かう
  

 坂道を40分位登ったところに吹越遺跡の掲示がありました。この遺跡は弥生時代後期の高地性集落遺跡です。吉野ヶ里遺跡の環濠のように、集落の周りをぐるりと環濠が囲んでいたとのこと。すべてを発掘したわけではないため、環濠集落の規模は分からないようです。鉄器が発掘されたようで、戦いに備えた環濠集落だったのではないでしょうか。弥生時代後期はこの田布施、平生でも戦いがあったのでしょう。勢力争いの結果、その後の大和政権へと収斂していったと考えられます。

   尾根道近くの吹越遺跡掲示       暗い竹藪の中に分け入る 

 吹越遺跡の解説をすると尾根道に出ました。尾根道をしばらく歩くと、木々の間から畜舎跡が見えました。そして、その畜舎跡に続くうっそうとした竹藪の中に分け入りました。どなたかが伐採したのでしょう、山鎌やノコギリを使わなくてもぎりぎり通ることができました。当初は、伐採しながら通ることを覚悟していました。風車のゴーゴー響く音を聞きながら、暗闇の竹林をなんとか通り抜けました。すると、視界が広がる日向平の棚田に出ました。

      平生町大野の長谷~日向平方面史跡巡り下見コース

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